ノートは見せてくれるし、代返はしてくれるし、それでいて嫌な顔一つしない。 ちょっと無表情だけど、ノリはいいし、馬鹿にも付き合ってくれる。 お前はいい友達だと思っている。 俺も出来ることがあったら、助けになりたい。 だから聞きたい、なあ黒幡。 お前は今の生活、満足してるか。 - 松戸 -待ち合わせしていた中庭に訪れると、すでに先に来ていた黒幡が熱心に何かの雑誌を見ていた。 後ろから覗き込むと、うまそうな料理の写真が色とりどりに飾られていた。 メシ前なこともあって、腹が正直にぐううと反応する。 「何見てるの?料理本?」 黒幡はこちらを見上げてお疲れ、と言う。 相変わらず喜怒哀楽が分かりづらい、その白さも相まって悪く言えば能面のような顔だ。 「そう。あのさ、精力付く料理って何が思い浮かぶ?」 「は?」 「基本的に粘り気があるものがいいらしいんだよな。オクラとか山芋とか納豆とか。後、亜鉛は勃起維持にいいらしい。ココアも効くんだって。他に何かあるか?」 明るい日の下での会話とは思えなかったが、勢いに押されて慌てて応える。 「え、えーと、すっぽんとか?」 「やっぱりすっぽんか。どうやったら手に入るんだろう」 料理本に目を落として思案するように頬杖をつく。 真面目な顔をして何を言っているんだこいつは。 勃起維持って。 まだまだ元気一杯な俺たちにはふさわしくない話題だ。 「………あのさ、それって、やっぱりなんつーか下半身的な?」 「ああ」 えーと、これはつっこんでいいのだろうか。 もしかしたらものすごくデリケートな問題なのだろうか。 「どうしたの、黒幡って不能なの?」 思い悩んでいると、ミス無神経の大川が横からあっさりと聞いた。 見た目はクールな美人だが、中身は下町のおばちゃんのように強くたくましく図太い。 男としてはものすごく不名誉な話だぞ、それ。 こいつは少しは恥じらいとか、思いやりってものを覚えた方がいい。 けれど黒幡は全く動揺することなく応える。 「いや、俺じゃなくて、先輩」 「え!?」 「ええ!?池センパイって勃たないの!?」 思わず声を揃えて驚きをあらわにする俺と大川。 けれどゆっくりと黒幡は首を横にふった。 「いや、今のところ、かなり精力旺盛」 ああ、びっくりした。 あんなに女を食い散らかしているって言われてる池さんが実は不能とか、ちょっとざまあみろとか思っちゃったじゃないか。 有閑マダムのパトロネスがいっぱいとか一晩で5人食ったとか、70歳のお婆さんでも行けるとか伝説もある人だ。 ちくしょう。 いや、よかったよかった。 「将来的に、心配だからさ」 「え、不能になるのが?」 「先輩、セックスするとインスピレーション沸くっていうからさ。なるべくいつまでも精力があるといいなあと思って」 黒幡の言葉に、大川と俺は顔を見合わせる。 そしてどちらからともなく呆れたようにため息をついた。 「普段は普通なのに、池さんが絡むとどこかずれるよな、お前」 「そうなのかな?それ先輩にも言われるんだよな」 冷静で真面目な優等生の同級生は、心酔する先輩のことになると人が変わったように感情的になる。 というかおかしくなる。 これでは池さんもきっと苦労していることだろう。 あの自信満々の人が苦労しているところって見当もつかないが。 「今はいいんだけどな。少しペース落としてくれれば長く続くと思うのに」 まだぶつぶつと池さんにとっては大変不本意であるだろうことを言っている。 これ、本人が知ったら怒り狂うんじゃないだろうか。 「黒幡って、本当にセンパイと寝てるの?」 唐突に大川がまたも無神経にあっさりと聞く。 ああ、誰もが聞きたくて聞けなかったことを。 「うん。セックスしてる」 そして目の前の友人は同じくあっさりと応えた。 あれ、俺がおかしいのかな。 なんか俺がおかしいのかな。 おかしくないか、この会話。 つっこむところじゃないのか。 「黒幡ってゲイ?」 「いや、どちらかというと女の子の方が好きだと思う」 「バイ?」 「どうだろう。先輩以外の男と寝ようと思わない」 聞きようによってはものすごいノロケだ。 けれど淡々と無感動に応える黒幡からは全く甘さが感じられない。 二人が同居し始めて早四ヶ月。 二人がそういう仲だっていうのは薄々気づいていたが、恋人同士っていう訳じゃないのだろうか。 聞くのもためらわれて聞いたことがない。 「たまには女と寝てみたくなんないの?私と寝てみるか?」 「やめなさい大川」 本当にこの女と付き合っていると、女という生物に夢と希望が抱けなくなる。 冗談としても悪趣味すぎる。 冗談だよな。 冗談なんだよな。 黒幡はまた動じることなくあっさりと応える。 「俺童貞だからつまんないと思うけど、それでもいいか?」 「え、センパイとヤってるんでしょ!?」 「だから非処女だけど童貞」 「非処女!」 「うん」 「あっはははははは!非処女!非処女の童貞!あはははあは!」 大川がツボにはまって大声で笑い出す。 遅い時間なので人がまばらとは言え、まだ昼時のため周りの目が集中する。 「お前らそういう品のない会話はやめなさい!」 少なくともそういうのは夜の居酒屋でしてくれないだろうか。 周りの目が痛い。 俺が慌てて周りを見渡していると、後ろからのんびりとした声が入ってきた。 「あ、じゃあ、俺と寝ない、黒幡」 「どっから出てきたの、工藤」 「後ろから」 大川が俺の後ろにいるだろう男に声をかける。 つられて振り返ると、長身の清潔で爽やかな青年が立っていた。 相変わらず笑うと歯が光りそうなぐらい爽やかだ。 「工藤もバイなんだっけ?」 「うん、だからどう黒幡、俺非処女大歓迎なんだけど」 「考えておく」 「前向きにご検討をお願いします」 乱れている。 今の日本は乱れている。 「お前ら、節操というものを辞書に刻み込め」 「松戸は真面目だなあ」 「お前らが不真面目すぎるんだ!」 大川の感心した声に、思わず声を荒げてしまう。 俺がおかしいのか。 そうなのか。 「それにしても黒幡は見かけによらずにオープンだよな」 その間に工藤が黒幡の隣に座りこむ。 ていうかもしかして本気で黒幡狙ってるのか、こいつ。 まさかな。 冗談だよな。 「そうか?」 「涼しい顔してシモネタ全開だし」 「普通だろ」 相変わらず料理本から目を離さない黒幡。 その時、にわかに中庭の空気がざわりと騒がしくなった。 「あ、噂をすれば」 顔をあげるとそこには先ほどまで話に出ていた先輩。 男女問わず何人かを周りに纏わりつかして、何か会話をしている。 今流行りの中性的な綺麗な男ではないが、その男臭い美貌はそれでも人目を惹きつける。 悔しいが、男からしても惚れ惚れする。 背が高く均整のとれた体は、ただのジーンズとシャツでもモデルのように見えるからイケメンはずるい。 大川が手を望遠鏡のようにして覗き込みながら感嘆の声を上げる。 「いやー、相変わらずいい男。今日も見事に女に囲まれてます。イケメンで才能にも恵まれてて実家は金持ち。いやー完璧だね」 学科が違う俺たちでも知っているぐらいの有名人。 新進気鋭の若きアーティスト。 その容姿と相まって、ちょっとしたアイドルのような人気だ。 才能があって顔も体もいい。 その上、家は名家らしい。 天は二物も三物も与える奴には与える。 「へえ、金持ちなんだ」 感心したような声をあげたのは、他ならぬ今現在その人の最も近くにいるだろう人間だった。 大川と工藤と俺は、驚いて黒幡に視線が集中する。 「は!?」 「知らなかったの!?」 「知らなかった。貢いでくれてる女がいっぱいいるのは知ってたけど」 「え、だって、家じゃなんかリッチな暮らししてるんじゃないの?」 「家はかなり年代物のボロ。家賃も高くないらしい。多分生活費はパトロンから貰ってるんじゃないかな」 「いやらしいー!!」 意外な話に食い付いたのは、やはりというか大川だった。 興味津々に身を乗り出す。 「家では豪華な暮らしとかしてたりしないの?」 「服とかはプレゼントされたりで高そうなの多いけど、それ以外は特に金かけてる様子ない。あの人基本的に創作と女以外興味ないし」 金持ちなのに質素なのか、といって親しみが沸くってもんじゃない。 単に何もかも持ってるから、必要以上に物欲がないだけじゃないだろうか。 所詮金持ちだ。 くそ、うらやましい。 「ああ、でも、確かに育ちはよさそうだったな。食べ方綺麗だし、ちゃんとすれば言葉づかいも完璧だし、芸術全般造詣が深いし、何気なく選ぶものは質がいいものが多い」 ていうか一緒に暮らしていて、そこは興味が沸くものじゃないのか。 やっぱりこいつら、よく分からない。 「あ、黒幡、池先輩行くぞ、いいのか?」 工藤の声に、もう一度そちらに視線を向ける。 煌びやかな集団はそのまま場所を移動するのか、歩き出す。 「え、何が?」 「何がって、先輩行っちゃうぞ」 「うん」 「呼びとめなくていいのか?」 「工藤、なんか用事あるのか?」 「いや………」 黒幡は心底不思議そうに首を傾げている。 工藤は困惑して、言葉を濁す。 その後を続けたのはやはり大川だった。 「ダーリンが女に囲まれていっちゃうのに、行かないで!って言わなくていいの?」 「ダーリン?」 「いや、だからセンパイだって!!」 まるで外国人のように言葉が通じない黒幡にとうとう裏拳と共につっこみを決める。 そこでようやく工藤と大川が言いたかったことが分かったらしい。 「ああ」 黒幡が納得したように頷く。 「俺、先輩とセックスしてるけど、特に深い仲とかではない。先輩の私生活に興味ない」 「何、その爛れた関係!セフレって奴!?いやーいやらしい!」 「いやらしいと言われても」 今度は黒幡の方が困惑したように眉を寄せる。 工藤が楽しそうににこやかに笑いながら続ける。 「じゃあ、どういう関係なんだ?」 「どういうって言われてもなあ。家事雑用担当兼、性欲処理相手?」 「奴隷じゃん!」 「食費と家賃と、あ、光熱費もだ、世話になってる。それに」 そこで黒幡は、無表情を一変させた。 珍しく、僅かに嬉しそうに笑うと、白い肌に血が上り、赤身が差す。 いきなり人形に血が通ったかのようだ。 「先輩の作品が見放題。俺が一番に見れる。本当に安すぎる。俺、かなり運が良かったと思う」 俺たちは言葉を飲んで顔を見合わせた。 息の合ったタイミングで、深く深くため息をつく。 「筋金入りだ」 「うん」 「本物だ」 黒幡は筋金入りなんです、とだけ答えた。 自覚はしてるんだな。 まあ、あの人だったら確かに何をしても傍にいたいって人間はいるだろうしな。 そう考えれば確かに黒幡は運がいいのか。 いいのか? いいのかなあ。 「お前、辛かったら、いつだって俺の部屋来いよ。狭いけど一人ぐらいどうにかなるから」 「松戸、お前って、本当にいい奴だよなあ」 黒幡が感動したように、といっても全然表情は動いてないのだが、それでも声に感動を滲ませている。 黒い目でじっと見られると、居心地が悪くなる。 これくらい、友達としては当然だろう。 「でも、大丈夫。それに松戸優しいから、駄目だ」 「なんだそれ」 「甘えそう」 なんだそれ。 聞き返す前に、大川が横から入ってくる。 「そんなこと言って、やっぱり先輩がいいんでしょ」 「ああ、あの人といるの楽だから」 俺よりも楽なのか。 なんかへこむな、それ。 少なくとも池さんよりは常識人だと思うんだが。 絶対俺の方が同居人としては優秀だろう。 「きゃー!!実は帰ったら、ただいま、おかえりなさいあなた、ご飯にする?お風呂にする?それとも、わ、た、し?もちっろん、おまえさ!とかやっちゃってるんじゃないの?いやー、ふけつー!」 「落ち着け大川」 小芝居交じりに興奮してきゃあきゃあ喚く大川。 池さんと黒幡でそのテンションだったら、むしろホラーだ。 想像することすらできない。 「いや、やらないけど。あ」 静かに否定した黒幡だったが、最後に小さく声を上げる。 すかさず食いつく大川。 「え、やってるの!?」 「やってない。あのさ、おかえりって、他人に言う?」 「は?」 俺も工藤も大川と同じように意味が分からなくて首を傾げる。 その態度に、黒幡も少し視線を彷徨わせて言葉を探す。 「えーと、客にさ、おかえりって、言うものかな」 「お客さんには言わないんじゃない?」 「言わないな」 お客さんが来ておかりなさいって、それはどこの居酒屋だ。 普通に客を迎える時にはあまり言わない言葉だろう。 黒幡が得心したように何度も頷く。 「だよな」 「うん、どうしたの?」 「先輩がさ、この前、おかえりって、言ったんだよな」 「は?」 「俺が帰ったらさ、おかえりって」 何を言っているのか分からない。 大川も不思議そうに何度も何度も目を瞬かせる。 「いや、普通じゃん」 「うん」 「普通だな」 住人が帰ってきておかえりって、それはどこがおかしいんだろうか。 けれど黒幡はまだ続ける。 「お邪魔します、に、おかえり、はおかしくないか?」 「おかしい、けど」 お邪魔しますって言われておかえりなさい、はそれはおかしい。 おかしい。 おかしいが。 「お前、お邪魔しますって言ってるの?」 「ああ」 「なんで」 「だって俺の家じゃないし、あそこ」 いや、そりゃそうだけど。 住み始めてもう四カ月は経っているぞ。 それだけ住めば、家じゃないのか。 俺は免許合宿で二週間いたマンションにもただいまって言ってた気がする。 「だって住んでるんだよな、先輩と一緒に」 「うん」 「だったら、ただいま、だろ?」 黒幡が目を何度も何度もパチパチと瞬かせる。 まるで子供のようにあどけない表情だった。 「そういうもの?」 「そういうものだろ」 それでも納得しない様子なので、とりあえず他の例を持ち出しみる。 「旅館とかに泊まりにいったって、出かける時はいってらっしゃい、おかえりなさい、だろ」 まあ、それはサービス精神も含まれてるんだろうが、ちょっとした滞在でも、ただいま、おかえりなさい、って普通だろう。 まして長い間住んでるんだ。 「なるほど」 それでようやく黒幡は納得してくれたようだ。 噛みしめるように何度も何度も頷く。 「そっか。一時でも宿泊すれば、おかえり、たたいま、でいいのか」 本当にこいつらの生活、よく分からない。 ふと、今まで聞かないでおいた質問がつるりと出てきてしまう。 「あのさ、お前池さんとの生活、楽しい?」 友達だとしても、そこまで踏み込むのはどうかと思って、聞けなかったのだ。 同性の先輩との同居、というか同棲モドキ。 しかも奴隷のようにこき使われている。 本当はすごく、気になっていて、心配だった。 「先輩の作品が見れるのは何よりも楽しい」 返ってくるのは、いつもと同じ言葉。 どこまでも池さんの作品にのめり込んでいる黒幡。 それなら、いいとも思う。 黒幡が納得しているなら、それでいいんだろうと思う。 俺が偉そうに口出すことじゃない。 実際、前みたいに倒れそうなほど顔色悪くしていたりはしない。 今の生活はこいつにとってもいい環境なんだと思う。 それでも、気になってしまう。 「プライベートの方は?」 「プライベート。作品を見るのもプライベートだけど」 「いや、だからなんつーか、その」 本当にこいつは、今の生活に満足してるのか。 なんと言ったらいいか分からなくてもごもごしていると、大川がその先を続けた。 「食事とか、会話とか、エッチする時とか」 黒幡がまた目をパチパチと瞬かせる。 そして無表情のまま、ちょっと考える。 「セックスは、面倒だけど嫌いじゃない。回数そんなでもないし」 「嫌いじゃないんだ」 「気持ちがいいし」 「いやーん、ふしだら」 「会話と、食事、は」 そこで、言葉が止まる。 黒幡は、口元に手をあてて、じっと考えているようだった。 「何?」 「ああ」 促され、ゆっくりと自分でも確かめるように、噛みしめるように言葉を口にする。 「先輩の作品を見て、それについて語って、たまにセックスして、料理食べてもらって、食事中に会話する。うん、誰かと食事をするのは、楽しい。楽しいかな」 どこか戸惑うように、つっかえつっかえ応える。 うーん、と唸ってから、結論を出した。 「ああ、うん。多分、俺は、先輩との生活を、楽しんでる」 楽しいと言う黒幡は、それなのにどこか困ったように眉を顰めていた。 まるで途方にくれた、子供のような顔だった。 なあ、黒幡。 俺はお前が心配で、出来ることがあったらしてやりたいと思っている。 だから聞くけどなあ黒幡。 お前は今の生活、満足してるか。 |