「四天………」

強大な力を持ち、いつも冷静で大人びて、全てを見透かしているようで、動揺することなんてほとんどない。
そんな、まるでロボットのようにすら感じていた弟。
それなのに、今目の前にいる少年は、言葉がまだうまく話せず、意思を伝えられず癇癪を起す子供のようだ。

「苦し、かった?」

悩んでなんてないと思っていた。
俺なんかと違って、いつだって意思と目的をもって、ブレることなく行動していると思っていた。

「お前も、迷ってたのか?」

でも、やっぱり、天も、迷っていたのだろうか。
苦しみ、もがいていたのだろうか。
家に利用されて、痛みを与えられて、結果辿り着いた答えが、恋人か兄を犠牲にすることで為す、家族の、家の消滅。
その結論に至るまで、どれだけ、天は苦しんできたのだろう。
そして今もまた、迷い続けているのだろうか。

「………迷ってなんか、なかった」

天は、目を一度閉じて、息を吐き出す。
そしてその場に、やや乱暴に座り込んだ。
浴衣の裾から覗く足は筋肉はついているものの、白く、まだ線の細さを残している。
そうだ、弟、なんだ。
すぐに忘れそうになるけれど、こいつは俺より二つ年下の、弟なんだ。

「俺がすることは、しなくちゃいけないことは、ひとつだった。あんたでも栞でも、奥宮を殺すこと。それで終わりだ。後はどうなっても構わない。あの無様で醜悪なシステムが消え失せれば、それでいい。あれが家にあると思うだけで、イライラする。気持ちが悪くて、吐き気がする。あんな汚いもの、いらない」

そういえば、天は自分の部屋にも丁寧で緻密な結界を張っていた。
他人の結界の中が嫌いと言っていたが、もしかしてこれも理由の一つなのだろうか。

「あれが綺麗さっぱりなくなれば、それでよかった。それ以外のことはどうでもよかった。家も土地もどうにでもなればいい。めちゃくちゃになって構わない」

家族も栞ちゃんも俺も、そして自分自身すらもどうでもいいのか。
潔癖なところがある弟には、あの存在が、そんなにも許せなかったのか。

「でも、俺の目的を為すには、俺だけの力じゃどうにもならない。奥宮の選定も、奥宮が先宮に誰を選ぶかも、そして奥宮に選ばれた人間が、俺の考えに乗ってくれるかも」

いつか言っていた。
夢があるけど、自分ではどうにもならない。
自分が選べて行動にうつせることは少ない、と。
確かに、天の計画は多分に偶然性を、含むものだ。

「全部俺の意思だけじゃ、どうにもできない」

座ったまま、手を広げて、じっと見る。
白いけれど、大きな、堅い手。
俺よりもずっと多くのものを、掴めると思っていた。
俺よりもずっと多くのものを、抱えていられると思っていた。

「栞が選ばれていたら、栞なら迷わなかった。栞となら出来た。ずっと一緒に、考えてきたことだから」
「………」
「それか、あんたが、俺の手を取ってくれたら、それでよかった。俺も迷わなかった。一緒に死ねた」

俺が、天を選び、宮守の滅びを望む。
それなら、天は迷わずにいられたのか。
でも、そんなの、出来なかった。

「けど、あんたが、迷うから。最後まで揺れてるから。そして、俺を選ばなかったから」
「………だって、迷わないわけない。急につきつけられても、どうしようもできない」

俺も悩み迷い苦しんで、あの答えをだした。
俺は自分の知る小さな世界を、壊したくはなかった。
あれがなくなったら、俺が存在した場所は本当になくなってしまう。

俺を覚えている人。
俺がいた場所。
それが必要だった。
俺は、自分の存在が無価値でなんの意味も為さないものになるのが、なにより怖かった。

「俺は、目的のこと以外、見ないようにしてたのに」
「………」
「あんたのせいで、迷った!」

また、癇癪を起す様に、叫ぶ。
俺のせいで、迷った。
俺がいけなかった。

「………そんなこと」

俺が、いけなかったのか。
俺が、迷うから。
天の、手をとらなかったから。
でも、どうすればよかったんだ。
俺だって悩んで悩んで悩んで、それこそ、いっそ正気を失いたいぐらい悩んだ。
それなのに、それも、責められるのか。

「そんなこと、知らねーよ!」

ふつふつと沸いてきた怒りが抑えられず、叫んでいた。
責められたって知らない。
詰られたって知らない。

「そんなこと言われても、俺だって分からねーよ!急に、奥宮になれだの、死んで滅ぼせだの言われて、どうすりゃよかったんだよ!俺だって、迷いたくて迷ってんじゃねーよ!」

誰も、ずっと教えてくれなかった。
急に突きつけられた問題に、どうすればよかった。
どうすれば、俺は、皆を傷つけずにすんだ。
どうすれば満足のいく答えを得ることができた。
俺が探した答えなんてなかったのに。

「お前はいっつも思わせぶりなこと言って、人を迷わせるようなことばっかりしてたじゃねーか!俺は、何も知らないで、知らなかった!知らないまま、生きてた!急に言われても、分からねーよ!決めろって言われて、決めたら、それも否定されたらどうすりゃいいんだよ!どうすれば、いいんだよ!」

天も迷っていると、知った。
でも、俺だって迷っている。
どうすればよかった。
どうしようもできなかった。

「俺だって、迷いたくなんてないよ!こんな結末望んでないよ!こんなの、こんなの………っ」

こんなの、望んでない。
俺だって奥宮になんてなりたくない。
でも、家を滅ぼすのも嫌だ。
迷って迷って、選び取った答えを、責められても、知らない。

「俺に言われても知らねーよ!お前のそれは、我儘だ!」

叫ぶように、突きつける。
興奮して、頭がガンガンと痛む。
涙が滲んでくる。
今度は、俺が言葉を知らず癇癪を起す子供のようだ。
対している天は、俺を静かにじっと見つめていた。

「………分かってるよ」

さっきまで熱かった自分を恥じるように、小さく笑う。
髪をかきあげ、こちらを見上げる。

「分かってる。あんたは、悪くない。俺が、八つ当たりしてるだけだよ」
「………」
「だって、答えが分からない。どうすればいいかなんて、分からない。あんたが俺をどう思ってるのか知らないけど、俺は無力で、力も知識も時間も何もかも足りない。足りないんだ」

開いていた手を、ぎゅっと握りしめる。
苦しげに唇を噛みしめ、眉を寄せる。

「兄さんは、何も、悪くない。知ってるよ」

熱くなった感情が、急速に冷えていく。
今度はどうしようもない無力感に襲われ、全身から力が抜ける。

どうしたらよかった。
どうすれば正解だった。
何をすれば、みんな、笑っていられたんだ。

「言って、くれればよかったのに。そんなに、苦しむ前に、言ってくれれば………」
「言えば、どうにかなったの?」

いつものように皮肉げに言って嘲笑う天に、首を横に振る。

「何も、できねーよ。俺はお前以上に無力で頭が悪い」

前から奥宮の存在を知っていたらどうだったんだろう。
言われても相談されても、何もできなかったかもしれない。
結末は一緒だったかもしれない。

「でも………」
「………」
「たぶん、一緒に、悩むことなら、出来た。一緒に苦しむことが出来た。お前の痛みを、知ることが出来た」

すぐそばで悩んで苦しんでもがいている天に、気づくことなら出来た。
一緒に、悩むことが出来た。
痛みを、ともに分かち合えた。
栞ちゃんのように全てを知って、天と共にいれば、俺の考えも、何かが違っただろうか。

分からない。
でも、せめて、知っていたかった。
そうしたら、天を、あんなに嫌い憎むことも、なかったのに。

「あんたが死のうが、死ぬまいが、どうでもよかった。利用できればよかった。言いくるめて、俺の目的のために、利用しようと思ってた」

天は膝に顎を乗せるようにして、視線を下に向ける。
静かな、疲れ切った声。
利用しようとしていたと言われても、今度は怒りは沸かない。
前にも言っていた。
天は自分が選ばれるように、一兄とは逆の方法で、俺に働きかけていた。
幼いころからずっと、俺を利用するために、接していたのだろう。

「それで、よかったのに」

天が俯いたまま、小さな囁くような声言う

「兄さんが、泣くから」
「え」

急に出てきた言葉の意味が分からず、呆けた声が出てしまう。
天が顔をあげ、自嘲するように笑う。

「俺の、傷を見て、泣いたでしょう」

傷を見て、泣いた。
言われても思い出す。

ああ、そういえば、そんなことがあった。
あれは、確か、雫さんの家の仕事の後で、天が怪我をした時だ。
あの時、弟の体についた無数の傷を見て、驚いた。
歴代でも稀な力を持ち、冷静で頭がよく仕事も楽々こなしている天に、傷があることに衝撃を受けたのだ。
その時漸く目の前の存在が、化け物じみた何かではなく、生身の人間なんだと気付いた。
傷つき痛みを感じる、俺の弟なんだと。
そういえば、あの時から、天のことが、もっと知りたくなったんだ。

「あの時から、おかしくなった。俺のことなんて、忌み嫌って、憎んでくれればよかったのに。俺ごと家を、世界を、呪い憎んでくれればよかった」

忌み嫌っていた。
嫉妬から、天の態度から、憎んでいた。
でも、その傷に触れてしまったら、それが難しくなった。
痛みに耐えていた弟に、訳の分からない感情が、生まれてしまった。

「それでよかったのに」

天が、また、苦しげに笑う。

「兄さんが、三薙兄さんが、俺の痛みに触れるから」

傷に、痛みに触れた。
そうすると、理解したくなった。
弟を、四天を、もっと知りたくなった。

「だから、迷った。兄さんは、道具でよかったのに」

ずっと、俺を道具として見てきた。
利用しようとしてきた。
あの時、感情が動いたのは、俺だけじゃなかったのか。

「三薙兄さんじゃなくて、よかったんだ」

天が、顔を歪めて、泣きそうな顔で言う。
泣いてはいない。
でも、頼りない子供のような表情。

「………ごめん」

その表情に、胸にナイフが刺されたように痛くなった。
それが、あまりのも苦しげで、切なげで、哀しくなる。

「ごめん、ごめんな、天」

きっと、自分を誤魔化して、何もかもを振り払って、走ってきたのだろう。
全ての迷いを断ち切って、目的だけを見ていた。
その誤魔化しのベールを取り払ってしまったのが俺だと言うのなら、それは確かに詰られても仕方ない気がしてくる。

ずっとずっと苦しんで、もがいてきた弟。
気付くと、憐憫と愛しさが、込み上げてくる。

「痛いの、気づいてあげられなくて、ごめんな。俺、駄目な兄貴だよな」
「そんなの、周りの人間がすべて、総力をかけて、騙そうとしてるから分かるわけない。俺だって兄さんを騙し、利用しようとしてきた。兄さんは、何も悪くないんだよ。俺が言ってるのも、兄さんにとっては、理不尽なことだよ」
「そう、だけど、そうかもしれないけど」

俺の世界は作られいた。
気づくことが、出来るわけなかった。
天も自分の痛みも傷も覆い隠していた。
分かる訳がない。
でも。

「でも、ごめん」

今苦しんでいる目の前の弟が、可哀そうで、辛そうで、謝らずにいられなかった。
一歩近づきしゃがみこみ、その体を抱きしめる。
体温の低い四天の体は、それでも抱きしめると温かくて、涙があふれてくる。
懐かしい温もり。
小さいころはすっぽり体の中に入った体は、今はもう俺よりでかくなってしまっている。

「………」

天はされるがままに、ぼうっと俺に抱きつかれている。

「ごめん、な、天」
「謝る必要なんて、ない」

俺が、謝る必要なんてない。
俺は悪くない。
それは、分かってる。
でも、苦しい。
俺を利用しようとしていたとしても、それでもやっぱり憎めない。

天が可哀そうだと言ったのは、双姉だったっけ。
こいつは、力が強くて頭がよくて冷静で器用なやつだった。

だからこそ、なんでもできた。
だからこそ、痛みも苦しみも、隠し通せた。
だからこそ、気付くことが出来なかった。

自分自身すらも、騙しとおそうとした。
賢く愚かで、可哀そうで愛しい、弟。

「うん。知ってる。でも、ごめん」
「馬鹿じゃないの」

そう言いながら、天の手が俺の腕を掴む。
俺の肩に顔を埋める。

「………三薙兄さん」

そして小さく消え入るような声で、言った。





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