朝、陽が昇りきらないまだ薄暗い時間に、鳥の鳴きはじめとともに目覚める。 メイドさんが用意してくれた水で顔を洗い、服を着替える。 朝食はエミリアが給仕しながら付きあってくれたり、時間が合うようならアルノやエリアスと食べたりもする。 ミカは朝が弱いんだか忙しいんだか女のところに行ってるんだか、早朝会うことはほとんどない。 ネストリと朝から一緒ってのは、想像だけでも死ねるから絶対一緒にご飯とか食べない。 あいつの顔見て食べるとか、なんの拷問。 木片と布と、塩っぽい何かで歯を磨いて、ようやく慣れてきた化粧して、それからアルノのお手伝い。 昼ご飯は、忙しくないならこれもエミリアやアルノやエリアスと一緒に。 夕方頃に会計室から追い出されて、城の中を散歩したり、エミリアと言葉の勉強がてらおしゃべりしたり。 最近はエミリア以外にも話してくれるメイドさんが増えた。 お菓子とお茶で、休憩時間に他愛のない話をしたりする。 未だに何人かには怯えられているが。 ていうか大半おっかなびっくりだが。 今どこまでいってんだろう、噂。 聞きたくない。 夕ご飯は一人で食べたり、たまにミカがやってきたり、エリアスを付き合わせたり。 エミリアはだいたい家に帰っちゃう。 まあ、人妻だしね。 くそ。 その後勉強の時間が入って、悪魔と地獄の時間。 解放されたら、週に3度はお風呂に入って、軽く晩酌をして就寝。 そしてまた朝が始まる。 これがこちらの世界にきてすでに4か月になる、私の生活。 平和な、ルーティン作業の繰り返し。 アルノは優しいし、エミリアはかわいいし、エリアスはへたれだし、ミカとネストリはムカツクし、平和だ。 食べ物にも生活にも慣れてきて、不自由さにもストレスを感じることがなくなってきた。 人間の順応って、本当に恐ろしい。 まあ、平和な毎日。 このままずっと、この調子でいくのかしらねえ。 まあ、変わらないことが幸せっていうし。 「………て、ちがーう!」 自分の思考に自分でつっこみを入れ、思わず机につっぷす。 なんて寂しいノリツッコミ。 今日はネストリが忙しいとかで、勉強はスキップ。 いい夜だったので晩酌しようと思ったのだが、エリアスもミカも忙しかったから寂しく手酌。 アルノを付き合わせるのは、さすがに申し訳ない。 もう歳だし、倒れたら大変。 ちびちびと、最近のお気に入りの蒸留酒を飲みながら今の生活を思い返していると、怖い想像になってしまった。 順応している場合じゃないわよ。 順応している場合じゃないの。 何順応しているのよ、私。 一瞬この国での老後まで考えちゃったじゃない。 ここって老人ホームとかあるの? 誰も面倒見てくれる人のいない寂しい老後とかいやよ。 ていうか、あっちの世界で払い続けた年金とかどうなるのよ。 一応保険だってかけてるし、貯蓄だってしてるんだから。 払っただけでバックがないとか本当にないわ。 まあ、今の時代年金制度も危ないけどさ。 あああ、そうじゃないの。 そうじゃないのよ。 どうしよう。 この世界に慣れ過ぎてしまっている。 言葉もだんだん分かり始めて、居心地良くなってきて困る。 危険な兆候だ。 この調子で今まで流されて生きてきたのだ。 面倒だからこの学校でいい、とか。 面倒だからこの会社でいい、とか。 面倒だからこの彼氏でいい、とか。 面倒だから結婚まだでいい、とか。 その結果がこのザマよ! だめよ。 帰るの。 私は帰るの。 心を強く持たなきゃ。 今度こそ、あきらめない。 こんな世界で一生過ごすとかありえない。 繊細な味付けの日本食を食べたい。 お米、お米食べたい。 そんでお刺身食べながら、もう一回日本酒を飲むの。 ふかふかの布団と温泉。 エステ行ってマッサージ行って、ネイルやったりして。 本当に日本って素晴らしい。 お父さんとお母さん、会いたいな。 会社のみんな、元気かな。 あの部長ですら懐かしくなるとか、考えもしなかった。 何もかもがムカツクおっさん。 でも、日常の象徴だった。 ああ、帰りたいな。 帰りたい。 帰りたい。 帰りたいよ。 なんだか遠くなってしまった日常が、懐かしい。 まだ残っている記憶を引き出してくると、胸が痛くなる。 騒がしく、人がで溢れかえる街。 喧騒がうるさくて、人に紛れるとなんだか寂しくて、でも、安心できた。 なんでも手に入って、でも何かにいつも飢えていた。 いつでも不安だった。 一人が結局楽なんだけど、でも誰かと一緒にいたかった。 満員電車に揺られて、死んだ顔で通う慣れた道。 古いビルに入った、小さな会社。 前に友達と行ったグアムの写真を飾ったデスク。 お気に入りのボールペン。 お菓子がいっぱい入った引き出し。 懐かしい、大嫌いな、でも落ち着く、私の居場所。 私がいることが許された、場所。 ていうか、私の席、まだあるかな。 なんて言われてるんだろう。 三十路女の失踪とか。 失踪届とか出されてるのかなあ。 ………考えたくない。 『やめやめやめ!』 駄目だわ、一人で酒を飲んでいると暗くなる一方。 誰か捕まえて一緒に飲もう。 よし、捕獲しにいこう。 私は酒瓶を持って立ちあがった。 『………こんな時に限って誰にも会わないものよね』 酒瓶とランプ片手に私は暗い廊下を歩く。 途中何人か兵士とかにあったりはしたけど、ことごとく目をそらされた。 これでまた、変な噂流されるのかしらね。 まあ、別にあんな雑魚どうでもいいけど。 ミカやネストリクラスの美形か、安定した収入を持つ家持ちの奴なら誘ってやってもいい。 にしても、誰にも会わないもんだ。 酒瓶重くなってたし。 本当に重いわ。 ちょっと軽くしよう。 はしたないけど、ラッパ飲み。 うん、おいしい。 どうしよう、もう諦めて帰って寝ようかな。 でもなあ。 せっかくいい夜なのに、こんな暗い気持ちで寝るのももったいない。 誰かに会わないかなあ。 お酒もおいしいのに。 うん、おいしい。 もう一口。 結構アルコール度高いな。 「あ」 そうだ。 こんないい夜、月を見ながら酒を飲むってのもいいんじゃないかしら。 でも、玄関からだと出してもらえないのよね。 前の塔とかでもいいけど、あれを登るのは死ぬわね。 うん、無理。 どうしよっかな。 バルコニーとかどっかないのかな。 前よりは外に連れ出してくれるようになったけど、未だに城の中は分からない。 どこかにいい場所ないかしら。 あ、そうだ。 あれがあった。 あの抜け道。 そういえば、あれはそんなに長い道のりじゃなかった気がする。 少なくとも塔よりはマシよね。 ランプもまだまだ蝋燭残ってるし。 行き帰りくらいどうにかなるんじゃないかしらね。 あ、どうせならあの村まで行くってどうかしら。 やだ名案。 馬でどれくらいだったっけ。 まあ、馬なんざ車に比べればどうってことないわよね。 むしろ馬って何よ。 馬とか笑う。 移動手段、馬。 駅近、馬10分 目的地まで馬車道を馬で2時間。 やばい笑えてきた。 ま、歩いたってそんなでもないでしょ。 だってたかが馬。 馬よ馬。 あの村のあのお酒、おいしかったなあ。 よし、飲みに行こう。 うん、ちょっといい気分。 気分を変えるのは悪くないわよね。 こんな腐った城で軟禁生活。 ノイローゼ一歩手前だわ。 少しぐらい、お散歩するのもいいわよね。 月を見ながら歩いて、おいしいお酒を飲みに行く。 もしかしたら素敵な出会いもあるかもしれない。 あの酒場でちょっといい男に出会ったりして。 35歳ぐらいの独身で真面目で高収入な感じの。 やだ、素敵。 うん、名案ね。 よし、目指せ抜け道! 私はもう一口酒を煽ると、弾む足取りで抜け道を目指した。 |