呆然としたまま、時間が過ぎ去ってしまった。
そもそも鈴鹿に怒られたことなんて今まで。
いや、あったな。
殴られたことなんて。
これもあったな。
泣かれたことは。
これは数え切れないほど。

そういえば、結局俺って、鈴鹿をどれくらい笑わせてあげてたっけ。

なんてことを考えていたら、追いかける勇気までなくしてしまった。
やっぱり、俺が鈴鹿を好きだなんて、分不相応なんだろうか。
4つ年下で、中学生で、この前まで小学生のガキで。
こんな腕も足も棒切れみたいで、頼りなくて、守りきる自信なんてない。
鈴鹿の傷ついた、怒った泣き顔が頭から離れない。
俺はほんとうにちっぽけで、貧弱で、情けないガキだ。

こんなこと、つい最近まで思わなかった。
全然思ってなかったんだ。
鈴鹿と付き合うことが出来たら、いっぱい笑わせて、守って、大事にしてあげる自信があった。
それなのに現実は不安になって、傷つけて、泣かせて。
してあげたかったことが全然できていない。
最低だ。

あんなに怒るなんて、思わなかったんだ。
俺のガキみたいなヤキモチで、あんなに傷つくと思わなかったんだ。
それで、また気付く。
俺は、あいつに甘えてたんだ。
いつもバカみたいに明るくて、優しいあいつに、甘えてたんだ。
何を言っても怒らないから、調子に乗って。

両想いになるまで、こんなに自分が情けなることはなかった。
両想いになれたら、ただ幸せにで嬉しいだけだと思ってた。
こんな苦しくなるなんて、思ってなかったんだ。



***




「鈴鹿ちゃん、夕飯食べてないらしいわよ」

それは夕飯時のこと、電話を置いた母さんが俺を振り返ってそう告げた。
ちくちくと罪悪感が襲ってくる。
今日は鈴鹿の家で一緒に夕食を一緒にはしていない。

「兄ちゃんサイテー」

純太の咎めるような目が突き刺さる。
いつもは殴りつけるような生意気な言葉にも、ご飯を口に放り込んで黙った。

「ちょっと、のんきにメシ食ってる場合なの、この甲斐性なし」
「………」
「さっさと行って土下座して謝って来いバカ息子!」

母さんに本気で背中を蹴りつけられる。
前のめりになって、味噌汁に頭が突っ込みそうになった。

「っぶねーな!何すんだよ!」
「うるさいわね。ウジウジしてるんじゃないわよ!」

しばらく2人でにらみ合っていたが、先に目を逸らしたのは俺だった。
母さんのいうことも、純太の言うことも、正しい。
悪いのは、ただ俺だ。

「………」

無言で立ち上がると、母さんも無言でパーカーを放ってくれた。
それがちょっとだけ、嬉しかった。



***




鈴鹿のじいちゃんとばあちゃんの心配そうな顔に、大丈夫だと告げて俺は鈴鹿の部屋の前に立つ。
俺のせいで、2人にも心配をかけて、ますます申し訳ない気持ちになった。
いつもこっちに来る時に使っている6畳の和室のふすまの前にたって深呼吸をする。
呼吸と心臓をなだめつけて、軽くふすまをノックした。

「……鈴鹿?」
「………」
「………鈴鹿、いるんだろ?」
「…………」

返ってくるのは沈黙ばかり。
今日はもうやめようかと、足を引きかける。
それでも、今を逃したらもう明日しかなくて、そして今を逃したらきっともう勇気が出ないことも分かっていた。
再度深呼吸をして、自分を奮い立たせる。

「鈴鹿、入るぞ」
「………やだ」

にべもない言葉に、更に勇気がガリガリ削られる。
足がすくんで、扉にかけた手が震える。

「…………謝りたいんだ」
「やだ、聞きたくない!」

たたきつけるような拒絶に胸が痛くなって、泣きそうになった。
逃げ出しそうになった。
でも、ここで逃げたら、きっとどうにもならない。
それはよく分かっていた。
俺はふすまに額をつけて、小さな声で、でも心からの謝罪をした。

「ごめん、でも、どうしても、謝りたいんだ」
「いや!知らない!聞きたくない!」

涙が、出そうになった。
胸が痛い。
鈴鹿の、始めてのはっきりとした拒絶。
好きな人に、拒絶されるのが、こんなに痛くて苦しいことだと、知った。

それも、もう後悔したくないから、それに謝りたいから、そして何よりこれきりにしたくないから、俺は最後の勇気を振り絞ってふすまに手をかけた。
ふすまだから鍵はない
それに、つっかえ棒などもしていないようで、拍子抜けするほどあっさりと開いてしまった。

「入る」
「やだって言ってるでしょ!」

ふすまを開けた途端に、枕が飛んできた。
慌てて頭を伏せて避ける。
枕はすぐ横の壁に当たって、ずるずると落ちた。
鈴鹿は布団の上に座り込んで、毛布に包まっている。
それが鈴鹿を小さく見せて、胸が痛かった。

「…鈴鹿」
「あっち行け!」

鈴鹿は周りにあるものを手当たり次第投げてくる。
タンスの上が物置になっているせいで、投げるものには事欠かない。
大きいものは避けられても、細かいものは面白いように当たってしまう。

「いて、痛い、お前、その怒ると物なげるくせやめろよ」
「うるさい!バカ!嫌い!あっちいけ!」

癇癪を起こした子供のように、顔を赤くしてただひたすらものを投げ続ける。
謝りたくても、その隙もなければ、近づけもしない。
鈴鹿は何気にコントロールがいい。

「ちょ、ま、待てよ、おい!」
「うるさいうるさいうるさーい!」

手で顔をガードしながら、一歩づつ慎重に近づくと鈴鹿は焦ったように更に物を投げる。
その顔は硬直していて可哀想なほどで、これ以上進むのを躊躇ってしまう。
どうしたものかと考えたところで、鈴鹿が手に取ったものにさすがに血の気がひいた。

「待て!さすがにその裁ちばさみはやめろ!」
「え、あ!?」

なんだかんだいって気の優しい鈴鹿は、自分の持っているものが凶器だと知ると、一瞬動きを止めた。
その隙に距離を縮め、とりあえず向かいあってしゃがみこみ腕を押さえ込んでしまう。
捕まったと気付いた鈴鹿は眉を吊り上げて、ジタバタと暴れる。
手を外そうとするから、こちらも力をこめて抑え付けた。
そうすると今度は自由になる足で滅茶苦茶に攻撃してくる。

「こら!蹴るな!いで、噛むな!犬か!」
「離してよ!」

そのまま攻防を続け、布団の上に倒れこむような形でようやく押さえ込むことに成功した。
完全に動きを抑えられた鈴鹿はそれでも、暴れて俺から逃げようとする。
逃げようとされているのが、悲しくて、辛い。

「バカ!駿君のバカ!駿君なんて大っ嫌い!触らないでよ!」
「悪かった、悪かったよ。ごめんごめん、俺が悪かったから、本当にごめん」

だから俺は、鈴鹿の耳元でただひたすら謝った。
聞く耳持たないように俺をなじり続ける鈴鹿に、少しでも届くように。

「触らないでってば!バカ!!」
「ごめん、ごめんね、鈴鹿、ごめん。許して、ごめんなさい、鈴鹿」
「うー!!!」

すると、とうとう、鈴鹿の目から一粒涙が零れ落ちる。
怒りで上気した頬に次から次へと溢れてでて、こめかみを伝って布団に落ちる。

「泣かないでよ…。ごめん…。ごめんな。本当にごめん」
「謝ってほしくなんてないっ!好きだって、駿君、私のこと、好きだって言ったのに、う、うえー」

盛大に泣き始めて鈴鹿が可哀想で、悲しくて、俺はただ正直に告白を続ける。
今恥ずかしいだなんて、言ってられない。

「好きだよ、鈴鹿が、好きだ。大好き。鈴鹿が一番好き」
「嘘つき!ほかに好きな人いるくせに!駿君の嘘つき!!バカ!」
「ごめん、って………は?」

思いがけない言葉に、俺の動きが一瞬止まる。
謝ることも忘れて、顔を一旦離して鈴鹿の顔をじっと見る。
鈴鹿は相変わらず怒った顔をして俺を睨みつけていた。

「えーと、…お前何言ってんの?」
「今更嘘なんていいよ!駿君のバカ!彼女出来たくせに!」

更に訳の分からないことを言われて、俺はますます混乱した。
彼女って、彼女って、彼女と言うことができるのは、俺の下にいる人だけで。

「………ちょっと待ってくれ。何がどうなって一体そうなってるんだ」
「駿君の浮気ものー!!!」
「だから待てってば!なんの話だよ!」

思わず俺も怒鳴りつけると、いつもはそれで大人しくなる鈴鹿は、それでも目を吊り上げている。
俺が身を引いたせいで、少し自由ができた腕を無理矢理動かして自分のポケットを漁る。
その動きを助けるように、体を少し離すと鈴鹿は小さい箱のようなものを取り出して、俺の目の前に突きつけた。

「これ何よ!」

最初は近すぎて、それがなんだか分からなかった。
しかし、徐々に焦点があってきて、それがなんだか、分かってくる。
それは、俺の部屋にあったはずの、小さな箱。
鈴鹿が来る前に、母さんから押し付けられた、それ。

「………」

なんで鈴鹿が持っているのか、とか、いつ見つけたのか、とか、それは俺のじゃない、とか色々考えることやいいわけが頭の中を一瞬で駆け巡った。
けれど、次の鈴鹿の言葉で、頭の中を埋め尽くしていた思考がすべて吹っ飛ぶ。

「誰と使ったのよ!」
「いや、えーと、ちょっと待ってくれ、すいません、待ってください」
「ほら!答えられない!嘘つき!大っ嫌い!」
「いや、違う!事態が飲み込めないだけだ!ちょっと待て、待てって」

突然で想像もしていなかった事態に、頭の中が真っ白になってうまく言葉が出てこない。
鈴鹿は、その箱で俺の頭をぺしぺしと殴ってくる。
ていうかそれで殴るのはやめてくれ、とりあえず。

「待たない!言い訳なんて聞きたくない!」
「ちげーよ!よく見ろよ!開いてないじゃねーか、これ!」
「え」

俺の言葉にようやく鈴鹿は動きを止める。
その箱をマジマジと裏にして表にして眺める。
それはいまだ透明のビニールのパッケージに包まれていた。

「………」
「………」

ようやく落ち着いてくれたのかと思ったら、再度鈴鹿は俺を睨みつけてきた。
そしてまたもやピントの外れたことを言い出す。

「誰と使うつもりだったのよ!!!」
「だからなんでそうなるんだよ!使うとしたらお前しかいねーよ!」
「え?」
「え!?」

言ってしまった後に、自分が何をいったのか分かった。
徐々に頬が熱くなって来る。
同じように、鈴鹿も茹蛸のように真っ赤になっていく。

「えーと、えーと、えーと」
「や、ちが、今の言葉のあやって奴で…」

慌てて誤魔化そうとすると、その言葉を聞きとがめ、あさってな文句をつけてくる。

「何!?やっぱり他の人と使う気だったの!?」
「だから違うって!俺が使いたいと思うのはお前だけだよ!」
「え?」
「え!?」

再度、言葉をなくして見詰め合ってしまう。
お互い、面白いくらいに、赤い。
そしてよくよく考えると、今の状況がとんでもないことになっていることに気付いた。

2人きりの室内。
布団の上に横たわる鈴鹿。
それに覆いかぶさっている俺。
鈴鹿が持っている、それ。

気付いた瞬間、頭が沸騰したように何も考えられなくなった。
慌てて鈴鹿から体を離して、1メートルほど距離をあける。
鈴鹿も急いで起き上がって、服の乱れを正した。
どこか居心地悪そうにもうつむいてぞもぞと体を動かしている。
その様子がなんだかかわいくて、ちょっと変な感じで、こう、こんな時なのに、変なことを考えた。

「え、嘘…え、え?」
「いや、そうじゃなくて。じゃなくて、なんでこんなこと絶叫してんだよ俺…」

あたふたと視線を彷徨わせる鈴鹿に、もう言葉すら出てこない俺。
どうにも収拾付かない空気が室内に流れる。

「しゅ、駿君すけべ!ませガキ!」
「が、ガキって言うな!」
「そ、それで用意してたの…?」
「だから人の話を聞けー!!!!そしてとりあえずそれをしまえ!!」

そうしてとうとう、俺の叫びが響き渡った。






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