少し遠回りしたけれど、家にはすぐに着いてしまった。
家には帰りたくないが、あまり長く外にいても、怪しまれるだろう。
志藤さんと一緒に帰ったことは、きっと藤吉から家に連絡が入るはずだ。
あまり遅くなったら、志藤さんも疑われる。
そうしたら、もうこうして話せるか分からない。
多分、多分だけど、俺は出会う人間も、親しくする人間も全部、管理されていた。

「………志藤さん、家では、なるべく、俺に近づかないでください」
「え」
「これまで以上に、父さんや、一兄には、一緒にいるところを、見られるわけには、いかないんです」

じゃなきゃ、この人とのつながりが断たれてしまう。
残り少ない、大切な縁を、失ってしまう。
それは嫌だ。
この人を手放したくない。
この人のためを思うなら、もう近づかない方がいいのかもしれないけれど。
でも、少しでもいいから、少しでも長く、最後までこの人と共にいたい。
この日常は、変わってほしくない。

「………なぜ、とお聞きすることはなりませんか?」
「今は、まだ。でも、いつか」

言える時が、来るだろうか。
全部話したら、もしかしたらこの人は俺を助けてくれようとするかもしれない。
逆に逃げ出すかもしれない。
そのどちらも、嫌だ。
今のままでいたい。

「いつか、話します」

ああ、なんだろう、この言葉は覚えがある。
いつか、話す。
そうだ、それは、弟がよく言っていた言葉だ。
天はこの言葉を、どういう気持ちで使っていたのだろう。
何を話そうとしてくれていたのだろう。

「分かりました」

志藤さんは心配そうな顔をしながらも、ただ頷いてくれた。
シートに置いた手の上に、志藤さんの手が重なる。

「でも、三薙さん、何かありましたら、いつでもおっしゃってくださいね。私は、あなたのためだったらなんだってします」
「………はい、ありがとうございます」

その言葉だけでいい。
ただ俺を、本当に、想ってくれる人がいると、そう信じられるだけでいい。
岡野、槇、そして志藤さん。
俺にはまだ、残ったものがある。
だから、大丈夫。

「志藤さんは、友達ですよね。俺の、友達、ですよね」

眼鏡の奥の目をじっと見つめると、志藤さんもまっすぐに俺を見つめ返してくれる。
きつくすら見える眼差しは、けれど一瞬の後、優しく細められる。

「………私は、あなたを敬愛しています。何より、大事に思っています」
「ありがとう、ございます」

嘘じゃなければいい。
きっと嘘じゃない。
この人を信じたい。
裏切りなんかない。

「俺も、志藤さんが、好きです」

それは、心からの言葉。
この年上の友人を、俺は、とても尊く思う。
とても愛しく思う。

「………三薙さん」

志藤さんはどこか苦しげに、眉間に皺を寄せる。
俺から視線は逸らさない。

「私は………」
「はい」

その思いつめた様子に、嫌な予感がよぎる。
嘘じゃないよな。
これまでの言葉が嘘だとは言わないで。
たとえ嘘でも、嘘だと気付かせないでくれ。
この気持ちをそのまま、大事にさせて。
志藤さんを大事に思う気持ちを、壊さないで。

「………いえ、なんでもありません。そろそろ入りましょうか」
「え、と、大丈夫ですか」
「はい。大丈夫です。すいません、付き合わせてしまいました」
「いえ、付き合わせたのは、俺の方です」

大丈夫。
大丈夫、だ。
この人は、俺を裏切ったりしない。
きっと、大丈夫。

「送ってくれて、ありがとうございます」

先に下そうとする志藤さんを制して、車を置き、一緒に玄関に回る。
少しでも長く、志藤さんといたかった。
少しでも長く、家から遠ざかっていた。

「………」
「三薙さん?」

玄関が見えて、足が竦む。
まるで大きく口を開けて待っている化け物のように見える。
どんよりとした重く黒い空気は、俺だけが感じているのだろうか。

「なんでも、ありません」
「………」

志藤さんが怪訝そうに、俺を見ている。
その視線を振り払うように、足を進めて、家に入る。
靴を脱ぎ、家に入ろうとしたところで、廊下の向こうから長身の人影が現れた。

「三薙、帰ったのか」
「………っ、父さん」

年齢よりもずっと若々しい、けれど威厳に満ちた父。
ずっと畏怖し、敬愛していた、人。
けれど、今は、ただ恐怖を感じる。
あの時から顔を合わせたのははじめてだが、表情一つ動かさない。
その厳しい表情は、まったく違うのに一兄の能面のような笑顔に、よく似ていると思った。

「これは、先宮、失礼しました」

志藤さんが一歩さがり、頭を下げる。
父さんが、俺から視線を志藤さんに向ける。

「お前は、志藤だったか」
「はい」

冷たい、厳しい声。
志藤さんは頭を下げたまま、緊張した声で返事をする。

「あまり、三薙には近づくな」
「………は」

心臓が握りつぶされそうになる。
恐怖に、全身に汗を掻き、血の気が引く。

「行け」
「はい」

志藤さんは、大人しく承諾し、裏手にある、使用人用の出入り口に向かうために玄関から出て行った。
ああ、失敗した。
俺から家では近づくなと言いながら、こんなことになってしまった。
家の前で、別れるべきだった。
焦りと恐怖で、体が震えそうだ。
でも、駄目だ。

落ち着け。
落ち着け落ち着け落ち着け。

「三薙、あれとは仲がいいのか?」
「志藤さん?」

顔をあげて、何気ない風に首を傾げる。
あまり親しいという気配を見せるな。
でも、あまりにも否定すると、余計に怪しい。
今は一緒にいたんだから。
ある程度は親しいけど、それほどではない、ぐらいにしたほうがいい。
失いたくないのなら、失敗はするな。

「前に仕事で一緒になった時から、会えば話はするし、今も送ってくれたけど」

志藤さんを信用しきれない理由。
仲良くなれない理由。
大丈夫だ、その理由は、ある。

「………でも、家の、人だし」

家の人間は信じられない。
心は開けない。
今の俺は、誰も信用できない。
それは、嘘ではない。

「そうか。あまり使用人には近づくな」
「………はい」

父さんは、騙されてくれただろうか。
分からない。
特に、表情は動かしてない気がする。
騙されていてくれ。
父さんを、騙すなんて、今まで、考えたこともなかった。

「父さん………」

父さんが俺をじっと、見つめる。
使用人に近づくなと言ったのは、俺を孤立させるためなのか。
父さんは俺を奥宮にすることは、どう思っているのか。
父さんも俺を道具としてしか見ていなかったのか。
少しも、愛してくれてはいなかったのか。

「なんだ?」

父さんからはやっぱり、奥宮の気配がする。
力に満ちて、奥宮を知った今、はっきりと感じる。
噎せ返るような濃く深い、闇の気配。
圧倒されて、倒れこみそうになる。
どうして、今まで、これに気づかなかったのだろう。

「父さん、俺は」

その時、父さんの後ろから、たおやかな声が響いた。

「三薙さん、帰ったのかしら?」

着物姿のほっそりとした小柄な女性が奥から出てくる。
俺の姿を見て、朗らかに笑う。

「………母さん」
「お帰りなさい。潔斎は終わったの?今日は、一緒にご飯は食べられるかしら」
「………」

にこにこと無邪気に笑う母さんは、何かを隠しているようには見えない。
何も知らないのか。
そういえば、共番の儀についても、何も、知らなかった。
母さんは、何も、知らないのか。
それなら、まだ、救われる。

「三薙はまだ離れにいる必要がある。もう少し待て」
「あら、そうなんですか」

母さんが残念そうに眉を下げる。
そうか、俺は、また離れに帰るのか。
自室に戻れもしないのか。

「三薙さん、大変でしょうけど、頑張ってね。大事なお役目なのでしょう?」

何も知らない母さん。
そのまま、何も知らないでいて。
でも、知らないことに苛立ちを感じてもしまう。
どうしたら、いいのだろう。

「………は、い」

でも、何もかもをぶちまけるなんて、出来ない。
それよってどうなるかを考えたくない。
志藤さんの時と一緒だ。
それによって、父さんに迎合するのか、それとも俺を守ってくれようとするのか。
そのどちらも、見たくない。

「終わったら、三薙さんの好きなもの作っておくから一緒に食べましょうね」
「はい………」
「元気がないわね。大丈夫?」

だから俺はただ口をつぐむしかない。

「大丈夫、です」

それ以外に何が言えるのだろう。
たとえ俺を守ってくれようとしたとしても、母さんには何も出来ないだろう。
父さんも一兄も天も、それを許すとは思えない。

「宮城、三薙を離れに」
「はい。三薙様、こちらへ」

いつの間にかきていた宮城さんが、俺を促す。
また、俺はあの牢獄に戻るのか。
息苦しい。
眩暈がする。

「体には気を付けてね、三薙さん」
「はい、ありがとうございます、母さん」

大事な大事な、お役目だ。
そうだよ、母さん、俺は大事な役目が課されているんだ。
こんな俺でも、役に立てるんだ。



***




また薄暗い離れに戻り、一人外を見つめる。
父さんの結界は相変わらず緩むことなく、離れを包んでいる。
ここにいるのはいやだ。
何より考える時間が多すぎる。
嫌なことを考える時間なんて、いらないのに。
何も考えたくないのに。

「………楽しいことを、考えよう」

どうせ何かを考えてしまうなら、せめて楽しいことを考えよう。
今日は岡野と槇に会えた。
それに、志藤さんにも会えた。
楽しい一日だった。
俺にはまだ、救いが残されている。
俺にはまだ、皆がいる。

出会いは作られたものでも、誘導されていても、それでも、想いは偽物じゃない。
俺の中にある想いは、決して偽物じゃないんだ。
例え周りが偽物でも、俺の想いは、本物だ。

「………俺の中にある想いは、貰った強さは、変わらない、か」

志藤さんの言葉に、ふわりと心が温かくなる。
あの人は俺を買いかぶりすぎるところが玉に瑕だが、でも、嬉しい。
あの人は俺に救われたと言っていたが、逆だ。
あの人に、俺が救いをもらった。

「志藤さんは、優しいな。志藤さんと、会えてよかった」

優しい優しい、優しくて弱くて可愛い人。
出会った時からずっと強くなったが、それでもたまに抜けていて、からかうとすぐに真っ赤になるところなんかがあって、可愛い。
俺は友達にはリードされるようなことが多かったが、志藤さんとは対等でいれた気がした。
今はだいぶ志藤さんに先にいかれてしまった気もするが。
でも、それでも、同じ目線で話せる気がする。

双兄が会わせてくれてよかった。
色々あったけど、天の専属のような形になってくれて、助かった。

「………」

俺の出会う人間は、管理されていた。
友人となる人間すら、選ばれていた。
志藤さんは、どうなんだ。
管理された人間なのだろうか。
いや、それはない気がする。
また騙されているのかもしれないが、父さんや一兄の態度から、志藤さんが用意された人間のようには思えない。

「………なんで双兄と天は、俺を志藤さんに会わせようとしたんだろう」

そもそも会わせてくれたのは、双兄と天だ。
双兄が、会わせてくれた。
それは、家のためなのだろうか。

双兄は、志藤さんと仲良くなったことを内緒にしろといった。
四天も同じことを言っていた。
だったら、違うのではないだろうか。

「………二人は、何を考えてるんだろう」

なんで、志藤さんと親しくするように、仕向けたのだろう。
それは、藤吉達が、岡野と槇と仲良くするように誘導したものと似ている。
でも、奥宮という目的には、あまり関わっていない気がする。
本当の友達がいない俺への、同情なのか。
それはありえるかもしれない。
そういうことなのだろうか。
でも、天も、それに乗ったのか。

「………分からない」

皆、全てを隠していて、何も、分からない。
何が本当で何が嘘か、分からない。
誰の言葉が嘘で、どの言葉が真実なのだろう。

「一兄の言葉は、きっと、嘘が、多い」

自分で口にしたのに、傷ついて胸がじくじくと痛む。
一番敬愛していた兄の言葉を、信じられない。
それが、何より、辛い。
でも、あの人の言葉は、きっと俺を惑わせるための、嘘が散りばめられている。
それはもう、分かっている。
本当のことも、きっとあるのだと、思うけれど。

「双兄の言葉は、たぶん本当のことが多い」

でも、あまり意味のある言葉をもらってない気もする。
ああ、でも、何か言われたな。

「なんだっけ。疑問に思ったこと、あった。えっと」

頭を掻き回して、記憶を探る。
出てこないのが、もどかしい。
最近の話だ。
迷っていた時に、双兄が、言ったのだ。

「そうだ、共番の儀式は、天を選べと、そう言われたっけ。そういえば黒輝も、そんなこと、言ってた。あ、藤吉は、一兄を選べと、言っていたんだ」

藤吉の意味は、今なら分かる。
一兄とつながっていたのだから、多分、俺をうまく誘導するには一兄を選ばせた方がいいと考えたのだろう。
でも、それじゃ、双兄と、黒輝の言葉は、なんだ。
なぜ、天を選べと言ったんだ。
いや、そもそも。

「一兄と天をどちらかを選ぶことで、何か、違うのか」

共番の儀式とは、なんだ。
俺に力を供給するための儀式。
それと、先宮と奥宮がつながるための儀式。
先宮。
そうだ、先宮だ。

「そもそも、先宮と、奥宮って、なんだ」

言葉からして、対になる存在だ。
ということは、先宮と奥宮はセットなのか。
あれ、それじゃ、俺が奥宮になるとしたら、先宮は誰になるんだ。
奥宮と先宮が、つながるとしたら、共番の儀で選ばれた方が、先宮になるのか。

どちらかが先宮になる。
奥宮とセットになる方が、先宮になるのか。
それは、奥宮に選ばれた方が、なるということか。
元々、次期当主見込みだった長兄と末弟。
そう考えると、それはしっくりくる。

「どちらを当主になるかを選ぶ。藤吉と、双兄と、黒輝は、一兄と天と当主になってほしい相手が、違う?」

どう、違うのだろう。
なにが、違うのだろう。
思い出せ、何か、疑問に思ったことがあったはずだ。
考える時間は、いっぱいある。
落ち着いて考えればいい。

「親戚や、神祇省、他家は、奥宮を、見に来た」

そうだ、それを今日、疑問に思ったのだ。
奥宮を見に来る。
でも、俺を見て、どうなる。
俺という生贄のような存在があるのは、知られている。

その仕組みを知りたい?
生贄の作り方を知りたい?
それなら、分かる。

「宮守は、力のある一族だから」

だから、その秘匿が知りたい。
それなら、分かる気がする。
奥宮という生贄の存在を知ることで、その力の源を知る、とか。
そう、強い。
宮守の一族は強い。
その中でも、先宮が、一番強い。

『俺は父さんの足元にも及ばないよ』

俺が一番強いと思っていた天は、そんなことを言った。
当代一と言われる天すら、足元にも及ばない父さん。
あまりその力を発現しているところは見ないが、確かに力の存在と威圧感は感じられる。
俺に力が満ちている今なら、なおさら分かる。

「宮守で父さんに敵うものなんて、いない」

天は、そう言っていた。
宮守家で、父さんにかなうものはいない。
いや、違う。
そういう言い方じゃなかった。
なんて言っていた。
天は、なんて言っていた。

『この宮守の地で、先宮に敵うものなんていないんだから』

そうだ、父さん、じゃない。
この土地で、先宮にかなうものはいない、と言った。
先宮は父さん。
だから、父さんが強いというのは間違っていない。

「………天の言葉は、あいつの言うことが本当だとするなら、嘘はない」

天は、嘘はつかないと言った。
隠し事はするけれど、嘘はつかない、と。

「それすら、嘘かもしれないけど」

自分で、苦笑してしまう。
その言葉を信じるなんて、なんて馬鹿馬鹿しい。
ここまで、嘘に満ちた世界で、本当のことなんて、あるのだろうか。
でも、今は他に考えることもない。
他に手がかりもない。
所詮、ただの暇つぶしだ。
合ってても間違っても、、どうなる訳でもない。
なら、このまま、考えればいい。

「先宮と、奥宮。繋がっている」

父さんから感じる奥宮の気配。
噎せ返るような闇の気配。
圧倒される威圧感。
闇をまとわせても変わることのない強い存在。

「闇をまとわせる、人」

前に、闇を身の内に飼った人が、いた。
その人は闇に飲まれ、暴走し、最後は最愛の人の手によって、闇もろとも滅んだ。
身の内に邪気を飼うなんて、とても出来ることじゃない。
自分でも飲み込んでみて、分かる。
ましていいように扱うなんて、出来やしない。

『人の身で、人の形のままで、あいつらを好きになんて出来るはずない』

吐き捨ているように言ったのは、天だったか。
嘲笑して、憎々しく、言い放った。
人の身で、人の形のままで、あいつらを好きになんて出来るはずない。

「じゃあ、人の形をしていないモノなら、アレを、好きにできる?」

人ではない、化け物。
それとつながる先宮。

「………だから、先宮、この地で、敵うものは、いないのか?」





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