朝食を取るために居間に向かうと、部屋の中ではすでに天が座っていた。 涼しげな様子で、こちらを見上げてにっこりと微笑む。 「おはよう、兄さん」 「………おはよう」 弟は起きたてなんてことは全く感じさせない隙のない身なりで、姿勢よく座っている。 本当に、外面だけは、完璧な奴だ。 もう少しドジなところでも見せてくれれば、大分親しみやすかっただろうに。 天は渋々隣に座った俺の顔を、マジマジと見る。 「力は貰ってるみたいだね」 「………うん」 「そう、それならいい」 天は納得したように一つ頷くと、すぐに前を向く。 元はと言えばこいつのせいで志藤さんにもあんな迷惑をかけてしまった。 なんて思うのは責任転嫁だろうか。 志藤さんは、大丈夫だろうか。 志藤さんは俺たちとは別に朝食を取るから、今ここに姿はない。 だいたい管理者の家に行くとそんな感じだ。 別に一緒でもいいのに。 やっぱり、朝から志藤さんはずっと沈んでいた様子だった。 でも、無理もない。 あんなことをさせられてしまったのだ。 やっぱり、言わなきゃよかっただろうか。 後悔しても、遅いのだが。 「おはよう、待たせて悪かったね。さあ、朝食をとるか」 なんて考えていると、露子さんが爽やかな笑顔で現れた。 遅くまで起きていたはずなのにそんな様子は全く見せず、晴れやかだ。 今日と言う日に対する恐れも緊張もないようだ。 ただ普段通りに笑っている。 さすが、露子さんだ。 俺と天も挨拶を返すと、にっこりと笑って頷き、自分の席に立つ。 今日は水魚子さんも忙しいようなので、3人の食事だ。 ちょっと、寂しい。 それに、昨日からの変な考えが浮かんでしまって、露子さんと何を話せばいいのか分からない。 部屋が静まりかえって、空気が重い。 なんとなく箸が止まってしまう。 「どうかしたかな、三薙さん。食が進んでないようだ」 「あ、いえ、大丈夫です」 露子さんがそれに気付いたのか、不思議そうに聞いてくる。 あなたのことが気になっていました、なんて言えるはずがない。 慌てて残っていた食事をつつき始める。 「まだ成長期なのだから、しっかり食べた方がいい。湊もだがな」 「そうですね。しっかり食べないと」 露子さんの言葉に素直に頷いて、味のしない食事を口に運ぶ。 何を考えているんだろう、俺は。 何も考えなければいい。 そうだ、俺の考えすぎだ。 「えっと、露子さんは、準備とか大丈夫なんですか?」 「これから着付けたり化粧したりだな。嫁に行くのも中々重労働だ。旦那様がお気に召してくれるといいんだが」 露子さんは相変わらずサバサバと言って笑う。 つい、それにつられて笑ってしまう。 やっぱり、こんな明るくてしっかりした人が何かしたとか、そんなの俺のただの妄想だ。 変な妄想だ。 「どう思う、四天さん?私は気に入られるだろうか」 そこでなぜか露子さんが、黙々と箸を口に運んでいた天に話を振る。 天は嫌に露子さんにつっかかるが、露子さんは楽しそうに天を弄る。 天のツンツンした態度は、気にならないのだろうか。 実はすごく気があっているとか。 露子さんは少なくとも、天は嫌いではなさそうだけど、この質問はどうなのだろう。 「あなたほどの器量の持ち主でしたら、その力を持って相手の意志を捩じ伏せることぐらい容易でしょう」 天はにっこりと笑って、そう答えた。 周りの温度が5度ぐらい下がった気がする。 でも、当の本人は全く気にしない。 「はは、お褒めに預かり光栄だ」 そして肩に流していた結んだままの長い髪をそっと撫でる。 待ち受ける儀式に想いを馳せたのか、目を伏せる。 「そうだな。まあ、旦那様を惹きつけるよう努力を怠らないようにしなければな」 この人が、霧子さんの失踪に関わっているなんて、あるはずがない。 俺の考えは、ただの勘違いだ。 そう、思わせる優しい笑顔だった。 「三薙さん?」 思わず見惚れていると声をかけられる。 俺は慌てて居住まいを正した。 「あ、その、が、頑張ってください」 「ああ、ありがとう。全力で嫁ぐとするよ」 そう言って、露子さんは笑った。 食事を終えてそのまま最初に割り当てられてた部屋に向かう。 着物などは、部屋に置いてきていたのだ。 天と二人きりになるのは嫌だったが、仕方ない。 部屋に入ってすぐ、天が不意に話しかけてきた。 「兄さん、何があったの?」 「え」 「露子さんに急に変な態度を取り始めた理由」 「え………」 俺は普通の態度のつもりだったが、バレバレだったらしい。 天が立ち止り、俺を振り返る。 「どんな話を聞いたの?」 こいつは、どうしてこんな風になんでもかんでもお見通しという態度を取るんだろう。 事実、お見通しなんだけど。 でも、その敏さに、時折酷く不安になる。 「いつもはそんなの気にしない癖に。他家の事情には関わらないんだろう」 「そうだね。でも、今回は興味がある」 「………」 素直に興味があると告げる天の顔は、意外に真面目だった。 口元は笑っているが、目はまっすぐに俺を見ている。 「教えて?」 そしてもう一度促されて、俺は、口を開く。 誰かに、言いたかったのかもしれない。 話し始めると、止まらなかった。 堰き切ったように、天に話してしまう。 露子さんと湊さんの話の食い違い、霧子さんの失踪の話のつじつまの合わなさ。 考えすぎなのだろうが、不安になる、ということを伝えた。 天はただ時折相槌をうって、聞いていた。 そして俺が話し終ると、大きく頷く。 「ふうん。そうか」 「これって、さ………」 霧子さんの失踪に、露子さんは何か関わっているのだろうか。 聞こうとする前に、天が俺を見ないまま、ぼそりとつぶやく。 「俺はさ」 「うん?」 「あの人が、なんの悩みもなさそうなところが、苛々するんだろうね、きっと」 「え」 天はそこで自嘲気味に笑う。 この弟がそんなにストレートに人を嫌うなんて、珍しい。 本当に露子さんを嫌っているらしい。 「迷いがないことを羨ましいと思った。でも、実際目の当たりにすると、こんなにも不快感を覚えるものだと思わなかった」 「天?どういう意味だ?」 弟が言っている意味が分からなくて問い返す。 天はそこで肩を竦めて一つ笑った。 「あの人は、迷わないでしょう。人の感情に囚われない。自分の好きなようにする。自分の信じるところを、なりふり構わず追える」 それが本当かどうかは分からないけど、確かに露子さんはそんなイメージがある。 自分がしたいことを自信を持って突き進む人だ。 その割には、古い因習に自ら飛び込もうとしているけれど。 「俺は自分の感情に素直な人が好きなんだけどね。自分の欲望に真っ直ぐな人が好き」 そういえば天は、自分が望むところを持っている人が好き、とか、なりふりかまわない人が好きだとか言っていたっけ。 それでいけば、確かに露子さんは天の好みのタイプだろう。 でも、天はゆるくかぶりを振る。 「でも、迷いなく真っ直ぐな人は苦手だって、初めて知ったよ。ああ、そうか。だから俺は熊沢さんも苦手なのか」 「て、ん?」 天が人を苦手に思うなんてことはあるのか。 誰にだって態度を崩さずマイペースに慇懃無礼に接するのに。 そういえば露子さんだけではなく、熊沢さんにも感情的になっていたかもしれない。 自分の欲望に正直な人が好き。 でも、迷いのない人は嫌い。 つまりは。 「………お前は、迷ってるのか?」 迷いのないように見える弟。 でも、迷いのない人が嫌いだということは、天自身は迷っているのだろうか。 天は肯定も否定もしなかった。 ただ、うっすらと笑う。 「あんな風に迷いがなくなれば、いいんだけどね」 それきり、部屋には沈黙が落ちた。 俺はそれ以上聞くことが出来なかった。 食事を終え、しばらくしたら婚礼の儀式の始まりだった。 婚礼はこのまま、何度かに分けて夜まで一日かけて行われるらしい。 当主の部屋から出る湖にせり出した半島。 その祠の前で待っていると、露子さんが婚礼衣装を身にまとって現れた。 金糸の刺繍が入った見事な白無垢は、このために仕立てたものだろうか。 露子さんの清楚な顔立ちに、よく似合っていた。 「露子さん………」 思わず、呆けたような声が出てしまった。 それは、本当に神秘的なまでに美しい姿だった。 青く輝く湖をバックにした花嫁を見て、その場いいる人間が感嘆のため息をついた。 角隠しの下は白く彩られた、小さな顔、赤い唇。 まるで雛人形のように愛らしく、美しい。 「どうかな?馬子にも衣装ぐらいには格好がついてるだろうか?」 露子さんがひらりと身をひるがえして、衣装を見せてくれる。 俺は何も考える暇もなく、ただ何度も頷いた。 「綺麗です!」 それは、本心からの言葉だ。 露子さんの花嫁姿は、それ以上なんといったらいいか分からないぐらい綺麗だった。。 綺麗だけれどやや地味な作りの目鼻立ちも、化粧がとても映え、この婚礼衣装を着るために作りあげられたかのようだ。 「すごくすごく、綺麗です。すごく似合ってます」 「ふふ」 なんだか、馬鹿みたいに言葉が出てこない。 自分のボキャブラリの乏しさがうらめしい。 でも俺のつたない言葉に、露子さんは嬉しそうに笑った。 「ありがとう。この良き日に三薙さん達に立ち会っていただけたのは幸運だな。私の行く末を祈ってくれると嬉しい」 「は、はい!」 「さて、では、始めるとしようか」 緊張や重々しさなど一切感じさせない口調でいって、露子さんが笑う。 それを合図に、婚礼の儀式が開始する。 露子さんが祠の前で跪く。 水魚子さんが、神官役として、祝詞を奏上する。 「掛けまくも畏きたつみの龍神の御前に恐み恐みも白さく、八十日日は有れども今日を生日の足日と選定めて………」 水魚子さんの声は、細いながらも綺麗に響いて気持ちがいい。 祝詞は聞いていると、気持ちよくなれる。 みんなうっとりと耳を澄ませている。 その時、ぴちゃん、と音がした。 湖の水が跳ねる音。 つられて顔を上げる。 すると同時に、水が大きく波打って、半島を侵蝕しようと生き物のように這いずり上がってきた。 「………露子さん!」 一番湖に近くに位置した露子さんのすぐ足もとまで水が襲う。 俺は慌てて露子さんを庇うために、湖と露子さんの間に入る。 「う、わ!」 すると水は勢い増して、立ち上がり、俺を呑みこもうとして覆いかぶさっている。 思わず目を瞑ると、ぐいっと腰を引きよせられる。 「兄さん!」 「三薙さん!」 天と志藤さんの声がすぐ耳元で響く。 この体を引き寄せる手の持ち主は、分かっている。 目を開けると、俺を庇うように引き寄せている人間の顔がすぐそこにある。 「て、ん!」 思わず力一杯に天にしがみつくと同時に、そのまま一緒に湖の中に引き込まれた。 |