『どういうことよ!?あの馬鹿ども何言ってんのよ!なんかメイドさんとか兵隊さんとかが遠巻きなのってそういうこと!?なんか私注目の的だけなにかしら?とか思ってたら、私はどんな珍獣よ!』 隣に座っていたエアリスの襟首をつかんで、ガシガシと前後に揺さぶる。 エリアスはメガネが落ちそうになって、慌てて押さえている。 「せ、セツコ、セツコ!」 『いい加減あの馬鹿ども名誉毀損で訴えるわよ!セクハラ!誘拐拉致監禁!暴行罪!確実に10年はたたき込めるわよ!臭い飯くってこい、この犯罪者集団!』 「せ、セツコ!エミリアが!」 『え?』 エリアスがわたわたと辛うじて、指をさす。 その指の先を辿って行く。 そこには、顔面蒼白になってカタカタと震えるエミリアの姿。 「え、エミリア」 呼んでも、エミリアは応えない。 完全に馬車の隅っこに行って怯えているかわいらしい少女。 「…………」 「だ、大丈夫。わたし、こわくない。ほら、怖くない」 せっかく少しだけ懐かせたのに。 これもそれもあの馬鹿どもが! ようやく出来た女の子の話し相手を、失いたくない。 あいつらだけじゃ、心が荒む。 だから、ちょっとだけ、隅っこにいるエミリアに近づく。 途端エミリアは飛び上がった。 「ひ、ひい!」 「ご、ごめんなさい!」 反射的に謝って、私も対角線上に飛びのいてしまう。 どうしよう。 完全に猛獣扱いだ。 見つめあって膠着状態に陥った私たちの間に入るように、エリアスがエミリアの肩を優しく叩く。 「エミリア…、セツコは*************、****、怖くない。いい人だ」 「は、はい……*********、*****」 こちらをちらりと窺うエミリアに、私はにっこり笑ってみせる。 するとエミリア余計に顔をひきつらせた。 「ひっ」 小さな声をあげて、さっと視線を逸らす。 どういう意味だ、おいこら。 ちょっとかわいいからって人のこと馬鹿にしてない? 少しくらい眼が大きくて、肌がきれいで、金髪でスタイルがいいからって。 あ、だめだ。 へこんできた。 もしかして、私、一般的だと思ってたけど、猛獣的な外見してたとか? そういえば、この国黒髪黒い眼って見ないし。 まあ、私の髪は半分茶色だけど。 もしかして、本当に化け物みたいに見えてるのかしら。 …アルノにも? …………あ、消えたい。 「大丈夫だよ、エミリア。セツコはとてもいい人だ。あれは********、陛下とネストリが*******」 「………は、はい」 必死のエリアスの説得にも、エミリアは怯えた目でこちらを見ている。 私はもう、愛想笑いもせずにふてくされて外を見ていた。 けれど、鬱々とした気持は、市場に降り立った途端一層した。 土に、足を付ける感触。 匂いのある、外の空気。 灰色の壁ではない、広い空間。 ああ。 『シャバだわ!』 夕暮れの市場は、活気に充ち溢れていた。 前にいった、タイのマーケットみたい。 あれよりもぼろっちいけど、食べ物や衣類、雑貨などがを売っている店が所狭しと軒を連ねている。 どこにいたんだってくらい、人で溢れかえっている。 喧騒で、耳が痛いくらい。 匂いがちょっときつくて辛い。 なんだろう、この変な匂い。 生臭いというか、磯臭いというか、腐った匂いっていうかもうなんていうか臭い。 人の体臭もきついのかしら。 西洋人は腋臭が多いっていうしね。 ああ、どっかに店から漂ってくるんだ。 まあいい。 臭かろうがなんだろうか、外だ。 買い物だ。 私はさっそく店に向って、かけ出す。 慌てて後ろからエリアスとエミリアが付いてきた。 『あ、ねえねえ、何あれ、あれ』 「あ、えっと、あれですか?」 『あ、あっちは?』 店にはさすがに見たこともないものが広がっていた。 アクセサリも、名前の分からない石がついて、エスニックな形をしている。 あ、かわいい。 よし、買うぞ。 お金を気にせず、買い物。 最高。 こっちの金の価値なんてわからないし、値札も気にせず買ってやる。 金はミカからふんだくってきた。 慰謝料として、当然だ。 税金だと思うとちょっと胸が痛むが、その分あの馬鹿を働かせばいい。 『うふ、うふふふふふ』 ああ、服、服が買える。 化粧も買ってやる。 アクセサリだって買ってやる。 あ、あとは髪を束ねる奴もなんか欲しい。 ようやくこの女を捨てた状態から、脱出できる。 長かった。 本当に長かった。 長い苦難の道だった。 本当に女を捨てなきゃいけないかと思ったわ。 私はまだ、終わってない。 まだ女捨てるには、色々諦めきれないのよ! 『ねえねえ、エミリア。化粧ってどれがいいのかしら』 「は、はい?」 エミリアはまだ怯えているようで、恐る恐るこちらを窺っていた。 もうそんなことどうでもいい。 唯一の頼れる女性だ。 エリアスにファッションなんてわかるはずない。 『こっちの服の流行ってどんなの?どれがいいのかしら?』 「せ、セツコ様……」 『後、おいしいスイーツも欲しいわ。でもやっぱ化粧よね。すっぴんとか本当にもう無理。アルノにすっぴん見せ続けるのも限界。やっぱ密着するとばれるじゃない。くすみとかシミとか毛穴とか!特にシミ!シミ隠しが第一よ!ねえ、カバー力があるファンデってどれ?』 「え、えっと」 『あとはやっぱ口紅よね。アイラインとかあるのかしら。出来ればマスカラも欲しいんだけど、ある?』 「あの!」 あちらこちらを覗きながら、エミリアに話しかけていると強く腕を引っ張っられた。 必死な顔をして、何かを訴えている。 「ん?」 「な、何を、言っていますか?」 あ、しまった。 テンションあがりすぎて全部日本語で話していた。 「あ、えーと」 化粧って、単語が分からないわ。 そういえば。 使ったことなかった。 「顔。に、絵、を描く?」 「顔に絵を描く!?」 うん、通じてない。 でも、間違ってないわよね。 化粧なんて、もはや絵画だし。 私はファンデを付ける仕草をしてみせる。 「えーとえーと、顔、綺麗、したい」 しばらくエミリアは首を傾げていた。 だが私の紅を引く仕草で、ようやく分かったらしい。 「ああ!」 エミリアの顔がぱっと輝く。 そして顔を赤らめると、私の手を引っ張った。 「セツコ様、こっち!」 人ごみの中、かけ出す。 私は人の群れを縫うように、その後を追った。 東京の人ごみなめんな。 これくらいの人ごみ、むしろ歩きやすいぐらいよ。 そうやって引っ張られた先に会ったのは、派手な顔をしたおばさんのお店。 その軒先には色とりどりの粉やら、細かい細工の入れ物やらが売っている。 「これよ!これ!そう、これなの!」 「はい!」 私が興奮して飛び上がると、エミリアも大きく頷いた。 うんうん、わかってる。 私はきょろきょろと商品を見渡すが、残念ながら種類がさっぱりわからない。 「どれ、いい?」 隣にいたエミリアに視線を送ると、エミリアも同じようにキョロキョロとする。 そして、その中の一つを指さした。 「えっと、オシロイは、これが、いい」 「オシロイ?」 「顔、塗る」 「ああ、白粉か、なるほど」 瓶のようなものに入った白い粉を取り上げる。 少しキラキラと光っている。 『へえ、パウダーかあ』 「こっちの油を塗って、かける」 「油!?」 「そう」 いや、まあ、確かにこの粉だけじゃくっつかなそうだが。 油、油かあ。 大人ニキビ増えそうだなあ。 保湿成分になって、逆にいいかなあ。 ていうか大丈夫なのかな、この粉。 体に悪い成分とか入ってないかしら。 「もしくは、こっちの水、溶かす、塗る」 「へ、ええええ」 これまた綺麗な瓶に入った水を取り上げるエミリア。 かいでみるが、幽かに酒っぽい匂いがするだけだ。 うーん、こっちの方がまだ肌にいいかな。 「お嬢さん、こっちの**************白くなる」 「なになに?」 化粧べったべたのおばさんが、とりわけ綺麗な瓶に入った白粉を勧める。 うーん、高そう。 さすが商売人。 でも、まあいい。 どうせミカ払い。 「*******、好かれる***********」 おばさんは何やら得々と語っているが、さっぱり何言ってるか分からない。 私はエミリアに助けを求める。 「エミリア、なんだって?」 「こっちのほうが、白くなるって」 『あら、じゃあ、こっちの方が』 いいのかな、手を伸ばすと、エミリアがそっとその手をとった。 そして少し後ろに下がると、耳元で内緒話をするようにこっそり話す。 「………だめ」 「え、なんで?」 「こっち、古い、種類、白粉。古い白粉、顔変になる」 「……変に」 「ずっと使う。顔、よくない」 どう変になるのかわからないけど、とりあえず怖いわ。 今の日本レベルの化粧品が、あるはずないし。 これは言うことを聞いておいた方がいい。 ていうか原材料なによ。 「こっちの方が、安全」 「…わ、わかったわ」 私は、エミリアお勧めの方を手にとった。 おばさんは不満そうにしていたが、エミリアは頷いて満足げだ。 「後はえっと、口に、塗る」 「ああ、クチベニ」 「クチベニ、ね。そう、たぶんそれ」 エミリアはキョロキョロとまた見渡して丸い入れ物を取った。 そして私に差し出す。 「今はこの色が、いい」 『どれどれ』 わくわくしながらそれを覗きこんで、私は固まった。 そこには、予想外の色があった。 『………ミドリ、色』 「緑色。貴族の女性、これ、好き」 …流行か。 流行は大切だ。 流行はやっぱり外せない。 が。 だめだ、これは生理的に受け付けない。 どんなに流行遅れと言われても、これは、無理だ。 いや、しかし、ここは郷にいっては郷に従うべきだろうか。 いや、でもこれは。 「………赤は?」 「貴族、違う、人は、やっぱり、赤」 「赤でいい」 いいの、私は庶民。 セレブの気持ちなんて所詮理解できない。 うん、今分かった。 私はやっぱり庶民だわ。 感覚がセレブになれない。 いいわ、一生庶民でいい。 結婚するのもちょっと金持ち、レベルでいい。 その後も、私とエミリアはきゃいきゃいと化粧品を選んでいく。 やっぱりちょっとメイク方法も日本とは違う。 まあ、そりゃそうか。 後でエミリアに聞こう。 エミリアもようやく緊張を解いてくれた。 うん、やっぱり買物はすべての女のコミュニケーションツール。 「あの………」 「あら、エリアス、いたの?」 「…………」 後でずっと突っ立っていたエリアスが、私の言葉に悲しそうな顔をする。 ああ、全くなんでこんなかわいいんだか。 「冗談よ。エミリア、次は服!服!」 「はい!」 「ま、まだ、続くんですか」 「当たり前でしょう!」 女の買い物に付き合ったのが、運のつきだと思いなさい。 買物の際の男の価値なんて、荷物持ちと財布以外の何物でもない。 そして引き連れられる奴隷だ。 そして、今度は服を見ようと前も見ずにかけ出す。 はずみで、通りすがりの若い男にぶつかってしまう。 『あ、ごめんなさい』 「あぶねーな、おばさん」 『………今、なんていった』 通りすがろうとして、聞き流せない言葉を耳にする。 不思議だ。 こっちの言葉なんて未だに意識しないと聞き取れないのに、悪口だけは自然と理解できるんだから。 『ちょっと、そこの馬鹿!今なんて言った!おばさん!おばさんて言った!?』 「セツコ!セツコやめてください!」 思わずヒートアップして、柄の悪い男を呼び止める。 後ろから必死に追いすがるエリアスの声がするが、聞こえない。 「ああ、なんだよ。*************、*********!」 『誰がおばさんよ!まだ31よ!まだ今時の適齢期にも達してないんだから!まだ高齢出産まで時間あるわよ!まだいける歳なんだから!』 「************、この女、外の******************、**********」 『そりゃ今はすっぴんで、いつもより疲れて見えるかもしれないけど、肌年齢5歳は若いんだからね!化粧品売り場でいっつも褒められてたんだから!』 滔々と男に説教をすると、男は鬱陶しそうに私を払いのけた。 強く押されて後ろに倒れそうになる。 「うるせえな!」 「きゃ!」 「危ない!」 たたらを踏んで一歩下がると、がっしりとした腕に支えられた。 そしてそのがっしりとした腕は、私を脇に退けると前に出る。 「すいません、彼女が失礼しました」 「な、なんだよ」 「失礼しました」 上背のあるエリアスが男を見下ろして、レンズ越しにじっと目を見る。 謝ってはいるが、その言葉は堅い。 なんとなく、気圧される雰囲気だ。 クソガキは、ごもごもと口の中で何かを言っている。 そして、気まり悪げに後を振り返って走って行ってしまった。 私はそれを意外と広い背中の後ろでずっと見ていた。 その背中の持ち主は、くるりと振り返る。 そしてちょっと真面目な顔をして、私の肩を持って言い含めるように視線を合わせる。 「気を付けてください、セツコ。まだ、この辺は、危ない」 「……ちょっと、エリアス」 「はい」 『あんた、かっこいいじゃない!』 その思わぬかっこよさに、私はエリアスを抱きしめてしまう。 ふわふわの赤毛をくしゃくしゃと掻きまぜる。 うん、すっごいときめいた。 今ときめいたわ。 なによ、いっつもかわいいくせに、いざとなったら男だなんて最高じゃない。 「ちょ、や、やめて」 『やっだもう、かわいいわね。やる時はやるんじゃない』 「せ、セツコ!」 私はご機嫌で、エリアスの頭をなでた。 エリアスはやっとの思いで私の腕から逃げ出すと、真っ赤な顔で1M離れた。 あのガキのせいでちょっと気分悪かったけど、やっぱり総じていい気分。 外はいいわ。 うん、色々なものが見える。 塀の中にいるだけでは見えないものが、見えてくる。 鼻歌でも歌いたくなるぐらいの上機嫌で、歩きだそうとすると、エリアスが私の手を引っ張った。 「あれ、エミリアは?」 「あら、そういえばいないわね」 そういえば、エミリアがいない。 怯えて逃げてしまったか。 きょろきょろと見渡すと、エミリアは今の一幕に気付かないように熱心に何かの露店を見ていた。 近づいて、後ろから覗き込む。 「何、見てるの?」 「えっとオミヤゲ」 「オミヤゲ?」 「えっと、家、に、買う。あげる」 「ああ、お土産ね。うん、いいわね。お菓子?」 「はい、子供に」 は。 今なんて。 今、訳の分からない言葉を聞いたような。 いや、聞き間違いか。 私の単語の覚え間違いか。 「………子供?」 「はい、息子に」 あれ、やっぱおかしなこと聞いたような。 これ、私の間違い? お願い間違いであってくれ。 私は、再度、ゆっくりと確認する。 確実に分かる単語で。 「エミリアの、子?」 「はい、2つ」 「………エミリア、いくつだっけ」 「18です」 「………」 にっこりと笑って、エミリアは当然のことのように言った。 まだまだ少女という風情の、頼りなく儚げな風情。 顔に浮かぶ、そばかすが、かわいくて守ってあげたくなる。 それが。 人妻。 『………負けたっ』 「え、え?セツコ様?」 『何、この敗北感。こんなかわいくて人妻って、そんなのあり!?しかも子供がいるって!』 私はその場に崩れ落ちた。 周りの人が不審そうに見るのも、気にしてられない。 「………セツコ様?」 ああ、このかわいらしさが急に憎たらしくなってきた。 どうせ私はおばさんよ。 おばさんが化粧にきゃーきゃーいって、さぞ滑稽よね。 そんなにこにこしながら、本当は裏で、おばさんいったいーとか思ってるんでしょう。 お局ウザいとか、そんなだから独身なんだとか思ってるんでしょ。 そうよね、そうよ。 若いってだけで勝ち組よね。 しかも既婚で子供あり。 もう、非の打ちどころないじゃない。 『くっそおおおお、負けないんだから!』 まだまだ、これからよ! 大丈夫、私にはまだアルノがいる。 勝負はこれからよ! まだ初産でも子供生める歳なんだから! ていうか帰ったら、絶対お見合いパーティーいってやる! 何がなんでも、結婚してやるんだから!! 『見てなさいよ!』 私は怯えた顔をしているエミリアに、指を突き付けて宣言した。 |