先に宿に戻っていると、しばらくして志藤さんも帰ってきた。

「あの、由紀子さん大丈夫でしたか?」
「はい、家に送り届けた後は、だいぶ落ち着かれたようでした。ご主人も出てきてくださいましたし」
「そう、ですか。よかった」

啓司さんが出てきたなら、大丈夫だろう。
薄れかけている記憶の中の、理知的な風貌の男性が思い浮かぶ。
そういえばあの人も、穏やかに笑っていた。
次の日には、娘が、ワラシモリに捧げられると知っていたのに。
それを思うと、いっそ俺を殺そうとした由紀子さんの方が、親しみを感じてくる。
あの人には、あの人なりの葛藤や苦しみが、あるのだろうけれど。

「事あるごとにあの花畑に来ているという話でした。この地の神、ワラシモリと仰っていましたっけ、かの神を探しているそうです」
「………そう、か」

ワラシモリに、会いたいのか。
それは、雛子ちゃんの面影を探しているのか、それともワラシモリへの憎しみなのか。
どちら、なのだろう。

「ワラシモリは会う気は、ないのかな」
「ないでしょ。あるならとっくに出てきてる。あいつはこの村のことはすべて知り尽くしてるんだから」
「うん、そうだよな」

天の言うことは、最もだ。
今日だって、すぐにワラシモリは出てきてくれた。
会うつもりがあるなら、いつだって出てこれるのだ。
ワラシモリは、会いたくないのか。

「とりあえずお疲れ様です、志藤さん。昼食が来ています。食べましょう」

天の声に我に返る。
そういえば、志藤さんを待って、俺たちも昼食をとっていなかった。
弁当を持ってきてもらっていたんだ。

「あ、ごめんなさい、志藤さん、ありがとうございました。昼食にしましょう。お茶を淹れますね」
「あ、そんな、かまいません!自分で淹れますから!」
「いえ、これくらいやります!」
「いえ、私が!」

お互い譲らず急須の取り合いになりそうなところで、冷静な声が割って入った。

「兄さんお茶淹れて。志藤さん、そっちの食事こっち持ってきてください」
「う、うん」
「あ、はい」

天はテーブルの上を片付けながら、さっさと俺たちに指示を飛ばす。
本当に、嫌になるほど冷静なやつだ。
俺はこんなになっても、全然成長してないな。
いつになったら、大人になれたんだろう。
一兄や天みたいな、冷静で落ち着いた人間になれたんだろうか。
なれる日はいつか、あったのかな。

「で、どうするの?」

昼食を終え、食後のお茶を啜りながら、天が聞いてくる。
問いの意味は、ワラシモリとのことだろう。
結局何も話せていない。
出来れば、もう少し話したい。
話せるかどうかは、ワラシモリ次第なんだけど。

「どうしようかな。まだ、しばらくここにいても、いいのか?」
「かまわないよ、好きなだけ。兄さんの意思に任せろって言われてる。ま、家から帰宅命令がかからないかぎりだけどね」

帰宅命令。
一兄はまだ時間はあると、言っていた。
でも、本当に俺に、時間は、残されているのか。

「帰宅命令は、すぐに出る可能性はあるのか?」
「さあねえ」

聞いてみても、天はいつものようにはぐらかすだけ。
天のさあ、は話す気がない、と同義語だ。
知っていても、知らなくても、言う気はない、または言えない。

「じゃあ、もう少し、いたい」
「了解。じゃあ、そうしよう」

学校、また行けなくなるな。
岡野や槇は、元気だろうか。
会いたい、な。

「あ、でも、お前も、学校休んでるんだよな。ごめんな、付き合わせて」
「別に、学校休むなんていつものことだし。仕事じゃないだけマシだね」
「でも、ごめんな」

重ねて言うと、天は苦笑した。
呆れたように、馬鹿にするように、肩を竦める。

「兄さんは、どこまでお人よしに出来てるんだろうねえ。今の状態で人のこと気にしてる余裕なんてあるの?」
「だって」
「自分のことだけ考えいてもバチはあたらないんじゃない?」

まあ、確かにそれはそうかもしれない。
俺の今の状況で、人のことなんて気遣っている余裕はない。
でも、そんな嫌味たらしく言わなくてもいいだろう。
こっちは心配してるのに。

「なんで嫌味いうんだよ。お前がいつも、学校休むのいやだって、言ってたんだろ」
「仕事で休むのはいやだ、だよ」
「これは、仕事じゃないのか」
「勿論」

仕事の一環としている訳じゃないのか。
俺の問いに天はにっこりと無邪気に笑った。

「大事な大事な兄さんとの旅行だよ」

そしてまた、嫌味たらしく言う。
ご丁寧に楽しそうな笑顔をつけて。
俺が怒り出すのを待っているかのように。

「………」
「何?」

でも今回は怒りは沸いてこなかった。
ただ、じっと天を見つめると、弟は笑顔を消して首を傾げる。

「お前は、いつも俺を挑発するようなこと言うよな。怒らせたい、のか?でも、怒らせたいだけじゃないよな。今のは、心配してくれてたのか?」

俺に気を使うな、と言いたいのだろうか。
でもそれにしては毒がありすぎる気もする。
こいつはいつも、俺を怒らせようとしている気がする。
なぜなのだろう。

「怒らせたい、わけじゃないのか。いや、でも、怒らせようとしてる時もあるよな。天の言うことは、なんか、ちぐはぐだな」
「何が?」

天が鼻に皺を寄せる。
嫌そうな顔だ。
つまり、俺の言っていることは、的を射ているのだろうか。
天は、見透かすようなことを言われると、嫌がる。

「うーんと」

前よりも、天のことがなんだか、分かるような気がする。
なぜ、ちぐはぐだと思ったのだろう。
何か、すごく、不自然に感じたのだ。
けれどもやもやとした気持ちはうまく整理がつかず、霧散する。

「だめだ、まとまらない」
「そう。まとまったら教えて」
「ああ」

天の考えは、聞いた。
俺を奥宮にして殺して、宮守のシステムを壊してしまいたい。
そのために、俺を利用したい。
でも、何か、ひっかかる。
天の考えは、それだけなのだろうか。

「とにかく俺のことは気にしなくていいよ。まあ、栞に会えないのは寂しいかな」

遠縁の可憐な少女の顔が思い浮かぶ。
並ぶと一対のお人形のように絵になった二人。
仲睦まじい、理想の恋人同士だと思っていた。
その裏には、あんなものが、隠されていたのだけれど。

「そういえば、栞ちゃんとは、いつ頃、その」

計画を立てたのかと聞こうとして、室内の志藤さんの存在に口を閉じる。
宮守を壊そうとしていることを、この人の前で言ってもいいのだろうか。
俺の視線をうけて、志藤さんは静かに腰を浮かす。

「私は席を外します」
「構いませんよ」

けれど天が手をひらりとふって、志藤さんを制した。

「俺と栞が、いつ頃、宮守をぶっ潰そうって考え始めたのか?」

何気なく天が言った言葉に、志藤さんが小さく息を飲む。
聞かせて、いいのだろうか。
志藤さんは一応、宮守の人間ではあるのに。
天や俺を傷つけるようなことはしないと、信じているけれど。

「いつ頃だったかな。始まりはよく覚えてない。家に施術を受けに来てた栞が、庭の裏の池のあたりで座っていたのは、覚えてるな」

家によく来ていた栞ちゃんと、遊んだのは覚えている。
あれはいつ頃だったか。
あの頃、栞ちゃんは笑っていた気がした。
いつから、あんな、痛みを抱えていたのだろう。

「明るい顔をしていた女の子が、いつからか笑顔を見せなくなって、無表情で座っていた。それを見つけて、話をするようになって、宮守へ対する愚痴をお互い話して、徐々に形を作っていった。栞がいなきゃ、俺もこんな明確に、宮守を壊そうなんて思わなかったかも」

天も昔を思い返す様に、天井をみあげてとつとつと語る。
本当にまだ小さいころだったはずだろう。
その頃から二人は、家に対する憎しみを育てていたのか。
俺が何も知らず、何も知らされず、狭い世界の中で生きていた時に。

「あの刺青見たんでしょ?あれすごい痛いらしくてさ。最初は痛みを耐えきれなくて、庭でよく泣いてた。泣く姿を親に見せたくないって、言ってたっけ」

白い体に浮かび上がる不思議で綺麗な文様。
刺青は、針を刺して、色素をいれるのだっけ。
考えるだけで、背筋に寒気が走る。

「針を入れられるたびに、何かが一つづつ壊れていく感じがするって言ってた。ぶつぶつと、何かが千切れていく感じがする。笑い方も、話し方も、分からなくなっていくって。最初は周りに助けを求めて、その後怒りを感じて、憎しみを抱いて、でも、どんどん何も感じなくなっていく。痛みも、怒りも、何も分からない」
「………」
「空っぽになっていくって」

家族に裏切られる、痛み。
道具として扱われる苦しみ。
栞ちゃんはもうずっと前に、その苦痛を知っていたのだ。
そして痛みすら、感じなくなってしまっていった。

「………あんな、笑って、楽しそうだったのに」

俺の知っている栞ちゃんは、いつも朗らかに笑っている愛らしい少女だった。
態度から表情から天のことが好きだということが強く伝わってきた。
普通の、恋する、年頃の少女だった。

「とりあえず、お互い普通をしてみようってことになってさ。笑って、泣いて、怒って、わがまま言って、デートして、そういう普通を、してみようかって」

天が困ったように苦笑する。
普通をする、か。
それはなんて哀しい言葉だろう。
俺ももう、普通なんて、何も分からないけど。

「そうしたら思いのほか楽しくて夢中になった。なんか、栞と笑っていたら、話していたら、立っていられた」

なんでもないように語るけれど、それは珍しい天の弱音だ。
栞ちゃんがいなかったら、天も立っていられなかったのか。
それほど、天も辛かったのか。
ずっと、苦しみに耐えていたのか。

「その意味では本当に一矢兄さんは鉄の意思だと思うよ。尊敬する。あの人ほど自制心ある人、見たことない。双馬兄さんは、熊沢さんに甘えまくりだからいいとして」

一兄は、やっぱり何を考えているのか、分からない。
どこまでが本当で、どこまでが嘘なのか、もう何も分からない。
前まで分からなかった天の方が、今はずっと、分かる。
化け物のように見えていた天が、人間に、見えてきている。
宮守に対する怒りも行動も、まだ理解できる。

「お前には、栞ちゃんがいて、栞ちゃんには、お前がいたんだな」
「………そうだね」
「ならよかった」

それは、栞ちゃんのおかげだったのかもしれない。
彼女がいてくれたおかげで、天は立っていたれた。
温かい気持ちを、きっと忘れずにいれた。

「せめて、優しい気持ちになれる人がいて、よかった」
「………」

大切な人がいてくれると、優しい気持ちになれる。
守りたいと、大事にしたいと思える人がいるだけで、強くなれる気がする。
温かさをもらえる。

「あ」

そっと、志藤さんが机においていた俺の手を掴む。
思わず隣を見ると、志藤さんが慌てて手を離した。

「あ、も、申し訳ありません!」
「いえ」

その慌てる様子が可愛くて、俺の方から手をつなぐ。
大きくて堅くて、甲が平べったい手は、温かい。

「大切に思える人がいて、よかった」

岡野、槇、志藤さん。
大事に思える人がいる。
それだけで、こんなにも嬉しい。

天と栞ちゃんも、この気持ちを知っているのか。
痛みだけではないのだろうか。





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