眠っていたのは、30分にも満たない時間。 でも、天に起こされた時には体がすっかり軽くなっていた。 もやがかかっていたような意識はクリアになっていて、世界が鮮やかに見えた。 いつものように供給をうけた後は、生まれ変わったように清々しい。 天がもうちょっとムカつかなくて、それとあのやり方さえなければ、俺だって、もう少しコンスタントに供給を受けたいと思っている。 そう、何より問題なのは、供給の方法だ。 供給の後は、かなり気まずい。 あまりの気まずさに、穴に埋まりたくなってくる。 「………なあ、あのやり方、やめないか」 「ん?」 もう何度したか分からない会話。 天は部屋の隅で携帯ゲーム機に集中をしていた。 俺は天の顔を見れないまま、畳の目を数えるように俯く。 「………やっぱさ、あれは問題があると思うんだ」 あれは、どう考えても、普通じゃない。 儀式の一種だと、わかってはいても、落ち着かない。 嫌ではないが、違う、嫌じゃないわけない。 嫌だ。 嫌過ぎる。 「何、まだ慣れないの?」 「慣れるか!」 天はゲームから目を離さないまま聞いてくる。 どうしてこいつは、そんなに平気なんだ。 「簡略版じゃなくて、普通に術式作って、受け渡しでいいじゃん…」 別にあのやり方をする必要はない。 きちんと結界を張り、呪言を正式に唱え、術式を組み立てれば接触する必要はない。 あのやり方をとっているのは、合理性を尊ぶ天の好みだ。 血や唾液と言った体液を媒介にすると、力の伝達は確かにスムーズにいく。 そもそも体液自体、力が伴うので効率がいい。 回路もつなげやすくなるし、消耗も少ないし、時間も短く済む。 いいことづくめだが、やっぱりさすがにあれはない。 けれど天はうざったそうににべもなく返す。 「やだよ、面倒くさい」 「………だってあれじゃ……」 とても気まずい。 とんでもなく気まずい。 ただの儀式だ儀式だと言い聞かせるが、やっぱり自分をだませない。 それに供給の後、栞ちゃんの顔を見るとなんとなく落ち着かない。 まっすぐ顔が見れない。 もしかして間接、とか考えると色々な意味で落ち込んでくる。 そしてそんなこと考えている自分にまたへこむ。 「やっぱり、不健全だと思う」 「気にしすぎだよ。人口呼吸と一緒。人命救助。そう思っとけば」 「人口呼吸で舌はいれない!」 そうだ、あれは単なるベロチューだ! どう考えても、誰が見ても立派なベロチューだ。 男同士で、しかも弟とベロチュー。 切なすぎてしょっぱくて涙が出そうだ。 俺のファーストキスを返せ。 しかもファーストディープキスまで奪われている。 「ただの儀式だよ」 「そっかあ、儀式かあ、そうだよなあ、なんて思えるか馬鹿!」 俺の抗議に、それでも天は耳を貸さない。 「もう、面倒くさいなあ。兄さん供給率悪いし、沢山供給しなきゃいけないから時間かかるし、疲れるんだよ、普通の方法だと。ちまちまやってられないよ。準備にも時間かかるし」 「だからってな!じゃあ、せめて血の方にしろ」 「痛いの嫌い」 「このっ!」 「それに、兄さんもあれが一番気持ち良さそう」 その言葉に、体中が熱くなる。 それも、嫌なのだ。 供給にトランスするのはいつものことなのだが、あのやり方は供給される力が多すぎて理性が吹っ飛ぶ。 気持ち良すぎて、あんなことになる。 自分の行動を思い出して、また埋まりたい気分になる。 いつも思いだしては、後悔の嵐だ。 「あ、あれは、しょうがないだろ!」 「うん、しょうがないから、気にしない方がいいんじゃない」 のらりくらりとかわす弟にイラついて、膝で歩いて近づいてゲーム機を取り上げる。 大きなため息をついて、天は顔をあげる。 じろりと睨まれて、投げつけようとしていた言葉を飲み込む。 「じゃあ、もう一つの方法にする?」 「へ?」 なんのことか分からなくて、俺は呆けた声をあげる。 天は真面目な顔で続ける。 「一番効率のいい媒介知ってる?」 「な、なに?」 嫌な予感がして、俺は一歩後ずさる。 すると天は性格の悪さが滲み出る、面白がるような微笑みを浮かべた。 「精液」 一瞬、何を言われたのか分からなかった。 しばらく、天と見つめあう。 ゆっくりと、じわじわと脳に血が回り、その言葉を理解する。 顔が、一気に熱くなった。 「〜〜〜〜っ」 「唾液と精液どっちがいい?」 天はにっこりと笑ったまま聞いてくる。 俺は反射的に答えていた。 「だ、唾液でいい!!」 「そう、じゃあ、問題解決だね」 天は俺の手からゲームを取り返すと、もう一度暇つぶしに戻る。 その落ち着いた態度に、俺は今度は怒りで頭が熱くなる。 涼しい顔をした天に何か言おうとして、何も出てこない。 「こ、この変態!」 恥ずかしさと悔しさで、いてもたってもいられない。 立ちあがって、部屋から飛び出そうとする。 「あ、もうすぐ夕飯だし、何かあったら厄介だから部屋から出ないでね」 「〜〜〜〜〜くっ」 先回りして行動を制されて、俺は障子にかけた手を下す。 そして天に背を向けたまま、その場に座り込んだ。 せい、って。 何考えてんだこいつ。 ありえない。 あんな涼しい綺麗な顔をして、あんなシモネタを。 ていうか、俺がそっちがいいって言ったらそっちにする気だったのか!? 駄目だ駄目だ駄目だ、アウト! 「いくら効率がよくても、出すまでに時間がかかるから逆に面倒だよ」 「そういうリアルな話をするな!」 俺が何を考えているのか分かったのか、天はぽつりと漏らす。 生々しい例えに、また顔が熱くなる。 そのまましばらく沈黙が落ちる。 天がカチカチとゲームを操作する音だけが響く。 他には、外から虫の音がするぐらい。 静かな空間。 澄んだ空気。 落ち着く匂い。 そこで、気づく。 この家に来たときの、なんだか重い気配がない。 透明で綺麗な。 宮守の家のような、空気。 これは。 「………天、結界張った?」 「うん、もともと家の周りには邪が入れないように結界張ってあったけど、他人の結界の中って気持ち悪くて」 「そういえば、家にも張ってあるな」 力が満ち足りて、俺もそれにようやく気付いた。 部屋の周りには、作り上げた人間の性格を表すような緻密な結界で覆われている。 そして、その外側の家にも古そうな妖払いの結界が張ってある。 結構強力で、これなら神も邪も入れないだろう。 「………これじゃ、ワラシモリも入れないな」 「入れる気ないでしょ」 まあ、そうか。 あんなのに出入りされたら、落ち着かないよな。 そしてまたしばらく沈黙。 カチカチと音が響く。 しばらくぼうっとしていたが、退屈になってくる。 「腹減った」 「供給した途端元気だね」 「昼に駅弁喰っただけだし、もう8時じゃん」 「そうだね」 ゲームに夢中になっているせいか、天はそっけない。 家にいる時は別に天と話したいとは思わないが、ここには今こいつしかいない。 部屋から出るのは禁じられてるし、暇つぶしの相手は一人だけだ。 仕方なくもう一度天ににじり寄る。 「天、ゲーム貸して」 「やだ」 「お兄様の言うことを少しは聞け」 「弟のものを奪い取るような怖いお兄様は持ってないよ」 未だゲームから目を放さない天。 少し考えて、実力行使に出ることにした。 もう一度ゲームと取り上げようと右手を伸ばす。 避けられた。 もう一度伸ばす。 避ける。 伸ばす。 避ける。 伸ばす。 避ける。 「じっとしとけよ!」 「やだってば」 「弟のくせに生意気だ!」 「何そのジャイアン」 だんだんとその戦いはヒートアップして、ゲームそっちのけでプロレス技の掛け合いになってくる。 そうやってばたばたとしていると、障子の外から遠慮がちな咳払いが聞こえた。 申し訳なさそうにおずおずと声が響く。 「………その、夕食の支度が出来たので、よろしければおいでください」 腕ひしぎを決められながら、俺と弟は慌てていい返事をした。 |