「………俺、だって」 俺の後をついて回ってきた、幼い弟。 俺が寝込んだ時は、隣についていてくれた。 泣いている時は慰めようとしてくれた。 一緒に笑って、一緒に泣いた。 大事な、大切な、守るべき存在だった。 「俺だって、お前が」 言いかけると、天が唇を歪めて笑う。 「て、言ったら、俺に協力しようとか思う?」 「なっ」 天の顔を見ると、やっぱり人を食った笑顔を浮かべてこちらを見ていた。 瞬間、頭の中が真っ赤に染まった。 「お、まえ」 「本当に兄さんって絆されやすいよねえ」 どこか呆れたようにため息をつき、肩を竦める。 怒りで、悔しさで、哀しさで、腹の底が、熱い。 「お前、また、俺をからかったのか………っ」 感情を抑えるために、拳をぎゅっと握りしめても、抑えきれない。 悔しい悔しい悔しい、ムカつく、哀しい。 「泣かないでも」 感情が昂ぶり、涙が浮かんで、視界が滲む。 腹の中も、頭の中も、熱い。 「うるさいっ」 唇を噛みしめても、涙が流れてくる。 忌々しい、すぐに涙が出てくるこの目。 「お前に、近づきたいと思って、お前を知りたいと思って、それで、近づけたと思って、でも、突き放して………、お前はいつも、そうだ」 手を伸ばして、掴もうとして、向こうから手を伸ばされたかと思うと、叩き落とされる。 近づきたいのに、信じたいのに、触れたいのに。 ずっと隠され、騙され、利用されてきた。 もう、そんなのごめんだ。 それなのに、こいつは、まだ俺をからかい、馬鹿にするのか。 「………ごめん」 天は軽く息をはくと、目を伏せて、小さく謝った。 「嘘じゃないよ、今のは。からかったわけでもない」 それから顔をあげて、俺の目をじっと見つめ返す。 今はあのムカつく笑顔は、浮かべていない。 真摯に、俺を見ているように、見える。 「俺は兄さんが大事だった。好きだった。だから、あんたがあんなものになるのが、許せなかった」 「………」 「あんたがあの化け物になることを、俺は許せない」 そこで唇を歪めて、笑う。 嫌らしいムカつく笑い方ではない。 でも、どこか、ぞっとするような、笑い方。 「兄さんがアレになるぐらいなら、兄さんごと消したいぐらいにね」 どこまでが本当。 どこまでが嘘。 どこまで、俺をからかっている。 どこまで、俺を試している。 どこまで、俺に訴えている。 「………それも、俺が、お前に協力するための、お前の、計算か?」 そんなこと言われたら、俺は天に協力したくなってしまう。 俺を、殺して、滅ぼせと言いたくなってしまう。 それも計算なのか。 分からない。 「どう思う?」 「分からない」 天はいつもの笑顔に戻って、小首を傾げる。 俺は首を横に振ってから、真っ直ぐに見つめ返す。 「でも、信じたい」 疑うのは簡単。 心を閉ざすのも簡単。 憎み恨むのも、簡単。 「お前を、信じたいよ、四天」 信じることが、一番難しい。 「………」 俺の顔をじっと見ていた天が、ふっと息を吐く。 そして、困ったように笑う。 「俺は兄さんに、嘘は言わないよ。ずっと言ってる。隠し事はする。でも、ずっと、嘘は言ってない」 「………じゃあ、信じる」 信じることは難しい。 でも疑うことにも疲れた。 だから、信じる。 偽りだらけの世界。 俺に信じられるものは、もうほとんどない。 だったら、残り少ないものを、信じたい。 縋りたい。 「だから、さっさきみたいなことは、もうするな」 「そうだね、ごめん。兄さんに隠すことはもうないよ。全部、言った。これからも嘘は、言わない」 「なら、いい」 信じたいんだ、本音で話してくれた、この弟を。 「嘘は言わない。利用はするかもしれないけど」 「………お前な」 悪戯っぽく笑う天に、今度は怒りを通り越して脱力する。 本当にどうしたいんだ、こいつ。 性格が複雑骨折してる。 でもこれが、四天、なのかな。 その時、ドアが控え目にノックされる。 「あ、志藤さん」 そうだ、もう、行かないと。 海に、行くんだ。 「さ、荷物まとめて、行こうか」 天は笑って、促した。 志藤さんが運転する車に乗って、海を目指す。 今日は後部座席に天と並んで据わった。 黙っていると色々と考えてしまって疲れるから、ぽつぽつと隣の天に話しかける。 「お前、俺が大事っていう割には扱いが酷いよな。俺を利用するためにしてもやりすぎだろ」 俺を利用するためって、言っていたっけ。 一兄と同じように優しくしても、勝ち目がないから逆の作戦をとったって。 それは、作戦としては間違ってなかったのだけれど、それにしても顔も見たくないってぐらい嫌った場合はどうしてたんだろう。 天は隣で、軽く肩を竦める。 「いつもの態度も本音だよ。兄さんには本気でイラつかせてもらうことも多かったしね」 「………」 「嘘つかないって言ったでしょ。優しくしてる時も、優しくない時も、全部本気」 「………優しい時なんて、あったか?」 「割と俺優しかったと思うんだけど」 どこがだ。 隣の天を思わず睨みつけると、天は怯むことなくにっこりと笑う。 「本音で嘘なく接するって優しいと思わない?」 「………」 「ね?」 確かに、俺の周りの人たちは嘘ばかりついていた。 俺の周りは、偽りで固められていた。 その中でも、こいつは本音で語っていた。 と思ったが、また騙されていることに気づく。 「………隠し事ばかりが、本音って言えるか?嘘は言ってないかもしれないけど、お前だって、俺を騙そうとしてた。ミスリードばっかりだった」 天がびっくりしたように目を丸くしてから、何度か瞬く。 それから楽しそうにくすくすと笑った。 「違いないね。兄さんも成長したね。いつもならここで丸め込まれてたのに」 「ふざけんな」 成長したって、どんな言い草だ。 俺は仮にも兄貴なのに。 確かに経験値が全然足りてないけど。 やっぱりこいつは生意気で、エラそうで、ムカつく。 まあ、これが、四天らしい、と言えば、四天らしいのだけれど。 「………あの、三薙さん、ご覧になれますか?」 「え」 険悪な雰囲気になった後部座席を慮ってか、志藤さんが恐る恐ると声をかけてくる。 その声に、顔をあげると、志藤さんがハンドルから片手を離して右手を指を指す。 「あの先が、見えますか」 「あ………」 ちょうど今、山を越えようとしている。 木々に隠された街の先、灰色の空の下に、青い何かが見える。 まだちらちらと隙間からしか見えないが、あの感じはタツミの時と似ている。 大きな水の塊。 「あれ、もしかして、海ですか!」 「ええ。今あそこまで行きますので、今しばらくお待ちください」 「は、はい」 イラつきムカつき沈んでいた気持ちが、一瞬で吹っ飛ぶ。 心臓がドキドキと高鳴る。 窓に張り付くようにして、まだよく見えない海を見る。 ずっとずっと、見たかった。 見てみたかった。 海に、行きたかった。 「でかいな。タツミの湖より、でかい」 「そうだね」 よくは見えないが、端が分からない分、きっとあの湖より大きい。 山をすっかり下りてしまうと、海は見えなくなってしまう。 でも街中を走る車は間違いなく海に近づいている。 落ち着かない気持ちを抑えるために、深呼吸をする。 しばらく住宅街を走ってから、志藤さんが他に人のいない駐車場に車を静かに止める。 「お二人とも、着きましたよ」 志藤さんのその声に、はやる気持ちが抑えられずに、エンジンが切られる前に外に出ようとする。 しかし、ドアが開かない。 何度かガチャガチャやっても、開かない。 「あれ、開かない、あれ、えっと」 「ロック」 横から天の手が伸びてきて、ドアのロックを解除する。 そういえば走ってる間はロックされるんだった。 そんなことも忘れてた。 「ありがと!」 そんなことをしている間にも、志藤さんがエンジンを切る。 飛び出す様に外にでるが、目の前は林で海はやっぱりまだ見えない。 でも、この林の間の道を行けば、そこには海があるんだ。 「ん、変な、匂い」 車から出た途端、鼻をつく不思議な匂い。 生臭いような、水槽の匂いを、薄くしたような嗅いだことのない匂い。 「潮の匂いだよ」 「潮の匂い」 これが、潮の匂いなのか。 本とかで読んだことはあるが、初めて、嗅いだ。 双姉が前に双姉の世界で見せてくれた海は、匂いがなかった。 そう言われれば、塩って感じかもしれない。 しょっぱそうな感じがする匂いだ。 「これが、潮の匂い、なんだ」 もう一度息を吸い込んで、空気を吸い込む。 海沿いのせいか少し冷たい空気。 湿っぽいけれど、わずかに埃っぽい。 ああ、そういえば、コンクリートで整備された駐車場は、なんだか黄色っぽい砂で覆われている。 潮の匂い、湿っぽくて、砂の匂いがする空気。 「海って匂いがするんだ」 「まあ、潮の匂いって、海藻の腐った匂いとか、プランクトンが腐った匂いとかいうけどね」 「う」 嫌なことを言う。 いいや、気にしない。 俺はこの匂いが、嫌いじゃない。 「あっちが、海だよな」 「はい、そのようですね」 林の切れ間の指さすと、降りてきた志藤さんが頷く。 「じゃあ、早く行きましょう!」 「はい、そうですね」 志藤さんがなんだかおかしそうに笑っているが、気にならない。 林の切れ間に足を向けたところで、ずっと聞こえていた音が、聞いたことがないものであることに気づく。 車のエンジン音かと思っていたが、交通量はそんなにない。 音は、海の方から、聞こえてくる。 「なあ、もしかして、この今聞こえてる音が、潮騒ってやつ?」 「そうだね、波の音」 「そっか、これが、波の音、か」 波の音、潮の匂い。 そして林の先には、黄色っぽい地面とその先の灰色の水たまりが、見える。 「わ、足が、とられる」 海に近づくにつれコンクリートはなくなって、砂が多くなってきて、歩きづらくなってくる。 普通に歩いているはずなのに、靴の中までざらざらとしてきた。 中に砂が入ってきているようだ。 「大丈夫ですか?」 「は、はい」 志藤さんがよたよたと歩いている俺の手をとってくれる。 ありがたくその手を借りて、でも早足に先を目指す。 そして、林を抜けた先に、それはあった。 「………あ」 ざざんっと形容するような、波の音がより大きくなる。 より強い潮の匂いがする風が、顔に吹き付け、髪を舞い上げる。 そして、果てが見えない、景色が、そこには広がっていた。 「天気が悪いから、青くないね。兄さんが思い浮かべている感じじゃないんじゃないかな。ていうかたぶん兄さんが想像してるのサンゴ礁の海だし」 「うん、青く、ないんだな」 曇り空の下、海は想像したような透き通る青ではない。 灰色の空の色を映してか、黒にも見える深い藍色だった。 「………でも、すごい。大きいな。先が、見えない。水の先に、何もない」 波の音とともに、水が砂浜に打ち寄せては、引いていく。 広く大きく、見たことがない、大きさ。 そうだ、何にも遮られることのない景色って初めて見た。 水平線って、これのことを言うのか。 文字や写真、映像だけでしか知らなかった憧れていた光景が、目の前に広がっている。 『すごく、広いんだよ。見ていれば、きっとそんなこと、どうでもよくなるよ』 幼い声が、笑いながらそう言って泣いていた俺を慰めた。 もうあの頃はすでに、仲は悪くなってきていたはずだ。 でも、あの時はなんの気まぐれか、そんなことを言った。 それからずっと、海に焦がれていた。 「………悩みなんて、全部、どうでもよくなるな」 「え、三薙さん!?」 吸い寄せられるように、水に向かって走る。 果てのない、遠い遠い景色。 この景色に、同化してしまいたい。 歩きながら砂が入って不快な靴を脱ぎ棄てる。 靴下も脱ぎ捨てる。 砂はわずかに温かく、足の裏がざらりとする。 靴を履いているより、歩きやすい。 「これが、海、なんだ」 ジーンズをまくり上げて、そのまま海に足をつける。 この前の川よりも、生ぬるく感じる。 打ち寄せる波が、足を擽る。 「う、わ」 そして引き寄せる波が、俺の足元の砂を削り取っていく。 足の裏が、なんともいえない感触がする。 その感覚にざわざわと背筋に鳥肌が立つ。 「波、だ」 じっと、足元の波の動きを見てみる。 湖とも、川とも違う。 不思議な匂い、不思議な感触。 それをじっと見ていると、頭がくらりとして、眩暈がした。 「あ、れ」 平衡感覚を失って、後ろに倒れそうになる。 と、その前に、背中がそっと支えられた。 「だ、大丈夫ですか!?」 「あ、はい、ありがとうございます」 支えてくれたのは、焦った顔をして少し息を乱した志藤さんだった。 どうやら走って追いかけてきてくれたようだ。 革靴を脱いで、ズボンの裾をまくり上げている。 「志藤さん、海です」 支えられたまま、仰向く様に志藤さんの顔を覗く。 志藤さんは困ったように笑う。 「はい、そうですね」 「大きいです!」 「ええ、とても大きいですね」 「はい!」 バランスを取り直して、後ろを振り向く。 天も、波打ち際まで来てくれていた。 足はいまだに水の中で、波が叩きつけられ、足元の砂をさらっていく。 まるで鼓動のように、絶えず波は打ち寄せる。 水が生きているみたいだ。 「天、海だ!すごいな、これが、海なんだ!」 「そうだね、海だよ」 「な、海だ!」 もう一度海の方を振り返り、今度は手をつける。 黒く見えていた海は、けれど透き通っていた。 底の砂に触れる自分の指が見える。 触れた砂は、また水にさらわれていく。 「海、だ」 ああ、全身をここに投げ出したい。 泳いでみたい。 水に浮かんで空を見上げたい。 海と空と一緒になりたい。 「いいなあ、泳ぎたいなあ」 「まだちょっと早いでしょ」 「ああ。夏に来たかったな。青い海、見たかった」 暑い暑い、夏の太陽の下で、海に入ってみたかった。 白い入道雲で、濃い夏の水色の空の下、青い海に入ってみたかった。 前に双姉が見せてくれたような景色を見たかった。 夏に海に来ようって言っていたんだ。 「みんなで、見たかったな」 体を起こし、海の果てを見る。 向こうに、何も見えない。 この水の先は、どこに繋がっているんだろう。 この先にいけば、どこまでも行けるのだろうか。 「青い海に、皆で、行きたかった」 前の、別荘に行った時みたいに、皆で遊びたかった。 岡野がいて、槇がいて、そして、藤吉がいて、佐藤がいて、一兄も双兄も天もいて、皆で、遊びたかった。 またバーベキューをしたかった。 槇が仕切って、俺と藤吉が働いて、岡野と佐藤は楽しそうに食べていて、一兄は偏食の双兄と天をたしなめて、いっぱい食べて、いっぱいしゃべって、いっぱい笑った。 今度は志藤さんがいたら、きっともっと楽しい。 バーベキューは夏にするものだったはずだ。 海で、したかったな。 あ、でも海の家っていうのがあるんだっけ。 焼きそばが美味しいってきいていた。 それも食べたい。 それに、岡野の水着姿とか、見れたのかな。 見たかったな、きっとすごく可愛いかった。 岡野、スタイルいいしって、何考えてんだ。 でも、見たかったな。 皆で、海に行きたかったな。 「………っ」 潮の匂い。 波の音。 足を擽る水。 誰もいない、静かな海。 笑い声も、何も、ない。 「………行きたかった、よ」 胸がキリキリと痛んで、目が熱くなる。 胸を押さえても、痛みは消えない。 涙が、止められない。 ボロボロと零れてくる。 慌てて拭おうとすると、後ろから腕を抑え込まれた。 「三薙さん………っ」 腕をというか、後ろから、抱きしめられていた。 強く強く、まるでしがみつくように、抱きしめられている。 「しとう、さん」 志藤さんは俺を抱きしめて、肩に顔をうずめる。 その息が首筋を、くすぐる。 体も、吐息も熱い。 「行かないでください。消えないでくださいっ。どうか、私の前から、消えないでください」 必死な切実な、響きの声。 胸が痛い。 切り裂かれるように、痛い。 「お逃げください。いえ、逃げてください。私と、一緒に来てください。宮守の家など、どうだっていい!あなたがいればいいっ!」 ああ、痛い。 痛い痛い痛い。 苦しい。 息が、出来ない。 「お願いです、私と一緒に、逃げてください!」 ごめんなさい。 あなたに、傷をつけて、ごめんなさい。 ありがとう。 俺に執着してくれてありがとう。 「………でも、俺、一兄や、天と、離れたら、駄目、なんです。力が、ない」 「そんな、の、私の力を差し上げます。お二人ほど強い訳ではありません。けれどあなたに捧げるぐらいの力はある」 俺なんかに、そんな価値ははない。 あなたに身を削ってもらうような価値はないんです。 ごめんなさい。 あなたに、近づくべきではなかった。 やっぱりそう思う。 でも、嬉しい。 あなたが俺に執着してくれて、嬉しい。 ごめんなさい。 ありがとう。 嬉しい。 ごめんなさい。 「で、も、そうしてもらっても、たぶん、俺は、そんなに長くない。志藤さんの力を、食らいつくしてしまうかもしれない」 肩越しに、笑う気配がする。 更に強く、抱きしめられている。 「それでいい。いえ、それがいい。あなたの側に最後までいるのが私なら、それは願ってもないことです。あなたに力を注ぎ共に朽ち果てることができるなら、これほど幸福なことはない」 「………っ」 「どうか、私を見捨てないでください。最後まで、私と共にいてください。私を、置いていかないでっ」 ああ、苦しい。 苦しい。 ごめんなさい。 ありがとう。 ごめんなさい。 「しとう、さん」 俺の体を抱きしめる腕に、自分の手を重ねる。 その腕に、顔をうずめる。 涙が、止まらない。 「それも、選択肢の一つだよ」 天の声が、後ろから聞こえる。 逃げる。 志藤さんと、逃げる。 最後の最後まで、志藤さんの力を喰らって、生き、共に死ぬ。 一人には、ならない。 ずっと、傍にこの人が、いてくれる。 「俺、は」 ああ、それは、なんて、魅力的な。 「しとう、さん」 腕をそっと払うと、志藤さんの手は名残惜しそうにしながらも、離してくれる。 後ろを振り向き、長身の人を見上げる。 「三薙、さん」 泣きそうな、苦しそうな、痛そうな、縋るような、不安そうな顔。 そんな顔をさせているのは、俺だ。 ごめんなさい。 好きです、ごめんなさい。 大好きです。 嬉しい、ごめんなさい。 「………いいところでごめんね、電話」 波打ち際で俺たちを見ていた天が、ポケットから携帯電話を取り出す。 ぼんやりと滲み視界でそちらを見ると、耳に当て話し始める。 「はい、はい。いえ、はい。今日中ですか。………はい」 そして簡潔にいくつかの言葉を離すと、電話を切りポケットにしまう。 ふっと息をついてから、俺に視線を向ける。 「………おうちからだよ」 ざわりと、全身に寒気が走る。 天は苦々しそうに笑って、言う。 「早くおうちに帰ってこいってさ」 「かえ、る」 「どうする?」 家に、帰る。 あの、禍々しく暗く濁った場所に帰る。 「………」 帰りたくない。 怖い。 「三薙さん」 志藤さんが、俺を、じっと見つめている。 天も、俺の答えを待っている。 「………」 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