一瞬、狭い生徒会室が静まり返る。 誰もが、次の麻生韶子の反応を待った。 興味深そうに、楽しそうに、麻生を見つめる神崎。 しかし、予想に反して麻生は再び笑顔を取り戻す。 「ええ、そうです。響は私の異母兄弟。一つ歳上の兄です」 凪いだ湖のような静かな声。 戸惑いや、焦り、怒り、そんな色は少しも滲ませない透明な声。 返された神崎は拍子抜けしたように、目を丸くする。 「あれ、驚かないんだ」 「ええ、少しは予想していましたし。別に麻生は響が子供だということを隠すつもりはありません。知っている人は、知っている話です」 「ふーん、じゃあなんで最初からそれを言わないの?隠すところに何かあるんじゃないの?」 「響が欲しいというのなら、それぐらいご自分で調べて頂きたいですから。それに、これくらい調べられないようでは、私が興ざめだわ」 痩せすぎて貧相見える小さな体。地味な、決して美人とはいえない容貌。 けれど背筋を伸ばし迷いなく立つその姿に、見えていた4人が気圧されそうになる。 笑いながら一つ息をつくと、麻生は三つ編みを背中に払う。 その仕草すら、優雅で洗練されていた。 「それで?」 「え?」 首を傾げて問う麻生に、神崎は珍しく呆けたような声を上げる。 予想していないリアクションに、いつも落ち着いた男も戸惑っていた。 「それで、どうしたいのかしら?私が響の妹だとして、何が変わるのかしら?それとも貴方達の切り札はそれだけ?」 「妹だったらそんなべたべたしないでよ!有川を支配しないで!」 畳み掛けるように問い詰める麻生に、いきり立つように机を叩いて声を上げたのは加奈。 麻生は神崎に向けていた嘲りを含んだ視線を加奈に移した。 いつもの穏やかな笑みは、向けられたら侵されるような毒を含んでいる。 どんなに強い感情も、麻生をたじろがせるものではない。 「あら、なぜ?私が響の妹であろうとなかろうと、響の一番大切な人間は私。響が言うことを聞くのは私の言葉。それは変わらないわ」 「そんなのおかしいじゃない!普通の兄妹はそんなんじゃない!」 「何がおかしいのかしら、肉親を大切に思うのは当然のことだわ」 「いや、ていうか妹とかなんでもいい!そもそも有川が私以上に誰かを大事なのがむかつくの!あんたのせいで響が不自由な思いをしているなんて冗談じゃない!」 その言葉に、麻生は表情をやわらげたように感じた。 けれど、加奈が瞬きしたその後には、やはり気のせいだったのか、意地の悪い笑みがあるだけだった。 「響は私の傍にいるのが当然なの。それが当たり前のこと。響は」 立ったままの麻生は、4人を見下し、続ける。 穏やかに、けれど冷たく、どこまでも女性らしい声で。 「響は自由なんて必要ないの。私の言うことさえ聞いていればいいの」 「なっ!」 「自由なんて認めない。誰かと親しくなるなんて認めない。幸せになるなんてもっての外だわ」 「あんた、何をっ!」 あんまりにも横暴な言葉に、加奈が立ち上がる。 誰もそれをとめることをしない。 それでも麻生はまるで歌うように続ける。 その声は明確な悪意でもって彩られ、言われてる当人でもないのに心をずたずたに切り裂かれていくようだった。 「私から父を奪って、母を苦しめたんですもの。その償いをするのは当然でしょう?」 一回切って、更に笑みを深める。 目を背けたくなるような醜悪さをこめた笑顔。 「響なんて、ずっと不幸なまま這いずり回っていればいい」 そういい切った瞬間、ガタンと大きな音をたて乱暴に席を立つ人間がいた。 その人間は扉の前にいた痩せぎすな少女の襟首に掴みかかる。 「お前なっ!」 「あっ」 予想していなかった方向からの攻撃に、麻生は小さく声を上げるとで後ろに倒れこんだ。 かくんと、糸の切れた人形のように、あっさりと。 驚きは手を出したほうがの方が大きかった。 立ち上がった人間、吉川はそこまで力を込めていない。 それなのにいとも簡単に倒れこんでしまった少女を見て、目を見開いている。 麻生が、手をだしたまま固まっている少年を見上げて口を開こうとした。 その時。 「失礼します」 ガラリと音をたて、安っぽいアルミ製の扉がスライドする。 現れたのは白い髪の、均整のとれた長身。 一歩足を踏み入れて、目の前に倒れている少女を気付き、息を呑んだ。 「……ショウ?」 「響」 「ショウ!?」 他のものが見えないかのように、すぐにしゃがみこんで少女の背を支える。 いつも無表情な顔に、明らかな焦りを浮かべていた。 「ショウ、ショウ!?ショウ、大丈夫!?足、足がっ!」 「大丈夫よ、大丈夫、ただちょっとバランスを崩しただけ」 「足が…ショウ…、ショウ……」 壊れたおもちゃのように三つ編みの少女の名を繰り返す有川。 麻生は有川にだけ向ける優しさを取り戻し、その白い髪に指を絡める。 落ち着けるように、何度も愛おしげにその髪を撫でる。 「大丈夫よ、響」 「誰が、誰が…」 感情も色もなくした目を、ふらりと彷徨わせる。 そしてようやく呆然と目の前に立ち尽くしている少年の存在に気付く。 「お前が…っ」 「っっ」 立ち上がり、素早い動きで小柄な少年に掴みかかる。 吉川は突然の行動に、抵抗することができずにされるがままになった。 有川が長い腕を振りかぶって、吉川に振り下ろす。 「やめろ!」 「やめなさい、響!」 寸前に、加奈と麻生の声が同時に響く。 麻生は座り込んだまま、身を乗り出すようにして響のシャツの背を掴んでいた。 加奈は吉川の前に立って、有川の腕を受け止めている。 「あ……」 「あほかっ!」 我に返ったように声を上げる有川の頬を、乾いた音をたてて全力で加奈が殴った。 パーであったところが、加奈の気遣いだったのかもしれない。 「なんで慎二を殴ろうとしてんのよ!悪いのはそこの女なんだから!慎二はね、あんたのために!怒ったのよ!そのヘタレな草食動物が!」 「おい……」 庇っているはずなのだが、どこかひどい言葉に不満気に声を上げる吉川。 その言葉を聞くはずもなく、自分より頭1、5個分高い長身の胸をボカボカと叩く。 端から見ていると可愛らしい仕草ではあるが、馬鹿力の加奈の拳からは一回一回鈍く重い音が響き、有川が小さく咳き込む。 「馬鹿!馬鹿馬鹿馬鹿!この馬鹿有川!!」 「か、加奈……」 困ったように名を呼んで、自分の胸を叩く少女をもてあます。 加奈は涙目になって、言い知れない怒りを有川にぶつけていた。 何に怒っているのか自分でも分からないが、とにかく有川が腹立たしかった。 「その通りよ、響」 「ショウ…、だって…」 戸惑うように後ろを振り返ると、麻生は苦笑して2人を見上げていた。 すでに毒を持つものでもなく、有川に向ける優しいものでもなく、張り付いたような穏やかな笑顔を浮かべていた。 「とりあえず、立たせてくれないかしら、響?」 「あ、うん…」 加奈の腕を優しく静かに止めて体を放す。 後ろを振り返り、麻生の細い腕をとって立たせた。 麻生は柔らかな仕草で長いスカートの乱れを直すと、ゆっくりと息をついて有川を見上げる。 「今のは私が悪かったのよ。私がひどい言葉言ったから、吉川君が怒ったの。だからいいのよ。それに人に手をあげるのはいけないわ」 「………」 「ありがとう、響。でも、今のは私がいけないの」 「…そう、か…」 眉をわすかに寄せて、首を傾げる男の肩を麻生は軽く叩く。 その後に、有川の後ろにいた吉川に、頭を下げた。 吉川はすでに展開についていけずにただ立ちすくんでいた。 「ごめんなさい、吉川君。来るのはてっきり加奈さんか神崎さんだと思っていたからすぐに対応できなかったわ」 「あ、いや……」 「さあ、響も加奈さんと吉川君に謝って」 「その、悪かった。すまない」 「う、うん」 「ふん!」 素直に、そして真摯に有川は頭を下げた。 先ほどの激昂が嘘のように落ち着いて、その謝罪は心からのものと見て取れた。 吉川は相変わらず戸惑ったように頷き、加奈は腕を組んでそっぽを向いた。 素直に謝った有川の背中をいたわるように撫で、麻生も2人に頭を下げる。 「加奈さんも、吉川君もありがとう」 「あんたに感謝されることなんて何もないわよ!ていうかさっきのクソムカツク言葉は何よ!」 「響のために、私に怒ってくれて、ありがとう」 「訳わかんないのよ!だからあんたはっ!」 駄々をこねるように地団太を踏む加奈に、麻生は表情を和らげた。 その背を支えるためか、有川が細い肩を抱きこむ。 その親しげな様子に、加奈がまた眉を吊り上げる。 「ショウ……」 「大丈夫よ、響」 支えているのは有川のはずなのに、まるですがっているような弱弱しい声。 無表情な顔は青ざめ、髪の色もあいまってかひどく白かった。 麻生は苦笑して肩をすくめると、座って成り行きを見守っていた神崎に視線を送る。 「今日は申し訳ないのですが、お先に失礼させていただきます」 「そうだね、そうした方がいいかもね」 有川と加奈に目をやった後に、神崎も同じように肩をすくめた。 麻生は軽く会釈すると、感謝の言葉を告げた。 「実は切り札はまだあるんだけど、また今度聞いてくれるかな?」 からかうように、けれど真剣な目で、机に肘をついた手に頭を乗せた神崎が問う。 応えて、麻生は穏やかに微笑む。 「ええ、明日にでもまた」 |