席で予習をしていると、購買に行っていた藤吉が帰ってきた。 ジュースを啜りながら俺に近づいてきて、弾んだ声で話しかけてくる。 楽しそうにキラキラしている表情は、とても好きだ。 本当に太陽のようだと思う。 「四天君すごいなー。入学三日目にしてすでに話題だぞ」 「え」 「イケメン君がいるー!って、二年も三年も大注目!」 ああ、特に聞きたくなかった。 そんなの、聞きたくなかった。 ていうか分かり切ってたし。 小学生の頃も、中学生の頃も、よく聞いた話だ。 「………」 「拗ねるな拗ねるなお兄ちゃん」 黙り込んでしまうと、藤吉が笑いながら肩を叩いてきた。 ついその手を振り払ってしまう。 「拗ねてなんかねーよ」 「その口調がすでに拗ねてるだろ」 「拗ねてない!」 拗ねてなんかない。 分かってたことだし。 そんなことで羨ましく思ったり、いじけたりなんて、していない。 いや、羨ましいけどさ。 やっぱり、悔しい。 羨ましい。 「………あいつが、モテるのなんて、いつものことだし」 「言いながらすげー不満そうだな」 だって不満だ。 どうしてあいつばっかり。 俺だって同じ血を引いているのに。 一兄も双兄も天も、全員ずるい。 父さんと母さんはどうして俺だけモテるようにしてくれなかったんだ。 なんて、逆恨みにも近い感情が生まれてしまう。 駄目だ、暗い感情に囚われてはいけない。 落ち着くんだ、俺。 「ま、三薙には三薙のいい所があるだろ」 藤吉が苦笑しながら、フォローしてくれる。 けれど、なんだかあまり嬉しくない。 「どこだよ」 「まー、それはほら、あれだ、うん、な?」 「そこはなんでもいいから言っておけよ!」 友情すら信じられなくなる。 友情か。 なんか、こんな冗談言えるようになった友達がいるって、いいよな。 やっぱり、嬉しいな。 「そういえば悩んでいたのって、解決したの?」 「へ?」 そんなことを考えていると、藤吉が話を変えた。 一瞬自分の考えに没頭してい何を言われたのか分からなかった。 「なんか、一矢さんか四天君に力を借りなきゃいけないとか言ってなかった?」 「あ」 そういえば、内容をぼかして藤吉にも相談していたのだ。 相談したからには、ちゃんと答えも言った方がいいだろう。 「うん、解決した。四天に、力を借りることにした」 「あ、そうなんだ」 「相談乗ってくれて、ありがとうな。藤吉は、一兄お薦めしてくれたけど、なんか、ごめん」 「いや、俺に謝ることじゃないし。三薙の問題だし」 なんだかちょっと申し訳なくなって謝ると、藤吉が首を横に振る。 確かに謝るのは、おかしいかもしれない。 でもアドバイスを無駄にしてしまったのは、なんか申し訳ない。 けれど藤吉は眼鏡の奥の目を細めて優しく笑ってくれる。 「お前がすごく悩んで決めたんだろ?」 「………うん」 「それなら、それでいいだろ。きっといい結果になる」 「………」 そんな風に断言されると、心強くなる。 何度も何度も考えて、後悔して、それでまたそれを振り払って。 考えることにも疲れてきた。 だから、藤吉の言葉が、すごく、ありがたい。 「ありがと」 「礼言われるようなこと何もしてないけど」 自分の答えに自信がつく。 そうだ、ずっとずっと考えて、決めたんだ。 きっといい結果になる。 そう信じよう。 それしか、ないんだから。 目の前が明るくなった気もする。 やっぱり藤吉は、太陽のようだ。 「四天君とは、うまくやってんの?」 「………前よりは、近づけたかな」 「そうなんだ」 「相変わらず何をしたいのか、何を考えているのか、よく分からないけど」 「まあ、なんか色々難しそうなこと考えてそうだよな」 「なのかな。さっぱりあいつが何を考えてるか分からない」 近づけているのか、いないのか。 ていうか天との仲をこれだけ皆に聞かれるって、それだけ俺たち険悪だったのか。 俺の天への態度が、悪かったのか。 こんだけ周りに心配かけるっていうのはよくない。 反省しよう。 「三薙の家は難しそうだし、四天君は才能が確かあるんだろ?色々大変でちょっと大人びちゃったんだろうな」 「うん、四天、宮守の家のことで結構大変そうだった」 「まあ、大変だよな」 「うん。………だから、家のこと、負担そうで、嫌そうだった」 家のことが嫌いだと言った天はの言葉は、嘘ではないとは思う。 勿論嫌いというだけではないと思うが、負担なのは確かだろう。 ずっと気付いていなかったけど、あいつだって苦しんでるんだ。 「へ、家の事が?」 「うん」 「へー、そうなんだ。家のことすごいやってるように見えるけど。まあ、でもあの年だったら反抗とかはするよなあ」 「反抗はしてないけど、内心は嫌なところあるみたい」 「それも普通だよな」 藤吉がこの前まで中学生だったんだもんなあと何度も頷く。 俺もつい忘れてしまいそうになるが、そうなのだ。 天は俺より二つ年下の弟。 弱いところだってあって当然だ。 「これで、天の力を借りることになって、もっと負担かけていいのかな、って思うけど」 「そうだなー、でも、四天君はいいって言ってるんだろ?」 「それは、うん」 藤吉が俺の言葉に軽く首を傾げる。 それから頷く。 「じゃあ、いいんだよ。そこは三薙が気にすることじゃない。必要以上に悩むのも、時間の無駄だし、相手に失礼じゃない?」 「………」 「相手だって、自分の意志で決めたんだ。強制された訳じゃないんだろ?だったら、好意を素直に受け取れば?」 天の承諾が好意かどうかは分からない。 でも、藤吉の言うとおりだ。 天は自分の意志で、共番の儀の相手を引き受けてくれたんだ。 「………うん、そうだな」 「もうちょっと肩の力、抜いておけよ。ま、俺は事情が分からないから適当に言ってるけど」 「ううん。納得した。ありがと、誠司」 「どういたしまして」 俺の礼に藤吉はちょっと照れくさそうに鼻の頭を掻いた。 「三薙さん、お帰りですか」 帰り道を歩いていると、後ろからセダンが近づいてきて声をかけられた。 その声とこのシチュエーションには覚えがある。 振り返ると、想像通り車の窓からは優しげに目を細める眼鏡の男性がいた。 「志藤さん!またお使いですか?」 「はい。ちょうど、三薙さんの帰宅時間かと思って、ついこちらに」 困ったように苦笑して、すいませんとなぜか謝る。 謝る必要なんてない。 だってこんなに嬉しい。 「嬉しいです。乗ってもいいですか?」 「勿論です。ありがとうございます」 「お礼を言うのはこちらです。送ってくれるんですから」 「………そうですね」 照れたように頬をわずかに赤らめる様子は、なんだか幼い印象がある。 年上の男性にこんなことを言うのはなんだが、やっぱり可愛い人だ。 「ちょっと、遠回りしていきませんか?」 「はい、承知いたしました」 そんな堅い会話をして、ついお互い笑ってしまう。 こんな風に、もっともっと話す機会があればいいのに。 せっかく今は同じ家の中にいるのに、全然接することが出来ない。 「もっと、志藤さんと気軽に話せたらいいのにな」 「そうですね。しかし、言ってみれば私達は上司と部下の関係ですから仕方ないのは確かです。ある程度の節度は必要かと思います」 「………俺には関係ないのに」 「それでも、私は宮守のお世話になっている身で、三薙さんは宮守宗家の方ですから」 志藤さんがなんだかしゃちほこばった答えを返してくる。 軽い愚痴に、そんな真面目に答えられると、哀しくて、つい拗ねた気分になる。 「………志藤さんは俺と自由に話せなくていいんですか?一緒に出かけたりとか、したくないんですか。そうですよね。俺なんて面倒くさいですよね」 「そんな!話したいです!」 つい恨みがましいことを言ってしまうと、予想通り志藤さんは慌てて否定してくれた。 そんな反応がかわいくて、ついもっと恨み事を言ってしまう。 「本当ですか?俺のこと、実は友達だと思ってないとかじゃないですか?」 「………そ、そんなことは、ないです」 「なんで躊躇うんですか」 「いえ!三薙さんと親しくさせて頂きたいとおもっております!」 これ以上責めると、またハンドル操作を誤ってしまうかもしれない。 それはちょっと怖いので、やめておこう。 志藤さんがこんなにムキになってくれるのは、とても嬉しい。 一方通行の思いじゃないというのが、嬉しい。 「もっと一緒にいたいって思ってくれてますか?」 「………えっと」 「面倒ですか?嫌ですか?」 「そんな訳ありません!」 志藤さんは、いつも嬉しい言葉をくれる。 藤吉とは違うけど、でも同じように優しくて強くて温かい。 なんだか俺、志藤さんにすごい甘えてるよな。 やりすぎないようにしないと、嫌われてしまうかもしれない。 「………その、もっと、一緒にいれたらいいと、私も思います」 「へへ」 ふわふわとくすぐったくなってきてしまう。 こんな風な会話をもっと気楽に出来ればいいのに。 「俺も、もっと志藤さんと遊んだりしたいです」 「ありがとうございます」 志藤さんがちらりとこちらをみて、目元を染めて笑う。 俺も嬉しくて、ついにやにやしてしまった。 どうしたら、もっと簡単に話せるようになるんだろう。 使用人の人とはあまり一緒にいてはいけない。 でも、双兄も四天も、もっと気楽に熊沢さんや志藤さんと話している。 まあ、双兄は別の事情があるらしいし、天はすごくビジネスライクだけど。 「俺がもっと強くなって一人前になったら、いいのかな」 でも、俺が一人前になれば、志藤さんと一緒にいることは許されるだろうか。 一人で仕事にでるようになれば、志藤さんを連れていくこととか、出来るのだろうか。 そんな日は来るのかな。 そこで、ふと気付いた。 今まで、考えもしなかったアイデア。 「そっか、宮守の家から離れれば、俺は宗家の人間じゃないですね。そうしたら自由に話せますよね」 「家を離れる、ですか?」 志藤さんが驚きの滲んだ声を上げる。 あ、変なことを言ってしまっただろうか。 でも、それはそれで、ありなのかもしれない。 家の役に立ちたいとずっと思っていた。 認められたいと思っていた。 でも俺は、家にいる方が、皆の負担になるのではないだろうか。 離れることが、何よりの恩返しだったりしないだろうか。 「あ、今すぐとかじゃないし、勿論俺に出来ることがあったら、家の手伝いはしたいんですけど、でも、いつまでも家に寄りかかってもいられないし」 大学に入って、就職活動をして、家を出る。 それは今まで考えてもいなかった選択肢だ。 こんな当然のこと、なんで考えていなかったんだっけ。 ふと隣を見ると、志藤さんが困ったような悩んでいるような不思議な顔をしていた。 「志藤さん、どうかしましたか?」 「え」 「いえ、なんか難しい顔をしてるから」 「あ、なんでもありません」 なんでもないと首を横に振っているが、なんでもないように見えない。 俺の話は、何か変だっただろうか。 何甘いこと言ってるんだって思われただろうか。 いや、甘い考えなんだろうけど。 実行するには、努力をしなければいけないだろう。 「本当に、なんでもありませんか?」 「………その」 「はい」 もう一回促すと、志藤さんが言いづらそうにちらりとこちらを見る。 頷くと、意を決したように口を開く。 「………三薙さんは、その、お体は」 「あ」 そうか。 そうだ。 その問題だ。 俺が家から出ないと考えていたのは、その問題からだったのだ。 状況が、変わったのだ。 「大丈夫に、なるかもしれないんです、それは」 「え?」 「まだ、分からないんですが、もしかしたら、力を供給してもらわないでも、大丈夫になるかもしれないんです」 儀式がうまくいったら、もしかしたら一人で遠出とか出来るようになるかもと言われた。 家から離れて自活、とかも出来るんじゃないだろうか。 そうか。 家に迷惑をかけないで、生きていけるようになるかもしれないのか。 天には迷惑をかけるけれど。 「そう、なんですか。それでしたら、よかったです」 「はい、うまくいくかどうかは、分からないんですけど」 「お体がよくなることを私も祈っています」 志藤さんが表情を和らげて、微笑んでくれる。 うまくいって、自活できたら、志藤さんとも改めて友達になれるだろうか。 「はい、そうしたら、今よりも兄弟にかける負担が、減るかもしれません。そうだといいな。それで外に出れたら、志藤さんとも友達になれる」 憂鬱だった儀式に、少し希望が沸く。 生きるために仕方のないことだから、受け入れなければいけない。 でもそれ以上に、未来のために受け入れると考えると、前向きになれる。 「もし」 「はい?」 志藤さんが、前を向いたまま、小さく言った。 隣を見ると、眼鏡をかけたどこか儚いイメージの男性は静かな顔をしていた。 「もし、三薙さんが家を離れたいと望んで、それで、それでも、お体の問題が解決しなかったら」 「………はい」 そういう可能性も、あるのだ。 考えないようにしていた。 どうなるかは、まだ分からない。 失敗したら、俺はどうなるのだろう。 考えたく、ない。 「………」 「志藤さん?」 そこで一つ首を横に振った。 それからちらりと俺を見て、頭を下げる。 「すいません、失礼なことを申し上げました。大変申し訳ございません」 「え、いえ」 「問題は、解決します。きっと」 そして、そう言った。 そうなるといい。 そうなると、信じたい。 「そう、祈り、信じています」 「………」 志藤さんが、優しく目を細めて微笑む。 「三薙さんは、きっと大丈夫です」 「………ありがとうございます」 それはなんの確証もない、単なる望みだ。 ただの当てもない未来への希望。 それでも、俺も、そう信じていたい。 不安はある。 でも、きっと大丈夫だ。 全ては、うまくいく。 「三薙」 「あれ、一兄、どうしたの?早いね」 家に上がり自室へ向かっていると、一兄が廊下の向こうから現れた。 この時間にいるのは珍しい。 しかし一兄は俺の質問には答えずに、逆に質問される。 「今、志藤、だったな、あいつの車に乗っていたか?」 ぎくりと心臓が跳ね上がる。 焦るな。 落ち着け。 うまく、誤魔化さなきゃいけない。 ここは、嘘をついたりしないほうがいいだろう。 「あ、うん、帰り道でちょうど見つけて、乗せてもらったんだ」 「お前がか?」 一兄が眉を寄せて怪訝そうに首を傾げる。 普段の俺だったら送ってくれると言われても悪いからと断ることが多いことを一兄は知っている。 まずい。 落ち着け落ち着け落ち着け。 車に乗せてもらうこと自体は、悪いことではない。 「うん。この前の仕事でも一緒だったし、顔知ってる人だったから」 僅かに親しいことを匂わすと、一兄は納得したように頷いた。 全く付き合いがないというより、こちらの方がいいだろう。 嘘はついてない。 でも、一兄を騙すような真似はちょっと心苦しい。 「そうか、四天のお気に入りだったな」 「うん。よく最近一緒にいるみたい。天が使いやすいって言ってた」 答えると、一兄は一つ頷いた。 どうやら納得してくれたらしい。 よかった。 これからは、もう少し気を使わなければいけない。 「分かった。お前もあまり使用人に近づき過ぎるなよ」 「うん」 「自分の分を弁えろ」 「………うん、分かった」 「いい子だ」 一兄が頭を撫でてくれるのはすごく嬉しい。 でも、こんな風な、古いしきたりからも、この家から離れたら必要なくなるのだろうか。 今まで堅苦しいとは思ったが、逃げたいとは考えたことはなかった。 けれど少しだけ、ほんの少しだけ、この家の古いところから自由になるということに、心が惹かれた。 |