なんだか背中がごつごつとして痛い。
それに気のせいかぐらぐらと揺れるし、寝心地がよくない。
ベッドにいるはずなのに、なんでこんな痛いんだろう。
ていうか揺れすぎて気分が悪くなってきた。
また飲み過ぎか。
また二日酔いか。
ていうかもしかしてベッドから落ちてるのか。
いやだなあ、起きたくないなあ。

「うー………」

でも、揺れは酷くなる一方で、寝ていることも耐えられなそうだ。
まだ眠いのだが、起きなきゃいけないだろうか。

「セツコ、起きて起きて」
「うはっ!?」

その時いきなり声がかけられて、一気に覚醒する。
耳慣れない声だった。

「さあ、起きて。出かけましょう?」
『え、は?なに?』

目を開けると、そこは最近馴染んだ石造りの部屋ではなかった。
年季が入った、けれど綺麗に磨かれた木の板に囲まれている。
て、私が今寝てる場所も木の板だ。
てか、なんだこの目の前の足は。

「起きたかしら?」

足を辿って上を向くと、そこには私を見下ろしてにっこりと笑うブラウンの髪の美女がいた。
なんで私は床で寝ていて、この女に見下ろされているんだ。

「えっと」
「起きて、着いたわ」
『着いたって』

寝っ転がったまま、辺りをきょろきょろと見渡してようやく気付く。
ここは、私の部屋じゃない。
木で出来た四角い箱に簡単な木の椅子が付いているこれは、見覚えがある。

『馬車!?』
「ええ」

慌てて身を起こしてもう一度辺りを見渡す。
やっぱりどう見ても、そこは馬車だった。
なぜ、なんで。
私は昨日、自室で寝ていたはずなのに。

『何!?ここどこ!?』
「街よ。今日もお買いものしましょう」
『な、なんで!?』

何がどうなって街に出ているんだ。
一体何があったんだ。
ここはどこ、私はどこ。

「今日は何を買おうかしら。あ、その前に着替えないとね」
「え、ちょ、ええ!?」

目の前の美女、カテリナが私の襟もとに手をかけて脱がそうとする。
イケメンの男に脱がされるのは大歓迎でも、女に脱がされる趣味はない。

『ま、待った待った待った!』

慌ててその手を振り払い、ずりずりと身を引く。
父親譲りのブラウンの目をキラキラと輝かせて、カテリナは近づいてくる。

「待って!」

服を抑えて、手を前に突き出し、その動きを制する。
とにかく状況を整理したい。
落ち着いて、落ち着くのよ、私。

『ここ、どこ!?』
「馬車の中」

つーか、こいつ本当に私にあの下衆魔法かけてんじゃないだろうな。
なんで会話が成立してんだよ。

『………変態ドSビッチ』
「なあに?」

カテリナはにこにこと笑いながら首を傾げてる。
本当に分かってんじゃないだろうな。
いまいち信用出来ない。
やっぱりこの女は信用できない。
とりあえず、今は、落ち着いて状況を把握しなきゃ。
焦った時は現状把握が何よりも大切。
焦ったままことを起こしても失敗するだけだ。

「なぜ、馬車、いる?ここ、なに?馬車の中、分かった。この場所、どこ」

カテリナは艶めかしいくせに愛らしくふふっと小さく笑う。

「街よ」
「なんで、私、ここ、いる」
「連れてきたから」
「………」

またこのパターンか。
どうしてどいつもこいつもこの世界の人間は言葉が通じないんだよ。
これが世界標準なわけ。
そんなグローバルスタンダードなら鎖国しちまえ。

「セツコったら起こしても起こしても起きないんだもの。仕方ないから運んでもらったの」

いや、流れはなんとなくわかったけど、動機も意味も理解できない。
なんで寝てる人間が起きないから運ぶって発想になるんだ。
さっぱり分からない。
私がおかしいのだろうか。

「えーと」
「だから着替えて出かけましょう?お腹も空いたでしょう」
「いや、お腹は、空いてない」

昨日の酒が抜けきっていない上に今揺られていたせいでだいぶ気持ちが悪い。
ベッドが恋しい。
眠い。

「私、帰る、したい」
「駄目よ」
『おい』

なんだ、この女。
どこまで自己中なんだよ。
殴りてえ。

「ふふ、私に付き合ってくれたら、帰してあげる」
「………」

うわ、なんかこういう勘違い女いたよなあ、あっちにも。
いや、でもこういうの、男に発動することはあっても女に発動はしないよな。
なんだ、この女もしかしてそっちのケがあるのか。
やめてくれ、私は完全ノーマルだ。

「さ、私は外に出てるから、早く着替えてね」

身の危険を感じて思わず身を引くと、カテリナは小さく笑う。
そして、服を一式馬車に置くとひらりと身を翻して下りて行った。

『………逃げられないのか』



***




不貞寝を決め込もうとしたが、あの狭い馬車の中にいるのも気が滅入るし気持ち悪くなりそうだ。
それなら覚悟を決めてさっさとあの女に付き合って帰った方がいいだろう。
帰ったらネストリでもミカでもいいから、この女を近づけないようにしてもらおう。

「あら、よく似合うわ。かわいい」
「………」

いつもより着心地のいいワンピースを身に纏うと、外で待っていたカテリナが手を叩いて喜ぶ。
礼を言う気には勿論なれない。

「はい、これも身につけてね」
「………」

黙ったまま突っ立っている私の腰に、昨日貰ったナイフのベルトを巻きつける。
やっぱりこれ重いんだけど。

「いらない」
「そんな暗い顔しないで、可愛い顔が台無しよ」
「………」

言葉の通じなさではネストリ以上。
もう駄目だ、苛々が頂点に達しそうだ。
でも、ネストリには通じる罵詈雑言は、こいつには通じない。
いっそ、魔法をかけてもらったほうがいいのだろうか。
いやまて落ち着け、絶対ごめんだ。

「とりあえず朝食を取りに行きましょう。何が食べたい?」
「食べたくない」
「じゃあ、軽いものにしましょう。そこのパン屋が美味しいのよ」

ミカにだったら簡単に死ねとか言えるが、なんとなく女には言いづらいのはなんでだろう。
心の中では女を罵倒してることが多かったが、口に出すのはなんとなく男に対する罵倒だな。
なんでだろ。
女同士の悪口大会でも、罵倒は遠まわしな表現多いし。

「大丈夫、セツコ?」
「大丈夫、ない」
「気をつけて、人が多いから」
「帰りたい」
「はぐれたら大変だわ」
「人の話聞け」

しかしいい加減本当に怒鳴りつけそうだ。
落ち着け。
帰ったらきっぱり絶縁しよう。
どうせこの女、今の時期が過ぎたらいなくなるはずだ。
そうだ、分かった。
女の方が敵に回した方が面倒だから、面と向かって言えないんだ。
よし、適当に付き合って、早くやり過ごそう。

「………人が、多い」
「カレリアの建国記念日が近いから、国中から人が集まって、そして、****からも人が集まっているのよ」
「****?」

カテリナは基本的にゆっくりと優しい言葉で話すが、ところどころ単語が分からない。
聞き返すと、カテリナは一つ頷く。

「ああ、そうね、ごめんなさい、近くの国、から、人が集まってきているの」
「なるほど」

近隣諸国ってことだろうか。
戦争してるって話だが、その辺の行き来はいいのか。
国境とかどうなってるんだろう。
島国日本、国境は税関ぐらいしかわからない。

「お父様を一目見ようと、沢山の人が集まるわ。もう本当に沢山」
「あの馬鹿な王を?」

あいつなんてもう見慣れて見飽きて見たくもないわ。
いや、酒飲む相手があいつが多いからいないとそれはそれで困るんだけど。
いい酒持ってきてくれるし、いくら酒飲んでも怒らないし。
ああ、結構いい奴だな。
いなくなっても困るわ。
いやちょっと待って、あいつがいなきゃ私が今こんなことになってないんだ。
なんかもう最近、色々と、何が正しくて何が正しくないのか分からなくなってきている。

「お父様は素晴らしいわ。これほどの国を創り上げ、治めている。本当に尊敬しているの。お父様が私の敵だったらさぞかし楽しかったでしょうね」
「えーと」

嬉しそうに表情を輝かせてミカを賞賛しているカテリナは、本当にミカを尊敬しているのだろう。
でも、そのなんか今怪しげな単語が入ってなかったか。
気のせいか。

「でも、私はこのカレリアを愛しているの。だからこの国のためになることをしたいわ」
「はあ」

まあ、いいや。
私には関係ない。
気にしないことが一番だ。
こいつらがどんな親娘関係を築こうと、家庭の問題は家庭裁判所ででもやってくれ。

「さ、ご飯を食べたら何を買おうかしら」
「帰りたい」
「昨日はドレスと宝飾品を買ったから、今日は化粧品を買いましょう。あなたも化粧しないと」

化粧もさせないで城から引きずり出したのはどこのどいつだ。
人の迷惑って言葉を一から学び直せ。
日本の空気読むって文化を一からたたき込んでやろうかこの非常識女。
って言ってやりたいけど言葉が出てこない。

「帰りたい。聞け」
「さあ、行きましょう」
「わ、ちょっと」

そして手を引かれて、私はくるくると今日も市場を引きずりまわされた。
軽いサンドイッチのような食事と、ヨーグルトのようなデザートはそれはそれでおいしかった。
悪くなかった。
買ってもらった化粧品も、いつものよりいい品だった気がする。
でも、早く帰りたい。

「ほら、セツコ、次はあっちよ」
「帰りたい!」
「髪飾りも欲しいわね」
「聞け、この馬鹿女!」

もうそろそろ何でもよくなってきた。
いくらでも罵れそうだ。

「あ、あれ」

仕方なく市場を見てると、不意に目に入ったものがあった。
それは陶器制の壺のようなものだった。
白地に赤と青で色づけされていて、どことなく和風な色合いだった。
思わずその場で、立ち止ってしまう。
懐かしさに、胸がぎゅうっと痛くなった。

「………」

ここの生活は日本を連想させるものなんて全くなくて、思いだすことも少なかった。
食事も生活も何もかも、日本が恋しくはなったが、思い出させるものがなかった。
でも、今不意に、リアルに日本が思い出された。

「………ねえ、カテリナ、あれ」

大分見惚れてから隣を見ると、そこには知らないおっさんがいた。
おっさんは急に話しかけた私に怪訝そうな顔をしている。
慌てて辺りをきょろきょろと見回すが、見知った長身の女性はいない。

「カテリナ!?」

慌てて駆けだして、名前を呼ぶ。
人ごみの中を逆流して、何人もの人にぶつかって、前に進めない。
人の波が私を押し戻そうとする。

「カテリナ、カテリナ!」

しばらく探し回って、疲れて一旦立ち止まる。
周りには知らない人が不審そうな目で私を見ている。
見知った人間は、誰もいない。

「………え、嘘」

誰も、いない。
私はただ雑踏の中、立ち竦む。

「もしかして、………迷子?」

この年で迷子とか、なんの冗談だ。





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