ダイニングに向かうと、そこには父と母と四天の姿があった。
俺が姿を現すと、父と母が顔をあげ笑顔を見せてくれる。

「………おはようございます」
「おはよう」
「おはようございます、三薙さん」

いつもだったら家族がいるのは嬉しいのだが、今日は気が重くて胃が痛くなる。
特に天がいることが、余計に緊張する。
せめて兄達のどちらかがいれば、よかったのに。
どういう顔をしたらいいか、分からない。
いよいよ、明日だ。

「今日は一兄は?」
「もう出られましたよ」
「双兄は?」
「また酔いつぶれてるみたいなの。困った子ね。今度きつく叱っておかないと」

母さんが困ったようにふっとため息をついた。
そして黙って食事をしていた隣の父さんに訴える。

「あなたからもお願いいたします」
「ああ、分かった。話をしておこう」
「お願いしますね。このままだと体を壊しちゃうわ」

確かにここ最近の双兄の酒量は許容量オーバーだろう。
アルコール中毒とかになったら大変だ。
双兄があんなに飲んでいて、双姉は大丈夫なのだろうか。
最近双兄と会うタイミングが掴めなくて、中々会えていない。
双姉にも、会いたいな。

「三薙、今日の夜から禊と潔斎を行う。急ぎ帰るように」

自分の分の食事をもそもそと口に運んでいると、父さんが静かにいった。
飛び上がって悲鳴をあげそうになるのをすんでで堪える。

「………はい」
「四天も心得ているな」
「承知しております」

俺と天の返事に、父さんは満足げに頷いた。
いよいよ、明日だ。
明日の夜に儀式を行うらしい。
胃が重くなる。
吐き気がする。
怖い。

「三薙さん、四天さん、頑張ってくださいね。大事な儀式なんでしょう」

何も知らない母さんが、おっとりと笑って激励してくれる。
その笑顔が余計に胸に突き刺さって、苦しくなる。
母さんにも栞ちゃんにも天にも、全員に申し訳なくなる。
息子たちがあんなことをしなければならないと知ったら、母さんはどう思うんだろう。

「………はい、ありがとうございます」
「ええ、無事に済むことをお祈りしています」

その後、味のしない朝食を無理矢理詰め込んで、さっさと玄関に向かう。
家にいると、余計なことばかりを考えてしまいそうだ。
せめて外に出よう。
逃げても、仕方ないんだけど。

「頑張ろうね、兄さん、大事な儀式だ」
「………」

玄関先で靴を履いていると、後ろから訪れた天が俺の肩を軽く叩いた。
自分も玄関先に座りこみ靴を履く。

「………お前は、なんでそんな茶化すようなこと出来るんだよ」
「茶化しでもしないとそれこそ喜劇でしょう?」

つい責めるように言ってしまうと、天は小さく皮肉げに笑った。
立ち上がって靴のつま先で、とんとんと軽く地面を打つ。

「真面目に考えて、得るものは疲労感だけ」
「………嫌だったり、しないのか」
「嫌じゃないよ」

天は框に座りこんだ俺を振り返ってにっこりと笑う。
その笑顔のどこにも、嘘はないように感じる。
こいつは損をするだけなのに、嫌じゃないのか。
それに、それ以上に怖くないのだろうか。

「………怖くないのか?失敗したら、お前の、その体にも影響ないのか?」

それに行為自体が怖くもある。
男同士でって、知識は少しあるが、本当に出来るのだろうか。
天が少しだけ首を傾げて思案する。

「そうだな。そうだね、それは少し怖いかな」

それでもすぐに思案顔を振り払って、唇を歪めて笑う。

「でも言ったでしょう。考えるだけ無駄」
「無駄って………」
「兄さんも、考えこまなくていいんだよ。兄さんはもう、この道を選んだ。後は歩けばいいだけだ」

それは、その通りだ。
悩んで悩んで、道を決めた。
だったら後は考えずに、進むだけだ。
考えても、仕方ないのだ。
天の言うとおりだ。

「どちらにせよ、歩かなきゃいけないんだから、なるべく楽しく歩きたいでしょう?」

天が玄関に手をかけてからからと開く。
春の温かな日差しが、玄関に差し込んでくる。
光に包まれた天が振り返る。

「大丈夫、一緒に歩いてあげるよ」

そしてそう言って笑った。



***




鬱々としているうちに、すぐに放課後が来てしまった。
受験生のくせに授業が全く頭に入っていない。
受験が出来るかもしれないのだから、勉強はしておきたいのに。

「まーた暗い顔してやがる」

机に座りこんでぼうっと黒板を見ていると、頭をはたかれた。
その声に、慌てて顔を上げる。

「あ、ごめん!」
「悩むのが趣味な訳?」

岡野が呆れたように俺を見下ろしている。
そう言われても仕方ないくらい、俺はぐじぐじしている。
気にしなくていいって皆が言ってるんだから、しなくていいのに。
それなのに、割り切れない。

「悩むのは悪いことじゃないけど、悩み過ぎはいいことでもないんじゃない?」
「………そう、だな」

確かに今更悩んでも、道は変わらない。
もう、決まってしまった。
だから、後は、進むだけなのだ。

「彩、帰れる?」
「あ、待った」

槇が鞄を持って近づいてきて、岡野に話しかける。
岡野が慌てて俺の机から立ち上がった。
どうやら、二人で帰るようだ。

「あ、二人とも、俺も一緒に帰ってもいい?」

一人でいたくなくて、友達と話して気晴らしがしたくて、誘う。
すると岡野と槇は同時に顔を見合わせた。
すぐに反応したのは槇だった。

「あ、ごめん、私先生に呼ばれてたんだ。二人で先に帰ってて」
「え」
「おい、チエ!」

呼びとめる暇もなく、さっさと槇が教室から出て行ってしまう。
帰る用意をしていたように見えたのは気のせいだったのだろうか。

「ばいばい、二人とも。また月曜日」

ドアのところでひらひらと手を振って、去っていってしまった。
残された岡野はなんだかむっつりと唇を尖らせている。

「………あいつ」
「槇、どうしたんだ?何かしたの?」

職員室に呼ばれるって、どうしたのだろう。
変なことじゃないといいんだけど。

「………あほ」
「え」

岡野がぼそりと、呆れ果てた声で言った。
どういうことだろう。
聞き返す前に、すたすたと岡野が歩き始めてしまう。

「あ、岡野!」

やっぱり一緒に帰りたくなんてなかったのだろうか。
置いて行かれてしまう。

「ほら、帰るぞ」
「う、うん!」

でも、岡野は振り返って、俺を一瞥する。
置いて行かれた訳じゃないらしい。
急いで鞄を持って岡野の後ろを追い掛ける。

外はもう日が暮れていて、辺りを夕焼けが赤く染めている。
日が少し長くなったが、それでもやっぱり落ちるのは早い。
前もこんな風に、岡野と一緒に帰ったっけ。

「どっか寄ってく?」

他愛のない話をしながら帰っていると、商店街に向かう方の道で岡野が聞いてくる。
一瞬、一も二もなく頷いてしまいそうになるが、寸でのところで堪える。

「………駄目だ、ごめん。今日は早く家に帰らなきゃいけないんだ」
「家の用事?」
「うん」
「そっか」

さすがに、遅くなることはできない。
俺のための儀式だ。
俺が真剣にならないと、いけない。

「怪我とか、しないんだよね」
「うん、しないと思う。どこか行ったりする訳じゃないし」
「なら、いいけど」

岡野がちょっと不貞腐れたようにつまらなそうに言う。
尖らせたピンク色の唇が、とても可愛らしい。

「心配してくれてありがとう」
「ば」
「怪我、しないよ、大丈夫。」

岡野はすぐにそっぽを向く。
でもその耳は赤くなっている。
岡野はストレートな褒め言葉に弱い。
岡野は、本当に優しくて可愛い。

最初は美人だけど怖いって印象だった。
でも、今は、こんなにも優しくて可愛い子だって知ってる。

「ふん」

そんな風に怒ったように鼻を鳴らされても、怖くなんてない。
ただただ、愛しさがこみあげてくるだけだ。

「怪我とか、すんなよ!」
「大丈夫、岡野の救急セットもあるし」

岡野の救急セットは、一兄の懐剣と一緒にいつでも持ち歩いている。
二つとも、大事な大事なお守りだ。
これを持っているだけで、強くなれる気がする。

「もう、お前本当に最悪」

岡野がこちらを睨みつけて、吐き捨てる。
その顔が赤く見えるのは、夕焼けのせいだけじゃないはずだ。
愛しさで胸がいっぱいになってくる。

「岡野」
「何?」

岡野が振り返る。
白い肌、猫のように吊り上がった目、濃く塗られた目もと、ピンクに色づいた唇。
僅かに俺より低い高い背に、華奢な体。
夕焼けに染まる岡野は、本当に綺麗だ。

「俺、岡野と一緒にいたいな」
「は?」
「一緒に遊びにいったり、もっと話したりしたいなあ」

愛しい愛しい愛しい。
一緒にいたい。
話していたい。
怒られたり泣いたり、心配したり心配されたり。
一緒に、笑ったり
そんなことをしたい。
ずっと、岡野としていたい。

「すればいいじゃん」
「………うん、だよな」
「何また悲観的になってる訳?」

岡野が怒ったように目を吊り上げる。
一緒にいられるだろうか。
ずっと友達でいられるだろうか。

「私はここにいる。これからもいる。あんたの傍にいる。まあ、先のことなんて分からないけど」

胸が、詰まる。
息が苦しい。
岡野を抱きしめたい。
触れたい。

「でも、私は約束破ったりしない。海、行くんでしょ」
「………うんっ」

海へ行くと約束した。
いっぱい遊びにいくと約束した。
少なくとも、果たすまでは一緒にいられる。
嬉しい、嬉しい嬉しい。

「また泣く」
「うん、ありがとう。ありが、と」

呆れたようなため息も気にならない。
岡野は俺の体の事情なんて知らない。
だから、きっと軽い言葉。
でも、それでも嬉しい。

「謝るより、そっちがいい」
「え」
「感謝された方が、気分がいい」

頬を拭いながら、顔を上げる。
岡野は夕陽に溶け込むように、目を細めて笑っていた。

「そんで、泣くより、笑ってる方が、気分がいい」
「………うん」

涙を必死に拭う。
それで、なんとか、笑う。
嬉しいから笑顔は自然と出る。
でも、涙をこらえるのが大変だ。
嬉しくて、涙が止まらない。

「俺も、岡野が、笑ってるところ、好き」

岡野が笑うと、世界が明るくなる気がする。
岡野の笑い声に、俺までワクワクしてくる。

「すごい、好き」

優しくて強くて頼もしくてでも守ってあげたくて。
そんな気持ちをくれる女の子。

「岡野がいると、強くなれる。優しくなれる。岡野を守るために頑張ろうって気になれる」

強さを、優しさを、くれた。
俺よりずっと強い岡野。
でも、守ってあげたい。
俺の手で、笑わせてあげたら、どんなにかそれは幸福。

「だから、岡野も笑っていてほしい」
「………ばーか」
「いた!」

思い切りデコピンされて、目を瞑る。
額をさすりながら目を開けると、岡野は笑っていた。
今まで見た中で、一番綺麗な、柔らかい笑顔。

「本当あんた、タチ悪い」

儀式が成功したら、俺は岡野とずっといられるだろうか。
もしかして、同じ学校とか、行けたりするのだろうか。
遠出とかも、出来るのだろうか。

欲が出た。
夏まで一緒にいられればいいと思った。
岡野に彼氏が出来るまでのほんの少しの間、友達でいさせてくれたらと思っていた。

でも、もっともっとと、望んでしまう。
我儘にも願ってしまう。

もっとずっと、岡野と一緒にいたい。





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