赤い。

すごく、赤い。
赤い、夕焼け。
空が真っ赤に染まって、まるで燃えているようだ。

手すりの向こうには、赤い空が広がっている。
マンションの壁は、やはりオレンジ色。
階段の踊り場から飛び出すと、一階とほとんど変わらない景色。
オレンジの壁には左右にずらりと扉が連なっている。

階段室を出たすぐ正面には、階数を示すプレートが壁に張り付いていた。

二階。



***




「うわ、これかわいい!」
「こっちもいいよ!」
「あ、千津、こっちはどう?」

女の子たちは、今度はなにやら小物屋さんらしき店の前で楽しそうに立ち止まった。
さっきから1M進むのに30分かかってる気がする。
一歩進んでは、何かしらのトラップがある感じだ。

「………付いてくるんじゃなかった。ノリで言っちゃったけど、付いてくるんじゃなかった」
「………女の子って、すごいな」

藤吉がすでに遠い目をしている。
女の子って、何もないところでどうしてこんな話を盛り上げられるんだろう。
周りに女の子っていなかったから、なんかもうその生態にただ驚いている。
母さんは、こんな買物の仕方しないだろうし、栞ちゃんは、どうなんだろ。
四天と一緒にこんな買物をするのだろうか。
はしゃく栞ちゃんと、それに冷静に付き合う四天。
あ、なんか想像つくかも。

「ねえねえ、宮守どっちがいいかな」
「………何か違うのか?」
「全然違うじゃん!色もデザインも!」

佐藤が、俺には同じにしか見えないピアスを二個ぶら下げて聞いてくる。
正直に答えると、頬を膨らませて抗議してくる。
どうでもいいけど、そんな佐藤もかわいい。

「だからあんたモテないんだよ」
「か、関係ないだろ!」

岡野の冷たいつっこみに言い返す。
すると女子三人は顔を見合わせた。

「あるでしょ」
「あるよね」
「あるね」

確かにあるかもしれない。
でもどう見ても、ピンクの丸っこい球に、銀の鎖。
どっちも一緒にしか見えない。

「わ、悪かったな!」

女子三人は、やれやれといったように三人でため息をついた。
なんか、結構くるぞ、これ。
なんだこのダメージ。

「宮守駄目だなあ」
「うるせー、藤吉!!」

お前だって絶対、分からない癖に。
一人だけ分かったような顔しやがって。

「で、どっちがいい?」
「………み、右の、ピンクの、方?」

どっちもピンクに見えるけど、若干左はベージュ色かもしれない。
俺の答えに、佐藤はうんうんと頷く。

「そっかあ。うん」
「確かに」
「やっぱりピンクのがかわいいねえ」

よかった、正解だったようだ。
怒られなかった。
これで駄目だったら怖かった。
なんかテストよりも緊張する。
そしてひとしきり盛り上がり、そのまま棚に戻す。

「て、買わねーのかよ!」
「買わないよ。金ないもん」
「じゃあ、なんで買物来たんだよ!」

買物って、目的があるから来るもんじゃないのか。
さっきから見てるだけで、一向に三人は買物をしようとしない。
靴下屋さんで靴下とトレンカとやらを買っていただけだった。
スパッツって言ったら怒られた。

「ウインドウショッピングって言葉を知らないの?見てるだけでいいの、見てるだけで」
「そうそう、楽しいじゃん。あれかおっかなー、これかおっかなーとか」
「うん」
『ねー』

岡野と槇と佐藤は顔を見合わせて頷いた。
その姿はとってもかわいくて、見ているだけで和む。
女子の甘い声と茶目っ気のある仕草は、それだけでドキドキする。
しかし。

「………分からない。全く分からない」
「………まあ、勉強だ」

同じく疲れた顔をした藤吉のぽん、と肩を叩かれた。
まあ、うん、女心を勉強するには、いいかもしれない。
よし、これは修行だ。

「あ、宮守、藤吉、これはー?」
「………まだあるのか」

藤吉と顔を見合わせため息をつく。
そして強い女子達のところまでひょこひょこと近づく。
今度はブレスレットを見ているようだ。

「………あ、これかわいいな」
「あ、和っぽいねー。確かにかわいい」

それは有田焼風の赤銅色と濃藍の、渋いシンプルなピアス。
なんだか、他のものと違って和風で、印象に残った。
着物にもあいそうだ。

「でも、宮守君、ピアス穴開いてないよね?」
「俺はつけないから!」

女の子たちが声をあげて笑う。
本当に、女の子って、強くて我儘で勝手なことばっかり。

でも、かわいくて、楽しい。
それになんだかんだ言ったって、俺はこの時間が楽しい。
こんな風に、友人と過ごす放課後がずっと憧れだったんだから。

これが、ずっと、したかったんだ。



***




「お帰りなさい。今日は遅かったですね、三薙さん」

家に帰ると、母が奥から出てきてくれた。
エプロンをした母からは、夕飯の匂いが漂ってきている。
今日は、母さんが作ってくれたのかな。
まだ夕食の時間ではないから、別に怒っている訳じゃないのだろう。

「ただいま帰りました。友人達と放課後、買物に行っていました」
「そうですか、楽しかったですか?」
「はい!」

そう言うと、母は目を細めて笑ってくれた。
本当に、我が母ながら、若い人だ。
父さんも、年の割にはすごい若々しくて30代後半とかに見える時もある。

「あ、これ、おみやげです。おいしいって友達が言ってて。ドーナッツです」

槇がおいしいって教えてくれたドーナッツのお店の箱を差し出すと、母さんは顔をほころばせた。
母さんも、確か甘いものは好きだったはずだ。

「あら、ありがとう。お友達は女の子?」
「女の子三人と、男一人です」

そう言うと、少しだけ残念そうに口を尖らせた。

「残念。彼女じゃないのね」
「ち、ちが、違います!」
「まだ三薙さんには、そういう人はいないのね」
「いません!」

いや、力いっぱい否定することでもないけど。
母さんは呆れたように苦笑した。

「さあ、着替えていらっしゃい。夕食にしましょう。お父さんもお待ちですよ」
「はい!」

今日はお父さんも一緒なのか。
当主たる先宮だから家にいることは多いけれど、雑事が多い父さんとは食事の時間がずれることも多い。
副業の方もあるから、家にいない時も結構あるし。

「あ、四天はいつ、帰るんですか?」
「四天さんがお帰りになるのは明後日の予定です」
「………そうですか」

胸にちょっと手を当てる。
喉が軽く渇いている感じがする。
最後の供給は、一週間前。
修行で、少し力を使いすぎてしまった。

「ちゃんと供給はしてますか?」
「あ、はい」
「いつなにがあっても滞りなく対処できるよう、いつでも体調を整えておきなさい」
「………はい」

母さんは先ほどとは静かな声で、言いつけた。
分かっている。
四天が帰ってきたら、供給はしないと。

別に前みたいに絶対にいやだっていう気持ちはない。
これは必要なことなんだから、やらければいけない。
出来ることは全部して、やっておけばよかったていう後悔はしたくない。
四天には力の消費をさせて申し訳ないけれど、何かあった時に迷惑をかけるより、マシだ。

そう、嫌な訳じゃないんだ。
ただ、なんか、この前から、ちょっと気まずい。
四天の背中で泣いてしまったあの時から、少しだけ、居心地が悪い。
あいつも、完璧な化け物なんかじゃないって知ってから、どう接したらいいか、分からない。
今まであいつは何も感じない、感情も揺れない、痛みもない、人間を超越した生き物って、どこかで思っていた。
だから、何でも言えたし、迷惑だってかけまくっていた。
あいつはなんだって出来るんだって、そう思っていた。

でも、あいつだって、怪我だってするし、痛みも感じる。
失敗だってきっとするだろう。
そんな当たり前のことに、ようやく気づけた。
でも、だからと言って、すぐに態度を替えられるわけじゃない。

あいつの態度は一切変わらないし、相変わらず嫌みでムカつく。
人のことなんて見下しまくってるし、俺のことのだって相変わらず嫌いだ。
だから、別に、四天と仲良くする気はない。

でも、ただ、これ以上迷惑は、かけたくない。
あいつに二度と、怪我は、させたくない。

俺は、どうしたらいいんだろう。
四天との接し方が、分からない。



***




一兄は仕事で遅くなって、双兄はどっか行ってる。
今日は父さんと母さんと俺との食事になった。

「学校は楽しいか?」
「はい、すごく楽しいです」
「そうか。勉強も大切だが、友人達と遊ぶことも貴重だ。高校生活は一度しかない。十分に楽しみなさい」
「はい!」

父さんとしゃべる機会はそう多くないけれど、いつも気にかけてくれている。
接する時はいつでも緊張するが、話せるのは、嬉しい。
威厳があって普段は怖いけれど、今みたいに穏やかに笑っていると一兄に似て、とても優しい。
あ、父さんに一兄が似ているのか。

「今日は友人と出かけたと聞いたが、どこに行ったんだ?」
「えっと、藤吉って男と、岡野と槇と佐藤って女の子と、今日は買物に行ったんです。女の子って、すごいパワーがありますね。俺、すごい驚きました!」

女子三人で、結局ずっと何も買わずにうろついたこと。
男は何も口を出せなかったこと。
沢山の種類の服とかアクセサリとかがあって、同じように見えるのに全然値段とかが違って不思議だったこと。
それで最後は皆でケーキを食べて、下らない話をしたこと。
そんな他愛のないことだけれど、父さんは興味深げに聞いていてくれた。

「そうか、楽しそうだな」
「はい!」
「彼女は出来たのか?」
「ぶはっ」

お茶を思わず噴き出した。
母さんがティッシュをとってくれながら、苦言を呈す。

「はしたないですよ、三薙さん」
「だ、だって!父さんまで!」

父さんは太く低い、男らしい声で、からからと笑う。
真面目で威厳のある父さんが、こんなことを言うとは思わなかった。
そして一兄が俺をからかう時とそっくりの悪戯っぽい笑顔で言った。

「それも、大切なことだぞ」
「………はい」

そんなの出来れば苦労はしない。





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