「四天。三薙はお前に任せる」
「はいはい」

面倒臭そうな天が投げやりに返事するのが聞こえたが、今の状態では反発する気にもなれない。
一兄が立ち上がって、俺から離れていく。
一兄の匂いと温かさが失われ、ちょっとだけ寂しかった。

「俺達はとりあえず佐藤さんを連れて戻っている」
「かしこまりました」

代わりに天が近づいてきて、うずくまる俺を見下ろしている。
その呆れきった視線に、腹の中に感じる痛みとは別に、胸が痛くなる。

「藤吉君、手伝ってくれるか?」
「あ、はい!」

佐藤を軽々と抱えた一兄が藤吉を呼ぶ。
藤吉が立ち上がる前に、心配そうに眉をひそめて俺を見る。
その労わりに満ちた目に、今度はほわりと胸が温かくなる。

「宮守」
「ん、へいき。ありがと」
「………うん」

それでも名残惜しそうに何か言いたげにしていたが、もう一度一兄に呼ばれて立ち上がった。
そのまま、二人は別荘の方に戻っていく。
月明かりの下、残されたのは、俺と、そして弟。

「………」

天は立ったまま、俺を冷たい目で見下ろしている。
月を背にした天は、その白い肌と端正な顔立ちから、まるで作り物のように見えた。

「ごめん、な、天」

また、面倒をかけた。
きっと怒っているだろう。
嫌みの一つぐらい甘んじて受けようと謝罪を口にすると、予想に反して天は軽く肩をすくめた。

「いいけど」

ふっと息をつくと、腰をかがめて俺の顎を掴み持ち上げる。
じっと、深い深い黒をした目が、俺の目を覗き込む。

「また、力も減ってるね」
「う、ん」

膝をついてしゃがみこみ、俺の髪を掴んで上向きにさせる。
吐息が触れるほどに近づくと、天の惹きこまれそうなほどに黒い目が恐ろしくも感じた。

「それじゃ、供給と祓いするから」
「うん」

天が呪を唱えて、俺の背中を引き寄せる。
早く楽にしてほしくて、天の腕にしがみつく。
そっと冷たい唇が触れて、舌が忍び込んでくる。

「んっ、うぅ」

どろりと流れ込んでくる力を、唾液と共に飲み込む。
背中に感じる祓いの力に、腹の中がぐるぐると掻きまわされる。
腹の中を渦巻く闇と、天の白い力が暴れまわって、内臓がぐちゃぐちゃに溶けていく感じがする。
それが怖くて、もっと力が欲しくて、痛みを忘れたくて、自分から舌を絡めて貪る。
助けを求めるようにしがみつくと、天もしっかりと背中を支えてくれた。

「う、ぅん、くぅ」

痛みに腹を掻きむしりたくなるが、それができないので天の腕をぐっと掴む。
涙が滲むが、それでも力を注がれ続けば、徐々に体は楽になっていく。
力が半分くらいまで供給される頃には、すっかり腹の中は綺麗になっていた。

「…はっ」
「………」

天の体が、そっと離れていく。
力はまだ足りていないが、満たされるまで供給されたら眠くなってしまう。
今ここで眠ったら、帰れなくなってしまうから仕方ない。
祓いと供給で体はだるいが、それでも痛みと飢えがなくなり気分はよかった。

「ありが、と」
「うん」

礼を言うと、天は頷いて俺の手をひきはがす。
それでようやく手が痺れるほどに力が入っていたことが分かった。
きっと天の腕にはしっかり痕がついているほどだろう。

「………ごめん。痛かった?」
「痛いけど、いいよ、別に」
「天?」
「何?立てる?」

言われて、力の入らない体を叱咤して、なんとか立ち上がる。
ふらつくと、天が腕をひいて支えてくれた。

「天、どうしたんだ?」
「何が?」

天が俺の言葉に、つまらなそうに首を傾げる。
いつもの嫌みも痛いぐらいの正論も、乱暴な扱いもない。
そりゃない方がいいが、こんなにも親切な天は逆になんだか怖い。

「なんか、お前変じゃない?」
「そう?」
「うん。なんかいつもだったら、また馬鹿なことして、とか、頭悪いとか、もう少し考えて行動出来ないのか、とか、そういうことを………う」

言いかけて、天にじろりと睨まれて口をつぐむ。

「ご、ごめん」
「言っても無駄でしょ」
「………」

呆れたように吐き捨てられて、ぎゅっと胸が痛む。
今度こそ、本当に呆れられたのだろうか。
もう、諦められてしまったのだろうか。
そう考えると、いつもの嫌みが懐かしいとすら思える。
完全に見捨てられてしまうのは、苦しい
俺はそこまで価値のない人間だと思い知るのは、辛い。

「また、迷惑かけて、悪かった」
「今度のはそう馬鹿な行動でもないんじゃないの。確かに兄さんが出来る、最善だったんだろうし。それしか、出来なかったんだろうしね」
「………え」

何を言われたのかよく分からなくて、聞き返す。
けれど天は答えることなく、くるりと俺に背を向けてしまう。

「さ、歩けるなら帰るよ。寒い」
「あ、うん」

慌てて俺もその背中を追いかける。
今のは、もしかして褒めてくれたのだろうか。
いや、褒めてるって感じじゃないよな。
でも、天にしては、態度がやっぱり柔らかい気がする。
それとも、もしかして本当に呆れられてしまったのだろうか。
そう思うと、その背中に拒絶されてるように感じてくる。

あんなことをされて、怒っていた。
距離をとりたかった。
天の考えていることが、分からなかった。
今も分からない。

天は、嫌いだ。
俺の弱さも狡さも、全て突きつけられてしまう。
その強さも、その性格も、何もかもが俺のコンプレックスを刺激する。
天は、嫌いだ。
でも、天に完全に見捨てられるのは、嫌なのだろうか。
なんて勝手なんだろう。

俺は天にどうしてほしいのだろう。
俺は天に、どんな態度を求めているのだろう。

「天」
「何?」

思わず呼びかけるが、特に何を言おうとか考えていた訳じゃない。
とりあえず天が返事をしてくれたことに、ほっとする。

「えっと」
「だから、何」
「あ、えっと、そういえば、あれって、一兄や双兄の悪戯だったの?あの白装束着た変な奴」
「そうみたいだね。俺と栞の時も出てきたけど、スルーしちゃった。でも、危害を加えるようなことはなかったよ」

咄嗟に話をひねり出すと、天はちゃんと答えてくれた。
でも、なんでそれなら、俺の時は攻撃してきたんだろう。

「俺の時は、なんか攻撃してきたんだけど。やっぱり祠に何かあったのかな。俺怪我したよ」

そう言うと天が振り返って、怪我の様子を確かめるために持ち上げていた俺の腕をちらりと見る。
腹の中が痛かったから忘れていたけれど、じくじくと痛んでいまだにわずかに血が滲んでいる。
けれど、腕についた20センチほどの傷はそこまで深いものじゃなくて、癒えたら傷跡もなくなりそうだ。
天がポケットからハンカチを取り出して、俺の腕に巻きつける。

「天」

その行動に驚いて、思わず弟の顔をまじまじと見てしまう。
弟は特に気にした様子なく淡々と巻きつけると、また後ろを向く。

「ただでさえ力足りてないんだから、あんまり血を流したりするようなことしない方がいいよ」

歩きだす天の背中を見ながら、俺はその場に立ちすくんでしまう。

「………やっぱり、お前、変だ」
「何が」
「変に、親切だ」

いつもだったら、怪我をするなんて自覚ないね、マゾなの?ぐらいは言いそうだ。
本当に、どうしたんだろう。
逆に他人行儀にも感じる。

「俺、なんかしたか?」

聞いた声は、なんだか自分でも情けなく思うぐらい頼りなく感じた。
天はちらりと俺を振り返り、普段通り馬鹿にしたように冷たく笑った。
その笑い方にほっとしてしまうなんて、自分でも馬鹿みたいだけど。

「失礼だね。じゃあ、お望み通り不親切にするよ。さっさと行くよ」
「あ、天、待って!」

それきり後ろを振り返らずに歩きだす天の背中を、駆け足で追いかけた。



***




ようやく別荘に帰ってくると、車で双兄達と移動していた岡野と槇と栞ちゃんが玄関先で心配げに待っていた。
俺の怪我を見て、岡野が怒りながら馬鹿と怒鳴った。
その怒り方が酷くかわいくてにやにやしてしまったら、余計に怒られたんだけど。

一兄と話して、やっぱりあの白装束は一兄と双兄の悪戯だってことは判明した。
しかし本来ならただ足音で驚かせるぐらいで、近づいたり危害を加えたりするのは想定していなかったそうだ。
祠に溜まっていた邪気に充てられて変質してしまったのではないかということで、一応の結論を見た。
それから一兄は俺たち全員に謝っていた。
まあ、二人のせいではないみたいだけれど、少しは反省はしてほしい。
あの外見は驚かすにしてもやりすぎた。
そう怒ると、一兄は珍しくとても困った顔で頭を下げてくれた。

「本当に悪かった」
「あれって、双兄の提案?外見とか」
「いや、俺だ」
「………」

悪趣味だって叫びたかったけれど、何も言えなかった。
一兄の新しい一面を見た気分だった。

それから対応については藤吉を巻き込んだことを怒られて、でもよくやったと褒められた。
怪我人が出なかったことを、正しい判断だったと言ってくれた。
それで、何もかも報われた気分だった。

「お疲れ様でした。大変だったでしょう」

迎えてくれた杉村さん達は、俺達がはしゃぎすぎて怪我をしてしまったのだと思ったらしい。
苦笑しながら温かい飲み物を淹れてくれた。

皆で交代でお風呂に入る頃には佐藤も目を覚ました。
とりあえず貧血を起こして倒れたんだろうってことにいておいた。
首をひねっていたが、理由なんて分からないだろうし、いい意味でさっぱりしている佐藤はすぐにそんなこと忘れたようだった。

その後は皆でリビングで集まって、お茶を飲みながら話した。
トラブルはあったものの、無事に終わった今では、緊張感から抜けだしたこともあって余計に皆打ち解けていたように感じる。。
佐藤の前で詳しい話も出来ないし、ただ他愛のない会話で夜を過ごす。

「あれ、双兄は?」
「気分が悪いらしくて、もう休んだ。飲み過ぎだろうな」
「もう、双兄は」

気がつけば双兄だけはいなかったけれど、それでも皆リラックスして会話が弾む。
しばらく俺達の学校の事や、一兄の学生時代のこと、栞ちゃんや天の学校生活の話なんかをして、気がつけば夜の11時頃になっていた。

「じゃあ、俺はもう休む。君達もあまり夜更かししないようにな」
「はーい」
「はい」

そう言い置いて、一兄と、それに天がそれに続く。
すると栞ちゃんも俺達にぺこりを頭を下げて、天の後を追いかけていく。

「じゃあ、私も先に失礼しますね」
「お休み、栞ちゃん」

皆も、一兄や栞ちゃん達に手をひらひらと振ってそれを見送る。
残ったのは、クラスメイトの俺達五人。

「………」

まだ、寝たくないなって思った。
トラブルもあったけれど、楽しかった。
皆と一日中過ごした日が、楽しくて仕方なかった。
まだまだ、もうちょっと皆と一緒にいたい。
こんな夜、今度はいつ過ごせるか分からない。
もう、こんなことないかもしれない。
皆と離れるのが、名残惜しかった。

「うう、体がガタガタする」

佐藤が絨毯に寝そべりながら、涙目で体をさする。
俺と藤吉が結構乱暴に扱ってしまったせいもあるだろう。
罪悪感に胸が疼く。

「佐藤、平気?」
「千津」
「ち、千津、へ、平気?」
「平気ー。ありがと、三薙」

にかっと笑う佐藤は、やっぱりかわいい。
お風呂上がりで髪を下ろしているのも、いつもと違って新鮮だ。
岡野も槇もお風呂上がりで室内着を着ている。
普段見ることのないその姿は、ドキドキして直視できない。

特に岡野は化粧を落としているから、なんだか幼くも見える。
素顔でも十分かわいいから、あんなにばっちりメイクする必要ないんじゃないかな、なんて思う。
そんなこと、言えないけど。
ていうかまあ、どっちもかわいい。

「いいなー、モテモテだなー、宮守」
「そ、そんなじゃ!」
「俺のどこが悪いんだ!なんで俺には彼女が出来ないんだ!」
「いや、俺も出来てねーし!」

別にモテたりはしていない。
俺の女性との関わりは主にからかわれる、それだけだ。
俺だって、俺のことを頼りにしてくれたりするかわいい彼女が欲しい。

「宮守君、彼女欲しいの?」
「え、そ、そりゃ、まあ………」

槇の言葉に、躊躇いながらも素直に頷く。
そりゃ、健康的な高校生男子としては彼女が欲しい。
デートもろくに出来ないだろうから、出来る訳もないんだけど。
でも、大事に出来て、自分も大事にしてくれる愛しい存在が隣にいたらとてもそれは楽しくて嬉しいことだと思う。

「三薙のタイプってどんな人?」
「えっと………」

佐藤の質問に、タイプの女性を思い浮かべる。
俺のタイプは元気で明るい、一緒にいると楽しくなる女の子。
そう、昔から佐藤のような女の子に惹かれることが多かった。
俺自体が暗いから、周りを明るくしてくれるような女の子が好きだった。
でも。

「………」

ちらりと視線を上げると、目の前にいた岡野と目があった。
長い髪を後ろでまとめた岡野は、いつもの攻撃的な印象と違って酷くあどけない。
その大きな猫のような吊り目に、どきりと心臓が跳ね上がる。

「宮守?」

藤吉の言葉に我に帰る。
佐藤のようなタイプが好きだった。
でも今は、なんだか違う気がする。
いつもの憧れとは違う、なんだかもっと強い感情を感じる。

「おーい、宮守」
「そ、それより、藤吉!藤吉は!」
「うわ、さすがにその話の逸らし方は厳しい」
「う、うるさい!」
「えー」

これ以上つっこまれると大変なことになりそうなので、慌てて話を逸らす。
藤吉は楽しそうにくすくすと笑っている。
双兄なんかと違って俺を追い詰めるつもりはないようだ。
本当に藤吉は大らかで優しくて面倒みがよくて強い、いい奴だ。

「ていうか藤吉モテそうなのに。頭いいし、しっかりしてるし、性格もいいしさ」
「え、何それ、告白?ごめん、俺女の子がいい」
「俺だって女の子がいいよ!」

俺達の会話に、岡野が残念そうにため息をつく。

「藤吉ねえ、いい奴なんだけどね」
「そのいい奴ってやめて岡野。お願い」
「二人とも、格好いいのにねえ」
「完全に他人事だよね、槇」
「なんか寂しい、その言い方」

酷い言い草の女子達に、俺は逆に噛みつく。

「お、岡野達はどうなんだよ!」

言われた女子達は目をぱちぱちと瞬かせて顔を見合わせる。
それから口々に意見を述べる。

「面倒だし」
「私もいいかなあ」
「私は彼氏ほしーなー」

そっか、岡野、彼氏いないんだ。
いや、こんなに俺達と付き合ってるってことは、いないんだろうって思ってたけど。
そっか。

「なんか、修学旅行みたいだね」

そんな話をしていると、槇がくすくすと笑う。
修学旅行は、二年の一学期に終わってしまっている。
その頃は皆と仲良くもなかったし、勿論俺は欠席。
旅行後にクラスの仲が深まっているのを見て、羨ましく思ったのを覚えている。
修学旅行って、こんな感じなのだろうか。

「恋バナで夜明かしね。後は怖い話?」
「いや、もうそれはいいから!」

これ以上何か起こったら体が持たない。
少しでもトラブルが起こる可能性は避けたい。

「後は先生が来たらちょうどいいな」
「そしたら押し入れ隠れなきゃ!」
「俺は槇の布団でいいよ!」
「ごめんなさい」
「うわ、傷つく」

先生の目を盗んで他の部屋に遊びに行くのが醍醐味。
それで見つかるのもそれはそれで楽しい。
そういうものらしい。
俺はビビって、部屋から出られなそうだけど。
でも、そんな風に皆でワイワイやるのは、とても楽しそうだ。

「やっぱり男子も恋バナなの?」
「そ、そんなものかな。詳しい内容については、えーと、控えさせてください」
「うわ、最低」
「いや、何も言ってないし!」

男子で集まると、どんな話をするのだろうか。
男子が女子の部屋に遊びに行くこともあるらしい。
想像するだけで心臓に悪い。

「三薙の初恋は?」
「え、え、お、俺は、小学校の頃の、先生」

クラスであぶれていた俺にも、優しかった明るい先生。
いつだって元気で、皆から好かれていた。

「うわ、ベタ」
「ベタベタ」
「ひねりがないねえ」
「ひねらないと駄目なのかよ!」

本当に女子達は酷い。
ひねらなきゃいけない初恋ってどんなだよ。

「そ、そういう佐藤は!」
「私はね、幼稚園の時隣に座ってた信吾君で」

それから俺達は杉村さんから毛布を借りて、暖房の効いた温かいリビングでずっと話していた。
部屋に帰ることなく、疲れて皆でそのまま眠ってしまうまで、ずっとずっと、皆で他愛のない話をし続けた。





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