濃いブルーのカーテンの隙間から光が差し込んで、重い瞼をひらくことを促された。 無理矢理こじ開けると、そこは寒色でまとめられた、どこか無機質な整った部屋。 長い腕が私の体に絡みついている。 後ろから柔らかく私の体を包み込む、見慣れた腕。 それは珍しいことではないけれど、むき出し肌が触れ合うのはやはり慣れない。 落ち着かない。 身じろぎして、その腕から逃れようとすると強い力で阻まれた。 「……真衣ちゃん?」 まだ眠たげな、どこかぼやけた声。 いつも完璧な弟が、無防備になる一時。 その姿を見ることができるのは私だけというのは、優越感を感じる。 「……おはよ」 「おはよう」 小さく挨拶をして後ろを見ないまま、もう一度腕を解こうとすると、柔らかく、けれど強く引き寄せられた。 熱い体温、熱い手。 それは昨日の熱を思い出して、余計に私を落ち着かなくさせる。 「放して、千尋」 「やだ」 「もう、学校」 「今日もサボっちゃおうよ」 「私、受験生」 ここしばらく学校をサボることが多かった。 そろそろいかないとまずいだろう。 私は勉強がそれほどできる訳ではない。 大学に進学するつもりだし、これ以上遅れるのはまずい。 そう告げると、弟は深いため息をつく。 首筋に湿った吐息がかかり、背筋にゾクゾクしたものが走った。 「俺のほうが年上だったらよかったのに」 「……なんで?」 「俺のほうが先に社会にでたら、真衣ちゃんを養えたのに。大学なんて行かなくていいのに。家でずっと俺のことだけ待っていてくれればいいのに」 まるで子供のように駄々をこねる弟は珍しくて、少しおかしい。 そんな非現実的なことを言う弟は、これまであまり見たことがなかった。 「……ばかじゃないの」 「本気だよ。なんで俺はまだ学生なんだろ。あんたを囲い込んで閉じ込めたいよ。誰にも触れさせたくない。誰にも見せたくない。誰も見せたくない、あんたが見るのが俺だけだったらいいのに」 弟の言葉は、重くて、息苦しくて、怖くて、けれど、心地いい。 私を欲しがっているのが、嬉しい。 私を見ていてくれるのを感じて、安心する。 その言葉にまどろむように身を任せていると、弟の唇が首筋に落ちる。 体に柔らかく絡んでいた腕が、意志を持って動き出す。 私は慌ててその腕を掴み、阻止する。 「……っ、千尋!」 「…………」 行動を止められた千尋は不満げにため息をつくが、ようやく解放してくれる。 急いで起きると、同じように身を起こした弟に素早く抱き込まれ額にキスされる。 「おはよ」 「………」 私は黙ってその抱擁を受け止める。 弟の執着は心地いい。 千尋の腕を独り占めできることが嬉しい。 その言葉に酔って、私はようやく安心できる。 けれど、この触れ合いに、慣れることができない。 付きまとう違和感と、落ち着かなさが私をじわじわと苛む。 「もっともっと2人きりでいたいな」 「この4日間、ずっと一緒だった」 「足りない。全然足りないよもっともっと一緒にいたい。真衣ちゃんがもっと欲しい」 千尋に囚われたのが4日前。 土日を挟んだのをいいことに、それから私達はずっと一緒にいた。 両親とたまに顔を合わせたけど、元々あんまり話したりしないし、家にもいない。 このちっぽけな家の中、狭い部屋で、千尋の腕の中で、私はずっと過ごした。 別に何をするわけでもなく、千尋の作った食事を食べ、一緒にお風呂に入って、ベッドに寝転んで、他愛のない会話をして。 これまでの空白と飢えを、緩やかに埋めようとしているように。 本当に、世界が2人みたいだった。 静かで、穏やかで、満たされて、けれど落ち着かなくて、とても不安。 千尋は最初の夜以来、昨日まで無理に触れてはこなかった。 ただ戯れに口付けて、抱きしめて、優しく触れる。 千尋の手は落ち着くけど、キスや意志を持った指は苦手。 それでも、これを我慢しないと、千尋はいなくなってしまうだろうか。 「学校、行こう」 「しょうがないな、確かに真衣ちゃん、休みすぎだもんね」 「勉強、分からなくなっちゃう」 「だね、真衣ちゃんあんまり要領いいわけじゃないし」 「失礼」 「ごめんごめん、あんまりサボりすぎて、あの人たちに話がいっても面倒だしね」 それはどこか冷たい言葉。 あの人たち、それは恐らく両親のこと。 こんなことも、初めて気付いた。 千尋は、両親のことをとても客観的に、冷たく話す。 興味がなさそうに、どちらかというと嫌悪感すら持って。 弟は、両親に大事にされているのに。 嫉妬心と、わずかな羨望を持ってそのことを告げると千尋は皮肉げに笑った。 『それは違うよ、真衣ちゃん』 『え?』 『あの人たちはね、俺が好きなんじゃないよ。いい子な俺が好きなの。出来のいいあの人たちの子供を、愛してるの』 『それはあんたが好きってことじゃないの?』 『違うよ』 その笑顔はとても冷たくて、思わず私が怯んでしまった。 ずっと弟は、両親に愛され、両親を愛していると思っていた。 私は、本当に千尋のことを知らなかった。 私は目の前の男のことを、どれだけ知っているんだろう。 まるで知らない人間のように、冷たく、熱く、残酷で、性急だ。 私が知っているのは、ただ穏やかで完璧な優等生の、弟。 ぼうっと千尋の顔を眺めながらそんなことを考えていると、いつのまにか相手はベッドから降りていた。 落ちていたシャツを身に付け、見慣れた優しい笑顔を浮かべる。 「さ、学校行こうか。朝ごはん簡単でいい?」 「スクランブルエッグ食べたい」 「はいはい、ミルクティーもつけるね」 「うん」 そうして千尋は、私に落ちていたパジャマを羽織らせると、先に部屋から出て行ってしまった。 静まり返った弟の部屋。 どこか無機質な印象の、寒色でまとめられたインテリア。 無駄なことを嫌う、千尋らしい部屋。 見慣れた顔。 まるで知らない人のような表情。 いつだって傍にあった、穏やかな腕。 けれど、私を追い詰めるその手。 安心する柔らかい抱擁。 不安にさせる、そこにこめられた熱。 千尋に傍にいてほしい。 私を欲しがってほしい。 だから、今はとても満たされている。 それでも、私はとても不安で。 怖かった。 |