ぐっちゃぐちゃのどろどろで醜悪なものが、一番綺麗。
綺麗は汚い、汚いは綺麗。
綺麗に取り繕った上辺を切り裂いてぐちゃぐちゃに抉って、そこから現れるものが何よりも綺麗。

すましたキメ顔より、ヤってる最中のイき顔の方が興奮するだろ?



- 池 -






「相変わらずえぐいな、お前の絵は」
「そりゃどーも」
「悪趣味だが、まあ、いいだろ」

課題を提出すると、じじいは難癖をつけながらも合格点を出した。
まあ当然だけだな。
どうせ結果は決まってるくせに、ぐだぐだうるせんだよ、じじいは。
わざわざ来いとか言いやがるし、面倒臭い。

「黒幡はどうだ?」

院試についてなんかをだらだらと話していると、ふとじじいが質問をした。
俺がパシってるからか、じじいとあいつは結構交流があるようだ。
あいつの口からじじいの話が出ることも多い。

「どうって?」
「様子は」
「さあ。知らねーよ。普通に暮らしてるんじゃねーの」

普通にメシは作ってるし、たまに課題の絵を描いてたりするのを見かける。
前のゾンビみたいな青白い顔してねーし、普通に生活してんだろう。
そう言うと、じじいは呆れたように目を眇めた。

「一緒に住んでるんだろ」
「あいつの行動なんて興味ないし」

なんで俺があいつの行動を逐一見てなきゃいけないんだよ。
あいつが俺の行動を見ているのは当然だとして。
じじいは呆れたと言うように椅子に背を預け天を仰ぐ。

「まあ、いいけどな。しっかし、お前が他人と暮らせるとは思わなかった」
「あいつ便利だからな。女連れ込んでも何もいわねーし、メシはそこそこだし、アトリエこもってても邪魔しねーしな。女に世話させると、人がノってる時にメシ喰えとか寝ろとかうるさい」
「はっ、芸術家らしい発言だな」
「ま、あいつはむしろ完成するまで寝るなとかいいそうな勢いだけどな」

血反吐はいて倒れても、筆を握らすぐらいはやりかねない。
あいつにとって間違いなく俺の体より、俺の作品が大事だろう。

「それに」
「なんだ」
「いや」

いつでもつっこんでザーメンぶちまけられるのは便利だ、と言おうとして一応やめておいた。
まあ、じじいは気付いてんだろうけど、説教されるのは面倒だ。
じじいは訝しげな顔をしながらも、それ以上聞くことはなかった。

「お前があいつのバイトやめさせたんだろ?」
「あ?うん。あいつバイトがあるからメシ作れねーとか言うし、好きな時にパシれねーし、やめさせた」

まだ契約する前には、あいつはバイトを3つか4つかけもっていた。
だから俺にメシを作りに来るのも毎日ではなかった。
契約した以上、あいつは俺のもんだ。
俺のもんのくせに、俺を最優先にしないとかありえない。
いつでもパシれないってのもありえない。
だから家に引っ越しさせてバイトを減らさせた。

「………ったく本当にお前は」

じじいがこれみよがしにため息をつく。
うるせえ、俺が俺のもんをどうしようと俺の勝手だ。

「まあ、鳴海の言うとおり、お前らはそれでいいんだろうな。割れ鍋に綴じ蓋。本当に、言い得て妙だ」
「なんだよ?」
「お前ぐらい馬鹿な方が、あいつにはいいってこったよ」

じじいは人を喰った顔で、にやりと笑った。



***




居間の前を通ると、台所から調理をする音と鼻歌が聞こえた。
鼻歌なんて歌っているところは、滅多にない。
今日のあいつはなんだかしらんがめちゃめちゃ上機嫌なようだ。

「あ、おかえりなさい」

台所に入ると、背の高い貧相な男は、俺の気配に気づいて振り返る。
いつものように無表情だが、今日は若干頬を緩ませ顔をほころばせている。
珍しい。

「今日は家で夕飯食べるんですか?」
「いや、後で女が来る。アトリエいるから来たら呼べ」
「はい、分かりました」

声も心なしかどこかはずんでいる。
なんなんだ、と思うが、その疑問はすぐに解消された。
台所のダイニングテーブルに置かれた、ローズグレイの封筒と便箋。
月に二通から四通送られてくるそれが来ると、滅多に感情を表わさないこいつが目に見えて上機嫌になる。
隠しきれない喜色を浮かべて、繰り返し手紙を読んでいる姿を何度か見た。

「あ、今日はここでヤるんですか?」
「外に出る」
「了解です」

そう言って、また鼻歌交じりに調理に戻る。
その背中に、わずかに苛立ちを感じて、すぐにでも犯してやろうかと思う。
俺以外のことに対して感情を表すこいつを見るのは、不快だった。

俺のもんなんだから、俺にだけ反応していればいい。



***




アトリエはあいつが来てからだいぶ綺麗になった。
今までどんな女を連れ込んでも、アトリエには手を出させなかった。
作品に触れられるのが我慢ならなかったからだ。
だがあいつは何があっても、俺の作品をどうこうする気はないだろう。
それこそ、他の何よりも、もしかしたらあいつの命よりも大事なものだ。

あいつを最初に見たのは、このアトリエだった。
4日間徹夜で仕上げた木像を前に、ぶっ倒れていた時のことだ。

「う、あ、あああ、う、っく、ひっく」

意識を失うように倒れて寝ていた俺の横で、何か声がした。
そのうるささに無理矢理覚醒を促され、目を開く。
俺の睡眠を妨害した奴を思いっきり罵ってやろうとして、面喰う。
声の主は俺の横で、大声で泣きわめいていたからだ。

「………誰だよ、お前」

あまりに予想外の出来事に、怒鳴ることすらできなかった。
声に気付いて、そいつは思い出したように俺を見下ろす。
鼻水をたらし、拭うこともなく涙を流して大声でしゃくりあげる。
ぐっちゃぐちゃになった顔が、ものすごい不細工だった。
背格好から同年代のようだが、あまりにもひどい顔で元の造形などは分からない。

「あ、ひ、ぅくっ」

ガキのようだと思った。
腹が減った、ションベンしたい、眠たい。
そんな原始的な欲求で大声で泣きわめく、赤ん坊。
この年になって、ここまでストレートに感情を表す人間を初めて見たかもしれない。

「うるさい」
「ず、ずみまぜん」

鼻を啜ってべちゃべちゃな顔を必死にその手で拭う。
けれど止めるのは無理だったらしくて、鼻水と涙は後から後から流れてく。
汚ねえ。

「………だからなんなんだよ」
「あ、ず、ずいません。あ、あの、俺、メシ、教授、頼まれて、死んでるか見て」
「お前、頭沸いてんの?」

頭がイカれた不法侵入者。
今俺はもしかしてかなり生命の危機だったりするのだろうか。
俺の人生の中で、何がなんだか分からない出来事の1,2位に入る状況だ。

「沸いて、る、かもしれません。わかんなっ」

一応話は通じているらしい。
しゃくりあげが小さくなってきたところで、俺はため息交じりに問う。
どっからつっこめばいいのか分からねえ。

「なんで泣いてんだよ」
「絵が、凄く、て。彫刻、も。凄くて、苦しくて。なんか、わかんな。なんで、泣いてんだろ」
「………こっちが分かんねーよ」

とりあえず、俺の作ったもんを見て、泣いていたらしい。
感動したって類いの言葉はよく言われるし、時には泣く奴もいるし、それも当然だと思っている。
が、ここまで盛大に感動を全身で表わした奴は、さすがに初めてだ。

「あ、す、すいません。えっと、食べます?」
「あ?」
「た、頼まれました」

しゃくりあげながら、横にあったらしいコンビニの袋からおにぎりを取り出す。
意味分からねえ。
本当に分からねえ。

「その前に水」
「はい」

でもとりあえず喉の渇きと空腹は確かにあったので、ありがたく受け取ることにする。
とりあえず身の危険はなさそうだから、後のことは後で考えればいいだろう。

それでおにぎりを喰って吐いて、スープを作らせたのが、あいつとの出会いだった。



***




パトロンに渡す絵の物色をしていると、ドアの外でがやがやと声がした。
なんだと思ってドアを開こうと思うが、その前に乱暴にドアが開け放たれる。

「へー、ここで峰矢が、絵とか描いてるんだあ」

ネジが二、三本抜け落ちたような頭の悪そうな甘ったるい声がする。
そちらを見ると、そこには今日出かける予定の体だけは好みの女。
後ろにはあいつの渋面が見える。
止められなかったのか、役に立たねえ奴。

「何、お前?」
「迎えに来たんだよ。ね、早くいこ」

俺の険のこもった声にも、馬鹿は気付くことはない。
頭の悪い女は好きだが、悪すぎるのは鬱陶しい。
可愛げぐらいにとどめておけばいいのにな。
行きたいコンサートのチケットにつられてOKするんじゃなかった。
ここまで馬鹿だとは思わなかった。

「わ、何これ」
「触るな」
「いいじゃんいいじゃん、わー、変なの」
「触るなつってんだろ」

馬鹿女は俺の作った木像に興味を覚えたのか駆け寄る。
俺は不快感が我慢できず、その手を振り払った。
後一歩で殴り倒すところだった。

「もー、ケチ」
「おい!」
「きゃあ!」

女は遊んでるとでも思ったのか、なおもしつこく手を出そうとする。
俺が思い切りそれを叩き落とすと、女の手が触れて固定してなかった像がぐらりとかしぐ。

「あっ」

女の驚いた声が響く。
壊れたな、と冷静に認識する。

作品は大事だ。
大げさではなく、俺そのものだと言ってもいい。
だが作り終えたものは他人が価値を決めて値段をつけるものだ。
俺の興味は作り上げるまでの時間と、完成のその瞬間、そしてその後の値段。
そのものについては、そこまで執着はなかった。
だからまあ、この女に土下座して詫び入れさせて金巻きあげればいいかなとそこまで考える。

「っ」

しかし像は倒れる前に、支えられた。
なんとか壊れることは免れたようだ。
部屋に飛び込んできた人間は、ゆっくりと像を直して無事なことを確かめる。

「………」

それから振り返り、その手を女に向かって振りあげた。
パシン!
小気味いい音がして、馬鹿女の白い頬が打ちすえられる。

「触るな」
「な、な、何すんのよ!」
「うるさい、さっさと消えろ。帰れ」

いつもの表情の見えない人形のような目に、隠せない怒りが滲んでいる。
誰に対してもそこそこ礼儀正しい男が、よりによって女に手をあげ、声を低くし、怒りをあらわにしている。
いきなり叩かれた女は頬を抑えながら、屈辱に震える。

「あ、ちょっと、峰矢、何こいつ!なんなの!」

おかしくなって笑いそうになるが、その前に冷たく告げる。

「うるさい、もうお前帰れ」
「え!?ちょ、ちょっと、どういうこと」

かばってくれるだろうとでも思っていたのだろうか。
キンキンした声が頭に響いて、呆れを通り越して怒りすら浮かんでくる。
どこまで頭悪いんだ、この女。
本当に失敗した。
ただヤり捨てるにも、ここまで馬鹿だと勃つもんも勃たない。

「帰れ。うざい」

もうそちらも見ずに、殊更冷たく言い放つ。
馬鹿はフルフルと震えて、顔を真っ赤にした。

「な、な、な、さ、最低!」
「その臭い香水の匂いかぎたくねえ。もう二度と俺に寄るな」

そこまで言うと、女は唇を震わせて、けれど黙り込んだ。
怒りと屈辱に肩を震わせながらくるりと踵を返し、アトリエから出てった。
全く、時間を無駄にした。
あ、コンサートのチケットだけ詫び代わりに取り上げておけばよかった。

そんなことを考えている時だった。
ガツ!!

「っ!?」

いきなり頬に衝撃が走って、いつのまにか横を向いていた。
顔がじくじくと痛む。
何が起こったのかよく分からず、顔を元の場所に戻す。
そこには俺を殴ったであろう拳を振わせ、目尻に涙を浮かべて睨みつけている男がいた。

「な、何考えてんだよ、あんた!馬鹿だろ、馬鹿、この大馬鹿、最低野郎!」

ボロボロと涙を流して鼻声になりながら、俺を親の敵だとでも言うように睨みつけている。
唇を噛みしめ、射殺すような視線を向けてくる。

「………」

あっけにとられている俺に、そいつの怒りのボルテージはますます上がっていくらしい。
いつもの取り澄ました顔をかなぐり捨て、平坦な声を怒気に荒げる。

「ふざけんな!壊れてたらどうするつもりだったんだよ!女の趣味悪すぎるんだよ!連れてくんならもっと頭のいい女選べ!」

そして今度は俺の胸に、その拳を思い切り叩きつける。
男にしては細い腕は、想像以上に強い力を伴っていた。

「二度とここにあんな馬鹿いれんな!この大馬鹿野郎!死ね!この馬鹿!」

俺がどんなに理不尽な要求をしようと、平然と流していた。
犯した時ですら、ぶつぶつと文句を言いながらもすぐに受け入れいれてた。
俺がどんな行動をしようと、気にすることもなかった。

「くっ」

それが今、ボロボロと子供のように泣いている。
小生意気なことしか言わない口からは、小学生のような罵倒しか出てこない。
子供返りしたかのように、しゃくりあげながら、睨みつけている。

「く、くく」

ああ、本当に、こいつは面白い。
この顔が見たかった。
こいつの泣き顔が見たかった。
あの時、俺の隣で泣きじゃくっていた、あのぶっさいくな面が見たかった。
赤ん坊のように感情を駄々漏れにするこいつを見たかった。

「は、ははは!あっは、ははははは!」

だから犯した。
だから嬲った。
だから傍に置いた。

「わらってん、なよ、この馬鹿!馬鹿!死ね!このアホ!死ね!」

あまりにも面白くて、殴られても殴られても怒りは湧いてこない。
ただ、ひたすらに目の前にいる変態が面白くて仕方ない。
背は高い癖に栄養の行きとどいてない薄い貧相な体を引き寄せ、宥めるように背を撫でる。

「悪かった、悪かったよ」
「アホ!壊れてたら、どうすんだよ!あんた、馬鹿じゃねえの!物の価値わからねえのかよ!馬鹿!あれが、壊れてたらどうするつもりだったんだよ!」

珍しく謝ってみたりする。
腕の中でジタバタと暴れるのが楽しくて、胸に抑えつけるように抱きしめる。
何もできない小動物の生殺与奪を手に入れたような優越感と満足感。
力を入れたら殺すことが出来る、俺だけが自由に出来る、小さな生き物のようだ。

「悪かった。もうお前以外は家に入れねえよ」

俺が耳元で囁くと、それでも収まらないのか小さく唸って、ぎゅっと俺のシャツを握る。
その手からは俺を殴った時か、それとも像を支えた時か、指から血が滲んでいた。

「ほら、血が出てるぞ」

その手を取り上げ、軽くキスすると、びくりと体を震わせる。
鼻を啜りながら俺を睨みつけるが、徐々に収まってきたようで手から力が抜けて行く。

「ひ、く、うう」
「悪かったよ。大丈夫か?」
「次やったら、許さねえからな!」
「分かった。分かったよ」

まるで媚びるような甘い声で囁いて、その涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を舐める。
何度も何度もキスを落として、宥めるように手を這わせると大人しくなっていく。
こいつは俺の手に触れられれば、結局逆らうことは出来ないのだ。
ああ、おかしくって、仕方ない。

「この家で、俺の作品を見る権利があるのは、お前だけだ」

綺麗は汚い、汚いは綺麗。
ぐっちゃぐちゃのどろどろで醜悪なものが、一番綺麗。

だから見せてくれよ、その取り澄ました面の下に隠れてるぐちゃぐちゃなものを。
お前の汚ねえ泣き顔が、俺を何より興奮させる。





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