温泉に行けるのなら善は急げだ。 荷物はエミリアとマリカが用意をしてくれると言っているが、一応自分でも努力はしてみることにする。 最近、怪我のせいもあって、堕落しすぎだ。 しかし、下着と洋服と、何がいるんだろ。 携帯用の洗剤とかなさそうだし、化粧品はある程度持っていくとして、薬も携帯用とかあるのか。 旅行とか、こっちの世界に来て初めてで、本当に何持っていけばいいか分からない。 おやつはいるかな。 バナナはおやつに入りませんか。 「えっと、服は、どれくらいいるんだろ」 洗って着まわすにしても、ある程度は必要よね。 ていうか洗濯どうするんだろ。 自分でするのはやだなあ。 手洗いとか死ぬほど面倒くさい。 やばいなあ、私本当にダメ人間になっている。 人間、苦労にはなかなか慣れないが、怠惰にはあっという間に慣れるものだ。 「ねえ、荷物って何にいれる?」 隣で私の荷造りをしてくれていたエミリアが、なんだかじと目でこちらを見ている。 唇をとがらせて不機嫌そうだ。 そんな表情も愛らしいんだから美少女人妻はずるい。 こんなのに裸エプロンとかされたらそりゃたまらないわ。 「………楽しそうですね、セツコ様」 「え、うん。旅行、久しぶり。嬉しい」 そう言うとエミリアはますます不機嫌そうに頬を膨らませた。 いつも朗らかな子なのに、最近こんなことが多い。 ああ、また地雷を踏んだのか私は。 めんどくせーなー。 「あの、エミリア?」 エミリアは奥で私が散らかした服を整理していたマリカに視線を向ける。 「マリカ、ちゃんとお世話するのよ」 マリカはこちらを向いて、にっこりと笑って頷く。 棘のあるエミリアの言葉に動じる様子は一切ない。 何気にたくましいよな、この子。 「はい、勿論です」 「ちゃんと出来る?心配だわ」 「頑張ります」 なんか、エミリアが小姑みたいになっている。 女って怖いなあ。 どんなに性格がよくて明るい子でも、こんな側面を持ち合わせているなんて。 ああ、怖い怖い。 「いい、セツコ様は、朝は中々起きられないから、ちゃんと朝食の時間には起こして差し上げるのよ」 「はい」 「お酒を飲みすぎないように、適度なところで止めるのよ」 「はい」 「夜更かししすぎないように、夜も気をつけて」 「はい」 「服をすぐにそこらへんに置いてなくしてしまうから、ちゃんと整理して」 「はい」 って、痛い痛い痛い。 全部私に刺さってる。 すいませんすいませんすいません、もうしません。 ていうかいいじゃないのよ。 放っておいてくれれば全部私がやるわよ。 あんたたちが先に片付けちゃうから片付けられないのよ。 っていうのを高校時代とかにお母さんとやりとりしたなあ。 ああ、まったく成長してない。 「………あの、エミリア」 もうその辺にしてほしい。 過去に遡ってダメージを受けて、再起不能になりそうだ。 「はい、エミリアさん。エミリアさんに代わって、私がちゃんとお世話しますから」 マリカが分かってんだか分かってないんだか、にっこり笑って火に油を注ぐ。 この子天然なのか養殖なのか、どっちだ。 エミリアがまた顔を赤くしてこちらを向いた。 「セツコ様!セツコ様の一番のお世話係は私なんですからね!」 「え、う、うん。そうね。エミリアが、一番」 もう、どっちでもいいよ。 女にモテても嬉しくない。 でも嫌われるのは嫌な私は、こくこくと頷いて曖昧に返事をする。 エミリアは私の言葉に納得してくれたのか、唇をとがらせて頷く。 「お帰りをお待ちしてますからね!」 「じゃあ、私はセツコ様が温泉で気持ち良く過ごせるように気を払いますね」 「~~~っ」 やっぱマリカって養殖かなあ。 とりあえず喧嘩するなら私がいないところにしてくれよ。 それなら好きにやってくれていいから。 でもこの子たちには嫌われたくないからつい愛想笑いをしてしまう。 「えっと、エミリア、寂しくなるけど、待っててね。よくなって、帰ってくるから。一緒にいけなくて、残念」 喧嘩が始まる前に、エミリアにちょっと過剰なほどにフォローを入れる。 少しわざとらしかったかな。 けれど素直なエミリアは、今回の旅行が私の療養なのだということを思い出したのか、はっと我に返る。 「あ、そうですよね。お気をつけていってらしてください。セツコ様のお怪我早く治りますように」 「ありがとう。エミリアは優しい」 心配そうに眉を顰める姿は、やっぱり素直で愛らしい。 どうして対マリカになると、あんなに小姑になってしまうんだろう。 そういや、私、女の子らしいタイプの女の子に結構好かれてた気がする。 ものすごく親しくなるってことはないし、さっさと寿退社するタイプばっかりだったから長く続くわけじゃないんだけど。 「じゃあ、私は他の荷物をまとめますね」 「お願いね」 エミリアはこの部屋での作業を終えたのか、パタパタと部屋の外に駆けていった。 どっと疲れが沸いてくる。 「………疲れた」 「大丈夫ですか?お茶淹れてきましょうか?」 「え、ああ、お願い」 マリカが気遣わしげに提案してくれるが、原因の何割かというか七割ぐらいこの子のせいな気がするのは気のせいだろうか。 まあ、いいや、とりあえずお茶を淹れてきてもらおう。 その間に私はトイレにでも行ってくるか。 部屋を出て、廊下を歩いていると、メイドさんとか兵士とかが声をかけてくる。 「セツコ様、こんにちは」 「セツコ様、どちらにいらっしゃるんですか」 トイレだよ、聞くな。 つーかなんでいきなりこんな愛想がよくなったんだ。 今まで腫れ物に触るような遠巻きな対応ばっかりだったのに。 最近笑顔でなんか話しかけてくる。 まあ、化け物扱いされるより全然いいんだけど、気味が悪い。 「セツコ、どうしたんですか、こんなところで」 「エリアス、あなたは?」 トイレを済ませてふらふらと歩いていると、後ろから穏やかな顔の赤毛の男が話しかけてきた。 だからトイレだよ、聞くな。 「私はあなたの部屋にこれを届けに」 エリアスはにっこりと笑って、何やら袋を差し出してきた。 皮袋の中身を覗くと、紙に包まれたものがいくつか入っている。 「これは?」 「旅に持っていくためのお茶です。マリカに預けておきますから、飲んでください。鎮痛効果がありますので。あと、こちらも、痛み止めの薬です」 「あ、ありがとう」 相変わらず気遣いの男だなあ。 エリアスと話してると、ほっとしてくる。 こういうところは、本当にいいんだけどなあ。 でも残念なんだよなあ。 「こんにちは、セツコ様、エリアス様」 「ああ」 そしてまた通りすがる兵士が声をかけていく。 私にまで笑いかける。 「ねえ、エリアス」 「なんですか?」 「なんか、みんな変」 「変、とは?みんなとは、誰でしょう」 「えっと、城の人たち、みんな、えっと、優しい。違う。友達みたい」 フレンドリーってなんていうんだろう。 私のつたない表現を聞いて、それでもエリアスは何度か頷く。 「ああ、親しみを持つ、ですね」 親しみを持つっていうのか。 なるほど、覚えておこう。 エリアスは、優しく笑って、答えてくれる。 「この前あなたが身を呈してマリカを助けたという噂が広がって、あなたの評価が高くなっているんです」 「へ?」 「マリカがまたあなたがどんなに素敵な人間かというのを広めて回っていますし」 「………」 あの子は何してくれてんだ。 いや、別にいいんだけど。 まあ、馬鹿と悪魔みたいに悪評広げられるよりはいいのか。 いや、でも、過大評価過ぎるんだよな、マリカは。 小心者で謙遜が美徳の日本人としては、過大な評価は逆にビビる。 「今まであなたは王の友人で、異世界の人間で、えっと、とにかく近づきにくいと思われていたのですが、親しみを持ってきたようです」 えっと、のところが気になるな。 今まで城の連中になんて思われてたんだろう。 まあ、あの馬鹿どもの噂で化け物とか言われてたんだろうなあ。 それが払拭できたなら、マリカにお礼を言うレベルだけど。 「じゃあ、私の変な噂、消えた?」 期待を込めて聞いてみると、エリアスは途端に視線を逸らした。 「え、えっと」 消えてないのかよ。 私の風評被害はまだ続いているようだ。 なんて、旅に出る前のことをつらつらと考えて気を逸らしていたが、そろそろ限界に近づいてきた。 駄目だ、どんなに質がいい馬車だとしても、長時間移動はかなり厳しい。 舗装されてない道はどんなに頑張ってもガタガタはガタガタだ。 道路公団、今なら年度末の税金無駄遣いも許すから、この道全部にアスファルト敷いてちょうだい。 「うう………、お尻痛い」 お尻どころか、傷だらけの体全体が痛い。 思わず呻いて壁にもたれかかる。 しかも長時間揺られていたせいか、気持ち悪くなってきた気がする。 「そうですね、そろそろ休憩にしてもらいましょう」 向かいに座っていたティモが、後ろの小窓のようなところから運転手に何か話しかける。 するとしばらくして、スピードが緩み、ゆるゆると馬車が停止した。 お尻への攻撃が、いったん止む。 「外に***があります。少し出ましょうか」 「***」 「えーと、水が沢山あるんですが、説明するより外に出た方が早そうですね」 ティモは説明を放棄して、馬車の扉を開けてくれた。 私は長時間座りっぱなしでがくがくになった足をなんとか引っ張って外に出る。 ていうか、温泉に行く前に傷が開いて倒れそうなんだが。 「わ………」 しかし目の前に広がる光景に、痛みを一瞬忘れてしまった。 青い空、目にも鮮やかな森の緑、そしてぽっかりと開き、陽の光を浴びて輝く泉が、そこには広がっていた。 カレンダーとかでしか見たことがない、海外の自然あふれる風景。 とっても世界の車窓から。 水を渡る風も気持ちよくて、手足を思いきり伸ばす。 『あー、気持ちいい』 外は怖いけれど、こんな牧歌的な風景ならいいな。 もう街中は怖すぎる。 田舎より都会が好きだったけど、私もう田舎でいいわ。 ていうか温泉で暮らしたいわ。 「セツコ様、気持ちがいいですね。泉、綺麗ですね」 「そうね」 マリカもニコニコと笑って、泉を指さす。 さっきの単語はこの泉のことだったのか。 本当に水が澄んでいて、キラキラ光って綺麗。 「もう、休憩か」 気持ちよく穏やかな気分に浸っていると、後ろからとても不機嫌そうな声が牧歌的な風景に割って入った。 後ろを振り向くと、蜂蜜のような綺麗な金髪をした、金髪碧眼美少年。 今回の旅のお供で、別の馬車で先導していたアルベルトだ。 「いい気なものだな」 だがそのお綺麗な顔には不機嫌さをにじませ、イライラとした口調だ。 いつでもなんかイライラしてるな、こいつは。 カルシウムが足りてないんじゃないのか。 「****だ。イマトラに帰るのが遅くなる」 分からない単語が出てきたので、隣にいたマリカに聞く。 「****って、どういう意味?」 「えっと」 マリカは私とアルベルトをちらちらと見ながら、困ったように言葉を濁す。 なんか説明しづらい言葉なのか。 つまり悪口だな。 それはぜひ知っておこう。 反対隣りにいたティモに、もう一度聞いてみる。 「ティモ、どういう意味?」 「そうですね、弱い、とか、強くない、といった意味を悪い方向に示す言葉です」 ティモは無表情に、丁寧に教えてくれた。 ていうかこいつはこいつで、馬鹿正直というか、空気が読めないというか。 まあ、いいけど。 「なるほど」 軟弱とか、そういう意味なのかな。 弱いって言われてもなあ。 「うん、軟弱よ。私、一般人の女。強くない」 「なっ」 アルベルトは私の返事が意外だったのか、息を飲む。 というかこいつは私に何を期待してるんだ。 そんな体力が有り余ってるように見えるのか。 「*******!迷惑だ。父上に頼まれたから連れてきてやったのに!」 ますます不機嫌そうに語気を強める。 また隣のティモに聞いてみる。 「******ってどういう意味?」 「簡単に言うなら、アルベルト殿下に迷惑をかけるな、ってことですね。目的を妨害する、邪魔をすると言うニュアンスで使います」 「うーんと、なるほど」 足手まといとか、足を引っ張るなとか、そういうことかな。 そもそも役に立つ気なんてないし。 「でもミカの命令でしょ。残念ね。無事に私を連れってってね。あなたは逆らえない。そうよね?」 私ったらとっても虎の威を借る狐。 性格悪いわあ。 権力者とお友達って、やっぱりいいなあ。 「っ」 アルベルトは顔を真っ赤にして、拳を握りしめる。 まあ、殴られる前にたぶんティモが助けてくれるだろう。 権力の後ろ盾があって、ボディガードもいる。 安全な位置からなんの責任も持たずに偉そうにするって、心躍る。 「アルベルト、何をやってるんですか」 「ヘルマン!」 けれどアルベルトが拳を振り上げるより前に、もう一つの馬車から、プラチナブロンドの美青年が降りてくる。 ため息交じりに呆れたように、アルベルトをたしなめる。 「声を荒げるのはよしなさい」 「この女が僕を****したんだ!」 また分からない単語が出てきたぞ。 「****って何?」 「馬鹿にする。見下す、ですかね。セツコ様がアルベルト殿下を馬鹿にしたようです」 「なるほど」 アルベルトが私たちの会話に、ますます顔を真っ赤にする。 そのうち頭から湯気が出てきそうだ。 「お前たち!僕を馬鹿にするつもりか!」 「侮辱するだっけ。私、してる?」 「私にはよく分かりません」 ていうかティモが結構ひどいよな。 この人マジで天然ぽいし、天然最強だな。 「この!」 アルベルトがついに拳を振り上げる。 「アルベルト」 しかしその手を後ろにいたヘルマンが、そっと抑えた。 アルベルトは悔しそうに腕をぐいぐいと引っ張りながら、自分の部下を睨みつける。 「ヘルマン、離せ!」 「どうしてそう彼女につっかかるんですか?ああ、彼女に興味があるんですか。そうですね、あなたの周りにはいないタイプの人間ですし」 おお、なんだこのイケメンも見かけによらず結構性格悪いな。 まあ、私に向けられてるものでなければよし。 人が馬鹿にされるのはまったく問題ない。 周りにいないタイプってのがちょっと気になるけど、とりあえずいい。 「あ、そうなの?嬉しい。ありがとう」 「違う!」 にっこり笑ってお礼を言うと、アルベルトは叫ぶように否定する。 そこまで否定しなくてもいいのに。 「でしたら、王家の人間として節度を持って、正しい態度を心がけてください」 「………っ」 「あなたは紳士でしょう」 「ふん!」 アルベルトは、ヘルマンの手を振り払って、私たちに背を向けると、のしのしと歩いて行ってしまった。 周りの兵士たちがわたわたと慌てて何人か後ろをついていく。 『思春期って感じだなー』 高校生の反抗期って感じ。 私もあんな頃があったわね。 そう思うと、ムカつく以前に可愛くなってしまう。 ああ、この感情って間違いなくおばさんよねえ。 「セツコ様、なんておっしゃったんですか?」 マリカが大きな目を丸くして聞いてくる。 思春期ってなんていうんだ。 「えーと、若い?」 「ふふ。っと、失礼しました!」 思わず笑ってしまったマリカが、慌てて首を横に振って頭を下げる。 別に私はいいけど、まあ王家の人間を笑うとか、本当は駄目なんだろうな。 そんなマリカをヘルマンが、目を細めて柔らかく笑う。 「いいんですよ、マリカ。あの方もあなたのように早く大人になってほしいものです」 ヘルマンの言葉に、マリカは白い頬を赤くして視線を俯ける。 おお、イケメンパワー。 エリアスのような物腰の柔らかさと、エリアスにはないそれなりの性格の悪さと、大人の余裕。 やっぱりこの人、お買い得物件じゃないかしら。 「ヘルマンって、いい男」 思わずぼそっと呟いてしまうと隣にいたティモが反応した。 「そうなんですか」 「そうじゃないの?」 「あまり男に興味がなかったので分かりませんでした」 そりゃそうだ。 |