古びた長い廊下を歩いていると、なんだか変な匂いを感じる。 どこかに、違和感を感じる。 力がフルに入ってるから、敏感になってるのかな。 なんだろ、気のせいかな。 天は何も言ってないしな。 「うちの運転手も同行させて、道を覚えさせたいのですがよろしいでしょうか。次に車を出すことがある場合はお手を煩わせないために」 「はい、もちろんです。でも、お気になさらなくてよろしいですよ。いつでも言いつけてください」 四天が熊沢さんの同行の許可を取ると、祐樹さんが穏やかに笑って応える。 本当に優しそうな人だ。 少したれ気味の目で笑うと、ふわりと柔らかく顔が崩れる。 「えっと、三薙さん、とお呼びしてよろしいでしょうか?」 「あ、は、はい!」 ぼうっと後ろから見ていたら、急に声をかけられて飛び上がる。 そんな俺の馬鹿な様子にも祐樹さんは呆れることなく親しみやすい笑顔を浮かべている。 「ありがとうございます。私のことは祐樹とお呼びください。三薙さんは高校二年生でしたっけ?私は大学1年なんです」 「あ、やっぱり近いんですね。同じぐらいかな、とも思ったんですけど」 「まだ高校生に見えますか?残念なような嬉しいような」 俺の緊張に気づいたのか、そんな雑談をふってくれた。 ちょっとだけ肩に力が抜けて、頬が自然と緩む。 天はちらりと俺を見たけど、何も言わなかった。 いいだろ、これくらい。 「えっと、その、祐樹さんは………」 そこまで言った時、ひゅっと風を切って、何かがこちらに向かってきた。 突然のことで咄嗟に反応できない。 突っ立って、ただそれがこちらに飛んでくるのを見ている。 そんな俺と祐樹さんの前に立って、天が手をさっと払う。 その動作だけで白い力が迸り、俺達に向かっていた何かはそれにはじかれ床に落ちた。 「わ、な、に?え、札?使鬼?」 ぼとりと音を立てて何かが落ちた床には、ひらひらと質量を感じない一枚の紙が落ちている。 あれがあんな素早く俺たちに向かってくるはずもなく、あんなデカイ音を立てて落ちるはずもない。 一瞬前までは、紙ではない何かだったはずだ。 それを確認して、祐樹さんが大股で前に出た。 「雫!」 そして、厳しい声で誰かの名前を呼ぶ。 小さく障子が開いて、廊下の先の右の部屋から誰かが現れる。 「………」 驚いて声を上げそうになったが、祐樹さんも天も驚いていない。 二人ともそこに誰かがいたことに気づいていたようだ。 「何をしているんだ、雫。謝りなさい」 雫、と呼ばれたその子は高い背をしたショートカットの女の子だった。 レトロな形のセーラー服を纏い、すらりと長い手足に似合う、きりっとしたきつい顔立ちをした美人。 今度こそ俺と同じぐらいの歳の子だと思う。 雫さんはつんと顎をそらして、切れ長の目で俺たちを睨みつける。 「そいつらが、宮守家だかなんだかって偉そうな奴ら?」 「雫、いい加減にしなさい!」 「変な化け物ぐらい、私が退治するよ。そんな奴ら必要ない。何よ、ガキじゃない」 「雫!」 もう一度祐樹さんが叱りつけるが、雫ちゃんはふんと鼻を鳴らして廊下の向こうに行ってしまった。 えっと、なんなんだ。 今のやりとりからして、さっきの使鬼らしきものは、彼女が放ったものなのか。 てことは、術者なのかな。 「…………」 祐樹さんは廊下の先を見て、深く深くため息をつく。 そして、苦い顔で俺たちを振り返って深々と頭を下げる。 「大変申し訳ありません。妹が失礼を」 「お気になさらず。私共も気にしておりません」 「は、はい」 天が涼しい顔でそう言うのに便乗して、勢いよく頷く。 祐樹さんは顔をあげたものの、いまだ難しい顔をして視線を下に向ける。 「本当に申し訳ございません。妹は、私たちと違い強い力を持っているせいか、どこが奢ったところがあり………。わざわざご足労いただいたのに御不快な思いをさせてしまい……」 「かまいませんよ。何も被害はありませんし。早く仕事を片付けて、彼女をあまり刺激しないようにいたしましょう」 「………そうですね。すいません、本来の目的を果たすことにします。車は家の前に回してあります」 「はい、お願いいたします」 祐樹さんが先に立って、足早に廊下を進む。 俺たちは並んでその後に続く。 ちらりと、隣の弟をこっそり窺うが、やっぱり涼しい顔をしている。 それに気付いたのか、前を向いたまま聞いてくる。 「何?」 「………お前、怒ってる?」 祐樹さんには聞こえないような小さな声で問う。 四天は視線だけでこちらを見て、左眉を器用に持ちあげる。 「なんで?」 「………なんか、言葉に棘があるから」 「怒ってるよ。こんな中途半端なとこまで来て、面倒な仕事押しつけられて、変な女にゴミみたいな術でじゃれかかられて」 うわあ、刺々しい。 最初っから結構機嫌悪かったのに、なんかもう地を這っている。 表面に出さないから分かりづらいけど、その分余計に怖い。 けれど、天は肩を小さく竦めた。 「でも、これはお仕事だからね」 「………うん」 「兄さんも、気持ち切り替えてね」 「分かった」 経験豊富な弟はそう言って、また前を向いた。 その顔はやっぱり涼しくて、怒りも苛立ちも動揺も何もないようだった。 そんなところに、埋められない差を感じる。 いや、埋めなければいけないのだ。 これから、埋めていくのだ。 四天のやっていることを隅々まで見て学べ。 それが、俺に課せられた仕事だ。 「うわあ、こりゃまた」 鳥居を仰いで熊沢さんが思わずと言ったように声を上げる。 その気持ちはよくわかる。 「…………」 祐樹さんの運転する車で15分ほど来たところに、街中にはふさわしくないこんもりとした森が現れた。 入り口を注連縄で区切られたそこは、結界の意味なんてないぐらい嫌な気配に充ち溢れていた。 ねっとりとして呼吸するたびに肺の中まで入り込むようなべたつく黒い空気に吐き気を覚える。 ぐらりと一瞬だけ視界が揺らいで、慌てて体を支える。 祐樹さんも少し辛そうに顔を歪めている。 「ここが当家の捨邪地で、現在怪異の起こっている中心の地となります」 「邪が、濃く満ちていますね」 「普段からここはこのような地なのですが、人死が出てから更に気配が濃くなっています。何度か私たちも足を運んだのですが………」 何も見つからなかったってことなのか、言葉を濁す。 一人涼しい顔の四天がそれは気にせずに辺りをぐるりと見回す。 「当主が仰られていた、封印と言うのはどちらに?」 「中になります。ご案内します。どうぞお気をつけて」 言われるままに注連縄をくぐって、濃くなる気配に更に圧迫感が増す。 体が重い。 「大丈夫ですか、三薙さん」 隣にそっと寄ってきた熊沢さんが耳元で聞いてくる。 一応今は力はフルだし、何より四天の前で不様な真似はできない。 痩せ我慢でも、立ってみせる。 まあ、無理しすぎてぶっ倒れたら余計駄目だけど。 「平気。ありがとうございます」 「無理しないでくださいね。倒れる前にいってください。おぶりますから」 「絶対に倒れません」 よし、力が入った。 熊沢さんが遠慮しないでくださいと言って笑っている。 本当にこういうところ、双兄にそっくりだ。 そして昼なお暗い森の中、しばらくいったところに中々立派な社があった。 けれど、祐樹さんはそれを通り過ぎて、社の裏に回る。 そして、社の後ろのぽっかりと空いた空間、そこでぴたりと立ち止った。 「これが当家の管理地の要、フシイシとなります」 それを目にした途端、全身に鳥肌が立った。 じわりと、手のひらに汗が滲む。 そこには大きな4つの石が佇んでいた。 |