突然の雫さんの言葉に声がひっくりかえる。 エロいって、俺やっぱりなんかしちゃったのだろうか。 「え、エロイってなに!?俺やっぱり、なんか変なことした!?」 「い、いや、違くて、三薙が、エロいの。なんか、こう、うん、エロい」 「へ?」 俺が、エロいとはどういうことだ。 いや、エロくないとは言わないけれど。 ていうかエロいけど。 「三薙自身が、色っぽいの。なんか、顔赤くして、口が開いて、その、表情とか」 「え、は、はああ!?」 思いもよらぬ言葉に、更に声がひっくりかえる。 色っぽいって、俺がか。 この俺がか。 地味すぎて何も目立つところがない、俺がか。 「ごめん!変なこと言った!」 「え、えっと、え、ええ!?」 たとえば一兄だったら分かる。 双兄でも分かる。 二人とも男の色気、みたいのを感じる。 ていうかフェロモン出てる。 四天も分かるだろう。 中性的で綺麗だ。 色気というには綺麗すぎて、近寄りがたいものも感じてしまうのだけれど。 清美なんていう言葉が浮かぶ。 どちらにせよ俺には似つかわしくない言葉だ。 何かの聞き間違いだろうか。 「お、俺に色気?」 「いやー、だから、なんかお兄さんとか四天とかしてる時もうこうなのかー、って思うと、なんか、うわ、変な想像、しちゃう………」 「え!?ええ!?」 雫さんが赤らんだ自分の頬を両手で挟みこむ。 変な想像ってなんだ。 どういう想像なんだ。 雫さんは恥ずかしそうに俯いたまま、ぼそぼそと続ける。 「うわー、やっぱエロいなあ。普段はぜんっぜん、そんな色気とかないのに。ふっつーの男子なのに」 「えーっと」 喜んでいいのか悪いのか。 いや普段からエロいとか言われても困るけど。 なんだか一連のやりとりで、共番の儀のことを思い出してしまう。 もしかしてあのやりとりのせいでそういうことになってしまったのだろうか。 駄目だ、混乱している。 「なんか、三薙って、変なところ、女性的だよね」 しかし、続けられた言葉に、混乱した感情がすっと冷めていく。 女々しいとかって、言われた覚えもある。 確かに俺は、まったく男らしくない。 筋肉が付きづらい貧相な体、うじうじした性格。 でも、それでも、俺は男だ。 「………俺、男だよ」 「あ、そういうんじゃなくて!」 思わず低くなった声に、雫さんが焦ったように顔を上げる。 雫さんを責めても仕方ないのに、つい拗ねたような声が出てしまう。 そう思われたってのは、俺の修行が足りないからなのに。 でも、面と向かって男らしくないと言われるのは、結構ショックだ。 「知ってるよ。三薙は、すごく男らしい!」 けれど雫さんはまっすぐに俺を見て、そう言ってくれた。 思わず今度は俺が焦って顔を上げる。 「え………」 「本当だよ。いつだって努力して、人を守ろうとして、怖いものに立ち向かえる、いい男だよ」 取り繕おうとして言った、この場限りの言葉ではないようだ。 雫さんの顔は真剣で、その綺麗な切れ長の目はじっと俺を見ている。 「………」 するとさっきまでのいじけた気持ちは吹き飛んで、照れくさくなってくる。 強い視線を押されて、つい目を伏せてしまう。 ストレートな言葉に顔が熱くなってきた。 雫さんはそんな俺に気付いているのかいないのか、小さく笑う。 「お兄ちゃんもそうだったんだけど、多分力の質なんだろうね。放出系の術は男性が得意なのが多くて、吸収系の術って、女性が多いじゃん。お兄ちゃんもどちらかというと三薙と同じような力だったから、どこか女性的なところあったんだよね。柔らかくて、変な色気があって」 そういえば祐樹さんは柔らかな物腰の、綺麗な印象の人だった。 顔が女性らしいとかではない。 ただ纏う雰囲気が綺麗な人だった気がする。 「三薙にはあまり感じたことなかったから、びっくりしちゃった。でも、やっぱりおんなじ感じがする」 「そう、なの?」 「うん。その理論で言うと、つまり私が男らしいってことになっちゃうんだけどねー」 あはは、と朗らかに雫さんが笑う。 きっと変な雰囲気になってしまった場を和ませようとしてくれてるのだろう。 優しい雫さん。 だからこそその言葉に頷くことは出来ない。 「………雫さんは、とても女性らしいよ。優しくて大らかで。でも、強くてかっこよくもある」 女性らしいとか男性らしいってのが褒め言葉とは限らない。 今は女々しいって言葉が差別用語とも言うし、本当はよくないかもしれない。 でも雫さんが持ち合わせている優しさや柔らかさを表わすなら、女性らしいという言葉になる気がする。 「あ、あはは、わ、私らここでなんでこんな褒め言葉合戦してるんだろうね」 「た、確かに」 雫さんが更に顔を赤らめて困ったように笑う。 俺もこの状況に、なんだか照れてしまう。 確かにこんな環境で、俺たちは何をしているのだろう。 お互いを褒め合うって、はたから見たらすごい痛い状況だろう。 悪い気は、しないのだけれど。 「で、出ようか?もう平気?」 「う、うん」 雫さんと一緒に、静かになった子供部屋に立ちあがる。 辺りは玩具で散乱しているけれど、すっかりなんの気配もしなくなった。 一度ぐるりと辺りを見渡すが、やはり動くものはない。 終わった、のだろうか。 雫さんも同じように見渡して、呆けたように言う。 「………何も、ないね」 「うん、行こう」 気になることは沢山あるけれど、今ここでは何も分からないだろう。 部屋の出口に向かい、ノブに手をかける。 カチャリと音を立てて、今度はすんなりと開いた。 さっきまでのことが何もなかったかのように。 「さっきの、なんだったんだろうね」 「なんだろう、分からない。でも、すごく変な感じだ」 「変な感じ?」 隣の部屋はぼんやりと明りを取りこんで明るい。 ここは一階で、上には部屋があるはずなのに、どうやって光を取りこんでいるんだろう。 いや、その前に、そろそろ日も落ちてくる頃じゃないだろうか。 こんなにも明るいのは、どこかおかしい。 「なんだろう、お膳立てされてる感じ。導かれて、クリアさせられる、ゲームみたいな」 「う、ん。確かに、普通の捨邪地とは違う」 「………そうか、捨邪地だよな。ここ、捨邪地なんだ」 「どうしたの?」 「それにしては、前と比べて、邪の気配が少ない気がして………」 以前訪れた時は、バターのようなねっとりとした空気で、呼吸をするのも苦しいぐらいだった。 あの時は供給を受けてなくて弱っていたってこともあるけれど、それにしては気配が少ないような気がする。 確かに重苦しい空気はあるし、嫌な気配も満ち溢れている。 でも、以前の時はずっと軽い気もする。 「それに、この家、こんな風だったっけ。前は夜だったからよく覚えてないんだけど。なんだか、違う気がする。こんなに、綺麗な場所だったっけ。部屋は、前からこんなだったっけ」 暗闇の中を駆け回った記憶を引っ張り出すが、なかなか思い出せない。 瓦礫、埃、ゴミ、ガラス、そんなものが散乱していた。 今も廊下には散乱していたけれど、もっともっと多くなかっただろうか。 こんな、人の気配を感じさせる家だっただろうか。 「結界、とか?」 雫さんが恐る恐る口に出す。 それは俺もなんとなく思っていた。 もしかして、今俺たちがいるここは、誰かの結界の中なのではないだろうか。 いつ入ったかは分からないが、もしかしたらこの屋敷に入った瞬間に紛れ込んでいたのかもしれない。 本来の屋敷とは異質の空間、そう考えるとしっくりくる。 でも、それでも、分からない。 「結界、って誰が」 「………三薙のクラスメイトが、作った結界、とか?」 「阿部、が?」 「うん」 「そういう力は、なかったと思うけど」 そういう力があったら、以前来た時にあんなにパニックにならなかっただろう。 でもその後身につけたと言うことはあり得るだろうか。 身につける方法は、いくつかある。 「………中身が、食われてる、とか」 「………」 それも、可能性の一つだ。 闇に囚われ、操られている。 学校にいる時にそんな気配は感じなかったが、実は食われていたのだろうか。 そんなのは、考えたくない。 「または、他の誰かが、張った罠、とか?」 「他の誰か」 「そう、三薙のクラスメイトを利用して、作ったとか」 「利用………」 阿部を利用して、俺をここに誘いんだ誰か。 そんな人間はいるのだろうか。 俺をここに誘いこんで、何になるんだ。 「まあ、そんなことして何になるのかって感じだけど。宮守を敵に回してもいいことないし、ここ宮守の捨邪地じゃないし」 「う、ん」 雫さんが俺と同じ疑問を持ったのか首をひねる。 でももしかして、宮守ではなく、三薙に対しての罠だった。 俺に対しての悪意で、誰かがこんな周到なものを用意した、とか。 それは、背筋が凍るような想像だ。 こんなことされるぐらい、恨まれている。 なぜ、どうして。 やっぱり阿部なのだろうか。 阿部だったら、俺を恨んでいるのは、分かる。 でも、阿部にそんな力はあるのだろうか。 「………」 誰か、いるのだろうか。 誰か、俺を誘いこんだ人間だ。 そいつら岡野をこんな酷い目に合わせてる奴なのだろうか。 いや、先走るな、ここが結界の中なのかも、黒幕がいたりするのかとかも分からない。 何も分からないのだ。 阿部とは別で動いていて、阿部の動きを利用して俺に罠を張った奴がいる、とか。 いや、俺がここに来るまで追跡して、大がかりな術を張るなんて、そんな余裕はないだろう。 「あれ」 今、何かがひっかかった。 なんだろう。 何か不自然なものが、あった。 なんだろう。 分からない。 でも、喉にひっかかった骨のように、気になってこびりついている。 「三薙。考えるのは後にしよう。やっぱりおかしいよ。とりあえず、早く出よう。四天と合流しよう。ここが結界でもそうじゃなくても、どうにか出ることぐらいはできるはずでしょ」 雫さんの言葉に我に返る。 気になって仕方ないけれど、今はここから出ることが優先だ。 考えることは、後でも出来る。 「……そうだね。うん」 どうにか、出ることは出来るだろう。 そうだ、いざとなれば、黒輝もいる。 黒輝を出せば、天と合流することも楽かもしれない。 「早く、出よう」 「うん」 そのまま俺たちは足を速め、クローゼットの部屋までやってくる。 そして苦労して、なんとか狭いクローゼットの扉から這いずり出た。 「よ、と」 とさっと音が響いて、少し身じろぐ。 誰もいないはずだけれど、誰かに聞かれるような気がして息を潜めてしまう。 「ちょっと、三薙!」 「え」 先に出ていた雫さんの、焦ったような声に、俺は背中越しに前を覗き込む。 そこには鏡台があって、鏡がこちらを向いている。 そして、鏡には赤い子供のような幼い文字で、こう書かれいてた。 「………だしてくれて、ありがとう」 辺りの温度が、一気に下がる。 それを読み上げた瞬間、後ろから、足音が聞こえてきた。 パタパタパタパタ。 |