お父さんもお母さんもお仕事だから、家には誰もいなかった。 鍵を開けるのももどかしい。 早く、家に入りたかった。 もう、我慢できそうになかった。 いつもより鍵を開けるのに手間取って、いつもより重く感じる扉を開ける。 靴を脱ぎ散らかして、玄関のすぐ傍らにある部屋に入り込むと乱暴にドアを閉めた。 もう、いいよね。 もう、我慢しなくて、いいよね。 もう、友ちゃんに見られたりしない。 もう泣いても、いいよね。 少し我慢できなくて、ちょっと涙も鼻水も出てきちゃったけど。 安心すると同時に、涙が止まらなくなった。 涙腺が壊れちゃったみたいに、ぼろぼろぼろぼろ出てくる。 私は、その場に崩れるように座り込んだ。 「う、ううぅぅ、うぁ、うっく」 声、抑えなくていいや。 大声で泣いちゃえ。 それぐらい、許されるよね。 いいよね。 「うぅ、う、うわ〜ん!!う、ひっく、ううぅー」 うわ、もう止まらないや。 みっともない。 こんなとこ見られたら、余計友ちゃんに嫌われちゃうかな。 ウザイよなあ。 ああ、またそんなこと考えてる。 駄目だ駄目だ。 もう、友ちゃんのことは忘れるんだ。 もう、友ちゃんに付きまとわないんだから。 好きだったよ。 すごいすごい好きだったよ。 なんだかんだ言って、すごい優しい友ちゃん。 困ってると、助けてくれた。 ずっと、見捨てないでくれた。 一緒に、いてくれた。 私ね、頑張ったんだよ。 友ちゃんに釣り合うようになりたくて、頑張ったんだよ。 大好きなケーキは一ヶ月に一回にして、毎日ウォーキングして、自力エステして、お肌の手入れして、服だって、いっぱい雑誌買って、バイトして、安いの探して。 勉強だって頑張った。 私頭悪いから、友ちゃんと同じ学校行くの、すごい頑張った。 いっぱいいっぱい勉強したんだよ。 ギリギリだったけど、友ちゃんと同じ学校にいけた。 すごい、嬉しかった。 いっぱいいっぱい頑張ったよ。 友ちゃんのおかげで、頑張れた。 友ちゃんがいなかったら、頑張れなかった。 楽しかった。 努力したら、それだけ友ちゃんに近づける気がした。 いつか、友ちゃんの隣を歩けるんじゃないかと思った。 分かったんだけどね。 もう、ずっと前に、分かってたんだけどね。 友ちゃんの隣を歩ける日が来ないことぐらい、分かってた。 それでも、10000回。 10000回頑張ったら、勇気を振り絞ったら、友ちゃんが振り向いてくれるんじゃないかな、って。 だから、後少し頑張ろうって。 恋って残酷だ。 どんなに努力しても、相手に好きになってもらえなかったら、どうにもならないんだ。 分かって、いたんだけどね。 好きだったよ。 大好きだったよ。 ずっと、一緒にいたかった。 ごめんなさい。 ごめんなさい。 ごめんなさい。 付きまとってごめんなさい。 嫌な思いさせてごめんなさい。 わがままでごめんなさい。 一緒にいてくれて、ありがとう。 10000回付き合ってくれてありがとう。 いっぱいいっぱい、ありがとう。 好きでした。 ずっとずっと、好きでした。 友ちゃんが好きでした。 「みのり〜、ご飯よ〜」 そんな声で、意識が戻った。 頭が痛い。 ガンガンする。 目を開けると、真っ暗で何も見えなかった。 えーと。 そっか、あのまま泣き疲れて寝ちゃったんだ。 昨日、緊張して中々寝れなかったからな。 うわ、布団がびしょびしょだ。 制服もぐしゃぐしゃ。 顔が、パリパリする。 鼻がつまってるし。 頭痛いし。 大変だ。 何よりも心にぽっかり穴があいたようにスースーする。 私の人生って、友ちゃんでほとんどいっぱいだったからな。 友ちゃんがなくなったら、どうしたらいいんだろう。 何を、したら、いいのかな。 あ、だめだ。 また涙が出てくる。 あんなに泣いたのに、まだまだ出てくる。 「みのりー!」 お母さんのちょっと苛立った声が聞こえる。 お腹がぐーとなった。 こんなに哀しいのに、辛いのに、痛いのに、お腹が空く。 どうにも、かっこいわるいなあ。 『お前は食えば機嫌がよくなるんだな』 そう言ったのは、友ちゃん。 泣いてる私に、お菓子をくれた。 泣き止んだ私に、そう言った。 うん、そうだね、友ちゃん。 ご飯食べて、元気出す。 そうだ、ケーキもあったんだ。 いっぱい食べたら、このスースーした胸も、少しはふさがるだろう。 「何、あんた、すごい顔」 お母さんはダイニングに現れた私を見て驚いたようだ。 そりゃあそうだ、確かにひどい顔だろう。 「友ちゃんに、ふられちゃった」 「いつものことじゃない」 うわ、ひどい。 まあ、確かにそうだけど。 「うん。だから、友ちゃんを諦める」 「え、ええ!?」 大きな声を上げて、まじまじと私を見るお母さん。 「あんた、熱でもあるの」 まったく信じていない。 まあ、私が長年友ちゃんに付きまとってたの、知ってるしなあ。 それこそ、幼稚園からだし。 「今度こそ、諦めるの。振られたこと、受け入れる」 「………」 お母さんがおでこに手を当ててくる。 どこまでも失礼だ。 人の決心を。 「熱はない。ずっと前から決めてたの。こんどこそ、諦めようって」 「……そう」 お母さんはぽつりとそうつぶやくと、表情の選択に困ったような微妙な顔をした。 困ったような、ほっとしたような、私を案じるような。 「どうしたの?」 「うーん、この場合どうしたらいいのかと思ってね。慰めるべきなのか、お疲れ様と言うべきなのか」 「……母親なら慰めようよ」 「いやほら、あんたちょっとどうかしてるぐらい、あの子のこと好きだったじゃない。いつか新聞に載るようなことやらかすんじゃないかって、ちょっと心配だったのよねえ。だから安心もしてるのよ」 なんて、母親だ。 率直にもほどがありすぎる。 もうちょっと言葉をオブラートに包んだりはできないのだろうか。 「先方のお母さんも何にも仰らないから、そのままにしておいたけど、正直止めようかどうしようか迷っていたのよねえ」 「そんなこと、言ってなかったのに…」 「いやね、母親としては、あんたが頑張ってるの応援したい気持ちもあったのよ。……おかげで成績も上がったし」 それか。 本当に、なんて母親だ。正直にもほどがある。 ……でも、そのサバサバした言いように、呆れながらも、ちょっとだけ心が軽くなる。 ほんの、ちょっとだけ。 「まあ、ようやく諦める決心も出来たんだし、いいじゃない」 「そういう問題なの……?」 ようやく落ち着いたように、ご飯をよそいながらそんなことを言う。 母は私に似て、空気の読めない無神経な人だけど、それでも私を気遣っているのは分かる。 「あんたまだまだ若いんだから、一花も二花も咲かせられるわよ。世の中男なんていっぱいいるんだから」 「……」 「まあとびっきり綺麗って訳じゃないけど、愛嬌あってそこそこかわいいんだから、すぐにいい男見つかるわよ」 「……見つかる、かな」 「見つかる見つかる。報われない恋なんてさっさと忘れて、次当たりなさい。若いうちよ。今が旬。2倍増し。腐る前に売りに出しなさい」 「人のこと、マツタケかなんかのように言わないでよ」 「マツタケなんていいもんじゃないわよ。一山いくらで売り出せる秋刀魚ぐらいね」 「ひどい」 「まあまあ、明日は記念にあんたの好きなもの作ってあげる」 「記念って、なんの記念よ…」 「十年間お疲れ様、よく振られたね記念パーティー」 「……せめて残念会ぐらい言ってよ」 「そんなこと言ったらますます暗くなるじゃない」 一応、母は私を慰めているのだろう。 ……たぶん。おそらく。きっと。 まだまだ吹っ切れることはできなそうだけど、それでもいつか他に好きな人ができるだろうか。 友ちゃんを忘れられるだろうか。 いや、忘れなくちゃいけない。 もう、友ちゃんを煩わせたり、したらいけない。 頑張るよ。友ちゃん。 頑張って、忘れるよ。 いつか、友ちゃんを思っても優しい気持ちになれるように、なりたいよ。 大好きなミックスベリータルトを、ホールのまま部屋に持ち込む。 いつも横取りをしようとする母も何も言わなかった。 長野で買って、ずっと大事に飲んでいるアップルティーを入れて。 お気に入りの音楽をかけた。 「頂きます」 部屋の真ん中で座り込んで、手をあわせてお辞儀する。 切り分けたりしないで、そのままフォークを突き刺す。 「えへへ、おいしい」 すっぱくて甘くて、上に乗ってる生クリームがふわふわ溶ける。 とてもおいしい。 もう一口。 ブルーベリーが口ではじける。 うん、おいしい。 久々だから、余計においしい。 このケーキは、小学校の時、友ちゃんの家で食べた。 確かそれは友ちゃんのお母さんの手作りだった。 こんなに綺麗じゃなかったけど、それでもあったかい味がした。 友ちゃんが切り分けてくれて、喜んで食べた。 「…しょっぱい」 いつの間にか、また涙が出てきている。 口に入り込んで、せっかくのタルトがしょっぱくなってしまう。 ……涙かな。鼻水かも。 まあ、いいや。 もう気にしない。 しょっぱくなったケーキをフォークで掬って、もう一口。 しょっぱくてすっぱくて甘くておいしい。 一回、このケーキを売ってるカフェで、一緒に食べたかったな。 「う、っく、ひっく」 口を動かしながら、次から次へと涙が出てくる。 涙ってどんだけ出てくるんだろう。 まだまだ止まりそうにない。 鼻が詰まって、ちょっと苦しい。 『すきです。けっこんしてください』 最初の告白は、確かそれ。 友ちゃんと知り合ってから何日かしてから。 幼くて、それでも真剣な告白。 『おれ、ゆうすけの方がすき』 そう言ってふられた。 記念すべき第一回。 ゆうすけ君に負けてしまった。 『ともちゃん、だいすき』 『ふーん』 何十回目か。 この頃から、なんとなく回数を正確にカウントするようになった。 何かを、刻みたかった。 頑張った分だけ、報われる気がした。 『友ちゃん、すき』 『うるせーな!』 これは何百回目だったか。それでもまだ3桁台だった。 たぶん小学校低学年。 女の子と男の子が、一緒ではいられなくなってきた時期。 この頃の友ちゃんは、ちょっと乱暴でよくなぐられて、追い払われた。 でも、嫌い、とは言われなかった。 『友ちゃん、好きです』 1000回目。 本当は1000回で、終わりにしようかと思ってたんだ。 さすがに、しつこいって思ったし。 周りの人の好奇に満ちた目が、痛かった。 『お前、よく頑張るなあ』 けど、そんな時、そう言って友ちゃんが呆れたように笑った。 それは呆れてはいたけど、どこか温かく見えて。 『ばーか』 そう言って、ごつんと拳で頭を殴られた。 今思えばどう見ても拒絶だけど、それがなんだか嬉しくて。 もうちょっと頑張ったら、もしかしたら振り向いてくれるんじゃないかってそう思ったんだ。 馬鹿だねえ。 だから、もうちょっと頑張ろうって。 思っちゃった。 本当に馬鹿だ。 『友ちゃん、好きです』 『俺、田中が好き』 小学校の高学年の頃から、みんな恋愛とかに騒ぎ始めた。 友ちゃんは運動神経よかったから、結構人気が高かった。 だから、この頃、女の子にハブにされたりした。 そして、友ちゃんは、初恋をした。 そっちのほうがとてもとても、痛かった。 苦しかった。 辛かった。 それで、迷惑かな、って思って。 この頃から、一緒に帰ることはなくなった。 遊ぶことも、少なくなった。 それでも、友ちゃんが好きだった。 『俺、カノジョができた』 そう言われたのは、中学の夏休みだっただろうか。 頭が殴られたような衝撃をうけた。 友ちゃんの初めてのカノジョは、友ちゃんと同じ陸上部の子。 短い髪で、日に焼けて、私と違ってサバサバしたかわいい子だった。 『……そっか』 『そうだ』 『それでも、友ちゃんが好きです』 友ちゃんは無表情でごつんと拳で頭を殴って、何も言わなかった。 友ちゃんに頭を殴られるのは好き。 触れ合うのは、それぐらいだから。 でも、その時には、とっても痛かった。 とってもとっても、痛かった。 その後友ちゃんは何人かの女の子と付き合って、別れて。 それでも私は、友ちゃんが好きだった。 そして、諦めがついてきた。 『友ちゃん、好きです』 『俺は普通』 『そっか』 『そうだ』 それが挨拶になって。 回数が5000回を越えて。 この頃には、気付いてた。 私が友ちゃんの隣に並ぶことなんてできないって。 気付いてしまった。 本当はずっと前から気付いていたのかも。 ただ、見たくなかった。 好きでいることが許されるなら、好きでいたかった。 報われたいけど、報われなくてもよかった。 好きでいたかった。 でも、そんな粘着質な女、本当に痛いから。 いや、もう十分痛いんだけど。 だから、10000でやめようって思って。 諦め悪くても、それまではもっともっと頑張ろうって思って。 友ちゃんには、本当に申し訳ないんだけどさ。 いつでもね、いっぱいいっぱいだったよ。 何回告白しても、いつだってドキドキしてた。 挨拶みたいにしてても、いつだって心臓バクバクだった。 破裂しそうだった。 それで、いつだって辛かった。 何回ふられても、いつだって胸がはりさけそうだった。 挨拶みたいにしてても、いつだって家に帰って泣いた。 いつだって、ドキドキして、いつだって痛かった。 『いつもへらへらして、お前の告白って、本気に聞こえない』 そう言われたこともあった。 本気だったよ。 痛いぐらいに本気だったよ。 本気と書いてマジだったよ。 でも、あんまり鬼気迫っても暑苦しいし、ウザイし。 そしたらさっさと嫌われちゃうかもしれないし。 だから、笑っていたかったんだ。 少しでも先延ばししたかった。 友ちゃんに、好かれなくても、嫌われたくはなかった。 手遅れだろうにね。 でも、せめて、笑ってたかったんだ。 ホールのケーキがもう半分なくなっちゃった。 なんかもう味を感じない。 それでも、胸にぽっかり空いた隙間を埋めたくて、食べ続ける。 アップルティーは冷えちゃった。 音楽は3週目ぐらいに突入。 好きです。 友ちゃんが好きです。 違った、好きでした。 ずっとずっと、好きでした。 |