「そんな、何考えてるかわかんない奴と話したくねえ」 俺は自分でも優秀な人間だと自負している。 生まれた時から記憶力がよく、要領がよく、おまけに顔も良かった。 周りの大人はそんな俺をイイコだと褒めたたえ、俺もそれによく応えた。 頭の回転が早いから、周りの望んでいる「俺」が分かる。 俺は望まれているであろう「俺の姿」をなぞって行動する。 多少面倒くさいこともあったが、無用な衝突も避けられるし、誰かにとやかく言われることもない。 周りの人間は俺にほとんど好感を持つし、利用もしやすい。 張り付いた笑顔の下で、腹抱えて笑っているなんて気づくこともなく、喜んで利用されてくれる。 今では演じているのか、素なのかすら分からなくなるぐらいだ。 多少のわずらわしさと引き換えに、俺は便利な駒を沢山手に入れることが出来る。 需要と供給。 資本主義らしくて結構なことだ。 俺がこんな性格になった原因といえるであろうことが二つある。 1つはまだ小学校に上がる前。 その頃はまだこんな、カメレオンのような性格はしていなかった気がする。 まあ、親の言うことを良く聞く「いい子」であることは変わりなかったが。 そんな俺が珍しくわがままを言うことがあった。 家族でデパート。 通りかかったおもちゃ屋で、いつものようにぐずった弟。 結果、見事に目的に物をゲットした。 いつもだったら、俺はそれを黙ってみていた。 弟のようにこまめに物を買ってもらっていると、本当に欲しいものが買ってもらえなくなる。 行事行事で高価なものをねだる方が、効率的だと経験で知っていたからだ。 わがままな弟はこまめに下らないものを。 イイコの俺は、たまには貴重なものを。 トータルでは弟の方が金額が上かも知れないが、本当に欲しいものだけ手に入れられればそれでよかった。 親としては気持ちよく平等に扱ってる気分にもなれるだろうし。 けれどその日はなぜか、どうしてもおもちゃが欲しくなった。 いつもは気にもとめない、くだらない仕掛け箱。 値段もたいしたことはない。 弟が欲しがった戦隊物の変身ブレスレットよりもずっと安かった。 けれど俺は、その仕掛け箱に心が引かれた。 様々な仕掛けが凝らされ、開けること、鍵をかけることを楽しむ宝箱。 その複雑なデザインと、どこか秘密めいた雰囲気に心引かれた。 欲しくて仕方がなかった。 嬉々としておもちゃを振り回す弟と、それを苦笑しながら見つめる両親と祖母。 その後ろを歩いていた俺が、声をかける。 「ねえ、ぼくもあれほしい」 思いがけない俺の声に、振り返る家族。 顔を見合わせた結果、祖母が口を開いた。 「あんたは今度にしなさい。もうすぐ誕生日だから、その時買ってあげる」 「でも、ぼくもほしいんだ!」 珍しくわがままを言う俺に、困ったように小首をかしげる母。 「ね、健ちゃん。上でアイス食べましょう。それは今度買ってあげるから」 「アイスはいらないの。あれがほしい!」 それから2,3度同じ問答を繰り返す。 すると、右頬にするどい痛みが走った。 「いい加減しなさい!お兄ちゃんなのに、聞き分けのない!」 痛みというよりは驚きで、俺は瞬間呆けていた。 呆然として、目の前の怖い顔した父を見る。 「まったく、もうすぐ小学生だというのにわがままなんだから」 汚いものでも見るように俺を見下す祖母。 その横で、困ったようにおろおろとする母。 いつも「イイコ」でいた俺に見せる、保護者達の失望の表情。 俺は、その時、確実に必要とされない存在だった。 その時悟ったことは、保護者達は自分の必要とする人間ではない俺は、要らないということ。 「………わかった」 「そう、いい子ね。じゃあアイス食べましょう」 「うん」 母に手を引かれ、歩き出す。 一度だけ振り返った仕掛け箱は、色あせて、なんであんなに欲しがったのかも、分からなかった。 2つ目は小学校の高学年に上がろうとする頃。 あの時以来、俺はますます大人の期待に応える「イイコ」になっていった。 大人は俺の態度にすっかりほだされ、俺を褒める。 俺も、大人はどう転がせばいいのか分かってきていた。 真っ直ぐに物を頼むより、「イイコ」で遠まわしに利用すればいいだけのことなのだ。 人によってはそれを卑屈な自衛だというかもしれない。 自分を殺している、と立派なお題目を唱えるかもしれない。 けれどやってみればそれは自然で、大変楽な世の中の渡り方だった。 これをやるにもコツがいる。 俺はそういった才能に満ち溢れていた。 おそらくこれが、俺の個性なんだろう。 年上には賢く可愛らしく大人の言うことを良く聞く「イイコ」。 同級生には、なんでもできるけど嫌味がなく親しみやすい人間。 年下には尊敬できて頼りがいのあるお兄さん。 周りが望むとおり、そして俺がそうであろうと思う「俺」が出来上がっていた。 その取り繕った猫がすっかり板についたその頃、俺はそいつに出会った。 通わされていた剣道教室。 勿論運動神経もよかった俺は、剣道でもめきめきと頭角を現していた。 だけどまあ、これも俺の特徴なんだが、一つのことに熱中できない性格と、器用貧乏な才能の幅広さは、どんな分野でも俺を「そこそこ」活躍させた。 あくまで「そこそこ」だ。 結局、トップを掻っ攫っていくのは一途で熱心な馬鹿だということも、知っていた。 そして行われた剣道の大会。 小さな大会だったが、俺は2位だった。 一位の奴は、同じ学校の一つ下の学年の男子。 付き合いはなかったが、その粗暴な性格で結構な有名人だった。 別にそこまで熱心でもなかった俺は、あんまり悔しくもなく、周りが望む「俺」を演じる。 「おめでとう。強いね」 ちょっと悔しそうに、けれど微笑を浮かべて勝者をたたえる。 年下の人間の強さを素直に認め、好敵手としての関係を築こうとする。 そして生まれる友情。 なんて美しい。なんてお約束。 周りの人間もそんな光景を微笑ましげに見つめる。 子供の大会だからか、大人が多い。 きつくつりあがった一重の目をした目の前の少年は、そんな俺を一瞥すると、くるりと踵を返す。 俺のへりくだった態度を笑うでもなく、怒るでもなく。 その態度に、俺がなんか言う前に、彼の母親らしい人間が彼を叱る。 「翔太!ほら、この子が話しかけてるでしょう!」 その言葉に彼は少しだけ俺を振り返る。 「そんな、何考えてるかわかんない奴と話したくねえ」 そしてまたあっさりと背中を見せた。 それきり俺のことなんか、見向きもせず。 まっすぐと前を向いて。 誰もが望むはずの「俺」を無視して。 困ったように謝る彼の母親に、笑顔で切り返す。 ちょっと照れたように頭をかいて、しらけきった場の空気を和らげる。 いつものように、柔和な笑顔で、みんなの望む俺を。 そして俺の目標は決まった。 あいつを俺に懐かせて、信頼させて、こっぴどく裏切る。 それを考えるだけで、とてつもなく気分が高揚した。 あの、仕掛け箱を見つけた時のように。 「練習終わったのか?」 「ああ」 いつものように無表情でそっけなく応える。 これでも随分とよくなった方だ。 最初の頃は口も聞いてもらえなかった。 根気強く、粘り強く、異常とも思える執着で、俺はこいつに接した。 翔太に出会ったことで、ますます上手くなる演技。 傲慢で自信に満ち溢れ、けれど真っ直ぐで純粋な、敵を作りやすい翔太。 細心の注意を払い、優しく自然に、隣にいられるように。 じりじりとこいつを落とす。 そしてこいつが心から俺を信頼した瞬間に、これ以上ないほど惨く裏切る。 最高に快感な遊戯。 たまたま委員会があった俺は、部活で遅くなった翔太と一緒に下校する。 もうすでに暗い中、他愛のない会話をかわす。 といっても、ほとんど俺が話すだけだが。 目の前の太く男らしい眉をした無愛想な男は、相槌すら打たないことが多い。 しかし今日は会話の切れ間に、ふと俺の目を覗き込む。 まっすぐと人の目を覗き込む、こいつの、いつもの話し方。 「お前、今日なんかむかつくことでもあったのか」 「は?なんで?」 唐突な質問に、思わず間の抜けた声を上げる俺。 確かに委員会であまりに馬鹿な奴がいて、腹がたっていた。 けれど誰にもそれを気取られることはなかったし、気取られる態度もとっていない。 だが、真っ直ぐに目を見たまま、目の前の男はなんでもないことのように答えを返す。 「お前はむかついている時、胡散臭い作り笑顔が更に胡散臭くなる」 そう言って、翔太はそのことに興味をなくしたように前を向く。 参った。 むかついている、胡散臭い、作り笑顔、ね。 まだまだ俺も修行が足りないらしい。 本当にお前は、たまらなく可愛らしくて愛しい性格で。 叩き潰したくなる。 |