逃げなきゃ。
逃げなきゃ。
逃げなきゃ。

どこに。
分からない。
でもとりあえずあいつらのいないところにいかなきゃ。
足がもつれる。
息がうまく吐けない。
吸えない。
肺が痛い。
酔いの残る頭がクラクラする。

ああ、なんで酒なんて飲んじゃったんだろう。
なんで散歩になんて出て来たんだろう。

怖くて怖くて何度も後を振り向く。
声が聞こえるような気がする。
すぐ後ろに奴らがいそうで、足を止められない。
掴まったらどうなるの。
分からない。
怖い。

足が痛い。
もうこんなボロボロになった靴なんていらない。
脱いだ方がずっと早く走れる。

走りながら、靴を脱ぎ捨てる。
ああ、もどかしい。
もっと早く。
もっと早く走って。
もっと早く動いて、私の足。

運動神経、よくないのよ。
運動なんて全然してなかった。
ジムもサボりまくった。
最近では全く行ってなかった。
足が動かない。
私の馬鹿。
どうしてもっと運動しなかったのよ。

死にたくない。
涙が止まらない。
怖い。
怖いよ、助けて誰か。
お母さん、怖いよ。
お母さん、助けて。

「はっ、はあ、はっはっ」

うまく呼吸ができない。
肺が破れそう。
もう走れない。
でも止まれない。
一回止まったら、もう動けない気がする。
頭がガンガンする。

怖い。
助けて。
助けて。

ガサ。
前方から、草をかき分ける音がした。
悲鳴が出そうになったが、息が上がっていてそれも無理だった。

「*********!********************!!」

頭が真っ白になった。
自然に足がぴたりと止まる。
自分で足を止めたくせに、反動についていけずに上半身だけ前に出て、少しよろめく。

最悪だ。
剣を持って髪と同じぐらい怒りで顔を真っ赤に染めた赤毛がそこにいる。
どうして。
なんで。
どうして、前にいるの。
逃げてきたのに。

なんで。
なんで。
なんで。

いやだ!

急いで後を振り返って、赤毛から逃げようとする。
だが、足がもつれてその場に倒れこむ。

顔が堅い草で切れる。
痛い。
どこもかしこも痛い。

どうして。
どうしてこうなの。
どうしていっつもこんなんばっかり。

くそ。
なんで私ばっかりこんな目に遭うのよ。
どうしてみんな私の邪魔ばっかりするのよ。
どいつもこいつも死んじまえ!
なんで私が死ぬのよ。
誰が死んでもいいから、私だけは死にたくない。

「***************」

全身が凍りつくような、気持ちの悪い声が聞こえる。
振り返ると、男が嫌悪を催すいやらしい薄笑いを浮かべて近づいてくる。
何を言っているのか、わからない。
こいつの言っていることが、言葉として認識できない。

何も分からない。
なんで、どうして、なんで。

振り返って、男から距離をとろうとお尻で後ろに下がる。
男は嬲るようにゆっくりと距離を縮める。
立たなきゃ。
だめ、逃げられない。
立たなきゃ。
立てない。

ずりずりと下がっても、男の一歩ですぐに距離が縮められる。
どうして動かないのよ。
どうして私の体のくせに私の言うことを聞かないの。

男が大きな剣を私に向けようとする。
いやだ。
助けを求めて手で辺りを探る。
そこで気付く。
右手にまだ割れた陶器を握りしめたままだった。
砕けた陶器は鋭い切り口をのぞかせている。

頑張れ。
頑張れ、私。

男が更に一歩近づく。
左手で土を握りしめる。
ざらりとした、湿り気の少ない土。

どうせ、このままじゃ死んでしまう。
どうせ誰も助けちゃくれない。
だったら、死ぬ前に悪あがきしてやる。
そうよ、どうせこれは夢よ。
死んでも、夢が覚めるだけ。
この悪夢が消えてなくなるだけ。
元の世界に、戻れるわ、きっと。

酔っていてよかった。
思考が鈍っている。
恐怖が少しだけ薄れている。

男が更に一歩近づく。
絶対的優位を確信した、獲物を弄ぶ肉食獣の顔。

「あ!」

私は顔を上げて土を握りしめたまま、人差し指で男の後ろを指さす。
男は咄嗟につられて後ろを振り向く。
その隙に立ちあがる。
男がこちらに気付いて顔を向ける。
左手に握りしめた土を男の顔を思いきり叩きつける。

「うわ!くそ!******!!」

男が悪態をついて、目に入った土を取り除こうと顔をこする。
その隙に近づこうとすると、赤毛は見えない癖に剣を振り回す。

「きゃあ!」

風を切って、私のすぐ横を剣が通り過ぎる。
ぞくりと、背筋に寒気が走る。
当たったら、死んでいた。
恐怖で一瞬足が止まる。

でもだめだ。
止まるな。
動け。
怖いよ。
でも、止まるな。
死にたくない。
大丈夫、男はまだ目をつぶって顔をこすっている。
必死に自分を奮い立たせ、剣をなんとか潜り抜けて男の傍まで来た。

『えいっ』

右手にずっと持っていたすでに器の形をしていない陶器を振りかぶって男の腕に突き刺す。
割れて鋭い刃物となった陶器は、狙った通り肉を割いた。

ざくり。

冷凍のマグロを切った時のような感触。
いやな感触。
気持ち悪い。

「うわああ!!!」

男が痛みに、剣を取り落とす。
まだ前が見えないらしい。
手をあさってな方向に振り回している。

もう一度私は高く陶器を振りかぶる。
力をこめて思いきり、男の腕に突き刺す。

「ぎゃあ!!ぎゃああ!!」

耳障りな悲鳴。
嫌な感触。
服を切り裂いて、男の腕から血が溢れだす。
気持ち悪い。
でも、もう一度突き刺す。

「く、くそ!この女!!********死ね!」

男の左手が、私の腕を捕える。
そのまま引っ張られ、強い力で地面に叩きつけられる。

「きゃあ!」

地面に肩を打ちつける。
男が殺意に満ちた真っ赤な目で、見下ろしている。
右手からは血が後から後から溢れ出ている。
男の視線がどこかへ向かう。

剣だ。
剣を探している。
だめだ!

自分でも驚くような反射神経で、起き上る。
そして渾身の力で男のふくらはぎを刺した。

「ぐあ!!!」

蹴りあげられる。
お腹への衝撃に、息が止まって、目の前が真っ赤になった。

『つぅっ!!』

でも、止めたら、殺される。
踏ん張ってもう一度振りかぶって、刺す。

『くそ!くそ!』

何度も何度も突き刺す。
男がその場に倒れる。
血まみれの手で髪が引っ張られる。
あの手に掴まったら、死んでしまう。

腕を刺す。
肩を刺す。
瓶が砕けた。
一番大きな欠片を拾う。
手に陶器が突き刺さる。
痛い。
気にしない。

両手でしっかりと欠片を握って、振りかぶる。
一瞬、躊躇う。
怖い。
冷凍のマグロを切るような、感触。
血まみれの男。
気持ち悪い。

でも、男の眼が私をとらえる。
濁った赤い目。
いやだ。
死にたくない。

『くそ、くそ、死ね!』

男の目に、欠片を突き刺す。
見ていられなくて目を強くつぶった。
桃を切るような、柔らかいような、堅いような、感触。
手に生暖かい液体がかかる。
気持ち悪い。

「ぎゃああああ!!!!!!!ぎゃああああああああああああああ」

血の底から響くような叫び声が森に響く。
髪を引っ張られていた手が、離れる。
男を見ないようにして、私は後を振り返る。

男が後ろで苦しんでいる気配がする。
叫び声がいまだ聞こえる。
耳の奥に入りこみ、脳を揺らす。

やめて、もう叫ばないで。
いやだ見たくない。
見たくない。
血まみれの両手も、見たくない。
血まみれの陶器の欠片が手の平に突き刺さっている。

痛い痛い痛い。
もういや。
いやいやいやいや。
でも、死にたくない。
逃げる。
逃げる。

手を無理やり開くと、メリメリと音がしたような気がした。
皮膚が剥がれおちて、血が溢れだす。
痛い。
怖い。
涙で前が見えない。

陶器の欠片を放り投げて、立ちあがる。
けれど、足がまたもつれて倒れる。
倒れてる場合じゃないのよ。

『くそ!くそ!くそ!』

足を殴りつけて、無理矢理手でひっぱり起こす。
なんとか、よろよろと立ちあがる。
裸足の足はもう限界。
手も痛い。
体は打ち身だらけ。

でも、逃げる。

そして駆けだそうとした、その時。

「*******!**********************!!!」

鬼のような形相をした男が二人、目の前に現れた。





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