赤い。

すごく、赤い。
赤い、夕焼け。
空が真っ赤に染まって、まるで燃えているようだ。

赤い、な。

手すりの向こうには、赤い空が広がっている。
マンションの壁は、やはりオレンジ色。
階段の踊り場から飛び出すと、一階とほとんど変わらない景色。
オレンジの壁には左右にずらりと扉が連なっている。

階段室を出たすぐ正面には階数を示すプレートが壁に張り付いていた。

三階。



***




ベッドに体を起こして、額に手を当てる。
目覚めに付きものの軽い頭痛。
けれど、それ以上の、違和感。

「………三日連続、同じ、夢?」

なんでもない夢。
けれど、薄気味悪い夢。

今日は、三階だった。
一日づつ、階数が上がっている?

ぞくりと背筋に寒気が走って、体が震えた。



***




「宮守?帰らないの?」
「岡野は?」
「私はもう帰るよ」

岡野はピンバッチやら何やらでいっぱいのバッグを背負って、立ち上がる。
俺も慌てて荷物をバッグに放り込む。
なんか、ぼうっとしていたようだ。

「なんか顔色悪くない?」

岡野が俺の顔を覗き込んでくる。
猫のような吊り目にじっと見られて、訳もなくドキドキする。

「なんか、夢見悪くって。寝不足かも」

眠っている時間は一緒なんだけど、眠りが浅いのかもしれない。
今日も授業中に眠くてうつらうつらとしてしまった。
岡野が興味を持ったように、俺の机に座って聞いてくる。
太腿、太腿が近い。

「へえ、どんな夢?」
「なんか、マンションにいるんだ。ただ、マンションにいる夢。白くて古びた、マンションにいる」
「何がおかしいの、それの」

岡野の白い足から目を逸らしながら、夢の中を思い出す。
あんなマンション、記憶にない。
どこのマンションなんだろう。
確かに、マンションにいるだけの夢ならおかしくない。

「それ、三日連続で見てるんだ。それで、最初は一階だった。今日は三階だった」
「………一日、一階づつ登ってるってこと?」
「………そう」
「気味悪」
「うん、偶然かもしれないけど」

嫌そうに岡野が顔を顰める。
確かに、薄気味悪い。

「………その、あんたの家の事情的なものだったりしないの?」
「今のところ何も感じない。父さんも母さんも何も言ってなかったし」

邪や鬼などといったものに惑わされている可能性。
それが一番ありそうではある。
でも、俺が何か邪に魅入られてる、なんてことだったらあの二人が気付かない訳はない。
それとも、ちょっとだけじゃ分からないぐらい小さな気配なのだろうか。

「とりあえず明日は四天が帰ってくるはずだから、聞いてみる」
「ああ、弟さん?」
「そう」

四天に供給をしてもらって、そんで相談してみよう。
気のせいかもしれないことに、父さんと母さんを付き合わせるのは申し訳ない。
あいつなら、何か分かるかもしれない。

「でも、今日は四階行っちゃうのかな」
「怖いから言うな」

あえて考えないようにしていることを言われて、怖くなる。
特に何もない夢だから、平気だと思うけれど、登って登って、その先には何が待っているのだろう。

「下りてみれば?」
「え?」
「上に上がってるんでしょ。だったら下りてみればいいんじゃね」

あ、そっか。
下りて、マンションから出てしまえばいいのかもしれない。
でも夢の中で動けるのかな。
一応、俺の意志はあるみたいだったけど。
なんか登らなきゃなって思って、気付いたら登ってたんだよな。

「そっか。うん、できるようだったら下りてみよ」
「うん。結果教えて」
「今日、見れたらな」
「確かに」

見れないのが、一番だと言って笑い合う。
今日はあの夢を見ませんように。

「そういえば、あんたちってさ、必ず名前に数が入るの?」
「え?」
「あんたが三薙で、三、で、四天君が四、でしょ」

ああ、そうか、確かにあんまり他の家では見ないよな。
昔は一郎、二郎、なんてのいっぱいあったんだろうけど。

「ああ、うん、そう。俺の父さんも長男で一途で、一。叔父さんが三子だから、三千里(みちさと)。叔母さんが四人目で四志子。で、五番目が道五(どうご)だったかな」
「うわー、変わった名前」
「な。俺、まだそこまで変じゃなくてよかった」
「あれ、二番目は?」
「ああ、えっと、二葉叔母さん。若い時に亡くなったらしい」

綺麗な人だった、とは前に親戚から聞いたかな。
そこで岡野が申し訳なさそうな顔になる。

「………あ、そっか。ごめん」
「ううん。俺は全然記憶にない人だから、ピンとこなくて」

俺が生まれてすぐに亡くなったらしい。
薄情かもしれないけれど、哀しいとかそう言った気持ちはない。

「宮守」

気が付けば、教室には人がほとんどいなくなっていた。
声をかけられて、振り向くとそこには長身のがっしりとした男が立っていた。
俺は慌てて席から立ち上がる。
ガタガタと椅子の足が木の床を打つ音が、静まり返った教室に響く。

「………あ、べ」

あれから、声をかけられたのは初めてだ。
元々話すような奴じゃなかったけど、ずっと視線は感じていた。
阿部はいつものように、俺を睨みつけていた

「お前さ、平田がどこいるか知ってるんじゃねーの」
「………っ」

いきなり付きつけられた確信に、言葉が出なかった。
全身の体温が、下がっていく感じがする。
指先が、冷たい。
俺の表情を見て、阿部は自信を得たらしい。

「やっぱり知ってるんだろ!?お前、平田どうしたんだよ!」

詰め寄ってきて、俺の襟首をつかむ。
その怒りに満ちて赤くなった顔が見ていられてなくて、目を逸らしてしまう。

「ひら、た、は………」

あの家で、今も縛り付けられ、闇を食っているだろう。
もう、平田であった時の意識もなく、いつかあの地の管理者に祓われるまでは救いもない。
次の祓いで、平田であったものが祓われるかも、分からない。
でもそんなの、なんて説明したらいいか、分からない。

「お前がなんかしたの?」
「ちがうっ」
「お前だけ帰ってくるとかおかしいだろ。佐藤全然覚えてないし。お前がなんかしたんじゃねーの!?」

違う、と言いたい。
けれど確かに、俺がもっとしっかりしていれば、平田は助かったかもしれない。
四天の助けを待つのではなく、俺に力があれば、二人ともすぐに助けられたかもしれない。
そもそも、皆をあんな危険な場所に連れて行くことは、なかったかもしれない。

「………」
「お前さ、小中で、化け物とか言われてたんだろ?霊が見えるとか嘘ついて。無視されてたらしいよな。何、平田も霊がどうかしたとか、そういうこと?」

俺はうまく力が使えなかったから、いつでも邪に惑わされて変な行動ばっかりしていた。
中学校ではだいぶ落ち着いたけど、失敗したこともあって、それでも噂は消えず、遠巻きに見られていた。
阿部が馬鹿にしたように、あざ笑う。
至近距離の眼が、濁っているように見えた。

「嘘だろ。お前がどうかしたんじゃねーの。お前、平田嫌いだっただろ?お前が殺したんじゃねーの」
「………っ」

嫌いも何も、そこまで付き合いはなかった。
でも、確かに嫌な奴だとは思ってはいた。
それに、ある意味、俺が殺したのと一緒だ。

「あのさ」

そこで、いきなり体が後ろにひかれ、阿部から引きはがされた。
黙っていた岡野が、俺と平田の間に入る。
阿部が面くらったように、一歩体を引く。

「なんだよ」
「ばっかじゃないの、あんた」

それは荒げるでもなく、心底呆れたような口調だった。
それが余計に馬鹿にしたような響きを強調していて、阿部が鼻白む。

「あの家に無理矢理宮守連れ出したの、私らでしょ?こいつ家の中でもずっと早く帰ろうって言ってたじゃん。それで家から出れなくなった時も、助けてくれたの、こいつでしょ?あんたなんてわーわーぎゃーぎゃー騒いで、チヅも平田も置いて帰ろうって半泣きになってただけじゃん。超かっこ悪い。ほんとだっさい」

淡々と付き付ける岡野の言葉に、一気に阿部の顔が赤くなる。
岡野を威嚇するように、睨みつけて声を高くする。

「んっだと!」
「本当のこと言われて怒っちゃうの?何もできないでビビってたくせに、今更本当にウザい。チヅがあんたに靡かないのなんて、その情けない性格のせいでしょ。バッカじゃないの?」

しかし岡野はそんな阿部の虚勢に動じることなく馬鹿にしたように笑った。
阿部はさすがにそこで頭に来たらしく、その手を振り上げる。
まずい。

「こ、の女っ」
「岡野!」

咄嗟に岡野の手を引いて後ろに下げて、阿部の手を払う。
よかった、間に合った。

「宮守!」

後ろに下げた岡野がまた前に出てくる。
止めようと思う前にその綺麗な手がひらりとひるがえって、阿部の頬を思い切り打ちつけた。
パシっとかじゃなくて、ガツって音がした。

「ってえ!」

阿部が顔を抑えて、うずくまる。
うわ、痛そう。
岡野の指は、ごつい指輪がいっぱい付いているから、余計に攻撃力がありそうだ。

「女に暴力振るうとかありえねえ。本当最低男。お前、チ○コついてんの?切り取って女になっちまえば?それならその女々しいビビりな性格でも許されるんじゃね?素直に怖いよ、お母さん助けてーって泣いて喚いても誰も何もいわねーよ。ごめん、嘘。女でもお前ほどビビりな奴いないわ。お前に女になれとか、女全般に失礼だわ」
「………っ」

阿部の顔がゆでダコのように真っ赤になる。
また岡野が殴られるんじゃないかと、慌てて岡野を背中にかばう。
なんでこんな怒らせるようなことばっかり言うんだろう。

「………」

けれど阿部は立ちあがると、そのまま足音荒く、教室から出て行った。
よかった。
武術は習得しているが、人と真剣に殴り合ったことはないから本当に喧嘩になったらどうなっていたか分からない。
ため息が漏れて、肩から力が抜ける。

「宮守!」
「お、岡野」

後ろから肩を掴まれて、振り向かされる。
岡野はさっきの冷静な様子とは打って変わって、目を更に吊りあげて俺を睨みつけている。
こ、怖い。

「あんたもね!あんたは何も悪くないんだから堂々としてろよ!ビビってんじゃねーよ!」
「ご、ごめん!でも、平田は………」

平田は、確かに、俺のせいで、いなくなった。
それは、確かなんだ。
岡野が小さくため息をついて、少しだけ声を和らげる。

「助けられたの?」
「………俺には、無理だった」

俺には、あの時点では、無理だった。
力がちゃんと供給されていても、きっと無理だっただろう。
俺には、どうしたらいいか分からなかった。
でも、四天だったら、大丈夫だったかもしれない。
二人をなんなく、助けられたかもしれない。
四天だったら、そもそもあんな場所に近付くことが、なかったかもしれないけれど。

「あんたに無理だったら絶対誰も無理でしょ」
「俺が、もっと強ければ、大丈夫だった、かも」
「あんた一人の責任じゃないでしょ。誘ったのは私らなんだし」
「………でも、俺が最初から行かなきゃ」
「そしたら私ら全員いなくなってたかもしれないでしょ?ばっかじゃないの?」
「………」

きつい、岡野の言葉。
でも、それが、俺を労わってのことだと、伝わってくる。
岡野は、俺が悪いんじゃないって、言ってくれている。

「泣いてんじゃねーよ。このへたれ!」
「ご、ごめんなさい!」

怖くて、思わず謝ってしまう。
でも、嬉しくて、自分が情けなくて、あったかくて、なんだかよく分からないけど涙が出てきてしまう。
必死に止めようとして、しゃくりあげてしまった。
岡野が呆れたようにため息をついて、俺の顔を両手で挟み込むようにぎゅーっと押しつぶす。
指輪が当たって、すごい痛い。

「あんたは、この前の文化祭の時も、あの家でも、精一杯頑張ってくれた。千津が助かったのも、私たちが助かったのも、あんたのおかげだと思ってるから」
「………おか、の」

きっつい岡野の言葉に、胸が熱くなってくる。
でも、本当はこんなこと言ってもらえる立場じゃないんだ。
皆が助かったのだって、結局俺の力じゃない。

「………でも、助かったのは、四天と、一兄のおかげなんだ。本当に」
「あんたがいなきゃ、あの二人だって来ないし、来る前にどうにかなってたかもしれないでしょ」
「………でも」
「あー、うるせー!うざい!いいから素直に感謝されとけ!」
「は、はい!」

迫力に押されて、咄嗟になんども頷く。
岡野は満足したように頷いて、ようやく手を放してくれた。
痛くなくなったけど、冷たくなった。

「………だから泣くなって。私が泣かせてるみたいじゃん」
「………ごめん」
「まあ、いいけどね」

止めようと思って、次から次に、涙が出てくる。
どうやったら、止められるのか、分からない。

「………ありがとう、岡野」
「はいはい、アイス食べて帰るよ。あんたの奢りね」
「………分かった」

鼻をすすって涙をふくと、岡野が黙ってティッシュを差し出してくれた。

嬉しい。
岡野がいてくれて、嬉しい。
優しい優しい、岡野が、嬉しい。

嬉しい。
温かい。






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