いきなり閉じたドアに、雫さんが飛びついてノブをガチャガチャと鳴らす。
しかし外側から鍵がついているらしいドアはわずかに揺れるだけで開くことはない。
といっても、誰かが鍵をかける隙なんて、なかったんだけど。

「な、何!どうして!」

雫さんは焦った様子で何度も何度もノブを回す。
俺も頭が真っ白になって、呆然とその様子を眺める。

カリ。

「え」

その時、雫さんが張り付いているドアの向こうから、何かの音がした。
ドアを削るような、音。
いや、まるで何かが、ドアを向こうから引っ掻いているような、音だ。

カリカリカリカリ。
カリカリカリカリ。

認識した途端、音が増える。
狂ったように、まるで何人もの人間が引っ掻くように、多くの引っ掻く音が部屋の中に反響する。

「やっ」

雫さんが熱いものでも触ったかのように、ドアから手を離す。
その間にもカリカリカリカリと、何かがドアを引っ掻いている。

隣の部屋には、誰もいなかった。
真っ暗な部屋だったが、狭くて誰かが隠れる隙間なんてなかった。
ドアは二枚閉まったのを、見ている。
つまり、隣の部屋は密室で、誰も入り込む隙なんてなかった。

「やだ、何、何、誰、誰なの!」

雫さんが取り乱して悲鳴のような声を上げる。
俺も内心恐怖と混乱でいっぱいだったが、自分以上に焦っている人を見ていると少し落ち着いてくる。

「落ち着いて、落ち着いて、雫さん」
「で、でもっ」
「落ち着いて」

言いながら鈷を握りしめ、力をこめる。
口の中で清めの呪を唱える。
この悪意と邪に満ちた家の全部を清めることなんて出来ないし、してはいけないことだがこれくらいならいいだろう。

「この扉は隔たり、境界、我らは現、現になきものは、境界を超えることなし」

結びを唱え、この部屋の周りに結界を張るイメージで、力を膨らまし、放つ。
俺を中心として、丸く結界を張る。
結界の球体して包み込む。
それが周囲に張る時に綺麗に張るコツだ。

カリカリ。

引っ掻くような音が、ぴたりとや止む。
辺りがしん、と静まり返る。
どうやら効果はあったようだ。
ほっと息をつくと、手足が重く感じた。
この重苦しい闇の中で力を使ったせいか、いつもより消耗が激しい。
でも、まだ大丈夫だ。

「とりあえず、これでここは、大丈夫。どんな時でも、冷静さを、失っては、駄目だ」

俺が言うのもおかしな、言葉だけれど。
いつも取り乱して周りに迷惑をかけるのは、俺なのだけれど。
自分で自分の言葉にちょっと笑ってしまう。

「あ………」

雫さんが警棒を握りしめ震えていた手を、だらりと下げる。
そして天を仰いで、大きく息をつく。

「………うん、そうだ。そうだね。ごめん、三薙」
「うん」
「うん、ごめん」
「ううん」

最初なんて、誰だってそうだろう。
まして雫さんは今まで仕事をしたことなんてないはずだ。
俺の初めての仕事は散々だった。
それに比べたら、雫さんはずっと理性的だ。

「落ち着いて、いこう」

もう一度言うと、雫さんが照れたように笑った。

「そうだね。三薙がいて、よかった」
「俺も、雫さんがいて、よかった」

雫さんがいるから、落ち着いていられる。
雫さんを守らなきゃと思うからこそ、まだ冷静でいられる。
俺が守らなきゃ、今度こそ。

「私は今度こそ、守るんだから」

俺が口に出したのかと思って驚いて顔を上げる。
雫さんが俺を見て、どこか哀しく笑っていた。

「本当に、ごめん、駄目駄目だね、私」
「そんなこと、ない。俺は雫さんがいて助かってる」

それには答えず、雫さんはちらりと笑っただけだった。
胸がキリキリと痛くなる。

守りたい。
守れなかった。
今度こそ、守りたい。

「………これ、誰がやってるんだろう」

雫さんが明り取りの天井の小さな窓を見あげてぼそりと言う。
二階があるし、両隣りには部屋がある。
あの高い位置にある窓は、どこから明りを取っているんだろう。

「誰かが、私達を驚かしたりしようと、してるよね?」
「………うん」

明らかに俺たちを脅して、恐怖を煽ろうとしている。
恐怖や憎しみや恐れは、奴らの大好物だから。

「さっきの、たすけてって言葉、あれって、女性の字、だったよな」

写真立てに書かれていた字は、子供の字ではなかった。
恐らく日記と同じの、女性の字。

「じゃあ、お母さんは、助けてほしい?」

お母さんかどうかはまだ決まっていないが、まあそういうことにしておこう。
俺たちが分かっているこの家に関わっている人間は、あのお父さんとお母さんと子供なのだから。

「じゃあ、私達をどうにかしようとしてるのは、お父さん、かな」
「あの、足音?」

コツコツという、革靴かなにかの重い足音。
スニーカーやローファーといった、学生の足音とは違う。
ハイヒールのような高い音とも違う。
男性の足音のように聞こえた。

「お父さんから、子供を閉じ込めて、助ける?」

子供をお父さんから閉じ込めて隠す。
だったら、さっきの字は、子供を逃がそうとしていたのだろうか。

「子供に、逃げろ、と言ってる?」

コドモにニゲロと言っているのだろうか。
でもそれにしては、俺たちに言うのも変だ。
子供を連れて逃げてくれ、ということだろうか。
でもやっぱりしっくりいかない。
それなら、コドモをタスケテでいいはずだ。
それに、ずっと聞こえていたあの足音は階段の向こうから聞こえてきていた。

「あの、お風呂場から、多分お父さんって来たんだよな」

そう風呂場の方から、足音はいつでも来ていた。
二階、かもしれないけれど。
雫さんが首を傾げる。

「じゃあ、お風呂場に私達を、閉じ込めようとした?」

確かにあの時お風呂場に追い詰められるように誘導された。
そしてあの異様な液体の入ったバスタブのある風呂に逃げ込んだ。

「………じゃあ、あの字は、なんだったんだろう」

コドモをニゲロ。
もしかしてもっと書きかけで、コドモ、ニガサナイだろうか。
でもあの言葉は俺たちに向けられていたような気がした。
そう考えると、俺たちに向けるにはおかしな言葉。
あの言葉の意味が、分からない。

「………」
「………」

結界の張ってある小さな部屋で、少し考え込む。
すると雫さんが俺の方を見て言った。

「あの時さ、かばわれてるみたいって言った時」
「え」
「あの、三番目の部屋で、ドアが閉まった時。私、守られてると思ったんだけど」

雫さんが部屋から出ようとした時、急にドアがしまった。
その後、足音が聞こえたのだ。
だから、かばわれてるみたい、確かにそう雫さんは言った。
確かにあの足音から庇われている気がした。
そう、そしてその後、僕を見つけてというメッセージを受け取った。
あのドアを閉めたのは、子供だったのだろうか。

「でもさ、あの時、三薙に引っ張られて立ち止らなきゃ、ドアに挟まれるか、ぶつかるかで、結構ひどいことになってたよね」
「あ………」

そうだ、あの時腕を掴んで雫さんをひきとめた途端ドアが閉まった。
あれは俺たちを守ろうとしていたのだと思っていたが、あのまま雫さんが先に進んでいたらどうなっていただろう。
ドアに挟まれて怪我でもしていたかもしれない。

あのドアを閉めたのは誰。
俺たちを閉じ込めようとしているのは誰。
俺たちを追い詰めようとしているのは誰。

カチャ、リ。

その時、来た道ではなく、向かう先にあった部屋のドアが小さく開いた。
結界は、この部屋を覆うように張っている。
向こうの部屋には、影響はない。

「あっちは、開くみたいだね」
「うん」
「………」

明らかに、誘われている。
でも、後ろへは戻れない。
もしかしたら力を使えばどうにかなるのかもしれないが、でもやっぱり先が気になる。

「………行こう」
「うん」

雫さんもそう思ったのか、警棒を握りしめてわずかに開いたドアを見据える。
二歩もあるけば、すぐにドアだ。
力をみなぎらせ、自分に結界を張って、ドアを開く。
雫さんも俺のすぐ後ろに来る。

「開けるね」
「うん」

ギギ。

そんな重い音を立てて、ドアは簡単に開いた。
開いた先にある部屋は、大きな窓が一番奥にあって部屋は薄暗いもののまだ明るかった。
しかし窓は明り取りと同じように天井近くに作られている。
あそこまでよじ登ったり窓を開けたりするのは、大変そうだ。

「………子供部屋?」

雫さんが俺の肩越しに部屋を覗いて言う。
確かにそこは、子供部屋としか言いようがなかった。
小さなベッド。
小さな箪笥。
可愛らしいパステルカラーのカーテンやベッドカバー。
玩具箱から溢れ返った玩具達。
カーペットの上にもまだ沢山散乱している。
他の部屋と違って、この部屋は痛みが少ない。
カーペットもまだ柔らかく汚れが少なく、まるでたった今まで誰かが住んでいたかのように。

「三薙、危ない!」

雫さんの切羽詰まった声に、咄嗟に何かを感じて上を向く。
そこには鋭い刃が持つ鋏が、俺に向かって落ちてきていた。





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