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父の田舎に来て一週間。ようやくしっくりくるようになった。
…もう、来た当初はどうしようかと思ったけど。
ここにも慣れてきたし、スキーも楽しくなってきた。
駿君も怖いだけじゃないと分かったし。
今日はおじいちゃんの家でゆっくりしていた。
いや、連日でスキーしてたら体が……。
筋肉痛というより打ち身がひどい。
でも中級者コースから降りれるようになりました!
最初見たときは崖かと思ったけどね!リフトで降りるって叫んだけどね!
いまだに転ばず降りれることはないけど…。
「ねえねえ、鈴鹿姉ちゃん」
純君がこちらを見上げて話しかけてくる。
姉ちゃん…姉ちゃん…、ああなんていい響きなんだろう…。
私は一人っ子なので、何度言われても嬉しい。
……駿君は呼び捨てだし。もうあまりに自然すぎてつっこむの忘れてたけど。
「鈴鹿姉ちゃん?」
「なに?純君」
純君は素直に懐いてきてくれる。
今日も遊びに来てくれた。
私ぐらいの歳の女の子が珍しいらしく、よく話しかけてくれる。
駿君と似ていてまっすぐな黒髪、
目はたぶんお母さん似、二重でおっきい。駿君は一重だし。
ああ、かわいいなあ…。
駿君と違って子供らしいし。
初めて会った時の駿君と同じ年頃だけど、駿君はもっと生意気…大人びてたよなあ。
「ねえ、一つ聞いていい?」
ちょっとはにかんだようにたずねてくる。
うーん、かわいいなあー、弟に欲しいなあ。
「何?いいよ?」
「姉ちゃん、彼氏いる?」
ぶっ!!
思わず飲みかけたお茶を吹いた。
それと同時にがちゃんと机の向こうから音がする。
宿題をしていた駿君がペンケースをぶちまけていた。
「な、なななじゅ、純君?」
「ねえねえ、いる?」
見上げてくる瞳は嫌になるほど純粋だ。
私は見栄を張るわけにもいかず正直に答えることにした。
「お、お姉ちゃんはまだ彼氏いないなー」
声が震えた。うう、こんな哀しい告白をこんな小さな子に…。
「だろうな」
机の向こうからぼそりと声が聞こえる。
おのれ!駿君め!
純君が嬉しそうに笑う。なんで嬉しそうなのさ!
「本当!?」
「……本当」
じゅ、純粋な目が痛い。
純君ががばっと立ち上がって私の手を握る。
「じゃあ、鈴鹿姉ちゃんは僕がお嫁さんにもらってあげる!」
…………ええ!?
「ね、僕が大人になったら結婚しよ?」
か、かかかか、かわいいー!!!
うわー初めて告白されたー!ていうかプロポーズ?
いいの純君?私、10年後までお嫁に行ってなかったら本当に貰ってもらうよ?
「ね、鈴鹿姉ちゃん?」
ああ、本当に純粋…。
たとえ私が帰ったらすぐ忘れてしまうんだとしても嬉しい。
「本当?純君?」
「うん!」
「嬉しいなー。じゃあ、10年後に純君に彼女がいなかったらお嫁さんにしてね?」
そういった途端、がたんと大きな音がした。
駿君が机に手をついて立ち上がったせいだ。
…ていうか今、机が浮き上がりましたよ…?
「純太」
こ、声が低い。怖い…。な、なんで。なんか最高潮怒ってるっぽい…。
黒い、黒いオーラが…。
「なーに兄ちゃん?」
ああ、あくまで純粋な純君がうらやましい…。
「お前今日の分の宿題やってないだろ。早くやれ」
「ええー!!まだいいじゃん!鈴鹿姉ちゃんと遊びたい!」
「いいからやれ」
こ、怖い。声と目が完全に据わっている。
基本的に面倒見がよく、純君に対し優しい駿君がこんな風に怒ると本当に怖い。
そんな駿君の様子に気づいたのか、少し純君が怖気づく。
「でも……」
それでも言い返す純君。……純君も強いな。
「純、やれ」
試合終了。ていうか久しぶりに本気で怖いよ!
純君は宿題を取りに、お隣に戻っていった。
家には私と(機嫌の悪い)駿君の二人きりとなった。
またですか!?
またこの状況ですか!?
駿君は無言で宿題をしている。
……シャーペンの芯がボキボキ折れてるんですけど…。
この空気に耐えかねて私から口を開く。
「あ、あの……駿ちゃん…?」
飛んできたペンケースが額にヒットした。
痛くて声も出ない。
「ちゃんって言うな」
「う、うう…ごめんなさい…」
ひ、ひどい…。けど地雷を踏んだ私が悪いのか。
き、気をとりなおして。
「ね、ねえ駿君?」
「何?」
不機嫌だー…。怖い…。
「何か、怒ってる?」
………。
無言が続く。おじいちゃんの家の大きな時計の音が響く。
「…お前さあ」
「は、はい!」
駿君がノートに向けていた顔をこちらにむけてじっと見つめてくる。
「ずっと気になってたんだけどさ」
「う、うん」
「この前来た時のこと、覚えてないの?」
声は静かだけど、迫力を感じる。
「この前、て…五年前のことだよね?」
「そう」
「えっと、五年前って言うと、駿君と初めて会った…よね」
「うん」
えっと、それで…。
「近くに歳の近い子いないから、遊んでもらって…」
「お前ついてくんな、って言ってもついてきたし」
そ、そうだったっけ。そう言われれば、そんなような気もする。
「それで……」
「それで?」
えーと、えーと、えーと。
「かくれんぼしたり、山で虫取りしたりして…」
「それから?」
駿君が怒ってるというかなんというか、真顔だ。
余計怖い。
「なんか…あったっけ?」
私の中にはそれからの記憶がない。
駿君と遊んで、駿君は怖くて……、なんかあったかな。
おそるおそる顔を上げると……。
………え?
駿君は一つ息をつくと立ち上がった。
「純太遅いな。見てくる」
そう言って、出て行ってしまった。
何か、何か大事なことを忘れてるんだろうか。
5年前。私、何かしたんだっけ。
駿君と遊んだことは覚えてる。
怖かったけど、楽しかった。それは覚えてる。
でも、でも、なんか忘れてる。忘れてるはず。
そうじゃなきゃ……そうじゃなきゃ…。
駿君が、あんな傷ついた表情をするわけがない。
胸が痛くなる、哀しそうな顔……。
あの顔は私がさせたものだ。
5年前に来た時、まだ小学校1年生の時から駿君はしっかりしていて、賢くて、
落ち着いていて、怖くて…。
遊ぶ時も駿君が前に立っていて。私はその後ろをくっついて。
そう、ついてくんな、ってよく言われた気がする。
でも私は駿君と遊びたくて。
なんで遊びたかったんだっけ?歳の近い子がいなかったから?
それもあった気がする。
でも、でもなんか忘れてる気がする…。
あんな駿君の顔初めて見た。
泣きそう…だった。
初めてだったろうか…?
何か、引っかかった気がする。
本当に初めてだっただろうか。
駿君はしっかりしている。確かに、小学生とは思えないほど。
でも……泣いた事はなかっただろうか…?
5年前。5年前は…。
と、考え込んでいた時、玄関が開く音がした。
「駿君!?」
急いで、玄関にかけていく。
「ど、どうしたの鈴鹿姉ちゃん?」
そこには宿題を抱えた純君。
「あ、純君か……。あれ、駿君は?」
「兄ちゃん?知らないよ?」
「え、でもさっき純君の様子見てくるって…」
「へ?来てないよ」
「そう…」
私は玄関先に座り込む。雪国の廊下は、冷たい。
「どうしたの?」
「うん、私、駿君にひどいことしちゃったみたいで」
いつもしっかりしている駿君にあんな顔をさせるなんて。
「そうなの?」
「うん、私いつもいつも駿君怒らせてばっかり」
私駿君の笑ったところどれくらい見たっけ?
全然見てない気がする。いつも迷惑かけて、怒られて、馬鹿にされて。
ため息がでた。
「これじゃあ、嫌われてもしょうがないよねえ…」
て、私1年生相手にこんなこと話してていいんだろうか。
「兄ちゃん、鈴鹿姉ちゃんのこと嫌ってないよ?」
「えっ?」
「兄ちゃん、嫌ってる人とは話さないもん」
「で、でもいつも私怒られて、呆れられて…」
「それがね、兄ちゃんの、えーと、あい、あいじょうひょうげん?だっけ?
鈴鹿姉ちゃんと話してるとき楽しそうだし」
なんか、どっかで聞いたような言葉。
おばさんが、初日に言ってたっけ?
私が落ち込んでいるのを見てか、純君は必死で話してくれる。
本当にいい子だな。
少しだけ、沈んでいた心が浮上する。
「それにね、僕知ってるんだ」
重要な秘密を話すように耳元に口を近づける。
「…何?」
「兄ちゃんね、鈴鹿姉ちゃんの小さい時の写真、兄ちゃんと一緒に写ってる奴、
引き出しに大事にしまってあるんだよ」
胸を突き刺された気がした。
もしかして、本当に駿君は私を嫌ってないのかな…?
確かに、どんなに文句を言っても一緒にいて、面倒を見てくれた。
私の小さい時、というと、やっぱり5年前、だよね。
5年前、やっぱり何か、大事なことがあったんだ。
それなのに、私は、忘れてしまった。
そして駿君にあんな顔をさせてしまったんだ。
「よし!」
私は立ち上がった。
今はまだ思い出せないけど、とりあえず話してみるしかない!
話してたら思い出せるかもしれないし!
「純君ありがとう!元気でたよ!」
純君のまっすぐな髪をくしゃくしゃにした。
「わ、わわわ!鈴鹿姉ちゃん!」
「とりあえず、駿君とお話してくるね!」
「え?」
「ごめんね、宿題は帰ったらやろう!」
「ちょっと、鈴鹿姉ちゃん!?」
私は駿君を探して、雪がちらつく町へと飛び出した。
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