腕の中にいる天が、ぼそりと、つぶやくように言う。 「………昔、兄さんが、言ったんだ」 「………何を?」 「俺が、白くて、綺麗って」 それは、ずっと、思っていた。 天の力は、白。 けれど他の色に染められることはない、逆に何もかもを染め変え、圧倒する白。 「………お前の色、真っ白で綺麗だよ。それは、ずっと、思ってた。お前が嫌いで嫌いで仕方ない時から、真っ白で、綺麗で、強くて………」 力を持たない俺には、眩しすぎて、見ているのも、辛かった。 その力を欲していた。 羨んで嫉妬して、苦しくて、でも目が離せず、焦がれた。 「憧れてた」 ずっとずっと、嫉妬して嫌い憎みながら、憧れていた。 全てを染め変える白に、焦がれていた。 「………俺は、兄さんみたいに、力を色と感じることはない」 「うん」 力を色として感じるのは、家族の中でも俺だけのようだった。 その扱い方も感じ方も、個人差はあるようだ。 一兄は深い深い青、双兄はオレンジ色、天は、白。 「俺には、兄さんの方が、白く見えた」 「え」 何を言われたのか分からず、問い返す。 天は相変わらず俺の肩に顔を埋めたまま、訥々と話す。 「何も知らず、何も分からず、純粋で、真っ白。何も、知らずにいられた」 何も知らなかった。 何も分からなかった。 「だから、嫌いだった。俺は、どんどん汚れていくのに、あんたは、真っ白なんだ。いつだって、守られて、無知で、真っ直ぐで、綺麗なんだ」 守られていて、無知なのは確かだ。 俺は何も、知らなかった。 でも、真っ直ぐでも綺麗でもない。 「あんたも染めてやりたかった。真っ黒に。ぐちゃぐちゃに。憎しみに、絶望に染まって、真っ黒になっちゃえばいいって思った」 腕をつかむ天の手に力が入り、少しだけ痛みが走る。 宥めるように、その背を撫でる。 「なのに、兄さんは、綺麗なまま。白いままだ」 「白く、なんてない」 真っ直ぐでも綺麗でもない。 嫉妬した。 恨んだ。 何もかもを憎み、全てが消えればいいと思った。 「憎んだ、絶望した。お前らなんて全員消えろって思った。元々お前のこと、大嫌いだったし、綺麗なんかじゃ、全然ない。ひねくれて卑屈だった」 「確かにね。まあ、性格はいじけててよくもないけど」 「悪かったな」 天が小さくくすくすと笑ったのが、肩の振動で伝わってくる。 「それでも、兄さんは、三薙兄さんは、白いままだ」 何が、白いのだろう。 俺には、天が言いたいことがよく分からない。 「あんたを、黒くしたかった」 天の手に、更に力が入る。 まるで、すがるように。 「でも、許せなかった」 「………」 「でも、三薙兄さんがあんな黒く醜い存在に喰われるのは、貶められるのは、許せなかった」 「天」 「許せなかった。認められなかった」 天が顔をあげて、どこか子供のような幼い顔で、俺を見上げる。 やっぱり、泣いたりはしていない。 天の泣き顔を見たのは、いったいいつが最後だろう。 「俺は、何が、したいんだろう。迷いたくなかった。欲するものを定めて、ただ一つそのためなら、何もかも、捨てられるように、なりたかった」 眉を顰めて、心底悔しそうに歯を食いしばる。 「こんな中途半端なものに、なりたくなかった」 敏く強く冷静な弟は、自分に厳しい。 自分に甘く逃げてばかりの俺とは、大違いだ。 だからこそ、どこまでも自分を、追い詰める。 「………迷ったって、仕方ない」 「………」 「だってお前は、まだ、子供だろう。俺より年下で、まだまだ、経験も少ない」 でも、まだ、生きて十数年しか経っていない。 ついこの間まで中学生だった。 どうやったら迷わずにいられるだろう。 どうして、全てを切り捨てられるだろう。 「お前は、俺の、弟なんだから」 天が、苦しげに笑う。 「………そうだね、兄さんが迷ってばっかりなんだから、弟の俺が、迷わないはずがない」 「そうだ」 俺よりも強く賢く冷静で大人びた弟。 でも、俺たちはこんなに無力で、世界を知らなくて、ちっぽけな存在だ。 「迷わずになんて、いられない」 「………そうだ、ね」 正しい答えなんてない。 選びきれない。 ただ、苦しんでもがくしか、ない。 窓から差し込む光に促され、目を開く。 あまり眠れなかったせいか、頭痛がする。 でも、いつの間にか寝てしまっていたようだ。 「………」 布団の上で、天と寄り添うようにして、横たわっていた。 昨夜、結局何かを話すことも、何かを決めることも、出来なかった。 目を閉じる天の顔にも、疲労の色が見える。 けれど、こうやって見ていても、作り物のように綺麗な顔だ。 「………ん」 天が身じろぎをして、薄目を開く。 「おはよう」 「………おはよ」 寝起きは悪くない弟は、じっと俺の顔を見て挨拶を返す。 そしてのそりと身を起こした。 「もう朝?」 「うん、そろそろ朝メシだな」 「そう」 俺も、手をついで体を起こす。 疲れはあまり取れていない。 心も、疲れて、なんだか飽和状態だ。 「………どうしたら、いいんだろうな」 つい、そんな言葉が、こぼれ出た。 聞いても、どうにも、ならないのに。 そんなの、答えなんてないのに。 「わかんない」 案の定天も小さく笑って、肩を竦める。 「………でも」 けれど少し考えるように目を伏せてからこちらを見る。 小さく小首を傾げて悪戯っぽく笑う。 「覚えてる兄さん?」 「なに?」 「俺は一つだけ、兄さんの言うことをなんでも聞くよ」 「あ」 いつかした、約束。 俺は天の、天は俺の、願い事を一つだけ聞く。 相殺では駄目だと言われた。 俺の願いが聞きたいと。 「兄さんも一つだけ、俺の望みを聞いてくれるよね。忘れてない?」 「………うん。覚えてる」 頷くと天はにっこりと笑った。 「じゃあ、俺からのお願い」 「う、ん」 何を言われるのかと、身構える。 奥宮になれ、だろうか。 逃げ切れ、だろうか。 どちらにしろ、俺は、それを為せるだろうか。 「兄さんの本当に望むことを言って。俺に願って」 「え」 「不可能でもいい。諦めてきたことでもいい。ただ一つだけ、兄さんが願ったことを教えて」 けれど天の口から出てきたのは、思いもよらない言葉。 天はじっと俺の目を見ながら、いつものように笑いながらではなく静かな声で言った。 「俺はそれに従い、動くよ。そのため俺の力をすべて使う」 「………」 少しだけ、言われた言葉の意味を考える。 そして、つい、咎めるような声が出る。 「そんなの、ずるいだろ」 そんなの、分からない。 自分が望むことがわかれば、苦労しない。 それに、俺が本当に望むことは、絶対にかなわないことだ。 「だね。ずるい。兄さんに判断をすべて委ねてる。ごめん」 天が苦笑して、もう一度だけ、ごめんねとつぶやく。 「でももう俺も、どうしたらいいか分からない。どうしたらいいんだろうね」 「………天」 「だからぜーんぶ、兄さんに投げ出すよ。疲れちゃった」 そしてどこかふっきれたように笑って手をひろげておどける。 俺だって投げ出したい。 誰かに選択肢をゆだねてしまいたい。 「………お前、ずるい」 「本当にね。ごめん。でも弟の我儘、たまには聞いてよ」 「ずるい」 何を選ぶにしろ、いっそ強制的にしてほしい。 そうしたら、諦められるかもしれない。 もう、俺だって、迷うのも選ぶのも、疲れた。 「じゃあ、俺の願いは、お前が望むように動くこと、だ」 いっそ天が俺の手を引っ張ってくれればいい。 それなら、もう、それでいい。 この命を、この弟のために使うならそれでもかまわない。 この器用で不器用な弟に、最後まで付き合うのも、悪くない。 「それは俺が使ったからダメ」 けれど天は悪戯っぽく笑って、首を横に振る。 「なんだそれ!卑怯だろ!」 「先着順です」 「じゃあ、お前の願いごとをなしにする!」 「それもダメ。前提が崩れるから」 「はあ!?」 あまりに理不尽ないいように、むっとして睨みつけると、天がくすくすと笑う。 そして、ふっと、真面目な顔になる。 「ごめんね。兄さんも、疲れたよね」 「………」 「昨日の結論でも、いい。一矢兄さんを選んで、兄さんが奥宮になるという結論でも」 俺が奥宮になって、一兄と一緒に、家を支える礎になる。 昨日はそう決めた。 でも、また迷いが、浮かんでしまっている。 それもこれも、天のせいなのに、こいつはまだ俺を惑わせる。 さすがにいらついて、怒りすら沸いてくる。 「勿論、逃げたい、でもいい。または、今まで通りに楽しく暮らしたい、でもいいよ」 「………でも」 「きっと無理だろうね。でも、俺は、それに従う。従って、その願いが叶えられるよう、最大限に、力を尽くす」 今まで通り暮らすなんて、無理だ。 だってもうすべて、壊れてしまった。 俺の大切だったものの大半は、粉々に砕けてしまった。 集めてつなぎ合わせても、同じものには、なりはしない。 もう、俺が欲しいものは、手に入らない。 「ただどうしても気に入らないから、兄さんが奥宮になりたいと言ったらそれは認めて、奥宮になるのを手伝う。でも、俺は宮守ごと奥宮って存在を消すために頑張るけどね」 「………」 「何がなんでも、消したいんだ。嫌なんだ。アレがあるだけで、気持ち悪くて仕方ない」 忌々しそうに顔を歪める。 天の憎悪の根源。 全てを賭してでも、消し去りたいと願う、もの。 「………もう少しだけ、時間をくれ」 結局、ため息をついて、それだけ言った。 我儘な弟の、ずるくて理不尽な要求。 「うん、勿論」 一度決めた決意は、一晩でまた揺れている。 苦しみぬいて出した答えを、一から決めなければいけない。 もう、疲れた。 俺だって投げ出してしまいたい。 でも、もう一度だけ。 天の気持ちを聞いた今、もう一度だけ考えてみよう。 考えた上で、また同じ答えが出るかもしれない。 でも、もう一度だけ。 それが、この弟のために出来る、唯一のことかもしれない。 「ごめんね、兄さん」 「何に謝っているんだ?」 今日は嫌に謝る弟に、つい苦笑して聞いてしまう。 天もまた、困ったように笑って、肩を竦める。 「………色々ありすぎて、分からない」 「素直なお前は気持ちが悪い」 「失礼だな。俺だって悪いと思ったら謝るよ。いつもは悪いと思わないから謝らないだけ」 「本当にかわいくないよな」 「それはごめんね」 でも、いつもの天の様子に少しだけほっとする。 こいつにも弱いところがあると知ることが出来て、嬉しかったのだけれど、やっぱり生意気じゃない弟は見ていると、不安になってしまう。 天が、くすりと笑って、立ち上がる。 「さ、そろそろ行こうか。志藤さんが待ってる」 「うん、そうだな」 そうだ、早くメシを食べて、出かけよう。 今日行くところは、決まっている。 「今日は、海を見るんだ」 青い青いどこまでも広がる海を見たら、悩みなんて、どうでもよくなる。 そう、昔、天が教えてくれた。 |