「終わった、のかな」

雫さんが警棒を持った手をだらりと下げて、大きく息をつく。
辺りの気配を俺も探るけれど、相変わらず立ち込める重い気配以外、変わった様子はない。
とはいっても、変わった気配だらけで今更何が変わっているかも分からないのだが。

「………分からない」

だから、こう言うしかなかった。
でも、俺たちに襲いかかっていた現象は止んだ。
あの悪意は、感じられない。

「………は、あ」

気が抜けて、その場に崩れるように座り込んでしまう。
頭がガンガンする、喉が渇く、足元の硝子の破片も、気にならないぐらい、苦しい。
力が、足りない。
やっぱり、力が減少するスピードが速まっている。
前はこんなに早くなくならなかったはずだ。
それを改めて認識して、怖くなる。
このままいったら、俺はどうなってしまうのだろう。

「……だからさ、三薙が、………三薙?」
「………あ、ごめん」

雫さんが何かを話しかけていたのに、気付くのが遅れた。
これじゃ心配されてしまう。

「顔色悪いよ?」

案の定雫さんは顔を曇らせて近づいてくる。
心配をかけたい訳じゃない。

「う、ん、大丈夫」
「大丈夫って……あ、力が足りなくなるってやつ!?」
「………」

この前雫さんの前で不様に倒れ込んでいたのを、思い出したらしい。
肯定も否定も出来ない。
嘘は付きたくない。
でも、素直に頷くことは、出来ない。

「だ、大丈夫!?ど、どうしよう」
「大丈夫、平気。ちょっと疲れただけ。上、行こうか」

力の入らない足を無理矢理奮い立たせて、立ち上がる。
大丈夫だ、まだいける。
まだ、俺は歩ける、走れる、倒れ込むことなんてない。

「四天、早く来ないかな」
「………あいつは、もうすぐ来るだろ」

雫さんの不安げな声に、ついつっけんどんな声で答えてしまう。
今まで雫さんと一緒に協力して戦っていたのは俺なのに、天を頼りにするのかという理不尽な嫉妬が生まれる。
俺は、そんなに頼りにならないのか。

確かに力が足りない。
弱い。
このままいけば、いや、今ですら、一人で生きることはできない。
ちっぽけで弱い存在。

違う、雫さんは単に俺を心配してくれてるだけだ。
天と俺を比較したりなんてしてない。
そんなの分かりきっているだろう。
卑屈になるな。
暗い感情に囚われるな。

そう、四天が来れば、何も問題はなくなるのだから。
この飢えからも解放されて、怪異は全て取り払われて、岡野も無事に助け出せる。

岡野。
岡野、無事でいてくれて。
岡野の、顔が見たい。
俺を見て、怒って笑う、岡野に、会いたい。

「あ、ごめん、話すのも辛いよね。どうしよう。とりあえず掴まって」

ぼうっとした俺に雫さんが気遣って肩を貸してくれる。
一瞬断ろうとしたが、体が辛いのは確かだ。
ここで意地を張っても、何もいいことはない。
人の好意を意地から突っぱねるのは、なんの解決にも、ならないのだ。

「うん、ありがと。雫さん、ごめんね」
「話さなくてもいいよ」

背の高い少女は、ほぼ俺と同じぐらいで肩を掴むのも容易だった。
武道をやっているというだけあって、筋肉の堅さを感じる。
でも、女の子らしいいい匂いと細い首に、どきりとする。

「重く、ない?」
「大丈夫、私見かけどおり、男らしくてたくましんだよ?」
「雫さんは、強くて頼りになるけど、とても女性らしくて、綺麗だよ」
「はあ!?」
「かわいい、人だ」
「も、もういいよ、お世辞は。ここに置いてったりしないから!」

焦ったように笑ってそっぽを向く雫さんに、緩く首を振る。
雫さんは、とても優しくて綺麗な女性だ。
男らしくなんてない。
頼もしくはあるけれど。
後で、もう一回これはちゃんと、告げないと。

「あ」

数歩歩いて入口のドアの前まで来たところで、雫さんが立ち止る。
そして明るい顔で、すぐ隣にある俺の顔を覗き込んできた。

「三薙。もしかして私でも平気?」
「え」
「私でも、力ってあげられる?それとも、宮守の人じゃないと駄目?」
「え、と多分、貰うのは、誰にでも、貰うことはできるはず」

家の人には何度か、貰ったことはある。
だから、誰からでも貰えるはずだ。
と、何も考えずに答えてしまってから、まずかったことに気付いた。

「じゃあ、私の力あげるよ!」
「え、と」

そう来るのは、分かり切っていたのに。
雫さんだって消耗している。
更に消耗させる訳にはいかない。

「で、でも、雫さんの力が………」
「私まだ余裕あるし、少しなら平気だよ」
「でも」

あまり働かない脳みそを酷使して、雫さんを止めようとする。
供給は多分、負担が大きい。
そんなこと、させる訳にはいかない。
けれど背の高い少女は真面目な、ちょっと怒った顔で諭すように言う。

「三薙、よく考えてよ。今ここでまた何かあったら、私、あんたを守ったりできない。二人で協力して、切り抜けないと、駄目でしょ?あんたの力が必要」
「………」

胸が熱くなった。
目が滲んで潤む。

俺の力は必要だった?
二人で協力して、この場を切り抜けられた?
守られるだけじゃなかった?

俺は、ちゃんと、雫さんの力になれた?

「だから、三薙に少しでも元気になっておいてもらわないと」

頼りにしてるんだからねといって朗らかに笑う。
苦しい、苦しい苦しい。
飢えだけじゃない、一杯になった胸が、苦しい。
岡野や藤吉から、俺がいてくれてよかったと言ってもらったのと同じぐらい、嬉しい。
足手まといではなく、必要とされるのは、こんなにも嬉しい。

「う、ん。ありがと、雫さん。ありがとう」
「いいっていいって、結構私、強いんだから」
「………うん。知ってる」

力も心も、何もかもが強い少女。
もう少し修行と経験を積めば、俺なんて足元にも及ばないほどに強くなるのだろう。
それが容易に想像がつくのが少し悔しくて、とても嬉しい。

「でもどうすればいいんだろ」

雫さんが首を傾げながら、その場に俺と一緒に座りこむ。
いつもはやってもらう立場なので、人に教えるとなると少し難しい。
いつもの供給を思い出しながら、手順を説明する。

「やりやすいのは、えっと、どこか接して」
「接するというと」
「あ、どこか肌を触れて………」

言ってから、一気に顔が熱くなった。
供給には接触が、必要だ。
出来れば素肌に触れ合っているのがいい。
でも、雫さんは女性だ。

「や、やっぱり、やめ………」
「肌って、別に手とかでもいいんだよね。いつもはどうしてるの?」

けれど雫さんは何でもないように、俺の手を握ってきた。
豆のある堅めの手は、けれど温かく滑らかで、心臓が跳ね上がる。

「えっと、一兄は、俺の首、掴んでることが多いかな。双兄は、おでこで、天は………」
「四天は?」
「いや、なんでもない!なんかほら、えっと、手で、ほっぺたとか!」

危なかった。
すごく危なかった。
いくら頭が働かないとはいえ、何を言おうとしてるんだ。
あんなこと、知られる訳には絶対にいかない。
雫さんは不思議そうに目を丸くしながらも、納得してくれたらしい。

「んじゃ、とりあえず触ってればいいんだよね。んーと、んじゃ手で」
「う、うん」

向かい合って両手を握りあう。
ただの儀式だと分かっていても、女性の手が触れるのは、ドキドキする。

「い、嫌じゃない?」
「え、なんで?」
「いや、だって………」
「あはは、気にしないでいいよ。なんか三薙って弟みたいだし」

ひどい。
なんだか浮き立っていた心が一気に沈んだ。
別に雫さんをそういう目で見ていたりはしないけれど、まったく意識されないというのも、それはそれで哀しい。
俺は、そんなにも男として駄目なのだろうか。

「そ、そう………」
「んでこっから、どうするの?」

思わず俯いた俺に気付きもせずにはきはきと先を続ける。
いい人だな、雫さん、うん。

「………うん、力を同調させて、俺の色に変えて、受け渡してもらう感じなんだけど」
「色?」
「あ、俺の力に載せて」
「うーん、ちょっとやってみようか」
「うん。じゃあ、俺が術を作るね」
「うん」

目を瞑って、呪を唱え、術を組み上げていく。
残り少ない力を練り上げるのも困難だし、いつもと違って血のつながりがないし、場を清めてもいないので、ちょっと難しい。
なかなか、雫さんの力と、俺の力の色が同一にならない。

「ごめん、もうちょっと、くっついても、いい?」
「いいよ」

申し訳ないと思いながらも、雫さんの額に自分の額をくっつける。
ひんやりとした感触に、神経が研ぎ澄まされていく。
苦労して、ようやく雫さんの中の回路と、自分の中の回路が、繋がる。

「う、わ」

ぐいっ前に引っ張られる感触がして、完全に繋がり、雫さんが小さく声を上げる。
炎のように明るい赤い色が、俺の中に入ってくる。
熱くて、力強い。
でもやっぱり慣れなくて、なんだか、不思議な感触だ。

「んっ」

慣れない力をなんとか押さえつけ、無色に変換していく。
そしてまた、自分の色へと変化させる。
染みわたって行く力が、心地よい。
雫さんの力が温かくて、気持ちがいい。

「んっ」
「ん………あ」

欲しい欲しい欲しい。
もっと欲しい。
この空っぽの体の中をいっぱいに満たしたい。

「くっ」

でも、駄目だ。
俺の力が満タンになるまでチャージしてしまったら、雫さんの負担が大きすぎる。
吹っ飛びそうになる理性をなんとか繋ぎとめて、三分の一ぐらいまで貰ったところで、繋がりを解く。

「うわ」
「ふ、う」

力の残滓が、体の中でゆらゆらと揺らいでいる。
まだ足りない。
もっと欲しい。
でも、駄目だ。

「は、あ」

供給後のだるさで、手足が重い。
でも、そこまで眠くもない。
力が行きわたり、体温が戻ってきた。
なんとかこれなら、動けそうだ。

「三薙、平気?」
「ごめん、結構貰っちゃった。大丈夫?」

目の前に座って俺を覗き込んでいる雫さんを見返す。
顔色も悪くないし、平気そうではあるけれど、思ったよりも貰ってしまった。

「ん、大丈夫、かな。うん、平気そう。初めてだったから変な感じだったけど」
「よかった。ごめんね」

雫さんが自分の胸のあたりを抑えてしきりに首を傾げている。
慣れない感触に、戸惑っているようだ。

「俺も大分、楽になった。ありがとう」
「それならよかった、けど」

そこで雫さんは視線を逸らして俯いた。
なんだか、頬が赤くなっている。

「………けど?あ、なんかやっぱり貰いすぎた!?」
「ううん」

やっぱり体調が悪いのかと焦って身を乗り出すと、首を横に振る。
そして困ったような顔で、ちらりとこちらに視線を向けた。

「………なんか、三薙エロい」
「は!?」

なんかしたか。
供給中どっか触ってしまったのか。

「ご、ごめん、俺なんかした!?どっか触っちゃった!?」
「いや、そうじゃなくて」
「な、なに!?」

セクハラでもかましてしまっただろうか。
ああ、やっぱり女性相手に供給とかやめておけばよかった。
別にやましい気持ちとかは一切ないのだけれど、なんだこのいたたまれなさは。

「これ、四天とか、一矢さんとかと、やってるんだよね?」
「う、うん!?」

男か、女性でいうと母さんぐらいとしかやったことがない。
それも大分昔だ。
やっぱりなんか女性に対しては失礼な行動をしていたのだろうか。
雫さんはちらちらと俺を見ながら、口ごもりながら言った。

「………なんか、三薙、力あげてる最中、変に色っぽいって言うか、なんか、やっぱ、エロい」
「はあ!?」

そして、俺の間抜けな声が、子供部屋の中に響き渡った。





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