俺を絡めとって、俺を縛り付けて、俺をひきつて。
俺が何よりも大事にして、優先して、愛しくて。
俺が執着して、俺に執着して。

そして、せっかくの逃げられる機会を自ら叩き潰して。

全部、あんたが選んだ事だった。
真衣ちゃん、あんたが選んだことだったのに。

なんであんたは、いつまでも俺のものにならないんだろう。



***




俺はもう、迷わなかった。
中学1年の夏の終わり。
結局、逃げ切る事が出来なかった。

俺は、もう迷わない事に決めた。
もう、迷えなかった。
諦めにも似た感情で、すべてを受け入れ、すべてを求める事に決めた。

痛くて、哀しくて、怖かった。
けれどもう、姉から離れることも、離すことも、できなかった。

俺はますます姉を縛りつけ、姉は俺に頼るしかなくなる。
先回りして、行動を制限して、前に進む道を閉ざして、逃げ道を断った。
姉がすがるのは俺だけになるように、姉が帰る場所は俺だけになるように。
不安げに揺れる、ちっぽけで頼りない姉が、哀れだった。
可哀想で、申し訳なかった。

それでも、姉は俺が守るのだと、もう決めたのだ。
俺以外を見ることなんて、許せなかった。
俺はもう、姉を守ると決めたのだから、、姉は、俺しか見てはいけない。
子供っぽくて、自分勝手で、ひどい独占欲。
それが分かっていても、止まれなかった。
姉を追い詰めて、甘やかして、俺に頼るようにして。
俺だけを求めるように。

それなのに、強情でしぶとい姉は、すぐに俺から逃げようとする。
俺の他に頼る人間を見つけて、俺から離れようとする。
弱くて、頼りなくて、ちっぽけなくせに、どこか頑なな姉。
弱くて、頼りなくて、ちっぽけだからか、すぐに頼る相手を見つける。
その度に引き離して、傷つけて、泣く姉を慰めて、俺しかいないのだと刻み付けて。
けれど姉は、俺のものにならない。
焦燥と、苛立ち。
不安げに俺を見上げるくせに、俺が離れるのが嫌なくせに。
姉は俺だけを見ない。
むかついて、憎らしくて。
時折、本当にメチャクチャにしてやりたくなった。
腕の中ですべてを俺に委ねて眠る体を押さえつけて、引き裂いて、泣き叫ぶ姉を貪りたかった。
怯えて泣き濡れた顔で俺見上げて、俺の体の下で喘げばいい。
そんな想像は、俺の体を熱くした。
すべてを喰らいつくして、俺のことしか考えられないようにしたかった。

けれど、この小動物のような女は、そんなことをしたら逃げ出してしまうだろう。
俺の凶暴で醜い感情を知られたら、きっと俺を嫌悪するだろう。
別に、嫌悪されても、罵倒されても、憎まれもいい。
ただ、逃げられるのは耐えられなかった。
考えただけで背筋が凍る。
逃げ出す事なんて許さないけれど、絶対に逃がさないけれど。
もし、姉が俺の前から消えてしまったら。
俺を切り捨てて、誰か他の人間の手をとったら。
それは目の前が真っ暗になりそうな空虚感。
叫びそうになるほどの焦燥感。

俺がいなくては駄目なのだと泣く姉。
俺に見捨てられる事を恐怖する姉。

けれど結局、姉がいなくて耐えられないのは俺なのだ。
その事実がどうしようもなく、俺を打ちのめす。

俺がいなくてもきっとやっていける姉。
姉がいなければやっていけない俺。

俺は、最後には、姉にひれ伏すしかないのだ。



***




何度独りにしても、どんなに甘やかしても。
決して俺のものにならない姉。
苛立ちと、消化しきれない暗い感情。
姉に知られる訳にはいかない、見せてはいけない衝動。
それをごまかすために、俺は女の子と付き合った。
運よく、女の子には不便しないぐらいにはもてた。
皆、かわいくて、性格もよかった。
少女らしい仕草や、柔らかな体は俺の心を慰めてくれた。
一緒にいるのは楽しかったし、愛らしい彼女達が好きだった。
付き合っている間は優しくしたし、できる限り望みを聞いてもあげた。
迷わないと決めた俺だったけど、付き合うたびに、もしかしたら姉を忘れられるかもしれない、とそう淡い期待を抱いたりもした。
暗くてわがままで勝手な姉とは違って、明るくて女らしい強かさと媚を持つ彼女達が確かに愛しかった。
可愛らしくて、愛しくて。
それなのに。

それなのに、俺は彼女達を選べない。
姉を忘れることは、出来ないのだ。

俺が誰かと付き合うたびに、姉は不安そうにすがるように俺を見る。
俺が、姉を捨ててしまわないか、怖くて仕方がないのだろう。
彼女と一緒にいる時に、俺にわざと声をかけてきたり、いつもはしない約束をしたり。
そして、最後には俺に言う。
「彼女と別れて」
嫉妬と、不安と、甘え。
自分が優先される事を泣きそうな顔で確認して、俺がそれをなすことに優越感と罪悪感を覚えて。
俺が姉の言う事を聞くことに、苦しさと嬉しさでぐちゃぐちゃになる。
そんな姉のわがままに、感じるのは喜び。
必死に俺に取りすがる姉の醜く歪んだ顔が、どうしようもなく嬉しかった。
俺を必要としているのだと、感じられた。

そして、俺にわがままを言った夜。
姉は必ず俺のベッドにもぐりこんだ。
俺が傍にいてくれることを確かめようと。
俺に嫌っていないと、言ってほしくて。
どこまでも臆病で、打算的な姉が愛おしかった。
ずっと一緒にいたせいか、どこか性に疎いところを持つ姉。
姉弟にはありえない距離を不安に感じながらも、不審には思わないらしい。
俺が横でどんな感情を抱えているかも知らずに、安心しきって体を預ける。

激しい嫉妬と、取りすがる手。
そして、安心して力を抜く温かい体。

どんなに綺麗でかわいい女の子にも感じることの出来ないほどの執着。
女の子と付き合うのは、この姉の必死な表情を見るためかもしれないと思うほどに。
俺は、姉に縛られていた。



***



俺は確かに、油断していのかもしれない。
姉が俺だけを見ないことに苛立ちながらも、それでも安心していた。
結局、姉の傍にいるのは俺だけだ、と。
ずっと独りにし続けてきた姉は、より臆病に傷つきやすく人付き合いが苦手になっていた。
それゆえにもう人には近づかなかったし、近づく人間もいなかった。
俺への執着は増し、苦しみながらも、それでも俺を手放せなくて。

だから、思っていたのだ。
その内に、姉は手に入る、と。

そこに、あの男が現れた。



***



それは小さな違和感。
いつになく、楽しそうな姉の様子。
近頃ではずっとは苦しそうに、辛そうに俺に接していたのに。
不安げな様子がなりをひそめ、安らいだ顔を見せるようになった。
おかしい、とは思っていた。
けれど、学校での様子を探っても、特に変わった様子もなかった。

そしてその内に、俺を避けるようになった。
いや、避けるというのとはまた違う。
ぎこちなく、明るく話しかけ、わがままを言わなくなり、夜に俺の部屋へ訪れる事もなくなった。

まるで、普通の姉弟のように。

言い知れない嫌な予感と不安に、訪れた校舎裏。
その人気のない場所を姉が好んでよくいることを知っていた。
そんなところに来る人間もいないだろうと、好きにさせていた。

そこで見た光景。

見知らぬ男に、唇に触れさせている姉。
俺だけに見せていた安心しきった顔。
近頃では見ることのなくなっていた、楽しそうな笑顔。明るい笑い声。

目の前が、真っ赤になった。
一瞬、何も考えられなかった。
痛みすら感じる、激しい感情。
体中が、突き刺されるような気がした。

姉を引き剥がして、その男を殴りつけたかった。
血が滲むほどに手を握しめ、衝動を我慢する。
あふれかえりそうな怒りを、必死に押さえつける。
一つ息を吸って、吐く。

「真衣ちゃん」

それでも声には苛立ちが混じった。
コントロールできない自分の感情が、そしてそんな感情を植えつける姉に、余計に怒りを感じる。
振り向く姉。
そのどこか焦った様子に、凶暴な衝動が生まれる。
けれど、それとともに、熱くなった頭が冷たくなった。
振り切ってしまった怒りが、冷静さを取り戻させる。
笑顔すら、浮かべることが出来た。
動揺して、たどたどしく俺に対応する姉。
俺に対して、後ろめたいのだろう。
けれど、そんなことは今はどうでもよかった。
それよりも、目の前の男が気になった。
細い目を眼鏡で隠した、どこか猫背な男。
人を食ったような笑顔で、そのどこか面白がっているような様子が癪に障った。

「俺?」
「はい、見たところ、先輩のようですが」
「はーい、俺はお姉さんとクラスメートの根木って言いまーす」

軽い口調。見るからに明るく人から好かれそうな男。
俺が誰よりも嫌いなタイプ。
俺は、自分の意思で人に好かれる自分を作り上げようとしている。
だからこそ、自然体で人の信頼を集める、この手のタイプの人間が大嫌いだった。

「へー、2人だけの秘密だったのかな、ね、真衣?」

親しげに姉の体に触り、名前を呼ぶ。
触るな、それは俺のものだ。
男に対する、そしてそれを許している姉に対する、激しい怒り。

「お姉さんとお付き合いさせてもらうことになりましたー」

姉を強く抱きしめる。
口の中で血の味がした。目の前の男を殴りつけて、引き裂いてやりたかった。
その怒りが伝わったのか、男は挑戦的に、そしてどこか興味深げに俺を見る。
その眼鏡の奥の好奇心に、頭に血が上る。

楽しげで、安らいだ表情を見せていた姉。
笑い声、明るい笑顔。

我慢が出来なかった。
不自然に姉を引きずり、引き離す。
それでも男は余裕げに、挑戦的に俺を挑発する。

「貸すだけだよー。返してねー」
「真衣ちゃんはあなたのものじゃありませんから」
「じゃあ、誰のものなのかな」
「……さあ」

決まっている。
俺のものだ。
俺だけのものだ。

姉の泣かすのも、笑わせるのも、不安にさせるのも、安心させるのも。
すべて俺だけがすればいいこと。

自然と、姉を掴む腕に力が入る。
引き離しても怒りは収まらない。

「千尋!!」

姉が俺を呼ぶ声に、ようやく意識が戻る。
そして、自分が失敗したことを知った。
姉の信じられないようなものを見る目。
いつもとは違う種類の、怯え。
俺から身を引く、その仕草。

いつもの俺だったら、一度は引いて、姉にそれと分からないように人から引き離す。
向こうに手を回したり、姉に色々と吹き込んだり。
それなのに、失敗した。
怒りを、抑えられなかった。
あの男が姉に触れているのを、耐えられなかった。

臆病で人付き合いが苦手なはずの姉が、あんな打ち解けた姿を見せるから。
あんな、俺の前では見せない安らいだ顔を見せるから。
笑い声をあげるから。

小動物のような姉は、俺の醜い想いを知ったら逃げると思っていた。
事実、姉は怯えて身を引いている。
俺を怖がるその様子に、凶暴な感情が抑えられない。

「勝手だよね、真衣ちゃん」

俺の本意が見えずに、いつもと違う弟に戸惑う姉。
その不安げな顔をメチャクチャにしてやりたかった。
自然に言葉が口をついて出る。

「真衣ちゃんが『かわいそう』だから、これまで我慢してあげたのに本当に勝手」

それは、姉がずっと怖がっていたこと。
俺を縛りつけながら、俺が離れていくことを恐れていた。
そして同情心で一緒にいられることに、傷つけられていた。
哀しんでいた。

「大嫌いだよ」

それは切り札。
姉は、俺がいなくなったら独りになる。
そう、昔から植え付けてきた。
だからこそ、ずっととっておいた姉を追い詰める、最後の言葉。
姉を縛り付けるための、最後の賭け。
完全に逃がしてしまう危険性のある賭け。

俺にすがり付いて、全身で俺を欲しがって。

姉は、その言葉に、表情をなくした。
何もない顔。
青ざめた、嫌になるほど白い顔。

その顔に安心した。
まだ、自分の言葉が姉に効果がある事を確かめて、本当に心から安心したのだ。
姉に、見捨てられていない事に、泣きそうな喜びを覚えた。

口元を押さえて、逃げ出す姉。
俺は、それを追いかけなかった。
このまま置いておけば、きっと、姉は俺にすがるだろうから。
いつものように、見捨てないでと泣きつくだろうから。
そして、また一歩、姉を閉じこめることができるだろう。

それもまた、甘い考えだったけれど。






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