赤い。 すごく、赤い。 赤い、夕焼け。 空が真っ赤に染まって、まるで燃えているようだ。 赤い、な。 手すりの向こうには、赤い空が広がっている。 マンションの壁は、やはりオレンジ色。 階段の踊り場から飛び出すと、一階とほとんど変わらない景色。 オレンジの壁には左右にずらりと扉が連なっている。 階段室を出たすぐ正面には階数を示すプレートが壁に張り付いていた。 四階。 ざわりと寒気がして、夢の中なのに全身に鳥肌がたった。 やっぱり、また、夢を見てしまったのか。 諦めとも納得ともつかない気持ちにため息をつく。 いつもなら、確かここでぼうっとしているうちに夢から覚める。 でも、とりあえず、今日は動いてみよう。 幸い、体は自由に動くらしい。 こんな薄気味悪いところにずっといるぐらいなら、さっさと出てしまった方がマシだ。 辺りには動いたりするものの気配もない。 ただ、耳が痛くなるほどの静寂。 今まで気付かなかったのが不思議なぐらいの、薄気味悪い場所。 マンションって、もっと人の気配がするものじゃないだろうか。 今来た階段室に戻って、階段を駆け下りる。 階段室は鉄の柵みたいなもので覆われて、外が見える螺旋状のタイプのものだ。 赤い空を見ながら、ぐるりと回るように階段を一段一段降りる。 螺旋状の階段って、今自分がどこにいるのか分からなくなりそうで、苦手だ。 ようやく踊り場に辿りつく。 階段室を出ると、すぐ正面には階数を示すプレートが壁に張り付いていた。 四階。 「………どういう、こと、だよ」 独り言をつぶやく声が、かすれている。 なんだ。 どういうことなんだ。 もしかしたら、俺は最初から五階にいたとか。 昨日の今日だから、四階だと思い込んでいたのかもしれない。 「………もう一回、下りてみよう」 大丈夫、大丈夫だ。 きっとちょっと勘違いしただけだ。 きっと、最初から、五階だったんだ。 もう一度階段室に戻って、二段抜かしに階段を駆け下りる。 途中ちょっと踏み外しそうになった。 また踊り場に来る。 階段室を出ると、すぐ正面には階数を示すプレートが壁に張り付いていた。 四階。 「………っ」 全身に寒気が走って、嫌な汗を掻く。 夢の中なのに、汗ばんだ手の感触が嫌にリアルだ。 もう一回階段室に戻る。 一階まで駆け下りる。 そうだ、一階まで駆け下りたら大丈夫だ。 ただ階段だけを見て、急いで駆け下りる。 夢の中のせいか、息があがったりはしない。 ただ、何かに追い立てられるような、嫌な気配が背中からする気がした。 下りて、下りて、下りて。 踊り場を一つ、二つ、三つ、四つ。 おかしい。 それでもいつまでも階段は続いている。 どういうことだよ。 おかしい。 試しに踊り場から出てみる。 やっぱりプレートは貼りついている。 四階。 「………やめ、ろ!」 誰に言うでもなく叫ぶ。 階段室に駆け戻る。 そうだ、これは螺旋階段だから、真ん中から下が見えるはずだ。 柵から身を乗り出すように、螺旋階段の真ん中を覗き込む。 ある程度予想はしていたが、到底四階とは思えないぐらい階段が延々と続いている。 果てがないのかのように。 「………どういう、ことだよ」 おかしい。 これは絶対におかしい。 こんなのただの夢じゃない。 こんな、薄気味悪い夢。 「そうだ、上は」 螺旋階段から身を乗り出して、今度は上を見上げる。 丸く切り取られた景色から、空が見える。 真っ赤な、真っ赤な空。 上には、果てがあるのか。 階段の切れ間が、見える。 「上には、いけるのか、な」 もう一回下を見るが、やはり果てはなさそうだ。 どうすれば、いいんだろう。 上を、目指すべきなのか。 そこで突然、ふっと辺りが暗くなる。 「あ、れ」 どういうことだ。 光が、遮られた。 何に、遮られた? 「………っ」 嫌だ、見たくない。 でも、見なければ。 嫌がる首を無理矢理動かして見上げると真っ赤な空が、何かで遮られている。 階段の切れ間、あれは屋上? な、んだ。 逆光で、よく見えない。 影は楕円のような形を、している。 あれは、人の、形? 何かが、覗きこんで、いる? 屋上に、誰か、いる? ぞっと、悪寒が全身を駆け廻る。 その影が、ゆらりと動いて、身を乗り出すような仕草をする。 こちらに、来ようとするように。 「う、わあああああ!」 「あっ!!」 目を開くと、そこには見知った天井。 心臓がたった今全力疾走したかのように、バクバクと波打っている。 息が荒い。 嫌な汗を全身に掻いている。 「………あ」 身じろぎすると、さらりとした、シーツの感触。 シーツが擦れる音。 もう、お手伝いさんは起きているのだろう、どこかでパタパタと動き回る気配がする。 自分の部屋の、匂い。 さっきまでの世界に、匂いはなかった。 そうだ、ここは、俺の部屋。 そうだ、さっきのは、夢、だ。 「夢、か」 額にもじっとりと、汗を掻いている。 パジャマ代わりのシャツで拭うが、シャツも湿っていた。 「………ただの、夢じゃ、ないよ、な」 最後に覗きこまれた時のことを思い出して、体が小さく震えていることに気付いた。 ベッドに上に起き上がって、膝を抱える。 「大丈夫、大丈夫大丈夫」 落ち着け。 大丈夫だ。 今は現実なんだから。 「どうだった、宮守?」 岡野が教室に入るなり、朝一番で話しかけてきた。 なんか昨日、岡野の前で泣いたこととか、二人でその後アイス食べたこととか思い出して、すごい、居心地が悪い。 「え、え、何が?」 「夢だよ、夢?今日は見なかった?」 思わず声が上ずってしまうが、岡野は全く気にしていない様子だった。 なんだかちょっとだけがっかりするようなしないような。 「あ、夢か。………また、見た」 「………そっか。階数は?」 岡野が、顔を顰める。 思い出すだけで、体が震えてきそうだ。 なんとも言えない、嫌な夢。 「四階」 「………下りてみた?」 「うん、でも、下りても下りても、四階なんだ。階段から下を見てみたら、なんか果てがなくて」 「………」 「それで、見上げたら、上はなんかちゃんと終わりが多分あって、それで」 「………うん」 「何かが、いた」 岡野の顔が、強張った。 ぶるりと震えて両手で自分を抱きしめる。 「今すっげ鳥肌たったんだけど!やめてよ!超怖いんですけど!」 「俺だって怖いよ!」 聞きたがったのは、岡野だ。 文句を言われても困る。 そんでもって、俺だってすごい怖い。 やめてって言われても本当なんだからしょうがない。 「………ねえ、大丈夫なの?」 「………分からない」 あれがどういうことなのか、分からない。 何を表わしているのか、あれは邪なのか、凶兆なのか、吉兆なのか。 けれど、嫌な感じがすることは確かだ。 「………」 岡野が顔を曇らせて、気遣わしげに俺を見ている。。 しまった、心配させてしまっている。 岡野にそんな顔はさせたくない。 「あ、でも、今日は四天が帰ってくる予定だから、聞いてみる」 笑ってそう言うと、岡野はちょっと顔の強張りをとく。 よかった、笑ってくれた。 「そっか。弟君はすごい強いんでしょ?」 「うん、あいつは俺なんて比べ物にならないぐらい、強いから、きっと大丈夫」 「兄、しまらないね」 「………言うなよ」 俺だって分かってる。 あいつには迷惑かけてばっかりで、兄らしいところなんてどこにもない。 あいつの力に嫉妬して、反発して、反省して、でもやっぱり嫉妬して。 そればっかりだ。 「でもあんたも頑張ってるから。ちゃんと私たちは知ってるから」 岡野はそう言って、猫のような吊り目を細めて、頭を撫でてくれた。 ごつごつとした指輪が頭にあたって、痛い。 「………ありがとう、岡野」 でも、温かかった。 日付が変わる直前になって、四天は家に帰ってきた。 玄関先で迎えるが、少し顔に疲れが滲んでいる。 そりゃ、そうだよな、こんな夜遅くまで。 今まで、気付きもしなかったけど、天はこんなに疲れている。 「………お帰り、天」 「ただいま。何、どうしたの?」 「え?」 お帰りと言っただけなのに、四天は何かあったのかと聞いてくる。 何か困ったような顔でもしていただろうかと顔を触ってみる。 「俺を待つなんて、何かあったんでしょ?」 あ、そういうことか。 まあ、確かにそうだよな。 何かない限り、天を待つなんてことは、ありえない。 「………うん。そうなんだけど」 「そう。何?供給?」 「それもあるんだけど………」 疲れている天に、供給させたり相談したりするのは、悪い気がする。 いつも飄々としている天だが、やっぱり疲れるのだろうから。 俺が言い淀むと、天は苛々としたように靴を脱いで玄関に上がる。 「疲れてるから、早くしてくれる?」 「………ごめん」 そうだよな。 やっぱり、疲れてるよな。 明日に、しようかな。 「ごめんな、仕事で、疲れてるよな」 「そりゃ疲れてるけどね。聞かないで面倒になるかもしれないから、とりあえず聞くよ?」 「………ごめん。いつも、迷惑かけて、ごめんな」 そうだ。 天はいつだって、どんな時だって、俺の言葉を聞いてくれている。 嫌みを言いながら、嫌そうにしながら、それでも待っていてくれる。 それなのに俺は、いつだって反発して、迷惑かけてばっかりだ。 「ごめん、な」 もう一度謝ると、天はものすごい微妙な顔をした。 「………なんだよ」 「気持ち悪い」 「なんだ、それ!」 本気で心底嫌そうな声。 人が珍しく素直に謝っているのに、なんでいつもより嫌そうなんだ。 「急にどうしたの?なんでそんな殊勝な態度なの?」 「………殊勝ってお前な」 仮にも弟が兄に言う言葉か。 駄目だ。 怒ってはいけない。 それじゃ、いつもと変わらない。 そうだ、俺が大人になって、こいつの嫌みも受け流さなければ。 こいつは、弟、なんだから。 「ただ、俺、いつも、お前に負担ばっかり、かけてるなって、思って。今だって疲れてるのに、面倒ばっかりで、本当に、ごめん、な」 精一杯の謝意を示す。 天は嫌みだし生意気で、ものすごくムカつくけど、それでもいつも助けてもらってるのは本当だ。 ありがとうと、ごめんなさい、ぐらいは、言えるようになりたい。 「やっと分かったの?」 しかし帰ってきたのは、馬鹿にしたようなそんな言葉だった。 ああ、もう無理だ。 「お前な!人がせっかく素直に謝ってるんだからもっと素直に受け取れよ!」 「はいはい。どーいたしまして」 「心がこもってない!」 こいつこいつこいつ、やっぱりムカつく。 やっぱり嫌いだ。 こいつとうまくいかないのって、俺の態度もあるかもしれないけど、絶対こいつの態度も悪い。 「はい、ごめんなさい。で、何があったの?」 「お前、どうしていっつもそうなんだよ」 「そういう性格だから」 「………」 面倒くさそうに聞き流す天。 そして、荷物を持って歩き出した。 「とりあえず供給もしなきゃいけないなら、俺の部屋行こうか」 もう、何も言えなかった。 不承不承だが、仕方なく頼む。 「………うん。ごめんな。頼む」 「兄さん、寝る用意してる?」 「へ、あ、うん」 「じゃあ、俺、風呂入って寝る用意だけするから。後でケータイで呼ぶ」 「分かった。ありがとう」 大人になれ。 大人になるんだ、三薙。 「………気色悪い」 「うるさい!」 ああ、やっぱり、こいつとうまくやるのは無理かもしれない。 「それで、どうしたの?」 まだ軽く濡れている髪を拭きながら、天はミネラルウォーターを煽る。 俺はいつもの定位置のベッドに座って、事情を説明する。 「………なんか、変な夢、見るんだ」 「夢?」 「うん」 四日間、見続けている夢の内容を話す。 夢だからうっすらとしているところも多いが、出来るだけ思い出して、詳細に。 白いマンション。 真っ赤な夕焼け。 人気のない場所。 一日ごとに進む、階数。 「どうしてそう器用に厄介事ばっかりしょいこむかな」 「しょいこみたくてしょいこんでるんじゃない!」 話を聞き終って、天はうんざりとしたように吐き捨てた。 俺だって、平穏無事に暮らせるならそうしたい。 「何か、心当たりは?変なところ行ったとか、したとか」 「………全然」 天は少し疑うように俺の顔を見るから、まっすぐにその目を見つめ返す。 今回は本当にまったく、何一つ心当たりがない。 もしあったら、速攻で言っているだろう。 「………確かに、穏やかじゃないな」 信じたのか信じてないのか、天は怪訝そうに顔を顰める。 タオルを机に放り投げて、近寄ってくる。 「別に体はおかしくないし、邪の気配も、感じないんだけど」 「うん、今こうしていても、特に感じないよね」 顔を近づけられて、検分するようにじっと見つめられる。 そおまましばらくそうしているが、何も分からなかったようだ。 ため息交じりに俺の隣に座ると、ベッドのスプリングがはずんだ。 「ちょっといい?」 「うん」 頷くと、首を掴まれ、引き寄せられた。 額をそっと合わせられる。 少し濡れている髪がひんやりとした。 「………ん」 じわりと、天の白い力が額から体の中に入ってくる。 いつもの供給とは違う、静かに、探るように体中を巡る。 木の根が、体に張り巡らされるような、奇妙な感覚。 しばらくそのまま額を合わせていたが、そっと天の体が離れて行く。 体の中に入っていた力が、そっと引き上げて行く。 「………は、あ」 「うーん」 「なんか、分かったか?」 「分からない」 「………」 あっさりと言われて、思わず言葉を失う。 天なら何か分かるんじゃないかと、期待していただけ余計だ。 うーんと、うなりながら首を傾げて、もう一度額を合わせられる。 思わぬ近さに、天の黒く深い瞳がある。 「でも、なんか変な気配はするんだよね」 「どんな!?」 「すっごい気配薄くて分からない。なんか奥深くに潜ってる感じ。兄さんの中、広いからなあ」 また、離れて行く。 結局分からない、のか。 力が抜けて、ベッドにそのまま横倒しに倒れ込む。 「………はあ」 「そんな泣きそうな顔しないでよ」 「泣いてない!」 「泣いてるとは言ってない」 「………」 寝っ転がったまま睨みつけると、横に座った天は軽く肩をすくめた。 「………お前、本当に嫌な奴だな」 「正直なだけだよ」 ああ、本当に嫌な奴。 超嫌な奴。 天は、天井を見上げて首を傾げる。 「全部で、八階なんだよね?」 「確か、最初に見た時は、そうだった」 「で、今夜行くとしたら五階」 「………多分」 うん、と頷く。 何か、分かったのだろうか。 「了解、とりあえず供給しちゃおうか」 「あ、疲れてるなら、供給は明日でもいいんだけど」 「ぶっ倒れるほどじゃないから平気。今回あまり力は使わなかったし」 「………そっか。ごめんな。………ありがとう」 天はまた、なんとも言えない嫌そうな顔をした。 こいつ、俺が礼を言うのがそんなに意外か、おい。 今までだって一応最低限の礼と謝罪は言っていたはずだぞ。 「だから、なんだよその顔」 「いや、ごめん、本当に気持ち悪い」 「………」 ああ、ムカつく。 本当にムカつく。 「まあ、いいや。試しに、供給のついでに中を綺麗にしてみよ」 「あ、うん」 そうか、浄化してもらったら、綺麗になるかもしれないよな。 俺の中になんかいるなら、それで解決するかもしれない。 「まあ、どうにもならないかもしれないけど」 「………お前、不安になること言うなよ」 「だって、確証ないし。正体分からないから」 「………他に方法ないのか」 「力技でどうにかなるかもしれないけど、もしかしたら兄さんの方が壊れるかもしれないし」 「………おい」 何さらっと怖いこと言ってるんだ。 ていうか何をするつもりだ。 「だから、ひとまず供給と浄化だけね」 「………うん」 なんかものすごい不安を覚えるのだが、まあ、四天がいうなら大丈夫なんだろう。 多分大丈夫なんだろう。 大丈夫だよな。 「じゃ、ベッド詰めて。俺も寝るから」 「へ?」 「だって兄さん、寝ちゃうでしょう?」 天が上に着ていたカーディガンを脱いで、寝る用意をする。 いや、まあ、寝ちゃうけどさ。 なんだ、それは、一緒に寝るってことか。 嫌だぞ、それは。 ていうかこいつは嫌じゃないのか。 「………いや、そうなんだけど」 「ついでに寝てる間になんかないか見るよ」 ああ、そうか。 確かに、寝てる間に俺に変化あるなら、隣に天がいればすぐわかるよな。 「俺も寝るから、気付かないかもしれないけど」 「………」 「何その顔?」 「なんかお前、かなり投げやりじゃないか?」 「そう?そんなことないよ?」 なんか、いつもよりだいぶ投げやりな気がするんだが、大丈夫か。 本当に大丈夫なのか。 俺は天を信じて、平気なのか。 「はいはい、大丈夫だから詰めて。じゃあ、電気消すよ」 真っ暗になって窓の障子から入るわずかな月明かりだけが部屋を照らす。 他にどうしようもなくベッドの壁際に詰めると、天が横に入ってきた。 ギシリとスプリングが揺れて、ひんやりとした体が触れる。 大きめのサイズのベッドは男二人寝ても、少々窮屈だがまだ少し余裕がある。 天が寝転んだ俺を上から見下ろして、簡易化した呪を唱える。 黒い目は、暗闇の中でも綺麗に光っている。 「宮守の血の絆に従い、此の者に恵みを。巣食う闇を浄化せよ」 冷たい唇が、触れる。 天の体の重みを、感じる。 「………ん」 「ん」 温かいものがそっと忍びこんできて、俺の舌に触れる。 舌を絡ませると唾液がぴちゃりと音を立てて混じり合い、回路が繋がる。 その途端、脳内に突き抜けるような快感が走り抜けて、背中が反り返る。 「んっぅ」 天の白い力が、体の中に入り込んでくる。 圧し掛かっている体からも、シャワーのように降り注いでくる。 皮膚に、ピリピリとした痛み一歩手前の刺激を感じる。 天の手が、腰を引き寄せて、そこから浄化の力が流し込まれる。 「………あっ、はぁ」 この前の狂いそうな痛みではなく、緩やかな痛みが全身を駆け廻る。 それすらも気持ち良くて、自然と目尻に涙が浮かぶ。 それが怖くて、天の首に縋りつく。 頭が、真っ白になっていく。 体中が、天の力で満たされていく 気持ちがよくて、眩暈がする。 「はっ」 中が天の力で満たされて、そっと体が離される。 涙で滲んだ目では、天の顔がよく見えない。 「………て、ん」 「おやすみ。いい夢を」 そっと大きな手が、髪を撫でてくれた気がした。 天の首に巻き付けていた腕から、力が抜けて行く。 「………うん」 どうかあの夢は見ませんように。 離れて行く体温が心細くて、俺は無意識に温かいものに寄り添った。 |