マリカはそのまま、私の膝の上でひとしきり泣いた後眠ってしまった。
痛々しく腫らした、けれどあどけない寝顔。

「………寝ちゃった」

ひとまず私のベッドに寝かせたマリカは、今は穏やかな呼吸で繰り返している。
傍らで眠る幼い少女を見ていると、なんだか胸の奥が苦しくなってくる。

「その子もかなりひどい怪我をしています。あなたに会いたいと興奮して聞かないから連れてきましたが、本当なら安静が必要です」

私になにやら痛み止めの術をかけるために残っていたネストリが、マリカを見て小さくため息をつく。
あの血まみれの家から助け出され、城に連れてこられる間もずっと、マリカは私のことを心配してくれていたらしい。

「………マリカ」

さらりとした感触の明るい栗毛を撫でると、ますます胸が苦しくなってくる。
なんでこの子は、そんなに出会ってほんの少ししか経っていない私のことを心配してくれたのだろう。
私なんて何度も何度もこの子を見捨てようとしたのに。
足手まといだとイラつき、私のために犠牲になれとすら思った。
そんな私に、この子はどうしてこんなにも優しいのだろう。

「結果が全てですよ」

ついでに包帯を変えてくれていたネストリが、私の思考を読んだのかそんなことを言った。
マリカから視線を移すと、ネストリはいつものように人を食ったような笑顔を浮かべていた。

「結果?」
『ええ、あなたはこの子をかばい、自分が傷つき、それでも守り通した。自分の身を呈して命がけで救った。この子は深く、あなたに感謝した』

確かに結果的には、そうなった。
一つでも間違えば、私はこの子を見殺しにした最低な女になっていただろう。
でも、結果的にはそんな美談になってる。

「それが周りの人に見える全てです。そのほかのことなんて、誰も分からない。だからことこのことに限り、あなたはこの子を救った英雄だ」

結果が、全てか。
あっちの世界にいるときにも何度も思った。
どんなに卑怯なことしても、人に嫌われても、結果的に最後に成功すれば、それは勝ちなのだ。
見えないを努力しても、人にどんなに優しくしても、結果が伴わなければ、それは負けだ。

「まあ、確かに、それが、全てよね」

それで行くと、私は確かに、この子を守り通した。
だったら、誇ってもいいはずだ。
それでも、胸に湧く罪悪感から目をそらせないのだけれど。
マリカはこんなにも純粋に、人のために頑張れる子なのに、私は、そうはなれない。

「実際、あなたはよくやったと思いますよ。怪我をしても、最後まで頑張った」
「え?」

悪魔からの珍しい賞賛の言葉に、思わず顔を上げる。
ネストリはまっすぐに私を見て微笑んでいた。

「まあ、自分も守れない人間が、人を守るなんて身の程知らずな行動だとは思いますが」
「褒めろ。普通に」

まあ、これがデフォルトだよな、こいつは。
むしろ素直に褒めたら何か企んでいるのか、天変地異の前触れかと余計に疑心暗鬼に陥る。

「失礼ですね」

そこでドアが軽くノックされて、扉が静かに開く。
眼鏡をかけた赤毛の青年が、優しく微笑みながらお盆片手に入ってきた。

「お茶です、セツコ。少し苦いですが、怪我にいいお茶です」

暖かな湯気を放つカップをそっと差し出してきてくれる。
青臭い匂いは少し嫌だったが、エリアスのお茶が懐かしくて、心がふわりと温かくなる。

「ありがとう」

手からもじわじわとぬくもりが染み渡っていく。
ああ、帰ってきた。
帰ってきたんだ。
日常に、帰ってきた。

「頑張りましたね、セツコ。あなたが無事で、本当によかった。こうして、あなたのためにお茶を淹れることができて、本当に嬉しいです」

このへたれ赤毛も、どうしてこんなに優しいのだろう。
私、結構この人にひどいことしてるのに。
みんな、どうしてこんなに優しいのだろう。

「………」
「わ、な、泣かないでください!な、なんか私言いました!?」

涙が自然とあふれてきて、頬を伝っていく。
感情の制御がうまくいかない。
帰ってこれたことが、嬉しい。
この場にいられることが、嬉しい。

「ううん、あなた、いつも優しい。いつも、ごめんね。ありがとう」
「え、い、いいえ?」
「ありがとう」
「う、えええ!?」

涙をぬぐってお礼を言うと、エリアスが顔を真っ赤にして思いきり首を横に振る。
そんな仕草がエリアスらしくて、自然に頬が緩んでくる。

「珍しく殊勝ですねえ。いつまで続くのか」
「お前は、死ね、悪魔」

なんて優しい気持ちも、隣にいる悪魔のせいですぐに霧散してしまう。
今世界中に感謝して、珍しく穏やかな気持ちになってたのに、こいつのせいで台無しだ。
どうしたらこんな人の心を持たない鬼畜に育つのか、成長過程が見てみたい。

「その調子でお願いします。大人しくなったらつまらない」

私はお前の玩具として生きてるわけじゃない。
そうだ、カテリナの玩具として生きてるわけでもない。
こいつとカテリナだけは、何があろうといつか絶対殴ってやる。

「本当にカテリナには困ったものです」
「………あなたが言いますか、ネストリ」
「ええ、本当に馬鹿な弟子を持って頭が痛いです」

ふうっと困ったようにため息をつくネストリに、珍しくつっこみをいれるエリアス。
けれど、人の心を持たない悪魔は、苦笑して首を傾げるだけだ。
人の心ってどこで売ってるのかしら、こいつにプレゼントしてあげたい。

「………なんで、カテリナ、怒らない」

ミカに叱られはしたらしいが、そんなの全然足りない。
人ひとり殺しかけて、それだけで済むなんて有り得ない。
同じ目に遭わせろとはもう言わないが、せめてブタ箱入って、臭い飯食ってろ。

「カテリナはこの国に必要な人間ですし、建国記念日も近いですし、王家の人間の間で無暗に騒ぎは起こしたくないので」

ネストリがひょいっと肩をすくめて、まったく悪びれない様子で答える。

「普通の人間、酷い目に遭わせたのに!」

何が国だ。
何が王家だ。
民間人を守れなくて、ていうか積極的にひどい目に遭わせておいて、何が騒ぎを起こしたくないだ。

「民間人一人で敵の**を二つを潰せたなら**ですね。建国記念日での活動も制することができる。これから出ただろう犠牲を思えば、彼女の行動は**される」

しかしネストリは私の怒りなど気にせず、淡々と答える。
つまり、私一人が死んであいつらが潰せたなら万々歳ってことか。
なんだそれ。

「ネストリ、やめてください」
「事実です」

私は法治国家で生まれたの。
法の裁きは、等しく万人に適用されるべきだ。
人の命は地球より重いの。
ていうか私の命が地球より重いの。

「………」

怒りをどうやって言葉にすればいいのか分からない。
そんな粗末な扱いを、なんでうけなきゃいけないんだ。
あいつらは何様なんだ。

「カテリナはとても優秀な人間です。剣の腕は国内でも有数、******は陛下に次ぎ、ヴァロとピメウスの能力では私に次ぐ」

何言ってんだかわからねーよ、この馬鹿。
頭がいいっていうなら、人が分かるようにしゃべれこの人外生物。

『ああ、政戦両略が陛下に次ぐ、です。政略も戦略も、ついでに言えば戦術も、彼女の能力は国内でもそうはいないほどに優秀なんです』

だからなんだ。
それで罪が免除されるのか。

「女性ですから体力なども不利な面がありますが、それすらものともしないほど、彼女は優秀だ。今回も、潰したのは二つだけではなく、そのほかにも******して、***をあと三つほど潰しています」
「………」
『あー、あなたが捕まっていた拠点だけではなく、その他にも、暇つぶしに残り三つ拠点を潰しています。彼女の功績を讃えこそすれ、罰するなんてありえない』

私をこんな目に遭わせたくせに。
何が有能だ。
本当に有能なら、誰も傷つけずにあのテロ組織を壊滅させてみろ、あの無能女。

「正直、アレクシスよりも彼女の方が王にふさわしいという意見は消えないんですよねえ」
「ネストリ。それぐらいで」
「まあ、その能力を完全に打ち消すぐらい******なんですけどね」
「………」
『人望がないんです。驚くほど。彼女が王になったら反乱を起こす人間が出るのは確実だろうってぐらい、民に嫌われてるっていうか、怖がられているんです』

当たり前だろ。
あの女のどこに慕う要素があるんだ。
石を投げられても当然なぐらい、最低な女だ。

「カヤーニの魔女」
「………魔女?」
『はい、彼女が統治している土地の名をとって、そう言われています』

悪い意味でつかわれる、女性の化け物といった意味だ。
前に習ったことがある。
あの女にぴったりな名称だ。

『戦場でも本当に優秀なんですけど、あからさまに人を駒扱いするんで上官としては慕われないんですよね。熱狂的な信奉者がいたりもするんですが』
「………」
「まあ、どちらにせよ、この国にとってあなたより彼女は必要な存在だ。だから、どちらを取るかなんて分かりきったことです」
「………」

確かに私は、とるに足らない人間だ。
死んだって誰も悲しまないかもしれない、ちっぽけな存在。
何かの役に立っているかと言われれば、絶賛ニートごくつぶし中だ。
この世界では、本当にただの役立たずな存在。

「ネストリ、これ以上言うなら黙らせます」
「怖いですねえ。本当のことを言っただけなのに」

エリアスが怖い声で、ネストリの言葉を止める。

「セツコ、気にしないでください」
「………」

所詮私は、この世界ではいらない人間だ。
言葉も分からず仕事もできず、何も成せず酒を飲むだけの日々。
こんな人間、確かにあの女とは比べものにならないだろう。

「………ちょっと待って」
「はい?」

でも、ちょっと待ってよ。
私は確かにこの世界では役立たずだ。

「私、別に、この国に必要な人間、ない」
「はあ」

目の前に座っていたネストリを思いきり睨みつける。
この息をする産業廃棄物は、無駄に容姿だけはいい。

『私はね、好き好んでこの国っていうか、この世界にいるわけじゃないの。だから、別にこの国に有用な人間じゃなくてもいいの。つーか、むしろこの世界にいるのがおかしいの。だからこの国に必要とかありえないの』

確かにこの世界では役立たずだ。
でも、そもそも別にこの世界で役に立ちたいわけじゃない。

『勝手に連れてきて、お前はこの国に必要ないとか、何様だ、お前は!つーか全部あんたのせいなんだよ、あんたの!あんたが諸悪の根源でしょ!?あんたが連れてこなきゃ、私は痛い思いもしなかったし、あんな女に関わることもなかったの!なに上から目線でえらそうに語ってんの!?野球中継見て俺ならこんな作戦はしないとか語ってるラーメン屋の親父かよ、あんたは!!』

自分が悪い癖にすべて棚に上げて、まるで人に非があるように言いやがって。
そう簡単に丸め込まれると思うなよ。
タチの悪い営業の無茶ぶりには慣れてんだからな。

『前提が間違ってんのよ、この悪魔!頭沸いてるの!?』

殴りたかったが、体がうまく動かないし、反撃に遭ってもいやだ。
だから、罵倒するにとどめておいた。

「あはは、確かに。まあ、そういう訳で今はことを荒立てられないんですよ。すいませんね」

けれどネストリはやっぱりまったく堪える様子はなく、むしろ楽しそうに笑っている。
ああ、そういえばこいつ真正だった。
もう本当にこの憤りをどこにぶつければいいんだ。
さっきまで落ち込んでいたが、今は怒りで頭がいっぱいだ。

「元気出てきたみたいですね。よかったです」
「あんたのせいで、元気、じゃない!」
「いやー、心配してるんですよ?本当に?」
「嘘つけ!」
『ちなみにカテリナも、今回は本当にこんな目に遭わせるつもりはなかったみたいですね。あんまり。試しにやってみただけで』
「知るか!」

あまりにあまりな言い分に、つい身を乗り出してしまう。
ベッドから落ちそうになるところで、そっと体が支えられた。

「興奮したらいけません」
「………ティモ」

実はずっと部屋にいたティモが、そっとまたベッドに戻してくれる。
なんか置物のようにずっと立ってるから忘れてた。
アルノが護衛として置いていってくれたのだ。

「………ありがとう」
「いえ」

そういえば、この人には結構助けられたのだ。
あの時も、ティモが助けにきてくれた。
そこで、思い出してしまった。
思い出したくないのに、思い出してしまった。

「………あの」
「はい?」

私はあの時、汚れていたのだ。
恐怖と痛みで漏らしてしまっていたのを、なんとなく覚えている。
そして、そんな私を運んだのは、確か、この男だ。

「そ、その」
「はい」

ティモは中々話し始めない私を、辛抱強く待っていてくれる。
なんか、無愛想だと思ってたけど、結構いいやつなのかもしれない。
表情はあまり変わらないけど、いつもさっと手を貸してくれるし。

「えっと、ごめんなさい」
「何がですか?」

ティモは表情を変えずに首を傾げる。
何がって、言わせる気か。
察してくれ。

「そ、その、あの時、助けてくれた。城まで持っていってくれた」
「いえ、当然のことです」
「そ、その、私、汚かった」

さすがに恥ずかしくて、声が小さくなってしまった。
でも、やっぱりこれは謝っておいた方がいいだろう。

「ああ」

俯く私に、ようやく何を言っているのか思い至ったのかティモが頷く気配がする。
それから無愛想な声のまま言った。

「気にしないでください。****の****より全然臭くないし汚くない」
「えっと」

よくわからない単語が出てきた。
隣を見ると、ネストリが肩を軽くすくめた。

『腸をぶちまけた死体より臭くないし汚くない、と言ってますね』
「………」

黙り込む私に、エリアスが手をパタパタと振ってフォローに回る。

「か、彼は悪気はないんです、セツコ」
「何か私が変なことを言いましたか、隊長?」
「………ティモ=ユハニ、お前はもう少し言い回しを気を付けた方がいい」

ティモはよくわからないというように不思議そうに首を傾げている。
ああ、本当に、この世界はこんな男たちばっかりか。





BACK   TOP   NEXT