あんたがそれを失うなんて、考えたくもない。 - 黒幡 -「今日あいつは?」 今日もまた先輩のおつかいで小池教授の元に訪れた。 先輩は教授にあまり会いたがらない。 説教されるのが嫌だと言っていたが、あの人に説教できる人なんてそういないから、信頼は置いているのだろう。 嫌いな奴からの説教なんて鼻で笑い飛ばす人だ。 「パトロネスと食事とオペラ鑑賞だそうです」 「ああ、そうかい」 教授が俺の話に鼻白む。 どっかりと古びて綿の出たソファに腰掛けて、足を組む。 もうすぐ定年らしい老教授の、そんな仕草はひどく若々しい。 「あいつはあのツラに生まれてよかったな。あの顔じゃなかったらどうなってたんだろうなあ」 「まあ、世に出るまでにもう少しかかったでしょうね」 あの容姿だからこそ持て囃され、パトロンが沢山付くっていうのはある。 パトロネスには枕営業している場合もあるみたいだし、見向きもされない外見だったらこうはいかなかっただろう。 こんなに早くにその実力を認められることはなかっただろう。 芸術には金とコネが必要だ。 「世に出るってところは確定事項なんだな」 「え?」 教授が失笑して、肩をすくめる。 どういう意味か分からなくて首を傾げるが、説明は得られなかった。 「あいつは顔もよければ頭もいい。下手を踏まなきゃ卒業までにはそれなりの地位が築けるだろ」 「はい。あ、院試どうなんですかね」 「落とす訳ねーだろ、あいつが」 まあ、そうだろう。 あの神がかりまでに要領いい人が、そんな失敗する訳がない。 なら、後二年は、先輩はこの学校にいるのか。 卒業は、一緒、か。 「お前は院には進む気はないのか?」 聞かれて、一瞬だけ言葉を飲んでしまった。 すぐに小さく笑って受け流す。 「まだ、先のことですしね。いけるような成績かどうか分からないし」 「安藤はお前なら大丈夫だって言ってたけどな」 安藤教授は来年俺が入ろうと思っている研究室の担当だ。 色々な話は聞いているけど、そんな風に言ってもらえているのはありがたい。 「そう、ですね。ちょっと考えてみます」 「金か?」 話を打ち切りたかったのだが、教授はズバリ触れられたくないところを突っ込んでくる。 ああ、だからこの人は食えないんだ。 先輩が嫌がる気持ちが、分からないでもない。 「先方は別にいいって言ってるんだろ?」 「そうなんですけどね」 「俺の方にも連絡があったぞ。バイトを減らしてくれてよかったってな」 「………」 以前、美術館に短期バイトをした時に教授に推薦状を書いてもらった。 そのことを手紙に書いたら教授のことが知りたいと言われて教えた。 それから、二人はやりとりを続けているようだ。 教授にもあの人にも、申し訳ない気分になる。 「バイト、ばれてたんですね」 「俺がチクったんじゃねーぞ。バイト減らしたことは言ったけどな」 「………はい」 手紙には書いてなかったはずだ。 ただ、生活費の使用状況などから推測したのだろう。 そりゃそうだ。 昔から敏い人だった。 俺の嘘なんてすぐに見破ってしまう人だった。 「お前ごときじゃ騙せねえよ。勉強を優先してほしいってよ。なんのためにここに来させたのかわからねえ。バイトばっかでお前がなんも身に付かなかったら、それこそ金の無駄だ。お前だって分かってんだろ?」 「………はい」 分かっている。 分かっているが、やはり学費を出してもらっている以上、これ以上負担はかけたくない。 なるべく生活費などは自分で稼ぎたかった。 それに、もし万一院に行けるのなら、その費用ぐらい自分で捻出したい。 美大なんてつぶしの効かない金だけは食う大学、ただでさえ申し訳ないのに。 まあ、今は先輩にバイトをやめさせられたので一つしかしてないのでそれは無理になったが。 「あいつの馬鹿もたまには役に立つもんだな。池ならいいから、どんどんたかれ。俺が許す。もっと利用しつくせ」 「あの人は」 「ん?」 「いえ」 愛されている人だな、と思う。 何にって言われると困るが、変な言い方だが、運命ってものかもしれない。 あんな勝手で最低な人だけど、あの人がやることは、なぜかどんなことでもうまくいくことが多い。 まあ、人に迷惑かけることも多いし、人間関係が悪化することもあるが、事態が悪化することがない。 俺とはやっぱり、対極にいる人なんだな、と思う。 「しっかし、有閑マダムとアバンチュールかよ」 「はあ」 教授がつまらなそうに白髪交じりの髪をかき混ぜる。 アバンチュールって古いなあと思ったが、つっこまないでおいた。 「若けえうちにヤりまくって、打ち止めなっても知らねーぞ」 「………」 その言葉に、心臓が抉られるような不安を覚える。 ざーっと音を立てて、血の気が引いていく気がした。 「ああ、そんな心配そうな顔をすんな。あいつが相手にすんのなんて金目当てか性欲処理の相手だろ」 教授の言葉に、俺の不安がますます募っていく。 先輩はいつもヤっている女とはまた別に、パトロネスともヤらなくてはいけないのだ。 「………教授やっぱり、若いうちにヤりすぎるのって、よくないですよね」 「あ?」 「先輩、セックスしたらインスピレーション沸くって言ってたんです」 先輩の創作意欲の根源が、性欲だとしたら、どうなるのだ。 あの人のセックスの回数は明らかにオーバーペースだ。 そう言う人もいるのだと思っていたが、やっぱり歳をとってから一気にくるのだろうか。 「先輩が、セックスできなくなったらどうしよう。もう、インスピレーション沸かないってなったらどうしよう。教授、俺どうしたらいいですか?先輩が勃起できなくなったらどうしたらいいですか?バイアグラってどれくらい効果あるんでしょうか。性欲って、教授どれくらいまでありました?どれくらいまで勃ちました?」 「落ち着け。後、人がもう終わったみたいに言うな」 「教授はまだ性欲ありますか!?」 勢いこんで聞く俺に、教授は心底呆れた顔でため息をついた。 「………本当にお前ら、馬鹿だなあ」 しみじみとした言葉にも、俺の焦りを打ち消すことは出来なかった。 カラカラと玄関が開く音がして、先輩が帰ってきたのが分かった。 そのままぺたぺたと足音がして、居間に入ってくる。 今日は帰るからメシを用意しておけと言われていたのだ。 「おかえりなさい。夕メシ食いますよね」 「ああ」 「すぐ用意します」 俺は台所へ向かい、すでに用意してあった料理を温め、皿に盛る。 そして用意が出来た順に居間のちゃぶ台に乗せて行く。 ちょっと作りすぎてしまったか。 まあ先輩は普段は健啖家だからこれくらい平気だろう。 「沢山食べてください」 「………」 先輩の前にビールと箸を置くと、先輩の眉がぎゅっと寄った。 さっきまでは普通だったのに、いきなり不機嫌になったようだ。 ちゃぶ台の上を見て、ため息をつく。 「お誘いって、訳じゃねーんだろうな、勿論」 「どうしたんですか?」 ぼそりと吐きだした言葉に、首を傾げる。 俺の問いに先輩がとんとんとちゃぶ台を爪で叩く。 「この明らかになんらかの意図を感じるラインナップはなんだ」 「え?」 「ウナギに山芋ににんにく。お前なんか俺に不満でもあるのか?」 今日のメニューはウナギのかば焼きに、マグロの山かけ、にんにくの漬物。 本当はすっぽんも用意したかったのだが、入手が難しかった。 「不満?」 「俺はもしかして、お前を満足させてなかったのか?」 「いえ、先輩の作品はいつでも満足です」 人間性や普段の生活については色々問題点があるが、それは俺には関係ない。 俺は先輩の与えてくれる環境と作品には心から満足している。 「うわ!」 いきなりお盆を持った手を引っ張られ、畳に押し倒される。 お盆は手から転がり落ちて、強かに頭を打つ。 「っ。先輩?」 唐突に先輩が発情して押し倒されるのは珍しいことじゃない。 自室に台所、居間、玄関、風呂、あらゆるところでヤっている。 アトリエ以外は制覇しているんじゃないだろうか。 しかしさすがに食事前に押し倒されるっていうのは今までなかった。 食事が冷えてしまう。 「心配ならすぐに安心させてやるよ」 「え、は?」 「俺に精力つけさせたいんだろ?こんなことしなくても、俺はいつでもどこでも臨戦態勢だ。安心しろ」 あ、そういうことか。 俺は圧し掛かってきた先輩の肩を抑えて抵抗する。 基本的にいつもは抵抗しないので、先輩は不機嫌そうに体を起こして眉を寄せる。 「なんだ?」 「あ、すぐに発散してほしい訳じゃなくて。長期的な視点でお願いしたいんです」 「は?」 「俺、心配なんです」 メシを食ってもらわないと、意味がない。 ていうかここで俺とヤったらそれこそ意味がない。 「あんた、セックスでインスピレーション得てるって言ってたじゃないですか。だからヤりすぎて、早めに枯れて欲しくないんです。いつまでも性欲持っていてほしいんです。昨日有閑マダムに射精した分を、これで補ってください。俺、これからも色々研究します」 見下ろす黒いアーモンド型の目が細められ、口が呆れたように開く。 そしてそのまま、どさりと俺に覆いかぶさってきた。 一瞬やるのかと思ったが、脱力しきった体からそうではないと知る。 「……………」 「先輩?」 「………萎えたわ」 耳元でため息交じりにつぶやかれる。 俺は慌てて肩に置いた手で、先輩の体を揺さぶる。 「え!?すでにもう勃起障害ですか!?」 「黙れボケ」 「っ!」 先輩が顔をあげて、俺に頭突きを食らわせる。 かなり痛い。 「本当に時折どうしようもなくお前を殺したくなるわ」 「だって、あんた歳とって性欲がなくなったらどうするんですか!?インスピレーション沸かなくなったらどうするんですか!?」 「………お前、本当に俺の作品のことになると馬鹿になるよなあ」 人を気遣うことなんてない先輩にしては珍しくその声には嘲笑のない憐みのようなものが含まれていた。 なんだか可哀そうなものを見るような目で見られている。 「でも、俺、心配してるんです」 もう一度繰り返すと、先輩が深く深くため息をついた。 俺の目をじっと見ながら、子供に言い含めるようにゆっくりと話す。 「安心しろ。射精以外にもセックスの方法あるんだよ」 「え?」 「セックスは、射精だけにあらず。勃起がなくても性欲はある」 「そんなものですか?」 「そんなもんだ」 セックスの先には射精があるような気がするが、そうではないのだろうか。 でもこれについては経験が豊富な先輩の方が正しいだろうか。 「じゃあ、大丈夫でしょうか?」 「大丈夫だ。俺の性欲とインスピレーションは尽きねえよ。お前は俺の才能が、そんな早くに枯れ果てるとでも思ってんのか?」 「思いません」 「分かったなら、二度と馬鹿なこと考えんな」 そう、だよな。 先輩の性欲とインスピレーションが、枯渇する訳ないんだ。 本人がこう言っている。 それなら、きっと、大丈夫だろう。 この人はこと自分の才能についてはストイックなまでに貪欲で、真剣で、その全てを把握しているのだから。 「あ、え?」 急に先輩が俺の肩に顔をうずめて、首をべろりと舐める。 その濡れた感触に、ぞくりと悪寒が走って体が震えた。 「とりあえずお前の努力のおかげで勃ってきたから、一発ヌカせろ」 「まだ食ってないじゃないですか」 「安心しろ。食ったらもう一発ヤってやる」 「え、それじゃ意味な、んっ」 抗議しようとした口は、先輩の薄い唇に塞がれた。 熱い舌が滑りこんできて、強く舌を吸われる。 唾液を注ぎこまれ、くちゃくちゃと音を立ててかき混ぜられる。 「ん、うぅ、は」 そうして先輩の手で、シャツを捲りあげられれば、俺は抵抗できなくなってしまう。 あの手が体に這っているのだと思うだけで、イってしまいそうになる自分に笑ってしまう。 それでも、先輩の目が俺を捕え、先輩の手が俺の体に触れる。 その快感には抗えない。 「ああ、そうだ。お前が誘ってみろよ。俺の性欲とインスピレーションが沸くようにな」 先輩が、体を起こして、俺を見下ろして舌舐めずりしてにやりと笑う。 セックスの時だけ見られる、淫奔な先輩の獣性。 引きずられて、俺の体もまた温度と湿度を上げる。 「せんぱい」 先輩を上からどかして体を起こして、熱くて大きな体を今度は俺が押し倒す。 先輩は抵抗もせずに、されるがままだ。 形勢逆転見下ろす男らしいシャープな顔は、面白がるようににやにやと笑っている。 その胸に手を這わせて、体をゆっくりと傾ける。 定期的に鍛えているらしい体は、堅さと弾力を持っている。 「ん」 その唇にキスを一つ落とすと、愛しい右手を取って口づける。 何度も何度もキスと落とす。 中指の横にあるささくれ、手の平中に刻まれた傷、人差し指に三つあるタコ。 堅くて、汚い手。 女性のような、柔らかさも綺麗さもない。 でもどんなスタイルのいい魅力的な美人よりも、俺を欲情させる手。 「せ、んぱい」 口の中に含み、舌でなぞり、ちゅぱちゅぱと音を立てしゃぶる。 性器に見立てるように口から出し入れし、思う存分唾液だらけにして弄ぶ。 それだけで、俺のモノは射精しそうなほど昂ぶっていた。 「それだけか?お前が性欲滾らせてどうするんだよ」 先輩が、熱に浮かされた目で、一人で興奮している俺を嘲笑う。 その目にまたゾクゾクと背筋に快感が駆けおりる。 「ふっ」 ジーンズ越しに下腹部にそっと触ると、先輩は眉を寄せて息をつめた。 その反応が嬉しくて、喉が渇いて、ごくりと唾を飲み込む。 「はっ、エロい顔」 そっと下から顔が撫でられて、我慢が出来なくなってくる。 先輩の足に乗り上げて、ジーンズのホックを外し、ファスナーを下ろす。 下着を持ち上げるそれは、すでに堅さを持ち始めていた。 それが嬉しくて、下着越しに撫で摩る。 「ねえ、せんぱいの、これ、ください」 ゆっくりと芯を持ち始める性器を優しく掴む。 ぴくりと手の中で震えているのが、楽しかった。 俺の下にいる人が喜ぶように、その人自身に教え込まれた誘いの言葉を口にする。 「せんぱいのザーメン、おれに飲ませて。口にも尻にも、たくさん飲ませて。おれをあんたでいっぱいにして?」 先輩が上気した顔で、くっと喉元で笑う。 そして体を起こして、足に乗ったままの俺の背中を引き寄せる。 「上出来だ」 にやりと男臭く笑って与えられる口付けは、甘くて甘くて舌が蕩けるかと思った。 ねえ、先輩。 あんたのインスピレーションは、俺が相手でも生まれるんでしょうか。 それならそれはなんて快感。 あんたのそれが守れるならば、俺はなんだって出来るんです。 必要ならばラバースーツでスパンキングだって、なんだってこなしてみせますから。 |