それに気付いたのは、部屋の洗面所で顔を洗っていた時だった。
いつも懐に忍ばせていた金色の小さなキーホルダーが、ない。

「どこ、で……」

どこで落としたか。
そんなの考えるまでもない。
あの時だ。
あの、走り出した時だ。
なんてことだ。
よりによって、あれを落とすなんて。

俺は急いで部屋を飛び出す。
ドアを開くと、ちょうど帰ってきたのか瑞樹が驚いた顔をして立っていた。

「しゅう、いち?どうしたんだ?」
「あ、校舎に忘れものをした。とってくる」
「え、あ?俺も付き合うか?」
「いや、いい」

瑞樹への返事もおざなりに、俺は少しかけ足になる。
あれがなきゃ。
あれを落としたら。
俺は。
俺は、これからどうしたら、いいんだ。

急いで校舎裏の茂みに駆け付ける。
もう辺りは暗くて、ほとんど何も見えない。
校舎のところどころから漏れる廊下の防犯用のライトと、月明かりだけが頼りだ。
座っていたところを、地面に這いつくばって探す。
私服が泥にまみれるが、気にならない。

ない、ないないない。
暗くて見えない。
木が邪魔で、鬱陶しい。
たまにむき出しの肌をひっかいては傷つける。
爪に土が入りこみ、左の薬指が半分はがれかける。
血が、滲んで地面に染みを作る。
けれど、そんなものも気にならない。
探さなければ。

どれくらい探していただろうか。
ポケットに入れた携帯電話の揺れに気付いた。
そういえばさっきから鳴っていたかも知れない。
再度無視しようかと思ったが、あまりにもうるさく鳴るので仕方なく電源を切ろうとそれを取り出す。
開くと、すでに時間は日付を超えたことを示していた。
そして、着信は瑞樹からだった。
どうしようかと一瞬迷う。
瑞樹を無視する訳にはいかない。
けれど、今瑞樹に連絡をとったら帰って来いと言われるだろう。

しかし、考える間もなく、再度瑞樹から着信が入る。
俺は慌てて通話ボタンを押した。

『おい、どこにいるんだ!秀一!』
「あ、瑞樹………」
『瑞樹、じゃない!今どこにいるんだ!』
「校舎裏で………、忘れものが見つからなくて……」
『いいから帰ってこい!明日にしろ!俺も手伝うから』

かなり怒っている。
きゅっと胸が引き絞られるように委縮する。
怒っている瑞樹は、誰よりも怖い。
もう背は瑞樹を追い越したのに、力関係はいつまでも変わらない。
力も心も、今でも瑞樹の方がずっと強い。

「でも………」
『でももだってもねえ!つべこべ言うな!俺の命令が聞けえねえのか!!俺を寝不足にするつもりか!』
「そんな訳はない」
『じゃあ帰ってこい、10分以内だ、いいな』
「あ」
『いいな』

そこで、通話は一方的に切られた。
俺は携帯電話をしばらく見つめる。
諦めがたく、もう一度茂みに視線を送る。
しかし、瑞樹の命令は絶対だ。
今日は、諦めるしかない。
明日、明るくなれば見つかるかもしれない。

そんな小さな希望にすがって、俺は立ち上がる。
随分とドロドロになってしまった服を軽くはたく。
それぐらいじゃどうにもならないが、どうにもする気になれず、よろよろと歩く。
10分以内に帰らなくてはいけない。
瑞樹は、絶対だから。

泥にまみれて汚れていて。
大事な宝物を無くして。
瑞樹に捨てられようとしている。

みじめだった。
先ほどまでなんとも思ってなかった闇が、押し寄せてくる。
夜の闇に、押しつぶされそうだった。
いっそ、このまま消えたかった。






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