「あ、お帰り、三薙!」
「雫さん!いらっしゃい!」

汗を流そうと道場に向う途中、ちょうどそちらからやってきた雫さんが手を大きく振っている。
とても短く切られていた髪はちょっとだけ伸びて、気がつけば頬の半ばまで届くようになっている。
ボーイッシュな美人である雫さんだが、ちょっとだけ女性らしさが増している気もする。
どちらにせよ綺麗で魅力的な人なんだが。

「久しぶりだな、三薙」

雫さんの隣にいたのは、中年の男性。
父より10かそこら年下のその人は、鋭い眼光と険しい表情で近寄りがたく見える。
長年宮守で管理者としての仕事を補佐してくれている、宮城さんの次ぐらいに付き合いの長い使用人の人。
放出系の術などが得意で雫さんの力と合っているので、よく修行をつけているようだ。
俺も昔よく稽古をつけてもらった。

「小野さん、ご無沙汰しています。お元気でしたか?」
「ああ。お前も元気そうだな」
「はい、元気です」
「表情が明るい。いい生活を送っているようだな」

無表情に近いが、少しだけ表情を緩めている。
口数少なくぱっと見怖くて、確かに厳しい人だが、実は優しい。
泣いてたら慰めたりはしてくれないが、泣きやむまで見守ってくれるような人だ。

「今日は雫さんの稽古ですか?」
「ああ」
「雫さんどうですか?」
「ちょっと、三薙」

好奇心半分で聞いてみると、雫さんが抗議の声を上げた。
しかし、雫さんが止める前に、小野さんは頷いた。

「筋がいい。教えがいがある」

雫さんの顔がぱっと明るくなる。

「わ、ほんとですか!」
「ああ。だがこれで気を緩めるなよ。お前はすぐに調子に乗って油断する」
「う、わ、分かってます」

しかし褒めたままにしてくれないのは、小野さんだ。
どこか桐生さんに似た雰囲気を持っている。
そういえば昔からの友人だと言ってたっけ。

「それでは俺は失礼する。二人とも、励めよ」
「はい」
「はい」

小野さんは俺たちに軽く会釈をすると、姿勢よく静かに去って行った。
威圧感のある人がいなくなって、ほっと息をつく。
優しくて頼もしい人なのだが、ちょっと緊張して怖い。

「相変わらず小野さんは怖いなあ」
「怖いよお。びしばしやられるもん」
「お疲れ様」
「他人事だー」
「俺だって小野さんにはしごかれてるから他人事じゃないよ」

俺も修行の時はびしばしやられているので同じだ。
優しいけれど、自分にも他人にも厳しい人。

「でもまあ、先生はイケメンだから許す!」
「え、ああ、確かにイケメンか」
「かっこいいよね。渋みのある中年っていいよね!」

雫さんが目をキラキラしながら力説する。
なんて答えたらいいのやら。
確かに小野さんはかっこいい。
独身だからか年よりもずっと、若々しくも見える。
それなのに、あの年ならではの渋みというか魅力と言うかがある。

「大学でも、ああいう人いないなあ」

雫さんがふっとため息をつく。
それでまだ入学祝いを言ってなかったのを思いだした。

「そうだ、大学生だね。おめでとう」
「推薦だから受験の苦労をしてないけどね。でもありがと。三薙はいよいよ受験生だね」
「………うん」

それを考えると、憂鬱だ。
でも、今までは通信教育しかないかと思っていたが、選択肢が広がりそうだ。
それなら、少しだけ希望が出てくる。
遠くの大学にもいけるだろうか。
期待してもいいだろうか。

「三薙成績いいんでしょ?私みたいに推薦狙っちゃえば?」
「俺、休みがちだしなあ」
「そういえばそっか。私は3年以外はそんな休まなかったしな」

3年で休んだのは、あの時のことだろう。
軽い感じでそのことを話し、小野さんのことを褒める雫さんの内心はどうなのだろう。
少しづつ、癒えていますように。
どうしてもそう祈ってしまう。
雫さんは、影なんて見せない明るい笑顔で俺の肩を叩く。

「まあ、頑張れ」
「他人事な応援ありがと」
「だって他人事だし」
「ひど!」

そんな冗談すら言って、お互い笑い合う。
雫さんとは、この前の事件以来、更に打ち解けた気がする。
一緒にいて楽しいし、なんだかとても気楽だ。
悪い意味ではなく女性に感じる気負いや緊張みたいなものがなくて、身内のように話せる。

「そういえば、家でなにかあるの?」
「え」
「なんか、変な気配っていうか、空気が慌ただしいから。土日は来るなって言われたし」

ぎくりと、少し身じろぎしてしまう。
勘のいい人だ。
俺には分からないが、空気が違うのだろうか。
勿論、正直に言うことなんて出来ない。

「えっと、うん。儀式が、あるんだ。週末」
「そうなんだ。なんの?」
「えっと」

俺が言い淀むと、雫さんはすぐに心得顔になった。

「あ、他家に言っちゃだめだよね。ごめん」
「………ううん」
「三薙も参加するの」
「う、ん」
「そっか頑張ってね」

そして軽く話を終了させてくれた。
うまくいいように取ってくれて、助かった。

「あ、ね、今度一緒に遊びにいこ。岡野さんともお話したいな」
「う」

岡野と雫さんは、面識がある。
そういえば岡野も改めて礼を言いたいって言ってったっけ。
でも会わせたくないな。
いや、会わせるのはいいんだけど、その後どんだけからかわれるのか考えるのが嫌だ。
俺が焦って視線を逸らすと、雫さんが口を尖らせる。

「ご飯ぐらいいじゃん」
「岡野がいいって、言えば、いいけどさ」
「約束ね!」

渋々頷くと、明るい笑顔で手を叩いた。

「なんか、こういう、家のこととかそれ以外のこととかなんでも話せるの、いいね」
「え」
「誰かに話せるだけで、全然違うや」

雫さんは笑っている。
でも、なんだか胸がつきりと痛んだ。

「三薙とか四天と知り合えて、よかった」
「俺もそう思う。雫さんに会えてよかった」
「へへ」

照れくさそうに笑うのが、なんだか痛々しくて抱きしめたくなる。
実際はする権利も度胸もないけど、いじらしく健気な人を、慰めたい。
そんなことを考えてしまっていると、後ろから明るい声がかかった。

「あ、三薙さん、雫さん」
「栞ちゃん」

今日はまた色々な人に出会う。
なんか人が全然いないときはいないのに、会う時は一気に会う気がする。
遠縁の少女は顔を上気させて手をふって近づいてくる。

「お久しぶりです」
「雫ちゃん、お久しぶり!」
「久しぶり。天に会いに来たの?」
「はい!」

大きく頷く様子は、やっぱり愛らしい。
白い肌と小作りな顔のパーツの中、目だけが大きく輝いている。
本当に上質な人形のようだ。

可愛らしい妹のような弟の彼女。
俺は、この子に対しても、酷いことをしているのか。
栞ちゃんに対しても、裏切っているような、気がする。

「三薙さん?」
「え、なに」
「どうかしましたか?」
「ううん。何もないよ」

一旦は首を横に振ったものの、罪悪感で押しつぶされそうだ。
天にあんなことをさせてしまうなんて、本当に申し訳ない。
でも今更一兄って訳にもいかない。
それに一兄に頼んだって、一兄を慕う誰かを傷つけることになるのだ。
やっぱり、どう足掻いても、迷惑をかけてしまうのだ。

「………ちょっと、天の力借りることになりそうなんだ。大丈夫だと思うけど、天の体調が悪くなったりしたら、ごめんな。ないようには、するけど」

天の体に不調が出たら、元に戻すって言うのは出来るのだろうか。
確認をしていなかった。
もう遅いかもしれないけれど、確認しておこう。
一兄も天も大丈夫だと言っていたが、二人に負担は本当にないのだろうか。

「それはしいちゃんが納得してるんですよね?」

頭を下げると、栞ちゃんはちょこんと首を傾げる。

「………うん」
「だったら私が何か言うことはありません」

そしてにっこりと笑って、首を横にふった。
清々しいまでにきっぱりと言い切る。

「しいちゃんが望み選んだことなら、私はそれを受け入れて応援します。もし、体調が悪くなったらサポートします。元気がなくなったら励まします。私にとっては問題ありません」

そして、見とれてしまうような笑顔で、軽く言った。
気負うこともなく、誇張するようなこともなく。

「うわ、彼女の鏡!」
「あはは、そんな大層なもんじゃないですけど」

雫さんが思わずといった感じで叫ぶ。
栞ちゃんは首を横に振りながら、胸を誇らしげに逸らす。

「しいちゃんの望みは、私の望みなんですよ!ラブですから!」
「ご馳走様!」
「ふふ。だから大丈夫ですよ、三薙さん」

そう言ってもらえると、少しだけ罪悪感が軽くなる気がする。
申し訳なさも感謝も、忘れてはいけないけど。

「そっか。でも、ごめんな。ありがとう、栞ちゃん」
「しいちゃんはともかく、私はお気になさらず」
「うん、ありがとう」

本当に天は、いい彼女を持った。
ここまでに一途に彼氏を思う女の子、中々いないんじゃないだろうか。
女の子の知り合いなんてあまりいないから分からないけど。

「それにしても、三薙さんはいいなあ」

栞ちゃんが俺を上目遣いに見上げて、ちょっと唇を尖らせる。

「え」
「三薙さん、しいちゃんと一緒にいること多いから」
「は、そう!?俺より栞ちゃんの方が多いでしょ」

よく会いにきてるし、家にきたらずっと一緒にいる。
デートだっていっている。
俺よりもずっと栞ちゃんの方が親しいだろう。

「家で朝晩顔合わせるじゃないですか」
「まあ、そりゃ。天の仕事がなければ」
「学校も一緒です!」
「うん、まあ」

そういわれればそうだが、中身の密度というか質が全然違う気がする。
俺は一緒にいるだけで、喧嘩ばかりしている。
仲がいいのは断然栞ちゃんだ。

「羨ましい!私も宮守に下宿させてもらって、同じ学校に通えばよかったかな」
「そこまで!?」
「そこまでですよ!」

断言する栞ちゃんを思わず俺と雫さんは呆然と見てしまう。

「………愛だわ」
「愛だな」
「愛ですよ!」

栞ちゃんは小さな手でぐっと握りこぶしを作る。

「恋人とずっと一緒にいたいって思うのは、一般的女子高生として当然です!」
「そ、そうなのか!」
「そうですよ!まあ、そんな理由で下宿を許してくれる訳がないのも、一般的女子高生として当然なんですけど」
「そりゃそうだ」

普通だったら彼氏と一緒に住みたいといって下宿なんてさせる親はいない。
まあ、うちはちょっと特殊だからやろうと思えば出来たかもしれないけど。
口を尖らせていた栞ちゃんは、そこでふっと笑う。

「でも会えない時間も楽しいです。しいちゃんが何をしてるのかとか、考えられるから。それに色々会えないうちにお肌の手入れとか髪の手入れとかしなきゃいけませんしね」
「そうそう、そうだよね!」
「はい!」

栞ちゃんの言葉に、今度は雫さんが身を乗り出す。
女子二人が顔を突き合わせてなんだか盛り上がり始める。

「女の子は影の努力が大変だよね」
「大変ですよー」
「そういう、もんなんだ」

思わずぼそりと言ってしまうと、二人が同時にこっちを見た。
怖い。

「そういうもんですよ」
「そういうもんなの」

とても怖い。
二人は一歩俺に近づくと、じっと見つめてくる。

「岡野さんも絶対大変なんだからね」
「え」
「ちゃんと髪とか褒めてあげてますか?髪型変えたの気づかないとかじゃないですよね」
「だ、大丈夫だと、思う、けど」

そこで思い出した。
この前女性三人で集まっていて言ってしまったことを。

「あ、でも、この前、前髪、気付かなかった」

え、どこ切ったのと言ってしまって、ものすごい勢いで怒られたのだ。

「嘘!」
「えー」
「え、そんな駄目!?」

そして二人にもゴミを見るかのような目で見られる。
怖い。
女子怖い。

「駄目というか、そこでさらっと気づいてポイントを上げるんですよ!」
「ええ?」
「そうそう、そこで、あれ、なんかちょっと違う?ぐらい言えるようにならないと」
「前髪数センチとか気づかないだろ!」

二人はやっぱり冷たい目で俺を見る。
そんな目で見ないでくれ。

「お兄ちゃんは気づいたよ」
「しいちゃんは勿論気づきます。そして褒めてくれます」
「………う」

二人とも、俺とはレベルが違いすぎる。
モテない人生17年生きてきた俺に、皆何を望んでいるんだ。
褒めるとか、そもそも出来ないし。

「でも細かいところまで見られてもやだよね」
「そうですね。あまり服とか気にされると同じの着づらくなっちゃいます」
「メイクが失敗した時とかね」
「髪が失敗したときとか」

なんか勝手なことを言ってる。
失敗と成功ってどこを見分ければいいんだ。
どっちも髪を切るのすら見分けるのが難しいのに、失敗と成功のどっちかなんて分からないかもしれない。

「どうしろっていうんだよ!」
「そういうのを避けて上手く褒められるのがいい男」
「しいちゃんは完璧です!」

だから二人と一緒にしないでくれ。
ていうか天、なんでお前はそんなにスキルが高いんだよ。

「………」

黙り込んだ俺に、二人はくすくすと笑う。
そんな姿は可愛らしいんだけれど、女子怖い。

「でも、三薙さんは多分うまくやろうとするより、自然体の方がいいと思います」
「うん、あんたは普段通りが一番いいと思う」
「どっちだよ!」
「今のままで」
「ありのままの三薙がいい」

今までの駄目だしはなんだったんだ。
結局俺はどうしたらいいんだ。

「………」
「あはは、生意気言ってごめんなさい」
「ごめんごめん」
「なんか、そこで謝られても傷つく」
「まあまあ、これからこれから」
「三薙さんは、今のままで十分ですよ」

雫さんが俺の肩を叩き、栞ちゃんが可愛らしく首を傾げる。
でももう、どんな言葉も俺の心には響かない。

「もういいよ」

女性の扱いなんて、俺にはいくつになっても習得できそうにない。





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