ふらふらと無防備に歩き始めた俺を、慌てて雫さんが追ってくる。 「三薙、どうしたの?」 俺は歩きながら窓を指さす。 右手にずらりと並んだ大きな窓。 光をたっぷりと取り込んでいるはずなのに、屋敷の中は相変わらず薄暗い。 いや、日が暮れかけて余計に暗くなってきている。 そんな窓の一つ。 いや、一つでは、ないのだ。 「あの部屋の前の窓だけ、二つなんだよ」 「え?」 「ほら」 指さしたのは玄関から三つ目、こちらから二つ目の部屋。 最初に俺たちが入った部屋だ。 そうだ、あの時も足音がしてあの部屋に誘われた。 「あ、ほんとだ。あ………」 雫さんが窓を見て頷き、そして俺が言いたいことが思い至ったようだ。 他の部屋の扉の前には、大きな窓が一つ。 けれど、あの部屋の前にだけ、窓が二つ。 「うん、距離がおかしいんだ」 「………確かあの三つ目の部屋も四つ目の部屋も、それほど広くなかったよね」 「確か、全部同じぐらいだったはずだ」 部屋の大きさは全部屋同じぐらいだった。 むしろあの部屋については、少し狭くすら感じた気がする。 「じゃあ」 「そう、広さが合わないんだ」 あの部屋から出た時、左隣の部屋は近かったのに、右隣の部屋への距離が大分遠いと感じたのを覚えている。 同じぐらいの大きさの部屋が並んでいるなら、距離も等分であるはずなのに。 「………どういうこと?」 「壁がものすごく厚いんじゃなければ、どこかにスペースがあるんじゃないかな。三つめか、四つ目の部屋に」 雫さんも聞きながらもその可能性は考えていたのだろう。 何も言わずただじっと窓を見ている。 ぼくをみつけて。 先ほどの言葉が、脳裏に蘇ってくる。 隠されたスペース。 そこには何が、あるのだろう。 「三つ目の部屋、かな」 「俺もそう思う」 それは理屈ではなく直感だった。 最初に誘われたのも三つ目の部屋。 そしてあの堅い足音が固執していたのも、あの部屋だ。 それに小さな男の子の影を見たのも、あの部屋。 「………それだけ、見てみよ」 「う、ん」 そんなことはしないほうがいいとは思っているのだけれど、雫さんを止めることは出来ない。 俺も、気になって同じ提案をしようとはしていたのだから。 二人して恐る恐ると足音を潜めて、けれど早足に三つ目の部屋に近づき、中に滑り込む。 幸い、まだあの足音はしなかった。 「三薙、鍵って閉まる?」 さきほど、あの足音はこの部屋に入っていた。 同じように入ってこられたら、どうなるか分からない。 物理的な施錠が役に立つのかは分からないけれど、しないよりはマシな気がした。 けれどドアノブに付いている鍵は外側からしかかけられないようで、内側には何もない。 「………閉まらないみたい」 「それじゃ、 なんか別のもの………」 雫さんが部屋の中を見渡す。 鏡台とクローゼットが置かれた、がらんとした部屋。 バリケードになりそうなものはあまりない。 クローゼットなんかは適任だろうが、重厚な作りのそれは俺と雫さんでは移動させることは難しいだろう。 とりあえず、俺は鏡台のところから椅子を持ち出し、ドアの前に立てかける。 背もたれをドアのノブに引っ掻けるようにして、開けるのを難しくしておく。 それでも強い力で無理矢理開ければ簡単に開いてしまうだろうが、ないよりはマシだ。 「ありがと」 「ううん」 「それにしても、何もない部屋だよね」 「………うん」 家具らしい家具は二つだけ。 がらんとした、寂しい部屋だ。 どちらかといえば、女性の部屋なのだろうか。 「そういえば、これなんの部屋なんだろうね」 雫さんが辺りを見渡して、ぽつりとつぶやく。 「え?」 「鏡台とクローゼットだけって、変な部屋」 「確かに。衣裳部屋、とか?」 「それにしてはクローゼットが小さい気もする」 確かに、それなりの広さはある部屋なのに、用途が全く分からない。 それに気付いて、ざわりと肌が粟立つ。 この部屋は、なんのためにあるのだろう。 先ほどこの部屋で見た言葉が脳裏に浮かぶ。 たすけて。 誰を。 何から助けるのだろう。 「何かあるとしたら、こっちだよね」 「あ、うん、そっちだよね」 雫さんが四つ目の部屋側の壁を撫でさする。 けれど特に何も感じなかったようで首を傾げながら、ぺたぺたと壁を触っていく。 俺も同じように壁をぺたぺたと触って確かめる。 壁は紛うこと無き壁で、特に変わった様子はない。 やっぱり勘違いなのだろうか。 それとも、四つ目の部屋に何かがあるのだろうか。 「あ」 「三薙?」 部屋の中を見渡して、気付く。 そういえば4つ目の部屋側の壁には、不自然なものが一つあった。 「………クローゼット、か」 壁にぴったりとくっついて置かれている、不自然なクローゼット。 動かせるかと手をついて揺らしてみる。 けれどクローゼットはぐらぐらと揺れる様子もない。 後から買ったものだと思っていたが、どうやらこれは備え付けのようだった。 扉を恐る恐る手をかける。 クローゼットの中には、さっきは何もなかった。 今も、ないはずだ。 「………」 雫さんが後ろに来て、緊張を走らせる。 何かあったらフォローしてくれるのだろう。 そう思って、さっきよりも勢いよくドアを開く。 バタン! けれど中身は変わらず、がらんどうだ。 誰かがいる様子もない。 「何も、ないね」 「うん………」 それでも、なんとなく気になってクローゼットの中の壁をそっと押してみる。 するとごとりと音を立てて、壁は奥の方に少し動いた。 「あ、動く!?」 「え!?」 そのまま壁を押し続けるが、それ以上はビクリともしなかった。 それでも色々と動かしていると、壁は少し押してから横にスライド出来ることに気付いた。 「あ、開いた」 「うわ、本当だ!」 そのままゴトゴトと音を立てて横にスライドすると、人が一人余裕で入れるほどの大きさが出来た。 その隠しドアの向こう側には、光が差さず真っ暗な空間が広がっている。 ただ、わずかなこの部屋からの明かりで照らされていた。 「そこ見ててくれる?」 「大丈夫?」 「何かあったら逃げる」 真っ暗な空間に、そっと入り込む。 足をついた途端、埃が舞い上がったのが分かった。 喉が痛くて、少しだけ咳き込む。 「何か、ある?」 「う、ん」 手さぐりで壁を探っていると、ちょうどお腹のあたりの高さに何かに触れた。 握ってみると鉄製で丸くて、捻ることができる。 そうか、これはドアノブだ。 捻ってそのまま押すと、ドアは小さく開いた。 思わず驚いて手を放してしまう。 雫さんもクローゼットの中から、その様子を見て声をあげる。 「開いた!?」 「………隠し部屋って、やつかな?」 隠し扉、か。 なんだか、変な感じだ。 こういうの、どこかで、あった気がする。 日記を読んで、部屋を探って、隠し部屋を見つけて。 「………なんか、この家、ゲーム、みたいだよな」 「え、ゲーム?」 「うん、この前やった、ホラーゲームみたい」 「そうなの?私ゲームやらないからよく分からないんだけど」 「………う、ん」 なんだろう、この感じ。 そうだ、ゲームをやっている時と、同じ感じだ。 「なんか、すでに用意されてる答えを、無理矢理解かされているっていうか」 部屋から逃げられなくて、ヒントを与えられて、隠し扉を発見して。 ヒントは、なんだったっけ。 「………」 「とりあえず、中見てみれば?」 「あ、うん」 考え込んでいた俺に、雫さんが言う。 慌ててドアノブを捻ってもう一度開いてみた。 中も真っ暗なのかと思ったが、光が差し込んでくる。 「あ、明るい」 「本当だ、ちょっと行ってみようか」 「う、ん」 雫さんがひらりとクローゼットを乗り越えて隠し部屋に下りた。 ドアをゆっくりと開いて、中を覗く。 隠し部屋らしき部屋は、明り取りらしい窓が天井近くにあって、明るかった。 更にその奥に扉がある。 「また、扉だ」 「うん」 「行ってみよっか」 「………」 これは隠し部屋、なのだろうか。 三重にもなった、扉。 何を隠そうとしているのだろう。 何を守ろうとしているのだろう。 そうだ、隠す、だ。 ぼくをみつけて、だったっけ。 ここは『ぼく』を隠していた部屋だったりするのだろうか。 幼く太い字で書かれた、助けを求める言葉。 いや、違う。 助けを求めていたのは、別の場所だ。 「あ」 『たすけて』と書かれていたのは、先ほどの部屋の写真にだ。 そういえば、あの『たすけて』という言葉は、子供の字ではなかった。 そうだ、あれは『ぼくをみつけて』と書いてある字とは違う。 でも、どこかで、見た。 そうだ、あれは、あの日記と同じ、字 あの子を隠さなきゃと言っている、字。 あの子を隠さなきゃ、怖い。 そんなことを綴られた、女性らしい字。 そういえば、たすけてと書いた字は、あの字と同じだった気がする。 「ねえ、三薙?」 「え?」 もう一枚のドアのノブに手をかけながら考え込んでいると、雫さんが後ろから声をかけてくる。 振り向くと、雫さんも何やら難しい顔をしていた。 「あのさ、さっきの字」 「うん?」 「あれって、漢字じゃなくて、カタカナだったんじゃないかな。よくよく考えれば子供がカタカナで二人だけ漢字って、おかしいよね」 「画数が多かったから、とか」 「まあ、あるかもしれないけど………」 雫さんはそこで納得いかないというように唇を尖らせる。 「雫さん?」 「漢字だったのかもしれないけど、もしかしたら二人じゃなくて、カタカナのニだったんじゃないかなって」 「人って字は?」 「書きかけ、だったんじゃないかな」 「書きかけ?」 あの時、ガラスは急に割れてしまった。 書きかけだったか、書き終っていたかは、確かに分からない。 「そう、カタカナのメとか、ナとかかなって思ったんだけど」 「ニメ、ニナ?」 なんだろう、それは。 名前だろうか。 どっかで聞いたような。 「うん、でも、書きかけなら、違うのかなって。他にも考えて」 「他に何か、ある?」 「ケ」 「ケ?」 「うん」 「ニケでも、おかしくない?」 昔そういう名前の漫画の主人公はいた気がする。 でもそれをあんなホラーな演出で伝える必要はないとは思う。 雫さんは首を緩くふった。 「更に、書きかけでさ、ゲ、だったら?」 「ゲ。ニゲ。ニゲ………」 そこまできて、ざわりと全身に鳥肌が経つ。 ニゲ、まで来て連想される言葉は多くない。 コドモ、ニガセ。 コドモ、ニゲル。 コドモ、ニゲナイデ。 コドモ、ニゲロ。 「………子供、逃げろ」 僕を見つけてといった子供の字。 たすけてと訴えていた女性の字。 何から助ける。 誰から、助ける。 誰から、逃げようとしている。 何を怖いと、言っていた。 なぜ、この部屋には外からしか鍵がない。 バタン! バタン! その時、隠し部屋の扉が二枚とも急に閉じた。 |