部屋に入ると、男は軽く顔をあげる。
相変わらず逆光で表情は見えない。
資料や本に囲まれた薄暗い部屋の窓の下。
そこが男の定位置。

柳瀬はいつも、音楽を聴くか本を読んでいる。
そして俺が部屋に入ると、ゆっくりと顔をあげる。
きっと、うっすらと笑っている。
蛇のような表情の見えない眼をして。

入った途端、空気が重くなる気がする。
本のカビ臭い匂いの籠った部屋は、息苦しい。
入るまでは屈しないと心するのに、体に染み付いた恐怖が頭を押さえる。
震える手で施錠して、男に近づく。

男の前で跪くと、柳瀬は予想した通り、笑っていた。
表情の見えない眼で、少しだけ口の端を上げて。
大きな手が、眼鏡を取り上げる。
景色が、滲んでぼやける。

そうすると、少しだけ心のざわめきがおさまる。
ここは現実じゃない、とそう、思えるからかもしれない。
むせかえる本の据えた匂い。
夕暮れの暗闇に沈む、薄暗い部屋。
非現実的な、世界。

だから俺は眼を閉じて、そっと冷たい唇に口づけた。

「いい子だ」
「………」

服従を示すと、柳瀬は大きな手で頭をゆっくりと撫でた。
馬鹿にされている。
本当に、ペット扱いだ。
それなのに、俺は何も言えなくなってしまう。

これは脅されているからだ。
写真のデータを、取り戻さない限り俺は何もできない。
それに逆らうと、報復を受ける。
柳瀬は歯向かうと容赦なく制裁を加える。
データを取り戻すためには、従順に従って油断させた方がいい。
こいつには、悔しいけれど、力ではかなわない。

「ほら」

柳瀬が傍らにあった箱から何か取り出して、口の前に差出す。
黙って口を開けると、それが放り込まれた。

「………チョコ?」
「ああ」

口の中に、ちょっとほろ苦い甘味が広がる。
舌で転がすと、ふわりととけて少しだけ酒の味がする。
柳瀬の前に、座りこんだままチョコを味わう。
食べ終ると、もう一つ差し出されて俺は黙って口を開ける。

「うまいか?」
「…………」

なんとも答えられなくて、俺は黙ったままチョコを溶かす。
けれど柳瀬は満足そうに頷いて、自分もひとつ口にした。
甘いものは、好きだ。
瑞樹があまり好きではないから、ほとんど食べることもなかったが、甘いものは心が落ち着く気がする。

「………なんで、お前いつも、お菓子持ってるんだ?」

この部屋に来るたび、この男は何かしら甘いものを食べている。
そして、気まぐれに俺に与える。
『しつけ』のご褒美のように。
この男に甘いものが、不釣り合いでつい聞いてしまった。
毎回感じる、なんとも言えない違和感。
けれど柳瀬はもう一つ口にしながら、あっさりと言う。

「甘いものが好きだから」

おそらく俺は変な顔をしたのだろう。
この傍若無人で残酷さをにじませる蛇のような男が、そんなかわいいことを言う。
違和感がありすぎて座り心地が悪い。
柳瀬は可笑しそうに笑った。

「甘いものは、すぐにカロリーになるからな」

やはり、いまいちよくわからない。
まあ、この男が考えることなんて、いつまでも分かる気がしないが。

3つ目のチョコレートを食べると、柳瀬はその指を俺の前に差し出した。
その意図を理解して、抵抗するように視線を落とす。
けれど、柳瀬は許してくれない。

「ほら」

それは、綺麗にしろという、命令。
俺は一瞬躊躇して、けれどその指に舌を這わす。
くっと、喉の奥で柳瀬が笑う。
屈辱で、体が熱くなる。
けれど、逆らうことはできない。

指に丁寧に舌を這わせ、口に含む。
ココアパウダーがついた指は、わずかに苦い。
しばらくされるがままになっていた柳瀬の指が、動く。

長い指で、舌をなぞる。
歯列をたどり、爪をたて、上顎をえぐられる。

「ん、ふっ」

むずがゆいような弱い刺激に、腰が重くなる。
口の中にこんな感覚があることは、柳瀬に教えられた。
こいつがいなければ、俺はこんな感覚を知ることはなかったのに。
こんなこと、知りたくなかった。

ゾクゾクと背筋に悪寒が走り、熱に頭が侵されていく。
柳瀬の指にそそのかされて、指に必死に舌を絡める。
唾液をためて、ぴちゃぴちゃと音を立てることは一番はじめに教わった。
時々喉の奥まで探られて、吐き気がしてえづく。

「うぇ、く、ん」

喉をつかれると、ねばついた唾液が絡む。
俺が苦しくて眉を顰めると、柳瀬は満足げに目を細める。
柳瀬は俺の苦しがる顔が、好きらしい。

飲み込めなくて、唾液が顎を伝う。
すると、柳瀬が指をひいて、顔を近づけ溢れた唾液を舐める。
そのまま、口を塞がれる。

口の中の唾液をかき回し、いやらしい水音を立てる。
長い舌が、敏感になった口内を探る。
柳瀬の唾液が、注ぎ込まれる。
汚い体液が、混じり合う。

汚い。
汚い汚い汚い。
体の中に、柳瀬の体液が、入ってくる。

吐き出したい。
飲み込みたくない。
けれど、それは許されない。
ぼやけた視界の中、静かな目をした柳瀬は、俺にそれを促す。
柳瀬に口をふさがれたまま、俺は混じり合った体液を飲み込んだ。

「んぐ、ん、けほっ、かは」

最後まで飲みこんだのを見計らって、柳瀬が体を離す。
ようやく、解放されて、俺は軽くせき込む。
飲みこんだものが、体の中に溜まっていく気がして、苦しい。
柳瀬は俺の後ろ髪をひっぱって、仰向けされると、顔をじっと観察する。

「本当に嫌そうだな」
「……汚いっ、汚い汚い」

汚れた体が、もっともっと汚くなっていく気がする。
この男の薄汚い体液が、体の中に入っていく。
体の中から、侵される。
柳瀬は小さく笑うと、いつもの言葉を口にする。

「汚くなっちまえ」
「………いやだ」
「お前は俺の犬だ。薄汚れてるぐらいでちょうどいい」
「………ち、がう」

俺は瑞樹のものだ。
そのはず、だ。
僅かな抵抗に、帰ってきたのは頬への鋭い一撃。

「お前の主は、俺だ。いいな」
「………は、い」

条件反射に、そう答える。
違うのに。
それは違うのに。
いや、いいんだ。
今だけは服従した、フリをしろ。
これは、フリだ。
だから、瑞樹を裏切ったりはしていない。
これは、こいつを油断させるための、演技。

「いい子だ」

優しく頭を撫でられ、キスを落とされる。
褒められると、少しだけ胸が、温かくなる。

抵抗には痛みを。
服従には抱擁を。

柳瀬の『しつけ』は、徹底している。
あの人とは、違う。
あの人がくれるのは、痛みだけだった。
けれど、柳瀬は、褒めてくれる。
いい子だといってくれる。
頭を撫でてくれる。

瑞樹と、一緒だ。

違う。
こんな卑怯な男と瑞樹は違う。
一緒にするな。
綺麗な綺麗な瑞樹と、汚い男。
一緒にするなんて、ありえない。
しっかりしろ。

抱き寄せられ、柳瀬の足の上に座り込む。
腰が密着して、俺の状態が分かってしまう。
柳瀬の匂いは、どこか甘い。
甘いものをいっぱい、食べているせいだろうか。

「嫌がるわりには、しっかり勃ってるな」

揶揄され、顔が熱くなる。
汚い、体。
俺は汚い。
汚い汚い汚い。
簡単に薄汚い欲望に支配される。

嫌なのに。
嫌なはずなのに。
こんなこと、嫌なはずなのに。

けれど、体の熱が、消えない。

「ちゃんと、言いつけたことはしているか」

更に顔が熱くなる。
体にも熱が帯び、吐息すら熱い。
柳瀬がシャツの上から、胸をなぞる。

「っ」
「前より、敏感になってるな」

前は何も感じなかった器官が、軽くシャツに擦れただけで声をあげるくらい刺激が走る。
ピリピリと電流のような感覚が、体を支配する。
柳瀬が楽しいおもちゃのように、執拗にシャツの上から乳首をつまみあげる。

「ちゃんと毎日自分でいじれ。女みたいに腫れあがる」

耳元で、悪魔のような言葉に吹き込まれる。
暑い部屋。
熱い体。
けれど、柳瀬の体は、冷たい。
本当に、悪魔のようだ。

「や、だ」
「ほら、下もかわいく顔を出してる」

右手で胸をいじりながら、左手がズボンの中に入り込む。
わずかに剥けている情けないそれを、下着からひっぱりだされる。
瑞樹や、柳瀬のものとは違う幼いものを、大きな手が擦り上げる。

「う、く」
「気持ちいいか?」
「やだ…、い、やだ………」

頭が熱に、侵される。
部屋の中の濃密な空気に、自分が根底から変えられる。
いやなのに。
こんな汚いこと、いやなのに、次第にぬめりを帯びて、男の手の動きが滑らかになる。
それを見たくなくて、柳瀬の肩に顔を埋めて、ただ刺激に耐える。
くっと、喉で笑った気配がした。
なんて、屈辱。

「ん、く…はっ」
「服が、汚れるな」
「………あ」

そう言って、柳瀬は俺を脚から下ろす。
冷たい体の温度が離れて、情けない声がでた。
半裸で、みっともないものをさらけ出したまま放りだされる。
蛇のような感情のない眼が、情けない俺の体を一瞥する。
恥ずかしくて、情けなくて、視線から逃げるように身を丸める。

「脱げ。俺の前でヌケよ。見ていてやる」

柳瀬は震える俺の髪をひっぱって顔を起こさせると、視線を合わせて笑った。
最初の時以外、柳瀬は俺を抱いていない。
その手で嬲るくせに、最後まで熱を煽ることも少ない。
こうして、途中で放り出す。

「…なん、で………」
「ペットのシモのしつけも、飼い主の責任だからな」

これも、いつもの言葉だ。
俺は自慰はできない。
汚くて、怖くて、たまに興奮を覚えても、熱が収まるまでじっとしていた。
今も、できない。
あんな汚いこと。
欲望を、ただ吐き出すための何も生み出さない行為。
もし、瑞樹にでも見られたらと思うと、ぞっとする。

「ほら、俺がついててやる。できるだろう?」

優しく微笑まれて、促される。
それを分かっていて、柳瀬は自慰行為を強要する。
俺を自分自身で、貶めさせるために。
自涜、とはなんてぴったりな言葉。

最初の時以来、柳瀬は俺を抱いていない。
ただ、こうして俺を貶めるだけ。
俺をおもちゃのように扱うだけ。
『しつけ』を、根気よく繰り返す。

「お前は、俺のかわいいペットだから」

優しいキスが、落とされる。
甘い匂いが、鼻孔をくすぐる。

けれど、逆らうことはできないから。
黙ってボタンに指をかけた。

「いい子だ、秀一、かわいい俺のペット」

細く鋭い眼のの男が、優しく笑う。
本当に愛しいペットを慰撫するように。
だから俺は、頷いて応えた。

「………はい、きょう、すけ……」






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