グレイの髪の男が、明らかに私を見て、顎で外に出ろと促す。
やっぱり私か。
私なのか。
また恐怖がじわじわと蘇ってきて、体が震える。
唇も震えて、喉が渇いてぺったりと張り付くようで、声が上手く出せない。

「な、何」

怖くてマリカの影に隠れるようにして聞く。
細い子の影に隠れても隠れきってないし、何の解決にもならないのは分かっているが、とにかく怖かった。
少しでも、冷たい目をしているグレイの髪の男の視線から逃れたかった。

「いいから出ろ!」
「っ」

グレイの髪の男が、低く鋭い声でもう一度促す。
恐怖に促されるまま、よろよろとなんとか立ち上がる。
それ以外に、何も出来ない。
言うことを聞くしかない。
嫌な予感が、墨汁を零したようにじわじわと胸の中に広がって行く。

「こっちに来い」

助けに来て、助けに来て、助けに来てよ。
今来たら何でも許すわよ。
今までされたことを全部許す。
だから助けて。
誰でもいいから助けて。

もう我儘言わないし、酒も飲まない。
何でもするから助けて神様。
お願いもう悪いことしないから。
神様を信じるから。

「………」

バランスが取りづらくて、足ももつれて、転びそうになる。
男が中々歩けない私に舌打ちをして、腕を引っ張る。

「うあっ」

逆にその勢いでバランスを崩して、倒れ込んでしまった。
足を打って、じんじんと響く。

「この****!」
「ぐぅっ」

男が苛立ち、何かを吐き捨てると、蹴りあげられた。
うずくまったままだったお腹に男のブーツが食い込み、内臓を抉られる痛みが走る。

「けほっけほっ」

痛い痛い痛い痛い。
痛い。
涙がまた溢れてくる。
止まらない。
痛い。
もうやだやだやだやだ。
痛いのは嫌。
いやだよ、嫌。
帰りたい。
助けてよ、アルノ、ミカ、エリアス、ネストリ。
助けて。

「おい、まだか」

薄汚れた金髪の男が、ドアから入ってくる。

「この女が****なんだよ」
「さっさとしろ」

薄汚れた金髪の男が舌打ちして近づいてきて、私の腕を引っ張る。
お腹が痛いし、バランスがとれないし、立ち上がることも出来ず、膝立ちのまま石畳の上をずりずりと引き摺られる。
足が擦れて、膝を打って、痛い。
お腹がじんじんと痛い。

「待って。どこに連れていくの」

澄んだ高い声が、部屋の中に響く。
痛みでいっぱいの頭の中に、それは涼しげに聞こえた。
男の足が止まって、私もその場に座りこむ。
痛みが少しだけなくなって、詰めていた息を吐く。
助けて。
誰でもいいから助けて。

「質問に答えてもらうだけだ」

金髪の男がうざったそうに、それでもマリカに答える。
助けてマリカ、お願い。
こいつらを止めて。

「彼女はこの国の人じゃない。酷いことしないで」
「正直に答えるなら何もしない。だが何も答えないなら指から切っていく」

痛みが一瞬吹っ飛んで、涙で滲んでいた視界がはっきりと広がる。
俯いていた顔をあげて、男たちの顔を見る。

「え………」

なんて、言った。
今なんて言った。
何を言ったの。
私のヒアリングが間違っているの。
そうよね。
そうよね。
指を切るとか、映画の中でしか見たことがないんだけど。
あれよね、責任を取れとかでやる奴よね。
私は責任取るのは退職が精いっぱいなんだけど。
指を切るとかそういうアンタッチャブルな職業の人達の責任の取り方は、私は社員研修でも習ってないんだけど。

「彼女が何かしたの?」
「分からん。だから聞く」
「ひっ」

グレイ髪が、腰の辺りからナイフを取り出し、にたりといやらしく笑う。
その表情は、以前森の中で会ったあいつらによく似ていた。
嫌悪感にざわりと全身が総毛立つ。
気持ち悪い。
吐き気がする。

「な、何、なんで」

私の何が聞きたいのよ。
別にそんなことしなくてもなんだって答えるわよ。
スリーサイズから職歴、初恋の男の子の名前だってなんでも答えるわよ。
この際体重だって言ってもいい。
でもこいつらが求めてるのは、多分そういうことじゃない。
こいつらが聞きたい情報なんて私は何も知らない。

「な、何、聞く。知ってること、全部言う。私、何も、知らない。」

後ずさりしたいけれど、腕を掴まれたままなのでそれも出来ない。
必死に泣きながら首を横にふって、訴える。
自分でも驚くほど、弱々しく消え入りそうな声しか出ない。

「それならそれでいい。最後まで知らないと言うならそうなんだろう。どれくらい小さくなれるか楽しみだな」

グレイ髪と金髪が顔を見合わせて、更に嫌悪感を催すような汚い笑い方をする。
最後って何よ。
どういうことよ。
私は何も知らない。
でも何も知らないって言ったら、答えないってことにされるの。
どういうことよ。
何その無茶ぶり。
結局私は何をしたって指を切られるってこと。
嫌だ。
なんでそんなことされないといけないんだ。

「嫌、やだ、やだ!」
「うるさい。黙れ」
「嫌っ!」

身をよじって手を振り払おうとするが、さらに力を込められてキリキリと痛む。

『放して放して放して!嫌!』

暴れても、まったく手は緩まない。
嫌だ嫌だ、こんなの嫌だ。

「とりあえず一本切り落としておけばいいんじゃないか」
「そうだな、腕一本でもいいか。まだ指は沢山残ってる」
「ひっ」

グレイ髪が私をその場に引き倒し、後ろ手に結ばれた手を掴む。
胸を打ちつけて痛いし、肺が圧迫されて息が出来ない。
でも、それどころじゃない。
嫌だ。

『げほっ、かはっ、いや、やだ!やめて、やめてやめてやめて!放して、放せ!放せ、放して、お願い!お願い、なんでもするから!やめて、お願い!』
「うるさい!」
『痛い!』

頭を思い切り床に押し付けられて、額と鼻を打つ。
目の前にチカチカと火花が散って、涙が更に溢れてくる。
鼻の奥がツーンと痛んで、喉の奥に鉄の味が広がる。

「うわっ」
「ぐっ」

男の悲鳴が聞こえる。
拘束が、揺るまる。

「セツコ、走って!」
「え」

澄んだ声が、私に何かを命令する。
よく分からないまま、それでも反射的に芋虫のように這いずりまわって、なんとか体を動かそうとする。

「この女!」

後ろでバタバタと暴れている音がする。
中々起き上がることが出来ない。
体のあちこちが痛い。
手が使えないから、何度も滑ってはまた体を打ちつける。
でも逃げなきゃ。
ここから逃げなきゃ。

「あ、あ、あ」

なんとか上体を起こし、後ろを振り返る。
するとそこにはナイフを持った少女が、その細い腕をグレイ髪に掴まれているところだった。
その横では金髪が、喉を押さえて蹲っている。
顔を伏せているからどうなっているのか見えないが、 赤黒い液体がぼたぼたと溢れて垂れている。

「がはっ、ぐぼ、ひゅっ、………ぐっ」

金髪がひゅーひゅーと言う隙間風のような音と、壊れた水道のような音を立てている。
ぼたぼたと金髪から溢れた液体で、赤い池が床に出来ていく。
その光景が、何が何だかよく分からず、ただ見ている。
生臭い。
気持ち悪い。

「死ね、****女!」

グレイ髪がマリカを押し倒して、思い切り蹴りあげる。
細くて薄い体は、まるで玩具のように跳ねあがった。

「マリカ!」

マリカが危ない目に遭っているということだけは、なんとか認識できた。
思わず駆け寄ろうとすると、マリカがうつ伏せになったまま、顔をなんとか上げる。

「逃、げてっ」

腫れた頬を歪めて、絞り出すような声でそれだけ告げる
グレイ髪がもう一度蹴りあげると、どかっという嫌な音がした。

「あ、あ、あ、あ」

ボロ雑巾のように汚れていくマリカ。
赤い池の中に崩れ落ちているグレイ髪。

嫌な光景。
見たくない光景。

逃げたい逃げたい逃げたい。
逃げよう。
逃げよう。
マリカも逃げろって言ってる。
じゃあ、逃げよう。

私何も出来ないわよ。
人のことなんて知ったこっちゃないわよ。
誰が死のうと誰が痛い目に遭おうと関係ないわ。
私が悪いんじゃない。
悪いのはこいつらじゃない。
私は悪くない。
マリカが死のうと私は悪くない。
私は死にたくないの。
それにマリカだって逃げろって言ってるし、いいじゃない。
それならいうとおり逃げよう。

死にたくない死にたくない死にたくない。
会って1時間も話してない人間なんて知るもんか。
私は私が一番大事なの。
当たり前でしょ。
痛いのは嫌い。
死にたくない。
他の誰が死のうと、私だけは生き残りたい。
他人なんて知るもんか。
周りが全員死ぬことで私が生き残るならそれでいい。

全員死んじまえ。
私は生きる。

立て。
走れ。
逃げろ。

私は悪くない。
誰が死のうと、知ったこっちゃない。
死にたくない。

『死に、たくない!』

叫んで、跳ね上がるようにして、立ち上がった。





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