『大丈夫ですよ、セツコはまだ若いですよ』

部屋に入ってきた途端、悪魔はそう言って笑った。

『だから!人の心を勝手に読むな!』
『すいませんね、見えてしまうもので』
『いい加減、このインチキマジック、解除しなさいよ!もう日常会話ぐらい気合でなんとかなるわよ!』
『インチキ?マジック?なんですか、それは』
『反応するべきところはそこじゃない!』

今日はアルノが忙しいらしく、言葉の勉強はこいつになった。
いっそ中止でいいのに。
いっそこいつの存在が無期限中止でいいのに。

『怖いなあ』
『私が荒んだのは誰のせいだと思ってるのよ!』
『全く、陛下にも困ったものです』

私はもう何も言わず、静かに頭の中でネストリを蹴り倒した。
その後コーヒーをぶっかけて、ピンヒールで踏みにじる。
こいつを叩きのめす方法だったら、あと100通りは軽い。

『やめてくださいよ』
『ごめんなさい、ほら、自分の思考って止められないものでしょ?不可抗力よ』
『ひどいなあ。本当に陛下やエリアスにあなたの心を見せてみたいです。どんな反応しますかね』

知るかそんなもん。
あいつらにどう思われようともうどうでもいい。
むしろ言葉を覚えたら、培ったお局スキルでいびり倒してやるわよ。
伊達に課長に君を怒らせると怖いからなあ、なんて言われてないわよ。
更衣室で後輩にお局様こわーいとか言われてないわよ。
ああ、思い出したらイライラしてきた。

『いやあ、それが結構あの人たち夢見がちで…、あ、そうだ。どう思われてもいいならこの術を陛下たちにもおかけして……』

私は手元にあった分厚い本をネストリに投げつけた。
くそ、避けられた。
本当にこの術は厄介だ。
殴りたくても、蹴りたくても、窓から突き落としたくても、最初にばれてしまう。

『そんなことしてみなさい。どんなことしてでも絶対生まれてきたこと後悔させてやる』
『わあ、本気じゃないですか。怖いなあ』
『どっちがよ!』
『一応私も男なんですから、もっと取り繕いましょうよ』
『あんたを男っていうか人間としてカウントするのは、すべての人類への冒涜よ!』

トイレの回数やら生理の周期やら男性経験やら下着の色まで知られてて、これ以上何を取り繕えっていうのよ。
むしろ取り繕えるなら取り繕いたいわよ。
どこに取り繕う余地があるのよ。
言ってみろこの極道電波。

『電波?』
『あんたみたいな頭のねじが緩んだ人をそう言うの』
『私の頭にねじなんてありませんよ?』

ああ、こいつとこんなくだらない口論してても時間の無駄だ。
私はさっさと椅子に座ると、勉強用の木切れと、お手本の本を取り出した。

『早くはじめなさい』
『やる気が、最初の頃とは大違いですね。教師として、嬉しいです』
『やんなくて済むならやりたくないわよ!誰が教師よ、この悪魔!』

やらなきゃこの術とけないし、生活はいつまでたっても改善されないし、必要に駆られての行動だ。
自主的にやってると思われるのは甚だ不本意。
いや、アルノが教えてくれるなら率先してやるけどね。

ていうかそんなの分かってるだろう。
ほんっとに、こいつは人の神経逆なでるするのがうますぎる。
どうしてこの才能を他に回せないんだ。
どう育ったらこんな悪魔ができるんだ。
完全育児失敗よ。

『生まれつきこんなだったみたいです』
『本気で悪魔じゃない!!』

ああ、いやだ。
どうして、こんなのとマンツーマンで勉強しなきゃいけないのよ。
同じマンツーマンなら、バイトで英語がぐだぐだでもイケメンで優しい先生がいい。
ていうか人間としての常識持ってるならもう誰でもいい。

本当に私の周りはこんなんばっか。
今までも、ロクな男がいなかったし、私の男運はどこいっちゃったの。
最初からなかったの?

いや、そんなことはない、大学時代とか、就職した初期は結構いいのいたのよ。
それが今となってはこんな最下層ランクばっか。
ああ、あの頃選り好みするんじゃなかった。
まだ遊びたいとか考えてたあの頃の私の馬鹿。
タイムマシンがあったら、あの日に戻って、私を殴りたい。
そしてやり直したい。
選択肢があるのが幸せだって、どうして私は気付けなかったの。
年齢と選択肢って、反比例するものだったのね。

『そんな焦る年でもないと思うんですけどねえ』
『………この世界の、適齢期はいつ?』
『えーと、結婚する平均ってことですよね。そうですね、男性は18で、女性は早い人は14,5で結婚しますね。20歳すぎて未婚の女性は何かあるんじゃないかと思われます』
『私なんて完全に中古の型落ち品じゃない!!もういや!』

ああ、昼間の会話がリフレインされる。
息子の話を嬉しそうにするエミリア。
本当に純粋でかわいかった。
まだまだあどけないのに、しっかりとした人妻で。
初々しいけれど、人妻の色気。
ギャップがたまらない、幼な妻。
本当にかわいいだけに。

憎たらしい。

もう、幸せな人間が全て憎い。
道端で笑う奴、全員殴りたい。
どうして、私がこんなに不幸せなのに、あんたたちは幸せなのよ。
不幸になれ。

『今日は本当にいつも以上に攻撃的ですね』
『最後にあんたに会ったことでとどめ刺されたわよ!』

これがアルノだったら、どんだけ心癒されたことか。
どんだけ慰めになったことか。
ああ、アルノ、会いたい。

改めて、この世界が異世界だと思い知らされた。
せっかくの楽しい気分転換だったのに。
こんなテンション下がるとは思わなかった。

まさか18で2歳の子持ちとは。
恐るべし異世界。
もういやだ異世界。
私なんて適齢期も何もかも踏み超えた、骨董品よ。
元の世界なら、まだギリギリいける歳だったのに。

『は!骨董品ってことでプレミアつかないかしら!』
『ぷれみあの意味が分からないのですが、セツコぐらいの年の人を好む人ならこの世界にも沢山いますよ』
『本当!?それ本当!?私まだいける!?』

思わず机越しにネストリの襟首を掴む。
ネストリはにっこり笑って、頷いた。

『ええ、セツコはまだまだお若いですよ』
『ほ、本当?』
『ええ、私の知っている方にもセツコを好まれそうな人は沢山いらっしゃいます』
『ど、どんな人?』
『奥様に先立たれて後妻を探している方とか、若い娘に飽きて熟成した魅力を求めている方とか、少々問題があって妻を娶るのが困難な方とか』
『×ありに、愛人に、訳ありなんてごめんよ!』

私は思わず目の前の美しい金髪をはたいた。
あ、入った。
珍しい。

が、その後に静電気を強くしたような電流が体に走った。
久々の刺激に、その場につっぷす。

『く、ううう。このドS変態野郎!』
『慎みがない女性は、もてませんよ、セツコ』
『お前にモテるモテないを説かれる筋合いはない!』

どうせ、売れ残りがお似合いの中古品よ。
修理に出してもどうせ買い換えた方が安いとか言われるんでしょ。
どうせもう保証期限切れよ。
部品だって製造されてないから、修理も不可能。
スクラップされてリサイクルされて捨てられるしかないのよ。

私、本当になんで生きてるのかしら。

『セツコ、そんな沈まないでください』
『だから、誰が沈ませてるのよ!』
『でも、訳ありの人は結構、お金をもってらっしゃいますよ?』
『え?』

私は思わず、顔を上げてしまう。
いや、別に金がどうって訳じゃ。
あるけど。

『家が複雑なのと、まあ、容姿があまりよくないのと、仕事に打ち込んできたことで気がついたら歳をとっていた、という方です。性格は、可もなく不可もない、当たり障りない感じだと思います』

こいつが当たり障りないっていうんだったら、きっといい人だろう。
実家の事情で、結婚ができなかったのか。
それは、結構掘り出し物じゃないかしら。
顔なんてどうでもいいわよ。
顔だけよくても、こいつらみたいな馬鹿ばっかだったら殺意が沸くわよ。
むしろ顔が悪くて今までモテてないなら、扱いやすくないかしら。
それでお金持ち、か。

『そ、その人のこと、詳しく、ちょっと』
『紹介してもいいですよ』
『ほ、本当?』
『ええ、あなたがこの世界に永住する決意を固めてくださるなら、私も戻す術を学ばなくてよくて楽なので』
『て、そうだ!この世界で婿探してもしょうがないのよ!!』

危ない。
またこいつに騙されるところだった。
この世界で結婚してもどうしようもない。
どうせ家に帰るんだから。

ああ、でも、金持ちの掘り出し物かあ。
惜しいなあ。
惜しいよなあ。
もう、ここで決めちゃっていいんじゃないなあ。

いやいやいやいや!
妥協するってレベルじゃないでしょ、それ。
異世界結婚って、どうなのよ。
負け犬過ぎでしょ。
あれ、いや、むしろ勝ち組なのか。

「ぷっ」

なんだか小さく声が聞こえて、そちらを見ると、ネストリが机に突っ伏していた。
肩を小さく震わせて、息も絶え絶え涙を拭う。

『本当に、面白いですねえ、あなたは』

悪魔はにっこりとほほ笑んだ。

『一辺死ね!この悪魔!!』

メモ帳代わりの木切れの角を、悪魔を殴り倒そうとふりかぶる。
しかし帰ってきたのはいつもより強めの電流。
今度は私がその場につっぷした。

『くっそおおおおお、いつか見てろよ、この変態サドインポ野郎!!』

そしてもう何度目か分からない、悪魔の撃退を心に誓った。





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