ようやく手に入れた道具で、朝の身支度に化粧という一時が加わった。
ああ、長かった。

日本にいる時は面倒くさい、もうすっぴんで行きたいと思っていたこともあった。
みっともないけどファンデだけして、後は電車の中でメイクとか、たまにした。
酔って帰った日のメイクオフほど面倒なことはなかった。
ていうか何度も化粧を落とさず寝た。
そして次の日偉い目にあった。

化粧は好きな訳じゃなかった。
たしなみとさすがにすっぴんでは色々と隠せなくなってきたための防衛手段だ。
まあ、言ってみれば義務だ。

それが、今、化粧がこんなに嬉しいなんて。

しみもくすみも毛穴も隠せる。
コンプレックスの小さめな目をアイラインで大きく見せられる。
形の悪い眉毛を、ようやく整えられる。
もうぼっさぼさ。
眉毛の手入れ苦手な上、使いづらいカミソリもどきしかなかったから、もし全部剃っちゃったらと思うと綺麗にできなかったのよね。
ようやくアイブロウらしきものを手に入れることができて、思う存分形を整える。

嬉しい。
化粧って、楽しいことだったのね。
自分の顔をごまかせるって、こんなにも楽しい。

あああ、わくわくする。

エリアスのお金で、沢山買い込んだ。
服も買った。
市場でなんて安っぽいとエリアスは眉をひそめていたが、チープでもなんでもかわいい服が欲しい。
うん、あの薄汚いワンピースは確かに仕立てはよさそうだったが、この花の刺繍がついたワンピースのほうがずっとかわいい。
ちょっと若すぎる気がしないでもないが。
いや、でも、かわいい。

まずは眉毛眉毛。
形を整えて、と。
こっちの流行ってどんなのかしら。
エミリアの顔に別に違和感覚えたりしないから、そこまで変わらないわよね。
じゃあ、別にいつもどおりでいいわ。

うん。
…やっぱり手がすべった。

もっと小さいカミソリないのかしら。
それよりハサミが欲しい。
長さを整えたい。

「あ」

いいわよ!もういらないわよ、眉毛なんて!
描きゃいいのよ!描きゃ
それですべてが解決よ!
よし、次。

さあ、今日のシャドウは何色にしよう。
口紅と、チークと合わせて。
ううう、選べる喜び。
あ、感動で涙が出そう。
私、まだ女だったのね。
この世界来て、色々忘れそうだったけど、女だったのね。

何色にしよう、季節に合わせようかな。
っていうか、今、季節なによ。
分かりづら過ぎるのよ、この国。
いいや、ちょっと腫れぼったいから寒色系でまとめよう。

反射の悪い曇ってる鏡を見ながら、久々の楽しみを満喫する。
さあ、今日は気合いをいれてメイクするわよ。
アルノを一発ノックダウンよ。

しかし、やっぱり勝手がわからず難しい。
む、本当にこのファンデは使い方あってるのか。
水溶き型を買ったけど油塗り型の方がよかったかしら。
すぐ落ちる気がする。
うーん。
これであってるのかな。
なんかしっくりいかない。
エミリア呼んできた方がよかったかな。

やばい、チークも入り過ぎる。
ブラシ、ブラシがなんでないの。
使いづらい!
シャドウがすべった!
ティッシュ!
んなもんない!
ああああ、これはまずい。
どうしよう、なんかやばい。
そういえば、これどうやって落とすんだろう。

私が使い慣れない道具に悪戦苦闘していると、急にドアが開いた。
つられてそっちを振り向くと、そこにはミカがいた。

「………」
「………」

何拍か見つめあう。
ミカの端正な顔がゆっくりと歪んでいく。
そして。

「ぷ」

馬鹿が吹き出し、頭に血がのぼた。
私はその場にあった空っぽの木の水差しを投げつけた。

『ノックぐらいしろ、このセクハラ変態野郎!』

ミカはそれを軽々と受け止めて、耐えきれなくなったようにその場に座り込む。
ぶるぶると震えながら膝に顔を埋め込む。

「く、ぷ、く、くくく」
「………」

私は静かに立ちあがり、馬鹿王の頭をメモ帳代わりの木切れで殴りつけた。
ためらいなく、加減なしに。

『女の朝を邪魔する甲斐性なしは死ね!!』

ミカが頭を押さえて倒れこむ。
それでもミカはしばらくその場で笑い続けた。



***




「人を、呼ばせたのに」
「………」

一通り聞いてたし、できると思ったのよ。
そもそも、こっちきてエミリアとかメイドさんが色々世話してくれるけど、人に着替え手伝ってもらったり、風呂の手伝いしてもらうのは落ち着かない。
だから最近は世話を断って一人でやっていた。

セレブ生活、やってみたかったけど実際にやってもらうと予想以上に肌に合わない。
何から何まで人にされるって、便利より先に落ち着かないわ。
金髪碧眼美女に、こんな貧相な体見られるのもとんでもなく落ち着かない。
ていうか屈辱。

くそ、私だって、向こうではそこそこ悪くなかったのよ。
底上げパットとヒップアップのガードルで、結構見れたんだから。
私だってこの国に生まれたら、きっと金髪碧眼巨乳美女だったのよ。

「目、閉じて」

言われて、大人しく目を閉じる。
さらさらと、くすぐったい感触が顔をなぞる。

「ん」

むずむずとする感触が落ち着かなくて、ちょっとだけ身をよじる。
すると節くれだった太く硬い指が、少し力を込めて私の顎を固定する。

「動くな」
「ん」

顎を持ち上げられたり、右向かされたり左向かされたり。
目を指でなぞられたり、唇をなぞられたり。
なんか、変な気分になってくるわ。
優しい愛撫を受けているような。
つーか、触り方エロい。
さすがミカだわ。
こんなごっつい手が、繊細に動くもんだ。

「目、開けて」

言われるがまま目を開けると、予想以上に近くにミカの顔があって声を出しそうになる。
ミカは真剣な顔で、私の顔を覗き込んでいた。
息がかかるほど、近い位置。
な、なんだ。
身構えるが、特にミカは何かする気はないようだ。

「よし、かわいい」

ミカが満足げににっと笑う。
40過ぎのおっさんの無邪気な笑顔に、思わず見とれてしまう。
顔はいいのよ。
顔は、うん。

悪人面のイケメンが子供みたいに表情崩すギャップがたまらないのよね。
分かってやってるんじゃないかしら、こいつ。

「ほら」

差し出してくる鏡を見ると、そこには見違えるように綺麗になった自分がいた。
ちょっと白すぎるものの、お肌の欠点を見事にカバー。
シャドウは私がやっていたよりも入れ方がどぎつくてちょっとお水ぽいけど、目の印象を際立てている。
アイラインも太すぎてギャルっぽいけど、一回り目が大きく感じる。
チークも、口紅も好みよりはずっとケバいし、色の入れ方が全然違うんだけど、それでも一回りは若返って欠点を隠して、長所を引き立てる化粧がされていた。

「わあ」

歪んで曇った鏡でも、その出来栄えは明らかだった。
鏡をじろじろと眺めて見とれていると、ミカが頭をぽんぽんと叩く。

「どうだ」

顔を上げると、満足そうににっと笑うミカ。
人の化粧を大笑いした馬鹿は、叩きのめすと、お詫びに自分が化粧をすると言った。
丁重に速やかにお断りしたものの、半ば無理やり椅子に座らされた。
メイドに化粧落としらしき油みたいなものをもってこさせ、私がしたメイクを落とし、その後短時間でさらさらと新しくメイクを施した。

そういえばさっきのメイド、私の顔見てちょっと笑ったわよね。
覚えておくわよ、あの子。
いつかいびってやる。

ミカはメイクがうまかった。
とんでもない結果になったら、一発股間を蹴りあげようと思っていたが、これは黙ってしまうしかない。
それほど、この出来栄えは素晴らしかった。
ちょっと濃すぎるけど、スーパーモデルみたいっちゃ、それっぽい。
まあ、認めてやろう、うまい。

『けど、化粧になれてる男ってヤだわ』
「どうした?」
「ううん、なんでもない。すごい、ミカ。ありがとう」

どんだけ女たらしこんだんだか。
過去の経歴が知れるわ。
ドン引き。
まあ、でも、化粧してくれたことは素直に感謝しよう。

「うん、セツコ、かわいい。とても美しい。君の魅力が************、私の心が******」
「ありがとう」

それに、こういう素直な賞賛は気分がいい。
うん、褒められるのはなんだって嬉しいものだ。
もっと簡潔なことばで言ってくれるともっと嬉しいけど。

ああ、でもこれならアルノもきっと褒めてくれるわね。
久々にウキウキしてくる。
あっちの世界でもこっちの世界でも一緒。
化粧がうまくいった日は、いい気分になれる。

「さて、今日もお仕事よ!」
「ん?」
「アルノの、手伝い」

メイクが崩れないうちに、アルノに見せなきゃ。
あ、ていうかこれメイク直しどうすればいいんだ。
絶対昼ごろ落ちるぞ、この水溶性ファンデ。
これもミカに聞いた方がいいのか。

「ね、ミカ………」

ミカに問おうと、顔をあげる。
するといきなり世界が逆さまになった。
ふわりと体が浮く。

「来い」
『きゃあ!!』

そして私はまた抱えあげられる。
気がつけばまたミカの肩の上。

「ちょ、ちょっと?」
「出かけるぞ」

なんだそりゃ。
ていうか、米俵みたいに担がないでほしいんだが。
まあ、私の体重で姫抱っこなんて無理だろうけど、もうちょっとこういい感じの抱き方がないだろうか。

「ミカ?一体何?」
「遊びに、行く」
「はあ!?」

突然何言ってんの、このおっさん。
いっつもいっつも唐突なのよ、こいつ。

「綺麗なセツコは、俺のものだ。アルノには、見せない」

本当に何言っちゃってんの、このおっさん。
でも、呆れる気持ちと共に、ちょっとだけ女心がくすぐられるわ。
適度な独占欲って、ときめく。
イケメンの甘い言葉は、まるで強いお酒のよう。
くらくらと酔ってしまいそう。

まあ、外はこれでも中身はアレなんだけどね。

「エリアスとだけ出かけるのは、ずるい」

やだ、ちょっと、それはヤキモチってやつかしら。
別にミカなんてどうでもいいけど、いい男に妬かれるのはいい気分。
それがたとえ、誰であろうとも。
ああ、本当に中身がアレじゃなければなあ。

しかし、まあいい気分はいい気分なんだけど。
いい加減、こいつらの言うことを鵜呑みにするのは馬鹿馬鹿しいと知っている。

「………仕事、逃げてる?」
「う………」

一瞬動き止まったわね、この甲斐性なし。
まあ、分かってたから特にダメージもないわ。
私の冷たい言葉に、ミカは誤魔化すように足を速めた。

「いいから、行こう!」
『この駄目男!』

担ぎあげられたまま、ミカのブラウンの髪を思いきりはたいた。
仕事放り出す男は最低よ。
しっかり仕事して、しっかり稼ぐ。
それが男の本分でしょう。

てことを、言いたくてもそんな語彙力はない。
それに暴れても、こいつの力には敵わない。
本気で抵抗したら離すだろうけど、まあ、いいわ。
化粧をしてくれたお礼に、今回だけは我慢してやろう。

どうせ、こいつ一人で出かけるなんて誰も許さない。
一応王だ。
城一周で、解放されるだろう。

しかしミカはずんずんと歩みを人の少ない方に進める。
前に出かけた時は正門みたいなところから出かけたのだが、そこに向かっている訳ではないようだ。
どこいくの、と聞いてもミカの言うことは早口で分からない。
逃げようもないので、とりあえずミカに乗っかったまま城の散歩を堪能していると、随分人気のない奥まった場所で、ミカが立ち止まった。
辺りを見回すと、薄暗く湿った匂いがするただの行き止まり。
前に連れて行かれた塔の近くだろうか。
ただ壁があり行き詰った、物置のような空間。

「何、ここ?」
「*****」
「えーと、わからない」
「誰も、知らない、道。外への、俺だけ、知ってる」
『抜け道かな』
「ヌケミチ」
「抜け道って、言うのね。分かった。へえ、こんなもんあったんだ」
「前の、領主、逃げる、使った」
「へー」

いや、わかってはいたんだけど、ここ城だったのね。
領主の抜け道、とか言われるとかなり城っぽい。

なんかどうも、本当にファンタジー感が薄れている。
食べ物も建物も登場人物も、全部ファンタジーなんだけどね。
米もなければトイレにビデも保温機能もなし。
自動販売機ないし、携帯も使えないし、不便だらけのファンタジー世界。
でも、たった2か月かそこらで、なんとか慣れてしまってる。
これが日常となりつつあって、ファンタジーな世界を忘れてしまう。
人間の適応能力ってすごいわ。
諦め、とも言うけど。

でも、なんかこういうなんでもないところでファンタジー設定を思い出す。
そういや、こいつは王で、ここは城なのよねえ。

ミカは私を丁寧に下ろすと、壁に近づいた。
何かを探るようにぺたぺたと手を這わす。
そして、ひとつの石を、そっと押した。

ごごごご、と重い音をたててただの壁だった場所に穴が開いて行く。
壁がどういう原理かスライドして、その向こうの通路へ辿る道を作る。
ぽっかりと空いた、空洞。

「わ!」

ミカの行動に薄々想像はついていたものの、やはり実際に目の当たりにすると驚く。
悪戯好きのおっさんは、私の驚きを見て嬉しそうに眼を細めた。
ったく、このおっさんは。

「さ、行こう、セツコ」

にっこりと笑って、手を差し伸べてくる。
どうしようかなあ、としばし悩む。
化粧した顔をアルノに見せたいし、こいつと出かけたら後でネストリに嫌みを言われる気がしないでもない。
エリアスが泡食ってミカを探しそうだしなあ。

まあ、でも。

「ま、いっか」

外に出る機会はあまりないし、全部悪いのはミカだし。
私悪くないし。

私はそのごつごつとした堅い手をとった。





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