しとしとと、静かに雨がアスファルトを打っている。 6月初めの雨は激しさや風とは無縁の、ゆるやかなものだった。 いつもは子供や子連れの母親、散歩の老夫婦などで賑う公園も、今は静かに休んでいるように見える。 雨で視界を遮られ、白くかすんで見える景色の中二つの傘が並んでいた。 淡いグリーンと、真っ黒なこうもり傘。 長身のグリーンは姿勢よくよどみない足運びで、一方小柄な黒は弾むように、後ろからでも上機嫌が伺えた。 「あー、うっとおしい!降るなら降るで力いっぱい降る!降らないなら降らない!はっきりしない天気ね!」 有川と並んで歩いていることに心は弾んでいるのだが、どうにも定まらない天気に加奈は毒づいた。 「加奈は、雨が好きなのか?」 横に歩く有川は、小柄な加奈に合わせるように、ゆっくりと歩いている。 しかし加奈は大またなので、少し有川が遅れる形だ。 「ううん、別に。ただはっきりしないのが嫌いなだけ。降るなら降る。降らないなら降らない。そっちの方がすっきりするじゃない」 有川はそんな加奈の発言に少し表情を和らげる。 有川と出会ってから半月ほど、ささいな違いに気づけるようになってきた。 今は、自分と歩いていることを楽しんでいることが分かった。 「加奈らしいな」 「……どういう意味?」 「極端なところが。白か黒か、はっきりさせようとするところが」 極端、というのはあまり褒め言葉ではない気がするのだが、有川には悪気は一切ないことは分かっているので、加奈は何も言わなかった。 かわりに有川にも問いかける。 「有川は?雨は好き?」 少し首を傾げる。 これは考えている時の仕草だ。 「いや、……雨は嫌いだ」 その答えに加奈は少し驚きを覚える。 有川が何かを嫌いというのは、初めて聞いた気がした。 「へー、まあ雨が好きな人って言うのはあまりいないけど。濡れるし、出かけるのイヤになるしね」 有川は少し頷く。 「それに…、あまりいい思い出がない」 横を歩く有川は真っ直ぐ前を向いている。 穏やかな目は、どこを見ているのかよく分からない。 その表情からはなんの感情も伺いしれなかった。 「じゃさ、いい思い出作ろうか。雨でも楽しいところ出掛けたり、いっそあいつらと泥遊びでもする?ヤな思い出だけ思い出すって言うのもむかつくじゃない。どうせなら楽しいこと思い出したほうがお得だし。この加奈さんに任せれば、一生忘れられない出来事を演出してみせるわよ!」 いつもの不敵な笑顔を浮かべ、偉そうに言う加奈。 有川は片眉を少し上げて、頭1,5個分下にある顔を見つめた。 深い黒をした目をきらきらと輝かせている。 そのあまりに加奈らしい意見に自然と頬が緩んだ。 「そうだな。俺は今まで友達が少なかったから、遊んでくれると嬉しい」 「ふっふっふー。任せなさい。まずはあんたの歓迎会からね!夢に出てくるほど思い知らせてあげるわよ!お前といると心臓が破裂しそうなことばかり起こるって皆に言われるんだから」 「楽しみだ」 そう言って有川は笑った。 長身のグリーンと小柄な黒の傘は、横に並び、楽しそうに雨の中を歩く。 少々の肌寒さも、心地よかった。 と、そんなほのぼのとした空気をぶち壊して闖入者が現れた。 「おい、お前ら!」 公園の真ん中辺りまで来た時、後ろから声をかけられた。 2人同時に振り向くと、コンビニ前でたむろっていそうな柄の悪い若い男達が何人かこちらを睨んでいた。 この雨の中、傘もさしていない。 「2人お揃いでよかったぜ。お前らにはたーっぷりお礼をしたかったんでな、今回はお友達と一緒に来たぜ。最初にどっちか捕まえて、もう1人を呼び出そうと思ってたんだけど、手間が省けたな」 品という言葉をどこかに置き忘れたように笑うチンピラA。 隣のチンピラBが加奈をなめるように見回す。 「へー、女の方結構いけてんジャン。ラッキー!俺最初ね!」 「ばっか、俺が先だって。男はどうする?」 「あー、さっさとぼこっちゃって捨ててこようぜ」 チンピラBの言葉に同調するようにいやらしく笑うチンピラC。 そしてまたこちらを見るチンピラ……なんだっけ。 加奈はそろそろ名前付けるのも面倒になってきた。 ちらりと隣の有川を見る。 有川は少し首をかしげていた。 もう一度目の前のチンピラ軍団に顔を向ける。 2人同時に口を開た。 『………誰?』 『………』 沈黙する男達。 しばらくの気まずい間の後、リーダー格らしい顔中にピアスをつけた男が最初に立ち直った。 「しらばっくれてんじゃねーよ!こっちはちゃーんとお前らのこと覚えてるんだよ。逃げようったってそうはいかねーぜ」 なあ、と隣の仲間達に同意を求める。 隣にいた何人かが頷いて、こちらを馬鹿にしたように嗤い、睨みつける。 有川はまだ首をひねっていた。 「知り合いか?」 「いやー、こんな頭悪そうな知り合いは心当たりないな」 真顔で聞く有川と、腕を組んで真顔で悩む加奈。 2人にふざけている様子は全くない。 ピアス男は憤った。顔が面白いようにゆがむ。 「てめーら、ふざけんじゃねーよ!2週間前、お前の方から話しかけてきたんだろ!」 そうして加奈を指差した。 加奈は同じように、自分で自分を指差す。 「私?」 「そうだよ!そんでそこの男が途中で入ってきたんだろ!てめーらがグルだったとは知らなかったけどな」 怒りのあまりか、肩で息をするピアス。 加奈が手を叩いた。 「あー!!思い出した思い出した!あの時の奴らか!コンビニで傘パクられたから誰かに借りようと思って、話しかけたんだった。あの時は傘どうもありがとう」 「ありがとうじゃねーよ!俺らから勝手に取ってったんだろ!」 ピアスの隣から、崩れビジュアルといった風貌の男が口を出す。 加奈はそんな言葉をスルーして、ちょっとはにかみ、真っ直ぐな硬質な髪をかきながら隣の有川に向き直った。 「へへへ、あの日に初めって会ったんだよね。次の日有川探してさ。くー!今考えれば運命的だよね!」 「そうだな。あの時は忘れていて悪かった」 ぺこりと頭を下げる有川。 加奈はパタパタと手を振った。 「まあ、それは許してあげるわ。今こうして一緒にいるしね。次はないけどね!」 偉そうに言い放つ小柄な少女に、対する長身は笑った。 「分かった」 「じゃ、いこっか。早く買出ししないとあいつらうるさいしね」 「ああ」 そうして踵を返す二人。 「待てーーー!」 全力で止めるチンピラ軍団。 加奈はさも嫌そうに振り返った。 「なんなのよ。今せっかくいい感じだったのに。あんた達にはまあ、恩もあるからせっかく見逃してあげようと思ったのに」 「な、なんなんだよ、そのふざけた態度は!わかってんのか!今の状況を!」 「分かってるわよ。私達のこのムーディな雰囲気をぶちこわそうとする虫ケラでしょ。用があるならさっさとしなさいよ」 顎を持ち上げ、腕を組み仁王立ち。 この中で誰よりも小柄な体で、誰よりも威圧感を放っている。 言われた方は、一瞬気圧されたが、すぐに言われた内容が頭にしみわたる。 全身に到達すると同時に、加奈へと殴りかかった。 頭に血が上っているせいか、元から単純なのか動きが直線的だった。 自分に到達するまでの早さを無意識で計算し、その後の動きを考える。 最初に傘で威嚇。手首をとり、力を利用して引っ張り倒す。 そこまでをとっさに思い浮かべ、一歩前に出ようとした。 と、その時自分の前に大きな影が立ちはだかった。 何かと認識をするまでもなく、どげしと鈍い音がした。続いて何かが倒れる音。 すると目の前の影が消えた。 影はそのまま前に進み、次の相手にとりかかっている。 有川だった。 加奈の目の前には、ピアス男。 一発でのされたらしく、濡れた砂利の上に倒れている。 ま、守られちゃった。守られちゃった! うきゃー!!ときめく、ときめくよ! 有川ラブ!有川マーベラス!有川日本一! はずさないな!! 震える美少女。それを守る美少年。 なんとも詩情あふれる一場面。 ロマンチック!ローマンティック!! 目の前での乱闘をよそに、狂喜する加奈。 両手で顔を包み込み、うっとりと有川を見つめる。 男達は7人。 すでにこの短時間で、ピアスを含めて3人が動けない状態だった。 恐怖でか、残った奴らも逃げ腰。 散発的な攻撃を繰り返すだけとなっている。 対して、有川の動きは無駄がない。 確実に1人だけを対応するように動きながら、正確にダメージを与えていく。その動きは加奈の合気の技に似てはいるが、より能動的だった。 それでいて、加奈を必ず背にして、守るポジションをとっていた。 か、かっこいい…。かっこいいよ! だめだー、鼻血がでるー!! 鼻を押さえてしゃがみこむ。 その時、目の前にずっと倒れていたピアスが立ち上がった。 下を向いていた加奈は気づくのが一瞬遅れる。 後ろを向いて残りの4人を相手にしていた有川は気づかない。 ピアスの手元に銀色の鈍い光が見えた。 「有川!」 声を上げ、傘をほおり投げ、走る加奈。 その声に気づき、振り向く有川。 けれど、なぜかピアスのナイフを見たまま、動かない。 もうすでに寸前まで近づいている。 何かを切り裂く音がする。どさりと重い音を立てて誰かが倒れた。 走る加奈の目の前が真っ暗になり、視界が消えた。 「ふざけんなー!!!」 加奈は倒れていた人間を思いっきり踏みつける。 倒れた人間。 顔中にピアスした、ガラの悪い男だった。 まっすぐに有川に向かっていき、辿り着く寸前で、地面に転がっていたもう1人に躓いて転んだ。 被害は、薄く切られた制服のシャツ。 それでも収まりのつかない加奈は、もう一度気絶している人間を何度も蹴り上げる。 「あの綺麗な体に傷をつけるつもりだったわけ!?あんたごときが!?あの体に!!?神を恐れぬ……いや、あたしに対する冒涜よ!!!あの世で懺悔なさい!!」 「ちょ、ちょっと加奈」 珍しく慌てた様子で、加奈を後ろから羽交い絞めにする有川。 まだ立っていた残り4人の男達は、呆然と見ているだけだ。 後ろに引きずられながらも、足をばたばたさせている。 「何よ!後にして!今はこいつをしめるので忙しいのよ!」 「もう気絶してるから!……俺は大丈夫だから。それ以上やったらダメだ」 これまた珍しく声を荒げる有川。その後なだめるように諭される。 まだまだ殴り足りなかったが、他でもない有川に言われどうにか暴れるのをやめた。 静かに有川の腕を解くと、一回だけおまけにようにわき腹を蹴り付けた。 「おい」 有川は少し顔をしかめる。舌を少しだして悪びれない。 「まあ、これくらいで勘弁してあげる。今は他にやることあるし」 今度は残っていた4人に顔を向けた。 「あんたらも同罪よね。覚悟は良いわね」 そう言って、にっこりと笑う。 それはとても、とてもかわいらしい笑みだった。 最後の1人になぜかバックブリーガーを決めていると、また有川に止められた。 ふと見渡せば、自分達2人以外すでに立っているものはいない。下に引いている男もすでに動かない。 「やりすぎだ。加奈」 「だってこいつら、あんたを傷つけようとしたのよ!これでも足りないぐらいよ!二度と歯向わないぐらい思い知らせてやる!」 「だめだ」 強い口調。眼差しはかすかに怒っていた。 「……でも…」 「どんな理由であろうと、やりすぎるのはよくない」 その真摯な態度に、少し加奈はたじろぐ。 「…わかった」 しぶしぶ男の背中からどく加奈。 有川はようやく表情をやわらげた。 「うん。…でも、守ってくれて、ありがとう」 素直な感謝の言葉に、加奈も自然と微笑んだ。 「いいって。守られるのもいいけど、ほんとすっごくときめくけど、やっぱり私は好きなものを守るために攻める方が性にあってるわ。有川だったら手助けなんていらなかったかもしれないけどね」 そして有川をパンチするふりをした。 「いや、助かった。本当にありがとう。加奈は強いんだな、驚いた」 「ふふん!あったりまえよ。まっかせなさい」 どん、と握った手でふくらみの豊かではない胸を叩く。 有川は近頃たまに見かけるようになった、柔らかい笑みを浮かべた。 さっきの、傷つけられそうになった有川を見た時とは、別の意味で心臓が高鳴る。 頬に血が上った。自分でも驚くぐらい、温かい気持ちになる。 「じゃあ、買出しに行こうか」 そう言って有川は、傘を拾いあげようとした。 すでにもう全身が濡れそぼっている。 白い髪に、雨粒が伝っては地面に落ちる。 うっとおしそうに、濡れた髪を掻き揚げる姿にまた悶えそうになる。 動揺を隠すように自分の傘も拾いあげる。加奈もまたびしょ濡れだった。 「そ、そうね。でもひどい格好。有川はシャツまで切れ…て、血!!」 慌ててもう一度傘を放り出して、有川に飛びつく加奈。 シャツだけだと思っていた被害は、更に下にも及んでいたらしい。 真っ直ぐに切り裂かれたシャツの下、胸の上に、一筋の傷が走っていた。 「ち、血ー!!怪我、怪我してるわよ!!!」 「ああ、これぐらいなら別になんとも……」 ない、と言おうとした有川の腕をとって、すでに加奈は走りだしていた。 今までの道と同じ方向に。 つられて走りだす有川。 「お、おい、買出しは…」 「知るか!あんたの怪我の手当て以外、最重要事項はない!」 それからは後ろも見ずに走った。 だから後ろを走る長身が、白い髪の下で柔らかな笑みを浮かんでいることに、加奈は気づくことはなかった。 |