「その不安の正体を、つきつめたりはしないの?」 私が学校の中で、どこよりも馴染んだ林の中。 すでに同じように風景に馴染んだ男が、楽しそうに問う。 本当に、どんなところでも中心となる弟とは違い、どんなところでも溶け込む男だ。 なぜ、この男はここにいるのだろう。 なぜ、私にまだ構うのだろう。 根木の真意が、わからない。 「…………」 眼鏡の男は、別に私を責めていない。 好奇心を浮かべた瞳で、純粋な疑問をぶつけているように見える。 けれど、私はそれに答えることができない。 「なんで、怖いの?どうして不安に感じるの?清水は弟君を選んだんでしょう」 「………」 「弟君が、ずっと一緒にいてくれるから」 「やめて!」 根木は、笑いながら私の罪を突き付ける。 そこにあるのは、好奇心。 けれど、追い詰められているように感じた。 男はいつものように笑って、いつものように何もかもがどうでもよくなるような軽い口調なのに。 「……やめて」 それでも、私は自分の醜さを、恐怖する。 自分の薄汚さを、思い知らされる。 根木は、私が耳を塞いで拒絶しても止まらない。 苦笑して、子供を諭すように続ける。 「考えてよ、清水。清水は考えることが足りないよ。今年は受験でしょ。頑張ろうよ受験生」 「いや、やだ、考えたくない」 「弟君といる未来を考えて。10年後は?20年後は?」 「いやだ!!」 昨日の暗闇の中に沈んでいくような不安が、ジワリと頭をもたげる。 じわじわと私を侵食し、飲み込んでいこうとする。 これ以上は考えたくないのに。 根木は許してくれない。 「考えたくない。千尋は、私とずっと一緒にいるって言った」 「ずっとずっと一緒にいて、その先は?」 「………どうして、そんなこと、言うの」 「清水が、好きだから」 意味が分からない。 以前と同じに好意を告げられても、それが信じられない。 それは私に疾しいところがあるからだろうか。 それとも、根木の言葉にどこか毒があるように感じられるからだろうか。 本当は、根木は私に復讐しているのだろうか。 苦しくて、悲しくて、目頭が熱くなる。 泣く権利なんて、ない。 分かってる。 でも、苦しい。 「あんた、意地が悪くなった……。私が、憎い?」 「残念ながら、憎いって感情は俺にはもてそうにないな。もちろん大好きさ!」 茶化すように笑って、根木は私の髪をくしゃりと撫でる。 その手は暖かいのに、なぜ、この男は私を追い詰める。 この男まで、私を追い詰める。 「じゃあ、なんで………」 「だって、清水、馬鹿なんだもん」 「………なんで」 どうして、そんなことを言うのか。 私にずっと優しかった男。 力強い手で抱きしめてくれて、慰めてくれた男。 そんなに、私が嫌いなのか。 「ねえ、本当に信じてる?あいつがずっと隣にいるって。ていうかその先どうするの?清水は先に社会にでる。働く。あいつは学生で、力もなくて。ああ、モテるし、大学生になったらもっとモテるかもね…」 「やめてよ!」 我慢できなくて、声を荒げてしまった。 ベンチの上に体育据わりをして、体を小さくする。 頭を抱えて、何も聞かないように外界を遮断する。 「…………」 「やめて、よ……」 息苦しい。 沈黙が、痛くて苦しい。 逃げ出したい。 涙が、こぼれてくる。 でもきっと、逃げ出させてくれない。 意地悪く、私を追い詰めるようになってしまった男。 怖い。 根木が、怖い。 隣に座った男は何も言わない。 何もできなくて、私はただ怯えていた。 しばらくして、大きなため息が聞こえた。 呆れたようなため息に、私はますます恐ろしくなる。 これで、また、今度こそ根木に、見捨てられるのだろうか。 「あー、もう!」 「………え」 しかし根木は予想に反して私から離れも、侮蔑の言葉を吐きもしなかった。 もう一度優しく、私の髪を撫でる。 その手に、私は驚いて顔を少し上げた。 「あー、もう。難しいなあ。悪役ってのは」 「………根木?」 「ああ、ごめんね、いじめて」 恐る恐るそちらに視線を向けると、根木は疲れたように笑っていた。 大きな手は私の頭をいつものようにくしゃくしゃと撫でる。 その手は優しいけれど、少しだけ乱暴だ。 まだ、少し苛立っているように感じる。 「ね、ぎ……、怒ってる?」 「あー、大丈夫。清水には怒ってないから」 それでも根木は大きくため息をついた。 まるで疲れ果て諦めたように、自分の頭もくしゃくしゃとかき回した。 「ねぎ……?」 「はい泣かない泣かない、いい子ですねー」 いつにない余裕のなさそうな態度に、私は根木を見上げる。 根木はまるでからかうようにそんなことをいって、私を抱きしめた。 その手は力強くて、やっぱり安心してしまう。 根木の行動は、よく分からない。 でも、その手は変わらず優しくて、ようやく、息がつけた。 「はいはい、清水さんは泣き虫ですねー」 「………なんかムカつく」 「ごめんごめん」 普段通りの根木に戻って、茶化すようにふざけるから私も恐る恐る悪態をついてみた。 眼鏡の男は好奇心に満ちた目を取り戻して、苛立ちを消し去った。 ほ、と安心して息をつく。 根木は数学で解けない問題があったように、唸る。 「難しいなあ、加減が。優しくするのは、得意なんだけどなあ」 「………あんた、何がしたいの?」 「ん?清水千尋を目指してみようと思って」 急に出てきた弟の名に、私は根木の腕の中で身を固くする。 また攻撃されるのかと、痛みに備える。 けれど、根木は今度は私を追い詰めはしなかった。 「いやあ、清水千尋みたいのがタイプなんでしょ?だからちょっと頑張ってみたんだけど」 「……意味がわかんない」 何がしたいのか、わからない。 男の行動は、やはり不可解だ。 私を責めたい訳ではないらしい。 好意を、まだ持っていてくれる、のだと、思いたい。 「やっぱ難しいわ。あの電波具合。結構な職人芸だよね」 「……千尋?」 「そ、あの電波。天然にはやっぱり敵わないよなあ」 電波、とは千尋を指しているらしい。 なんと返答したものか、困る。 電波の意味に侮蔑の意味を含んでいるのはわかる。 確かに最近千尋は怖い。 根木は黙り込んだ私を抱く腕に力を入れる。 白いワイシャツからは、かすかに煙草の匂いがする。 煙草と汗と太陽の匂いが、根木の匂いだ。 「あのね、清水。俺の言ったこと少しは考えてね。別に清水を苛めてる訳じゃないから。お願いだからもっと人生よく考えましょう」 その匂いに浸っていると、根木は優しい声でそう言った。 根木は私を嫌ってはいない。 それは、わかる。 でも、根木。 私はそれを、考えたくない。 |