『そっちも、もうそろそろ春休みだよな?いつ帰る?お前の予定に合わせるよ』 行くとも行かないともまだ告げてないのに、行くと断定されているメール。 こういう強引なところは、昔と変わっていないように思える。 迷っている俺を促すためなのか、それとも俺の意見なんて必要ないのか。 ふっと、息をついて、携帯を折りたたむ。 疑問は、溢れかえるほどある。 あの人達が会いたいと言っているのは本当なのか。 どうして今更。 何を目的としているのか。 何よりも、俺は、会いたいのか、会いたくないのか。 「ほら、黒幡、飲んで飲んで!」 「………あ」 明るい声に顔を上げると、すぐ近くに来ていた大川がビールの缶を差し出している。 壁際で鍋戦線から離脱していた俺を連れ戻しに来たらしい。 赤く染まった頬でにこにこ笑う大川は、すでにかなりご機嫌な状態のようだ。 「ほら、黒幡、また暗い顔してる」 「そう?」 俺は受け取って、一口含んだ。 苦いだけのアルコール分は、美味しいものだとはとても思えない。 「おい、斎藤!肉だけ食べない!白菜食えよ白菜!」 「えー、俺、草やだー」 「俺のじいちゃんが作った白菜をディスってんのかてめえ!」 鍋パーティーはいつのまにかメンバーがどんどん集まってしまい、結局日程もずれて試験終了パーティーのようになってしまった。 一番広い斎藤の家に集まって、総勢9人でひしめき合って鍋をつつく。 それはうるさくて落ち着くなんて空気なんて一切ないけれど、とても和やかで楽しい光景。 「お前のじいちゃんいいなあ。この前も米送ってきてくれたよな」 「あれは母方の親戚だけどな」 「お前の家、どんだけ農家なんだよ」 「親父とお袋はふつーの会社員だけど」 「でもいいなあ、食いもの困らないよな」 「まあな」 実家からの贈り物、か。 耕介さんと千代さんは、新堂さんから毎月一定の金額の入金以外禁止されているらしいと、 この前の帰省で聞いた。 何を送ったらいいかと耕介さんが新堂さんに相談して、全力で止められたらしい。 千代さんだけ送ろうとすると耕介さんがそれに便乗してどんどん中身を増やそうとするから、千代さんも禁止。 まあ、正直、仕送りは十分だし、キャビアの缶詰とか家具とかあまりにも高級な服とか画材道具一式とか送ってもらっても困るので新堂さんには感謝している。 特に高級羽毛布団なんかを送られた日にはどうしたらいいのか。 「家族っていいよねえ」 この前から家族への感謝が溢れているらしい大川がチューハイの缶を握りながら断言する。 正月に帰省したばっかりだから、ホームシックになっているのかもしれない。 俺も耕介さんに会いたいから、分かる。 大川の隣にいた高田が呆れたように笑う。 「何、突然」 「恋人もいいけどさ、やっぱり絶対的に自分を受け入れてくれるのって、家族じゃん!恋人とかって所詮他人じゃん。肝心なところで味方になってくれなかったりするしさあ」 「なんかあったの、あんた」 「だってさ、みちるもそう思わない?彼氏よりは家族だよねえ。お父さんはいつだって車で迎えに来てくれたし、お母さんはご飯作ってくれるしさあ」 「何言ってんだかさっぱり分からないけど、なんの話?」 「家族は大事だよねえって話」 「まあ、それは同意だけどね。実家依存の女は嫁に行ったら送り返されるよー」 「きゃあー」 きゃあきゃあと女子達が笑いだす。 でも、実家に帰りたいよね、とか、実家に入り浸る男よりマシだ、とか。 なんだか生々しい話だ。 男たちもなんとなく遠巻きに眺めている。 「私も、高校の頃は親と喧嘩ばっかりだったけどさ、今は適度の距離があるから大分やりやすい」 「あー、分かる。なんか親の言うことも分かるよなって思ってきた」 「就職とか成績についての話される時は別だけどな」 「就職就職うるっせーんだよ!不況なのは俺のせいじゃない!」 酒が入ってヒートアップしてきた皆が、今の就職戦線の厳しさに愚痴をこぼし始める。 ぽんぽんと変わっていく会話のテンポが小気味良くて楽しいけれど、俺はやっぱり実家の話に捕らわれてしまう。 ぐるぐるぐるぐるエッシャーのだまし絵のように、終わりのない思考の迷路。 「………距離があるから、やりやすい、か」 「黒幡、反抗期で喧嘩でもして気まずい状態なの?でも今なら、仲直りできるかもよ。やっぱりお母さんっていいよー」 大川がぽんぽんと肩を叩いて、また鍋の元へ帰っていく。 その背中を見ながら、また小さくため息をついてしまう。 今なら、仲直りできるかも、か。 あの時何度も何度も打ち解けようと努力した。 けれど結局結果はアレだ。 でも、あの時は俺の努力も足りなかったかもしれない。 俺は結局、スポーツをすることはなかった。 絵を捨てることは出来なかった。 父や義母や和樹の気に入るようなことはできなかった。 言い訳ばかりして、しようともしていなかった。 反抗的な態度だと言われても、当然かもしれない。 今ならもう少しは、うまく立ち入れるのだろうか。 あの人達も、それを望んでいるのだろうか。 いや、そんな訳ない。 そんなこと、ある訳ない。 「………」 「黒幡?」 「あ、工藤」 いつのまにか大川の代わりに工藤が隣に来ていた。 そっとウーロン茶が入ったコップを渡してくれる。 アルコールにはあまり強くないので、ありがたい。 この前初めて飲んだ翌日は頭痛と吐き気がひどかった上に、先輩にもう飲むなと言われた。 全く覚えてないが、なんかやらかしたらしい。 小さく礼を言うと、工藤は笑って俺の眉間をつついてくる。 「なんか難しい顔してるな。どうしたの?」 「う、ん。実家に帰るか帰らないか迷ってる」 「何か訳アリ?」 小さく周りに聞こえないような声で聞いてくる。 隣を見ると、工藤は鍋の周りに群がる仲間たちを穏やかな顔で眺めていた。 先輩とはまた違った趣の、静かに整った顔。 「え?」 「黒幡さ、実家とうまくいってないでしょ?」 さらりと言われた言葉に、一瞬言葉を失う。 すると工藤がこちらを見て、首を傾げる。 「黒幡?」 「………すごいな」 「何が?」 「なんで分かったの?」 俺は工藤に、事情の説明なんて何もしてないはずだ。 こっちでしているのは、鷹矢ぐらいだ。 もしかしたら小池教授も知っているかもしれないけど。 工藤は優しく目を細めて笑った。 「お前、家族の話あんまり乗ってこないし、極力話さないよね。それに正月以外で帰省したところ見たことないし」 「工藤、すげーな」 「あはは、ありがとう」 ものすごい洞察力だ。 何気ない会話の端に、そんなものを見つけている。 まあ、正月以外の帰省は新堂さんに止められていたからなんだけど。 この前解禁されたのでもういつでも帰ることが出来る。 「俺もあんまりうまくいってないタイプだから、なんとなく分かるんだよね」 「そっか」 どんな事情があるのか、ちらりと気になった。 けれど、言うことを拒絶はしてないけれど、言いたそうでもなかったので聞かないでおく。 工藤もそれ以上言うことなく、話を続ける。 「迷ってるの?」 「………ずっと、会ってなかったんだけど、会いたいって向こうが言ってるらしいんだ」 「ふーん」 本当に、今更だ。 接触を禁止されているとは言え、希望してきたら告げるとは言われていた。 つまり、今の今まで、あの人達は俺に会いたいなんて言うことはなかったということだ。 でも、それはまだ会うのは問題があると思ったからだったのだろうか。 もしかして、今なら会っても平気だと、そう思ったのだろうか。 「こういう場合ってどうしたら、いいんだろうな」 工藤に言っているようで、自分に言い聞かせるような言葉。 自分がどうしたいのか、まずはそれが一番大事だ。 自分の気持ちが、何よりも分からない。 工藤は、自分のビールを一口煽ってから小さく笑った。 「俺は、黒幡の恋人でも親友でもないから、深い話はしたくないし、聞きたくない」 「うん」 俺も特に言う気はない。 笑いもとれない、気が重くなるだけの、つまらない話。 鷹矢に言ったのは、動揺と、気の迷いだったのだろうか。 鷹矢には悪いことをしてしまった。 「あ、恋人になるのはいつでも大歓迎なんだけど」 「ありがとう。遠慮しとく」 「ひどいな」 抗議をしながらも、工藤はくすくすと笑っている。 その穏やかな笑顔は、好きだ。 工藤とは一回寝た。 俺に触れる指は繊細で優しくて、耳元で囁く掠れた声は甘い言葉を繰り返した。 先輩とは全く違う抱き方をする優しい男。 この男は、嫌いじゃない。 むしろ好きだ。 でも、俺はこいつの恋人になる資格はない。 「だから、これは、あくまで俺の意見ね。俺の偏見。適当な意見」 「うん」 工藤が、俺の頬の産毛をそっと手の甲でなぞる。 ぞくりと、背筋に快感が走って、軽く体を震える。 「俺の意見としてはね」 穏やかに笑う工藤の顔。 けれど、その目はどこか真剣な色を帯びていた。 「月日って、そう簡単に人を変えない」 「ただいま」 帰宅を告げても、帰ってくる言葉はない。 それは、入る前から分かっていた。 結局一晩中斎藤の家で飲んでいて、帰ったのは始発だった。 眠気で頭がくらくらする。 煙草とアルコールと鍋の匂いが染みついた髪や服が気持ち悪。 早くシャワーを浴びて布団にもぐりこみたい。 玄関にやっぱり先輩の靴はない。 靴をしまうとか揃えるとかしない人だから、いるなら靴は散乱しているだろう。 今日も帰っていないらしい。 最近はずっと携帯でのやりとりすら、ない。 こちらから確認のメールを入れてもレスはない。 どれだけ先輩の声を聞いてないだろう。 どれだけあの手に触れてないだろう。 こんなに会わなかったのは、先輩と出会ってから初めてかもしれない。 そう考えて、一人頭をふる。 いや、まだ最後に触れてから一月ほどしか経ってないのか。 この家に暮らし始める前なんて、それくらい会わないことはざらだった。 この家に来てからも二週間家を空けるなんて、珍しくなかった。 それなのにどうしてこんなに、先輩と出会ったのが遠い昔のように感じるのだろう。 「彼氏なんて、所詮他人だよ、か」 先輩は別に彼氏じゃない。 けれどセックスをする、耕介さんと同じぐらい大切な人。 あの人が俺を捨てるなら、俺はあの手を貰う。 その約束はもらっている。 その約束があるから、俺はあの人の傍に安心していられる。 けれど、分かっている。 先輩が俺に飽きる日はきっと来る。 それが今だって、明日だって、おかしくなんてない。 あの人は自由で移り気。 それこそが、先輩。 俺に飽きたって恨む気にはなれない。 それが先輩だから。 そんな先輩と、先輩が作り出す作品に、惚れているのだから。 それに先輩の約束は本当。 先輩の約束も、俺にくれた言葉も全部本当。 あの人はきっと手を切り落としても、楽しそうに笑っているだろう。 よくやったなの一言くらいはくれそうだ。 けれど、一回俺に飽きたら、その心はもう手に入らないだろう。 その作品とその体は、俺の元にあったとしても。 それでいいと思っている。 それが当然だと思っている。 俺には耕介さんがいる。 大切な保護者がいる。 帰る場所がある。 たとえ捨てられても、先輩の作品と手は手に入れられる。 何も怖くない。 「そう、何も、怖くない。………ただ」 俺はただ、先輩が俺に飽きる日が、一日でも遅くであることを願うだけ。 |