本や授業の資料などに囲まれ窓が半ばつぶれた、薄暗い特別教室。 入ると初夏に近い陽気に中は蒸し暑く、本の据えた匂いがした。 まるで異空間のような静かで、周りから切り取られた部屋。 床に積み上げられた本にもたれかかり、そいつはまるで溶け込むようにそこにいた。 俺がノックもせずに入っても驚かない年上の男。 静かに視線を寄こすと、携帯音楽プレイヤーのイヤホンを耳から外した。 無表情に、手を軽く上げる。 「よ」 「忘れ物を預かってると聞いた」 俺は、もうそれしか頭がなく、性急に用件を切り出す。 柳瀬は呆れたように肩をすくめた。 「挨拶もなしか?随分礼儀がなってないな。昨日も礼も言わず逃げるしな」 「………逃げてなんかっ!」 「にしても、お前よく物を落とすな」 揶揄するような口調に、思わず頭に血が昇る。 しかし男は気にせず情の薄そうな薄い唇を少しだけ歪める。 そして、俺の大事な大事なものをポケットから取り出すとチャラリと音を立て見せつける。 「あ」 「そんな大事なものなのか?」 「あ………」 中を見られたのだろうか。 俺の薄汚い感情を、知られてしまっただろうか。 いや、単に幼馴染の写真を入れているだけだ。 そこに込められた俺の醜い想いを、知られるはずがない。 でも。 「安心しろ、中は見てない」 俯いて胸元を握りしめた俺の反応をどう思ったのか、柳瀬は静かにそう言った。 柳瀬は表情がほとんど動かない。 あのうるさい男とは対照的な、静かな印象の男だ。 「そ、うか……」 俺はそれを聞いて、心に平静が戻ってくる。 昨日の夜から続いていた訳もない焦燥が、静かになっていく。 熱くなっていた頭も、心も、徐々に熱を失っていく。 そして、ようやく目の前の男に礼を言う余裕もできた。 あの男の友人ということで勝手に敵対視していたが、よくよく考えてみれば非礼なのは間違いなく俺のほうだった。 自分の非を認め、深く頭を下げた。 「………ありがとう、その悪かった。昨日の非礼も詫びる」 「ああ、まあいいけど」 「それを、返してくれ」 柳瀬は黙って、キーホルダーを差し出した。 ドアの前に突っ立っていた俺は教室の中に踏み込む。 「桜川には全く興味が湧かないんだけど」 「え?」 「お前には、興味があるな」 後一歩でそれに手が届くというところ、柳瀬がぼそりとそんなことを言った。 何を言ったか聞き返す暇もなく、腕が引っ張られる。 「え!?」 気がつくと、埃臭い床の上に引きずり倒されていた。 男の胸にもたれかかるようにして、捕えられている。 意味が分からず、体を起して男に抗議する。 「な、何をするんだ!」 「いいね、その真面目な顔、無茶苦茶にしてやりたくなる」 そう言った瞬間に、顎が取られた。 男の薄い唇が、重なる。 ぞわりと背中に悪寒が走り、とっさに右手で男の頬を殴りつけた。 「っつ」 「は、なせ!」 男は小さく笑うと、金色の小さなキーホルダーを高く掲げた。 考える暇もなく、それに思わずすがる。 俺の、大事なもの。 「あ」 「いいのか、これが手に入らなくなるぜ」 「く、そ、それをよこせ!!」 崩れた体勢のまま、抜き手で男の首を狙う。 殴り倒して、それを奪い返すつもりだった。 しかし、その手は簡単に止められる。 「え」 確かに力を乗せるには無理な体勢だった。 けれど、不意をついていたし、よけられるようなスピードでもなかった。 それを、いとも簡単に、止められる。 まるで子供をいなすように。 「中々いい突きだけど、残念ながら甘いな」 「ぐっ」 代わりに、男の拳が腹に埋められる。 柳瀬も座ったままだ。 しかも至近距離。 力なんて、入りようがない。 けれど、それは石のように重くて、呼吸が一瞬止まる。 腹部をかばうように、一瞬身を丸めた。 「苦しいだろ、色々なことが」 「な、にを………」 「楽にしてやるよ」 その隙に男にとったままの手をひっぱられた。 今度こそ、埃臭い床に仰向けに倒される。 両手を簡単に片手で押さえつけられ、膝で足の動きを塞がれた。 「な、に……?」 「考えることなんて、やめちまえ」 「何言って…、やめ、やめろ!!」 必死に暴れても、男の手はビクともしない。 いくら上からの力が強いからと言っても、俺だって鍛えている。 瑞樹やあの男には敵わなかったが、それでもこんな簡単に動きを抑えられるほど弱くはない。 それなのに、いとも簡単に柳瀬に捕えられている。 大きく無骨な荒れた片手で両手を抑えられ、もう片方の手が脇腹をなぞる。 また、悪寒が走り体が震えた。 「何も考えなきゃ、ずっとずっと、楽になれるぜ?」 「いやだ!触るな!!!」 何をされるのか、分からなかった。 これから起こることが想像もつかない。 ただ、冷たく乾いた手が、体を這うのが生々しかった。 ふと気付いたように、眼鏡が外される。 視界がぼやけて、男の姿が滲む。 歪んだ視界の中で、男がうっすらと笑った気がした。 |