「はあ」 包帯を代えてくれているマリカを見ながら、思わずため息が漏れてしまった。 マリカが私を見上げて、心配そうに眉をひそめる。 「セツコ様、顔色悪いです。大丈夫ですか?」 「大丈夫。ちょっと寝不足」 「お休みになりますか?」 「ありがとう、大丈夫よ」 この一週間ぐらい、あまり夜に眠れていない。 怪我は治ってないし、術を弱くしてきてるから、痛みも感じるようになってきた。 動くのにも体力使うし、体はとても疲れている。 なのに、夜になると眠れなくなる。 夜の暗闇は、嫌なことを色々考えてしまう。 帰りたい。 でも帰るのが怖い。 帰れなかったらどうする。 ここで、生きていくの。 どうやって生きていくの。 私に何が出来るの? 出来ることがあるの? あちらの世界でもこちらの世界でも、私に出来ることは、あるの? そんなことばっかり考えてしまって、ちっとも眠れない。 ようやくうとうとして眠れたかと思うと、悪夢を見て飛び起きたりもする。 昼間は眠れるのだけれど、夜が辛い。 夜はネガティブになってしまう。 「………はあ」 「セツコ様?」 「大丈夫よ、ありがとう」 酒が飲めないって辛い。 酒を飲めれば、ぐっすり眠れるのに。 内臓に影響があるからってことで、まだ飲酒の許可が出てない。 酒が飲みたい。 酒。 酒が飲みたい。 飲めば全部忘れられるのに。 「はい、巻けました。痛くないですか?」 「うん。ありがとう。痛くない」 お礼を告げるとマリカが嬉しそうにはにかんだ。 こんな風に全身で懐かれると、悪い気分ではないが少々うざくもある。 この一週間、本気で私にべったりだった。 トイレに行くにも散歩に行くにも寝る時も起きる時も、いつでもそこにマリカがいる。 正直、本気で結構ウザい。 でもまあ、退屈でないのは確かだ。 酒飲めないし、ミカもエリアスもアルノも建国記念日ってことで忙しくて中々来ないし。 この一週間、全然顔を見ていない。 まあ、そう考えると、マリカがいてくれてよかったとも思う。 にこにこと笑いながらくるくると動き回るマリカは、見ていて楽しい。 「セツコ様、明日の建国記念日では、どの服をお召しになりますか?」 「えーと」 というかあんまり外出たくないんだけどな。 何があるか分からないし、怖いし、面倒くさいし。 この国の建国記念日とかあまり興味ないし。 しかもなんか、ミカとか偉い人側にいなきゃいけないしみたいだし。 「こちらなんていかがですか?」 マリカは気が乗らない私には気づかず、服を取り出して広げてみせる。 まあ、もう、なんでもいいんだけどさ。 「そうね………」 「それより、こっちの方がいいと思います!」 それでいいと言おうとした時に、澄んだ声が反対意見を述べた。 ああ、また始まったか。 「エミリア………」 エミリアがマリカの隣に立って、クローゼットから服を取り出す。 そして私に見せるように広げた。 「まだお顔色が悪いから、こちらの方が映えて見えます」 「そっちだと、まだお怪我があるのに、歩きづらいと思います」 マリカも負けじと、自分が持っていた服をアピールする。 ここ一週間ぐらいで慣れっこになってしまった、小競り合い。 二人は歳が近いせいもあるのか、事あるごとにこんな風に言い争っている。 そんな陰険なやり取りでもないので、じゃれあう猫みたいで可愛くはあるんだが。 「そんなことないです。こっちの洋服は………」 「だったら、こっちの方が」 いや、もう、どっちでもいいわ。 「セツコ様はどっちがいいんですか!」 「セツコ様はどっちがいいんですか!」 「え、えっと」 なんて他人事のように見ていたら、こちらにキラーパスが回ってきた。 これでどっちかを選んだら、なんかまずい結果になる気がする。 服は本当にどっちでもいい。 どうしたらいいんだろう。 こんな風に取り合われた記憶とかないから、対処法も分からない。 「好かれてますねえ」 『………人生最高のモテ期かもしれないわ』 緊張感が溢れていた私の部屋に、のんびりとした声が割って入った。 だからノックぐらいしろよ、この悪魔。 でも正直、今は助かった。 「美しい女性に囲まれて羨ましいですね」 「でしょう。変わってあげても、いい」 「私はあまり女性に好かれませんからねえ」 そりゃそうだ。 でも、私はどうせ囲まれるならイケメン男子の群れにお願いしたい。 マリカもエミリアも、私の世話で争ってどうするんだ。 まあ、仕事の奪い合いみたいなものだからムキになってるんだろうけど、一回正気に戻ったら、自分がどんなにアホなことをしていたか、穴に埋まりたい気分になるだろう。 仕事を奪われる怖さってのは、よくわかるんだけど、ちょっと落ち着いてほしい。 可愛い女の子に好かれて囲まれるってのは、悪い気分ではないんだけどさ。 若さと可愛さに嫉妬はするけど。 「まあ、エミリアとマリカと愛を語らうのは後にして、今日も勉強しましょうか」 「そうね」 私とネストリが勉強の準備を始めると、エミリアとマリカは気づいたようで争いをやめて部屋から出て行った。 助かった。 本当に助かった。 素直でいい子たちなんだけどね。 何が楽しいんだろ。 「そういえば、あなたのこの覚え書きは中々見やすいですね」 「でしょ。もっと褒めろ」 机に置いてあった私が作ったお手製を辞書をネストリが感心したように見ている。 この世界にはまともな辞書がないようで、単語を覚えておくのが困難だったので、仕方なく作ったのだ。 練習用の木のノートに書いた単語を、もらった紙に書き写し、アルファベット順に並べて更に名詞とか動詞とか体系をつけてみたりしてる。 自分でも確かに自慢の一品だ。 しかし、アルファベットって言っていいのか、これ。 まあ、いいか。 「素直に褒めます。語彙量はまだ足りませんが、いい出来です。これは初期の教育に組み込むのにちょうどいいかもしれません」 『じゃあ、出版して販売して印税頂戴。贅沢言わないわ、売り上げの五割でいいから』 『出版?』 ネストリが私の脳内の単語がイメージ付かなかったらしく、首を傾げる。 そういえば、本も手書きばっかりみたいだし、もしかして出版って概念がないのだろうか。 『本をいっぱい作って売る。小説とか辞書とかそういうのを売るの。それが出版。それをする会社が出版社。本を作って売る会社』 ネストリが目を何度か瞬きさせて、不思議そうにしている。 なんだろう、こんな素のような表情珍しい。 いや、これも演技かもしれないけど。 『本をいっぱい作る、ですか。商売として成り立たせるには難しそうですね』 『なんで?』 『紙も貴重ですし、何より本を作るのが大変ですから。書き写すにしても、木版を作るにしても』 木版って、そりゃ面倒くさそうだ。 この世界って鉄はあったわよね。 『印刷すれば?』 『印刷?』 『えーと』 そうか、印刷技術がないのか。 木版ってことは、木版印刷はあるんだろうけど。 『えっと、一文字づつ、ハンコみたいのを作って』 うろ覚えの知識というか、完全でたらめかもしれない知識を披露すると、ネストリは何度か質問を交えながら真剣に聞いていた。 いつものように茶化すこともなく真面目な顔で、最後には黙り込んだ。 『………』 『何?』 黙り込んで口元を抑えているネストリが、首をゆるく横にふった。 『いえ、驚いただけです。あなたから知性を初めて感じました』 『とりあえず死ねよ』 本当にこいつは一言多くないと気が済まない病気にでもかかっているのか。 不治の病なら悪化して寝込んでしまえ。 『出版社に、印刷、ですか。中々に興味深いです。確かにそうすれば、教育が行きわたる』 『はあ』 『素晴らしいです、セツコ。感動しました』 ネストリが何度も何度も印刷と口にしながら、頷いている。 何やら感動を与えることができたらしい。 こいつを感動させても何も嬉しくないんだが。 でも、なんか珍しくストレートに褒めているようだ。 『これは偉大な発見です。ありがとうございます』 『そ、そう?』 本当に珍しい。 なんか気味が悪くなってきてしまった。 またからかってるんじゃないのか。 『今すぐは無理でも検討させていただきます。本当に素晴らしいです』 『は、はあ』 『いやあ、本当に今、あなたを尊敬しています』 『もうやめて』 やっぱり気味が悪すぎる。 私そんな素晴らし事をいったのだろうか。 木版はあるんだし、印刷技術なんてあっただろうに。 『いずれ、実現したいですね』 『ま、まあ、成功した時には私に売り上げちょうだい』 『ええ、もちろんです。というかあなたに助言を求めると思います』 どうしよう、本当に気味が悪い。 「わあ………」 街中にある王家のための、離宮とかいう場所から見下ろす景色は、人人人、人の群れ。 見下ろす広場には人がぎっしりと敷き詰められて、まるで虫のようだ。 建国記念日は今日から7日間、いろいろな儀式やらお祭りなんかが催されるらしい。 私はミカ達がいるメインのバルコニーからやや離れた塔のベランダからミカ達を見上げている。 「すごい人ですね。あ、王様だ」 隣にいたマリカが目をキラキラさせながら、指をさす。 メインのバルコニーにはミカが堂々と進み出てきた。 どうやら、ミカの後ろにはアレクシスや生意気な金髪少年、ちびっ子たちや、あの鬼畜女もいるようだ。 ちょっと離れているし位置が下なので見づらくて、ベランダから身を乗り出す。 「あまり前に出ないでください。セツコ様、マリカ」 もっと身を乗り出そうとした時に、後ろにいたティモに肩を押さえて止められた。 今日のボディガード役は、しっかりと私とマリカを引き戻す。 「あ、うん。ごめん」 「いえ。大丈夫です」 相変わらずの無表情だが、別に嫌な奴ではないということはわかってる。 少々無神経だが、割といい人だ。 「マリカ見える?」 「えっと、あんまり」 私より小さいマリカは伸びあがるようにして見ているが、メインバルコニーがあまり見えないようだ。 椅子でも持ってこようかと思ったところで、小さな悲鳴が聞こえた。 「わあ!」 隣を見ると、マリカが宙に浮いていた。 「見えるか?」 「み、見えます」 ティモによってまるで荷物のように両脇を掴まれ、持ち上げられていた。 細いとは言えそれなりに育った子に対して、本当に軽々と持ち上げている。 ティモは随分と力持ちのようだ。 「わあ、王家の方たちがみんな揃ってます。すごい」 「よく見える?」 「はい!セツコ様も見えますか?」 「あー、あんまり、見えない」 まあ、仕方ない。 というかそこまであいつら見たくもないし。 「ありがとう、もう大丈夫です、ティモ=ユハニ」 マリカはひとしきり見ると満足したのか、下してもらう。 お礼に対してティモはやっぱり無表情に頷いた。 なんか兄妹のやり取りみたいで心が和む。 「うわあ!!」 とか思ってたらいきなり私が宙に浮いていた。 視線が高くなり、ミカ達のバルコニーがよく見える。 「な、何!?」 慌てて後ろを振り向くと、ティモが今度は私を荷物のように持ち上げていた。 マリカよりも確実に絶対に重いのに、本当に軽々と。 本当に随分と力持ちのようだ。 「いえ、セツコ様もご覧になりたいかと思って」 「え、いや、いいから!」 そこまで興味もないし、私の体重を支えられても困るし、この持ち上げられ方は結構恥ずかしい。 ティモはすぐに下してくれた。 本当にこの人は行動がよく読めない。 まあ、軽々と持ち上げられるのはちょっとだけ気分はよかったんだけど。 「あ、演説が始まります」 バクバクと波打っていた心臓を押さえつけていると、マリカの弾んだ声が言った。 ミカがバルコニーの先まで訪れ、広場に集まる人間たちを見下ろす。 自信に満ちた笑顔は、確かにあいつは王様なんだとアピールしている。 「愛するカレリアの民よ。この日を迎えられたことを嬉しく思う。長い10年だった。そして短い10年だった。**の10年だった。けれど、喜びに満ちた10年だった。今ここに10年目の**を迎えられたのは、全てみなの力によるものだ」 なんだろう。 単語はところどころ分からないし、あの酒飲み下半身暴走王が言ってることだ。 それなのに、胸に染み渡っていく。 朗々とした張りのある力強い声。 聞いているうちに、胸に熱い気持ちが生まれてくるような不思議な気分。 まるで私だけに語りかけられているようだ。 ミカの声が脳に響き渡り、視線が逸らせなくなる。 演説は、10年間にあったことや、戦争が続いていることに対して何かを言っているようだ。 習ってない単語が多くわかりづらいが、でもミカの声を聴いてるだけでなんだかわかったような気になってくる。 広場にいる人たちもただひたすらに、ミカを見つめている。 「いまだ戦が続き、みなに血を流してもらうことも多い。私も、王太子アレクシスもまた、みなと同じく*****に立ち、みなと同じく血を流そう。決して、民だけを*******ことはしない。創立の時約束したことを、今ここでまた誓おう。オラヴィ王家は、みなと共に並び、進み、更なる富と更なる**をカレリアの民に与えよう。みなも共にカレリアのために力を尽くしてほしい。そしてこのカレリアに、更なる10年の**を築こう!」 ミカが一際声を張り上げ、手を振りあげた。 「カレリアに祝福を!!」 そこで、地震が起きたかのように、その場が揺れた。 地面が揺れている。 人たちの声が、お腹の中に響いてくる。 口々にカレリアとミカに対する賛美を口にして、広場の人たちは飛び上がって歓喜している。 ただひたすら自分の王を見つめて、熱狂している。 「………すごい」 まるでアイドルのコンサートみたい。 いや、まあなんかそれより重みがあるんだけど。 こうして見てると分かる。 ミカは、本当にすごい人間だったんだ。 いつも見る姿はただのロクデナシだったので分からなかったが、こんなに多くの人を魅了し心酔させる力があるのだ。 まるで私もカレリアの一国民であるかのような、一体感に陥った。 ミカが私の王であるように思えた。 ミカは、そんなカリスマ性のある男なのだ。 「………」 いまだ興奮冷めやらぬ人々を見下ろして、また考える。 この国の住人になったかのような一体感。 けれど明らかに私はここでは異質だという疎外感。 どっちつかずの、頼りない立ち位置。 どちらも、私の場所ではない気がしてくる。 自分はどうしたいのか。 何をしたいのか。 ここにいるのか、三年後に帰るのか。 残るとしたらここで何をしたいのか。 何が出来るのか。 そろそろ真剣に考えなければいけないのだ。 大きく息を吸って吐く。 人々の歓声はいまだ離宮を包んでいる。 「………決めた」 後で考えよう。 今考えたって無駄だ。 うん、疲れてる時に考えてもいい考えなんて浮かばないし。 もう頭痛いから全部忘れて、あとで考えよう。 後二年半あるんだ、もうちょっとしてから考えよう。 鴨宮世津子、三十一歳。。 異世界ツアーはまだまだ強制続行。 |