第三者の登場に、由紀子さんが焦ったように、刃を振り下ろす。
その瞬間、圧倒的な白い力が強風のように放たれて、由紀子さんの華奢な体が、俺や黒輝もろとも吹き飛ばされる。
また打つのかと体を固くするが、今度は黒輝がマットになってくれたおかげで、柔らかく受け止められる。
お礼代わりに、しがみついたまま少しだけその美しい黒い毛並みを撫でた。

「だから、やめてくださいってば」

サクサクと草履が草を踏みしめる音が響く。
まだ舞衣裳を身につけたままの四天が、つまらなそうな顔で近づいてくる。
横たわった由紀子さんと俺と黒輝を一通り見渡す。
そして、俺の傍らに来ると、黒輝の頭を優しく撫でる。

「ごめんね、黒輝、大丈夫?ありがとう。戻ってていいよ」

黒輝は鼻面を四天に擦りつけると、俺を草の上に下ろして身を伏せる。
そのまま土に溶けるようにふっと姿を消した。
天は腰を屈めて後に残った結晶を回収すると、身を起して俺を見下ろす。
その声と視線は、冷たく苛立ちを含んでいる。

「で、何やってんの?」
「………あ………」
「部屋から出るなって、俺言わなかったっけ?」

強い非難に、後悔と罪悪感と少しの反発が生まれる。
確かに、俺が悪い。
でも、上から押さえつけられるような言い方にこんな状態でも噛みつきたくなる。
しょうがなかったんだ、と。
俺だって、こんな風にしたかった訳じゃない。

けれど、それはすべて言い訳。
いつも、こんな風に迷惑をかけている。
俺は、役立たずの厄介者。
なんだかんだぼやきながらも、四天は必ず手を差し伸べてくる。
それは分かっている。
分かっているんだ。
だから、無理やり言葉をひねり出す。

「………ごめ………」
「またボロ雑巾みたいになってるし。連れて帰るのためらうぐらい、汚い」

化粧をほどこした秀麗な顔を嫌悪で顰める。
そんな顔をしてさえ、夕暮れを背にした四天は綺麗だ。

「帰るよ、兄さん。祓いは終わった。お仕事終了」
「………ゆき、こさん……は」
「東条家で好きにするでしょ。婆さんもこっち向かってる。宮守に手を出したオトシマエについては、後で家同士できっちり相談するよ」

なんでもないことのように、四天はそう言い捨てる。
絶対の力の持ち主の登場に、由紀子さんはもう立ちあがる気をなくしたように土の上に座り込んだままだった。
その視線で人を殺せるんじゃないかというぐらいの憎悪をこめて俺たちを見ている。
ギリギリと歯ぎしりせんばかりに食いしばり、土をえぐろうとするように爪を立てる。
爪は剥がれかけ血が滲んでいるが、そんなことは感じないように同じ言葉を繰り返す。

「どうしてどうしてどうしてどうしてどうして」

四天がその哀れな女性の姿を冷たく見下ろす。
そこには同情も怒りも感じない。
ただ無感情に、髪を振り乱して叫ぶ由紀子さんを静かに見ている。

「どうしてどうしてどうしてなの!いいじゃない、一人ぐらい、いいじゃない!その子を頂戴よ!どうして、くれないの!」
「まあ、熨斗付けてあげたいぐらいイラつくことあるけど、一応兄なんでそういう訳にもいかないんです」
「いいじゃない!ちょうだいよ!その子のミコの力、いらないならちょうだいよ!」
「いらない訳じゃないですから」

思いがけない言葉に、俺はどういう意味かと、一瞬考えを巡らす。
今のは、どういう意味だ。
熱でぼやける思考の中、由紀子さんの呆けたような声が聞こえる。

「………あ、そう。そういうこと。そういうことなのね」

そして、一瞬の後に甲高い声で笑い始めた。
聞いているだけで不安になるような、耳障りな哄笑。

「あ、はははははは!あはは!なあんだ、そうなのね。そう、そうよね」
「…………」
「所詮、あんたも一緒だ!あはははははは!あっは、あはははは!滅びろ滅びろ滅びろ!死んでしまえ!ワラシモリなんて死んでしまえ!こんな村滅んでしまえ!宮守も一緒に呪われてしまえ!呪われろ!呪われろ!死ね!死ね!死ねばいい!」

繰り返される呪詛の言葉に、耳をふさぎたくなる。
髪を振り乱して笑い続ける由紀子さんから目を背けると、そこには由紀子さんを冷たく見下ろす天の姿。
その姿から白い力がゆらりと立ちあがる。
そしてそれは形を作り、狂気に沈む女性に向かう。

「だめ、てんっ」

咄嗟に最後の力を振り絞って、天の足にすがりつく。
天の纏った白い力が放出されないように、必死で自分の中に飲み込む。
呪言も伴わない力の伝達に、内臓が圧迫される。
頭ががんがんとして、目玉が飛び出しそうだ。
天の白い力も、正しい伝達をしなければ、うまく消化できない。
ぽたっと、腕の上に何か落ちた。
赤い。
鼻の奥がツンとしびれる。
ぼたぼたと、鼻から血が溢れていく。

「………何してんの?」

元々そこまで強い力じゃなかったのだろう。
白い力の放出が止まる。
体の中をぐるぐる廻る力に、吐き気がする。
けれどまだ残っている昨日供給された力とゆっくりと交じりあっていく。
圧迫から解放されて、天の足にしがみついたまま、ずるずると土の上に顔からつっこむ。
意識が、途切れる寸前だ。
それでも、それだけは伝えたくて、言葉をなんとか紡ぐ。

「………もう、おわり、だろ?これいじょうは、いい………」

見たくない。
もう見たくない。
もう、お腹一杯だ。
もう、いいんだ。

誰かが傷つくのも。
誰の血も。
天が誰かが傷つけるのも。

見たくはないんだ。

もう顔をあげられない。
意識が半分以上闇に沈む。
血の匂いがする。
血の味がする。
血は嫌いだ。
土につっこんだ顔が、苦しい。

「まったく」

天の、呆れかえった声が聞こえる。
でも先ほどまでの冷たさは少しなりを潜めている。

「さっきの黒輝もそうだけど、他人を守るなんてことは、自分を守れて初めてすることなんだよ」
「………うん、ごめ………」

天が怒ってる。
また怒ってる。
ごめん。
天、ごめんな。
また、怒らせた。
また、迷惑をかけた。
ごめん。
天、ごめん。

「分かったよ。もうしないから、さっさとそこで寝てて。それが一番楽」
「………うん。ありが、と………」

もう、大丈夫。
天が来てくれた。
天が、なんとかしてくれる。
だから、大丈夫。

体を乱暴にひっくり返される。
呼吸が楽にできる。
けれど、目が開けられない。
意識が急激に遠ざかっていく。

ああ、でも、最後に一つだけ伝えないと。

「天………」
「まだ何かあるの?」
「ひな、こちゃん………屋敷に………」

大きく息を吐き出す音が、響く。
助けて。
あの子を、助けて。
あの優しい子を、助けて。

「まだ言ってたの。わかったよ。わかったから。ほら寝て」
「………たの、む…」
「………分かったよ。ほら、お休み」

優しく髪をすかれた気がした。
深く、呼吸をする。

もう、大丈夫だ。
頭に温かい手を感じたまま、俺は意識を手放した。





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