辺りに、闇が溢れる。 部屋の中をいっぱいに、闇が覆いつくす。 真っ暗になり、何も見えなくなる。 「我が力、盾となり我が身とその眷族を守れ!」 天の声が、響く。 突然のことに対応できずにいると、白い力が周りを包む。 冷たく、けれど綺麗な何も寄せ付けない白い力が、俺を食らおうとしていた邪気の塊を遮る。 「な、何………」 「やっぱり喰われてたみたいだね、あのお兄さん」 すぐ後ろにいた天が、ぼそりと無感情につぶやく。 慌てて前を向くと、どうにか視界が届く場所で阿部が倒れ込んでいた。 「あ、べ………」 その体中に邪気を纏い、溢れ返させるクラスメイトの姿。 部屋の中の闇は、阿部が中心のようだ。 白目を剥き口から泡を吹き、苦しそうに呻き声をあげてのたうちまわっている。 阿部は、とっくに喰われていたのか。 じゃあ、今までの行動はやっぱり闇に操られたことなのか。 この家の怪異も、あの結界もそうなのか。 阿部が操られてやったのか。 でも、なぜ。 なぜ、阿部の中に巣食うものがそんなことをするんだ。 ただエサをおびき寄せて喰らうだけなら、あんな面倒なことをしなくてもよかったはずだ。 いや、闇と邪気といったものは、混乱と混沌を好む。 俺たちを苦しめるためにやったのか。 そのためだけに岡野を攫ったのか。 そうだ、岡野。 「岡野!岡野!?」 部屋の中は真っ暗で、少し前の倒れ込む阿部の姿しか見えない。 岡野は無事なのか。 邪気に、物理的に害する効果はほとんどない。 だが、精神は喰らわれる。 「岡野!」 慌てて岡野がいたところに行こうと立ち上がると、手を引っ張られる。 咄嗟に振りほどこうとしても、強い力はびくともしない。 「こっから出ないで」 「だって、岡野!岡野!」 岡野は、何も抵抗する術がない。 強くて頼もしいけれど、なんの力もない普通の女の子なのだ。 「岡野!」 「一応、私もいるんだけどなー」 その時響いてきたのは、苦笑している低めの女性の声だった。 「雫さん!」 「岡野さんも平気だよ。私の結界の中にいる」 「あ………」 「宮守、私は、大丈夫」 「岡野!」 全身の力が抜けて、その場にずるずると座り込む。 無事、なのだ。 少し震えた声だが、しっかりしている。 それに、雫さんが守ってくれている。 それなら、大丈夫だ。 「よかった………。ありがとう、雫さん」 「んーん、結界を強くしろって四天に言われてたから」 「………天?」 天を振り向くと肩を軽く竦めた。 弟にはこの状況になることが、分かっていたのか。 「宮守、あんたも大丈夫なの!?」 「だ、大丈夫!すぐに、どうにかするから、だから、雫さんの傍にいて!」 「………分かった」 「岡野さんは私に任せて!」 「うん、雫さんを、信じてる」 焦って波打っていた心が、落ち着いてくる。 雫さんがいるなら、平気。 大丈夫、それにここには天もいる。 この綺麗な力の塊は、天の結界か。 天は、最初から、この事態を見越していたのだ。 深呼吸して、もう一度心を落ち着かせてから、振り向く。 「………ごめん、また、気付かなくて」 「そうだね。もうちょっと落ち着いて行動してくれる?」 「うん………、悪かった。ありがとう」 「………」 嫌みっぽい言い方に、今は怒りの感情は沸いてこない。 ただ、感謝の気持ちだけだ。 「お前のおかげで、岡野が、無事だった」 「………」 天は、嫌そうに眉を潜めただけだった。 「ありがとう」 でも、天が来てくれたから岡野を助けられた。 天のおかげで、今も岡野は無事だった。 なんだかんだで、この弟はやっぱり、助けてくれるのだ。 「さて、どうしようかな」 天はふいっと俺から目をそらして、前方を向く。 そこには苦しみもがきながら闇を生み出す阿部の姿。 どうして、こうなってしまったのだろう。 「………阿部は、どうなるんだ」 「大本を断ってすっきりさせちゃいたいけどね」 「………それ、しか、ないか?」 その言葉の意味することが、分からない訳ではない。 天が俺の顔を見て、にやりと笑う。 「どう思う?」 試すような言葉。 そういえば、いつだって天は俺の行動や言葉を試している気がする。 俺はいつも、天の気に入る答えは、返せないようだが。 「分からない。でも、他に方法があればいいと、思う」 「あんな酷いことした下衆な男なのに?」 「………それでも」 岡野にしたことを思い出せば、やっぱり殴り倒したくなる。 許せる訳ではない。 どうあっても、岡野には謝らせたい。 「でも、誰かが傷つく姿を、見たい訳じゃない」 それに謝らせるためには、無事でいてくれないと、困る。 自分がしたことを分からせて、その上で後悔してほしい。 「でも、お前の言うことに従う。お前が言うことは、正しいから」 「………」 俺をじっと見ていた天はやっぱり嫌そうに顔を歪めた。 今度ははっきりと分かるぐらい、しっかりと。 また、俺の言葉は天のお気に召さなかったらしい。 「そうだね。まだ全部は喰われてないっぽかったし、どうにかなるかもね」 天はまた俺から視線を逸らすと、阿部を冷たくじっと見つめる。 「天!」 「何より、ここで死体を作ると面倒くさい。ここの管理者との調整も、宮守への言い訳も面倒すぎる。怒られそうだし」 天が本当にさも面倒くさそうにため息をつく。 死体を作る。 それは、阿部のことだろう。 冷たく突き放した言い方。 でも、どんな理由でも、いい。 阿部が助かる可能性があるなら、それにかけたい。 「結界の維持出来る?」 「うん」 「じゃあ渡すから維持して」 そう言って、自分の張っていた結界を俺に受け渡す。 すでに張ってるものの維持だけとはいえ、天の張った結界だから強くて力の消耗が激しい。 けれどまだいけるはずだ。 「雫さん、そこから動かないでください!」 「わ、分かった」 天は俺が結界を固定させたのを見計らって、剣を手に駆けだして行く。 結界は張ってない。 さっきと同じように闇が天の体を捕えようとするが、身に纏う白い力に弾かれ力を失う。 けれど、さっきと違い、邪気の力が濃く強い。 いくつかは弾かれずに天の体に触れる。 物理的に傷つけたりはされないが、精神はそれを痛みと感じるはずだ。 そして痛みと心が感じすぎると、体にも傷がつく。 「天!」 天は俺の言葉に振り向くことはせず、阿部の元まで辿りつく。 そして手にした剣で闇を振り払いながら、素早く印を切ろうとする。 「………ちっ」 しかしその瞬間、阿部から更に強い闇が溢れだし天を包み込もうとする。 小さく呻いてから一歩後ろに下がった。 すると今度は辺りに落ちていたガラスの欠片が天をめがけて、襲いかかる。 視界の悪い部屋の中、飛来するガラスはどこから来るか分からない。 天は咄嗟に顔を庇うが、その手と服と傷つけていく。 「天!」 「動かないで、足手まとい!」 そうだ、俺が動いても、足手まといになるだけだろう。 でも、それでもこんなの見ていられない。 弟が俺を庇って傷つく姿なんて、見ていられない。 「我を守り包む白き力よ、血のつながりを持って、その力を増せ!」 天の剣が届かないギリギリ位置まで近づいて、呪を唱え結界を広げる。 力の消耗が、激しい。 邪気の抵抗が激しく、すぐに破らせてしまいそうだ。 でも、なんとか天を包むぐらいの結界を広げることが出来た。 これで天は、少しは楽になるだろう。 「兄さん!」 「俺は、平気!だから!」 「………」 天は一瞬俺を見て苛立ちを表わすと、けれどすぐに阿部に対峙した。 害意を寄せ付けない結界はガラスも邪気も、完全とは言わないまでもある程度防いでくれる。 天はそれでも忍びよる邪気だけを祓い、印を切り、呪を唱え、術を作りあげる。 「宮守の血において邪気祓いを行う。闇に堕ち、闇に囚われし身を救うべく………」 白い力が溢れだし、収束し、眩しいくらいに天が白く輝いている。 本当に、天は綺麗だ。 「闇よ、退け」 最後の印を切り終えると、阿部の向かて術を放つ。 闇が抵抗するように更に勢い増すが、白い力に押されて逆に喰らいつくされていく。 天の力が阿部に届き、その身を包みこむ。 「ぐ、ぐううううう、ああああ!」 阿部の体が、白い炎に包まれて燃えたように見える。 内部でせめぎ合う力に痛みを感じるのか、悲鳴をあげて転がりまわる。 それに伴い辺りの邪気は、徐々に力を失っていく。 部屋の中が、少しだけ明るくなっていく。 いける、だろうか。 「きゃっ」 ようやく部屋の中が見渡せるくらいに、邪気が薄くなった頃、悲鳴が聞こえる。 その綺麗な澄んだ声に、集中力が解かれ、結界を解いてしまう。 「岡野!?」 「三薙、四天、岡野さんが!」 視線を向けると、結界を突き破ったのだろう、邪気が岡野の体を捕えていた。 雫さんがなんとか引きはがそうとしているが、抵抗が激しいのか、中々うまくいかない。 落ち着いて術を使った方がいいのだろうが、焦っている。 岡野が痛みに顔を顰めている。 あの内部を食らいつくされるような痛みは、知っている。 「くっ、ぐうう」 「くそ!」 思わず駆け出していた。 何も考えられなかった。 「岡野!」 思いのほか、二人はすぐ傍にいた。 倒れ込む岡野の横に座りこむ。 「岡野、岡野!」 そしてその体に触れ、岡野を捕える邪気を掴む。 火傷したような熱さと痛みが手に走る。 「っ、く」 「ばか、近寄るな、このヘタレっ!」 「聞けない!」 岡野は自分も痛いだろうに、俺の体を付き放そうとする。 でも、そんなの聞けない。 こんなものが岡野の体に絡みついてるなんて、許せない。 全部全部、俺の元へ来い。 「く、う」 力で祓ったり術を作りあげる余裕はない。 それに、これが一番早い。 岡野に絡みつく力を、全部自分の中に誘い込む。 それに抵抗するように、邪気が増す。 その全てを、飲み込んでやる。 逆に喰らいつくしてやる。 「ぐ、くっ」 痛い痛い痛い。 体の中で、邪気が暴れまわっている。 俺の体を喰らいつくそうと、内部から壊そうと、暴れまわっている。 しゃりしゃりと、何千何万もの虫が、中を這い回り食い荒らす音がする。 痛い。 苦しい。 「………か、は」 どれくらい、飲み込んだだろうか。 気がつくと俺は倒れ込み、岡野が傍らで俺の顔を覗き込んでいる。 「宮守!宮守!」 「おか、の」 岡野が泣きそうな顔で、何度も俺の名前を呼んでいる。 ああ、綺麗だ。 なんて、綺麗なんだろう。 「宮守!ちょっと、おい、馬鹿!ふざけんな!」 こんな時でも攻撃的な言葉に、つい笑ってしまった。 いつの間にか、辺りの邪気は、なくなっている。 俺の体の中で暴れまわっているものだけだ。 「だいじょう、ぶ」 なんとか体を起こして、心配させないように笑う。 岡野はそれでも泣きそうに顔を歪めている。 「………馬鹿っ」 痛くて苦しくて、少し気が緩んだら叫び出してしまいそうだ。 なんとか、これを昇華させてしまわないと。 「また、馬鹿なことをして」 背中に手がおかれた瞬間、少しだけ邪気の抵抗が止む。 天の白い力が、じわりと体の中に入ってくる。 ああ、もう、大丈夫だ。 「ご、めん」 顔をあげて天を見上げる。 天は少しだけ髪が乱れ、擦り傷を負いながらも、悠然と立っている。 力強く美しい、俺の弟。 天の向こうにいる阿部は、静かになって倒れ込んでいる。 終わったのだろうか。 「天………っ」 その瞬間、きらりと視界の隅が光った。 壁に突き刺さっていたはずのナイフが、宙を飛び天の背中に向かっている。 「っ!」 痛みも苦しみも一瞬で吹っ飛ぶ。 立ち上がり、天の体に抱きつく。 「つっ」 背中に突き刺さるかと思い目を瞑った瞬間、ぐいっと前にひかれた。 腕に焼けつくような鋭い痛みが走る。 でも、背中には衝撃はない。 「本当に馬鹿」 目を開けると、気がつけば俺がしがみつくような形で支えられていた。 すぐ傍には、整いすぎて怖くすら感じる、弟の顔。 コートと制服が破れ、腕から血が溢れている。 じくじくと、痛む。 「………ごめ、ん」 「俺が庇われて礼でも言うと思った?」 倒れ込みそうな俺の背中を支えながら、天が冷たく俺を見下ろし言い放つ。 腹の中が痛い。 腕も痛い。 全身がズキズキと痛む。 今にも気を失ってしまいそうだ。 「ただ、俺は」 喘ぐように息をしながら、なんとか口を開く。 礼なんて、最初から期待してない。 そもそも俺が庇わなくても、天なら、どうにかしてしたかもしれない。 勝手に体が、動いていただけだ。 「天が、傷つくのだって、見たくない」 天はじっと、俺の顔を無表情で見ている。 また、天の気に入る答えではなかったのだろうか。 「………俺、兄さんのこと嫌いじゃないけど」 天が小さく囁くように言う。 呼吸が顔にかかる。 「そういうところは、すごく嫌い」 そんなの知ってる。 お前が、俺のこと嫌ってるのなんて、知ってる。 でも、胸がズキリと痛む。 「あ、待て!」 雫さんの焦った声と、乱暴な足音が響く。 ふらつきながらなんとかそちらを見る。 「あ、べ………」 阿部が、いつのまにか立ち上がり、部屋から走り出ようとしていた。 |