眩暈が、する。

世界がぐるぐるとまわって形が定まらず、不安定な視界に吐き気がする。
頭が、痛い。
ガンガンと壁に打ち付けられているようで、割れそうだ。
いっそ割れて中身が全部出てしまったら、この痛みが治まるだろうか。
痛い。

「これで、俺の手持ちのカードは見せたよ」

天がおどけて両手をひろげて、ひらひらと手のひらを俺に見せる。
手品で、種も仕掛けもありませんというように。

「それで、兄さんはどうする?」

それから悪戯っぽく笑って、首を傾げた。
まだ少年の高さを残す声で、歌うように、言葉を紡ぐ。

「兄さんは何を望み、何を捨て、何を選ぶ?」

どこか芝居がかった仕草は、まるで出来の悪い劇を見ているような気分になって、ますます現実感が失われていく。
俺の反応を見て楽しむように、顔を覗き込んで四天が笑う。

「選ぶのは、兄さんだ。俺が考え付く限りの選択肢は出したよ」
「………」

一兄を選び、奥宮になり、力の尽きる日まで苦しむか。
天を選び、奥宮になり、家と共に滅ぶか。
どちらも選ばず飢えて死ぬか。
そのどれかを、選べというのか。

「まあ、すぐに選べるわけないか。時間はまだある。少ないけど、あるよ」

選べるはずがない。
選びたくなんてない。
これ以上痛いのも苦しむのも、嫌だ。
残酷な現実を見るのも、知っている人に裏切られるのも嫌だ。
もういやだもういやだいやだ。
全て、嫌だ。

「考えるといいよ。よく考えて、選ぶといい。ま、理不尽な選択肢で納得するものと言われても、無理かもしれないけどね」

天がまたおどけて肩を竦める。
口の中が乾いて、喉がカラカラだ。
はりついて、うまく唾も飲めない。
水が、飲みたい。

「………」

天は、ずっと、これを、望んでいたのか。
天の望み、求め、力を尽くして叶えようとしていた夢は、これだったのか。
こんな、こんな、ものだったのか。

「………お前は、俺を、奥宮にして、俺ごと、家を、宮守を、消したい、んだな」

天が無邪気に笑って大きく頷く。

「うん」

胸が、ずきずきと痛む。
行動力も力も、何もかもを持ち合わせている、聡明な弟。
そんな強い弟が、望むものが、これ、なのか。
バケモノになる俺もろとも、全てを、消し去さる。
そんなものを、望むのか。

「それ、は」

なんだろう、この感情は。
裏切られて、悔しい。
結局俺を利用し、犠牲にしようとしている。
憎い、悔しい、哀しい、辛い。
でも、なんなのだろう。

「………でも、そうしたら、お前も、ただじゃ、すまない」

俺を奥宮にし、俺を滅ぼす。
そうしたら天の言うとおり、宮守家はきっと、潰えるのだろう。
だが、そんなことしたら、おそらく、天も、無事ではいられない。
平気で人を食らう家だ。
家を裏切った天を、一族の人間が、許すとは思えない。
それとも、天は、自分だけは、助かると思っているのだろうか。
いや、そんなの、頭のいい弟が気づかないはずがない。

「お前も、追い詰められる、だけだ」

力も頭のよさも行動力も武術の才能も、持っている。
その全てをかけて、ただ、破滅を望む弟に抱く、この感情は、なんなのだろう。

「うん、まあ、そうだろうねえ。無事では済まないかな」

けれど天は明日の授業のことでも話すような、変わらない態度だ。
本当に何も感じていないかのような弟に、声が、震える。
この、痛みはなんなのだろう。
この、胸にわだかまる感情は、なんなのだろう。

「………それで、いいのか?」
「うん」

天はやっぱりあっさりと、まるで子供のようにあどけなく頷く。

「自分の腐臭を嗅いで生きてるよりは、痛くても綺麗さっぱり腐ったところを切り落としたいでしょ」

清々しさすら感じるぐらい、きっぱりと言い放つ。
いつだって迷いを見せない冷静な弟は、こんなときだって感情を乱さない。

「汚いんだよね。あの家にいると、体の中から、腐っていく気がする。自分の体が臭くって、たまらなくなる」

ふうっとため息をついて、嫌そうに自分の服をつまんでみせる。
潔癖なところのある弟が、いつも俺を見てぼろぼろで汚いと言う時と同じように嘲り笑う。

「俺は、汚いのは嫌い。見苦しいものは嫌い。だったら、汚いものは元から断たないとね」

笑ったまま、忌々しさを込めて、吐き捨てる。

「あんなもの、いらない。兄さんもそう思わない?」
「………天」

痛い。
眩暈は収まらない。
頭が痛い。
でも、なぜだろう。
胸も、痛い。
苦しい。

「天、おれ、は」

何を、言えばいいのだろう。
言葉が、出てこない。
何を、言いたいのだろう。
分からない。
苦しい。

「ひどい顔」

黙り込んだ俺を見て、天は目を細めて笑った。
それから自分の鞄を漁り、ワインボトルを取り出した。
部屋に備え付けてあったグラスをとって、とぽとぽと赤い液体を注ぐ。
立ちつくしながらそれを見ていた俺に、真っ赤な液体を差し出す。
赤い赤い、まるで血の色だ。

「はい、少し飲めば、眠れるかもよ。まだ旅は先が長い。よく寝て、明日また考えればいい」

促されるままに受け取ると、天はにっこりと笑った。
綺麗に、悪意なく、子供の時の、まるで天使のように無邪気だった頃のように。

「俺を選ぶのが、一番いいと思うけどね」

優しく甘い声。
赤い液体から、甘い匂いがする。

頭が痛い。
胸が、苦しい。






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