「そんな、何考えてるかわかんない奴と話したくねえ」


健一郎



俺は自分でも優秀な人間だと自負している。


生まれた時から記憶力がよく、要領がよく、おまけに顔も良かった。
周りの大人はそんな俺をイイコだと褒めたたえ、俺もそれによく応えた。
頭の回転が早いから、周りの望んでいる「俺」が分かる。
俺は望まれているであろう「俺の姿」をなぞって行動する。
多少面倒くさいこともあったが、無用な衝突も避けられるし、誰かにとやかく言われることもない。
周りの人間は俺にほとんど好感を持つし、利用もしやすい。
張り付いた笑顔の下で、腹抱えて笑っているなんて気づくこともなく、喜んで利用されてくれる。
今では演じているのか、素なのかすら分からなくなるぐらいだ。
多少のわずらわしさと引き換えに、俺は便利な駒を沢山手に入れることが出来る。

需要と供給。
資本主義らしくて結構なことだ。



***




俺がこんな性格になった原因といえるであろうことが二つある。

1つはまだ小学校に上がる前。
その頃はまだこんな、カメレオンのような性格はしていなかった気がする。
まあ、親の言うことを良く聞く「いい子」であることは変わりなかったが。
そんな俺が珍しくわがままを言うことがあった。

家族でデパート。
通りかかったおもちゃ屋で、いつものようにぐずった弟。
結果、見事に目的に物をゲットした。
いつもだったら、俺はそれを黙ってみていた。
弟のようにこまめに物を買ってもらっていると、本当に欲しいものが買ってもらえなくなる。
行事行事で高価なものをねだる方が、効率的だと経験で知っていたからだ。
わがままな弟はこまめに下らないものを。
イイコの俺は、たまには貴重なものを。
トータルでは弟の方が金額が上かも知れないが、本当に欲しいものだけ手に入れられればそれでよかった。
親としては気持ちよく平等に扱ってる気分にもなれるだろうし。

けれどその日はなぜか、どうしてもおもちゃが欲しくなった。
いつもは気にもとめない、くだらない仕掛け箱。
値段もたいしたことはない。
弟が欲しがった戦隊物の変身ブレスレットよりもずっと安かった。
けれど俺は、その仕掛け箱に心が引かれた。
様々な仕掛けが凝らされ、開けること、鍵をかけることを楽しむ宝箱。
その複雑なデザインと、どこか秘密めいた雰囲気に心引かれた。
欲しくて仕方がなかった。

嬉々としておもちゃを振り回す弟と、それを苦笑しながら見つめる両親と祖母。
その後ろを歩いていた俺が、声をかける。

「ねえ、ぼくもあれほしい」

思いがけない俺の声に、振り返る家族。
顔を見合わせた結果、祖母が口を開いた。

「あんたは今度にしなさい。もうすぐ誕生日だから、その時買ってあげる」

「でも、ぼくもほしいんだ!」

珍しくわがままを言う俺に、困ったように小首をかしげる母。

「ね、健ちゃん。上でアイス食べましょう。それは今度買ってあげるから」

「アイスはいらないの。あれがほしい!」

それから2,3度同じ問答を繰り返す。
すると、右頬にするどい痛みが走った。

「いい加減しなさい!お兄ちゃんなのに、聞き分けのない!」

痛みというよりは驚きで、俺は瞬間呆けていた。
呆然として、目の前の怖い顔した父を見る。

「まったく、もうすぐ小学生だというのにわがままなんだから」

汚いものでも見るように俺を見下す祖母。
その横で、困ったようにおろおろとする母。

いつも「イイコ」でいた俺に見せる、保護者達の失望の表情。

俺は、その時、確実に必要とされない存在だった。


その時悟ったことは、保護者達は自分の必要とする人間ではない俺は、要らないということ。

「………わかった」
「そう、いい子ね。じゃあアイス食べましょう」
「うん」

母に手を引かれ、歩き出す。

一度だけ振り返った仕掛け箱は、色あせて、なんであんなに欲しがったのかも、分からなかった。



2つ目は小学校の高学年に上がろうとする頃。
あの時以来、俺はますます大人の期待に応える「イイコ」になっていった。
大人は俺の態度にすっかりほだされ、俺を褒める。
俺も、大人はどう転がせばいいのか分かってきていた。
真っ直ぐに物を頼むより、「イイコ」で遠まわしに利用すればいいだけのことなのだ。
人によってはそれを卑屈な自衛だというかもしれない。
自分を殺している、と立派なお題目を唱えるかもしれない。
けれどやってみればそれは自然で、大変楽な世の中の渡り方だった。
これをやるにもコツがいる。
俺はそういった才能に満ち溢れていた。
おそらくこれが、俺の個性なんだろう。

年上には賢く可愛らしく大人の言うことを良く聞く「イイコ」。
同級生には、なんでもできるけど嫌味がなく親しみやすい人間。
年下には尊敬できて頼りがいのあるお兄さん。
周りが望むとおり、そして俺がそうであろうと思う「俺」が出来上がっていた。

その取り繕った猫がすっかり板についたその頃、俺はそいつに出会った。
通わされていた剣道教室。
勿論運動神経もよかった俺は、剣道でもめきめきと頭角を現していた。
だけどまあ、これも俺の特徴なんだが、一つのことに熱中できない性格と、器用貧乏な才能の幅広さは、どんな分野でも俺を「そこそこ」活躍させた。
あくまで「そこそこ」だ。
結局、トップを掻っ攫っていくのは一途で熱心な馬鹿だということも、知っていた。

そして行われた剣道の大会。
小さな大会だったが、俺は2位だった。
一位の奴は、同じ学校の一つ下の学年の男子。
付き合いはなかったが、その粗暴な性格で結構な有名人だった。
別にそこまで熱心でもなかった俺は、あんまり悔しくもなく、周りが望む「俺」を演じる。

「おめでとう。強いね」

ちょっと悔しそうに、けれど微笑を浮かべて勝者をたたえる。
年下の人間の強さを素直に認め、好敵手としての関係を築こうとする。
そして生まれる友情。
なんて美しい。なんてお約束。
周りの人間もそんな光景を微笑ましげに見つめる。
子供の大会だからか、大人が多い。
きつくつりあがった一重の目をした目の前の少年は、そんな俺を一瞥すると、くるりと踵を返す。
俺のへりくだった態度を笑うでもなく、怒るでもなく。

その態度に、俺がなんか言う前に、彼の母親らしい人間が彼を叱る。

「翔太!ほら、この子が話しかけてるでしょう!」

その言葉に彼は少しだけ俺を振り返る。

「そんな、何考えてるかわかんない奴と話したくねえ」

そしてまたあっさりと背中を見せた。

それきり俺のことなんか、見向きもせず。
まっすぐと前を向いて。
誰もが望むはずの「俺」を無視して。

困ったように謝る彼の母親に、笑顔で切り返す。
ちょっと照れたように頭をかいて、しらけきった場の空気を和らげる。
いつものように、柔和な笑顔で、みんなの望む俺を。


そして俺の目標は決まった。


あいつを俺に懐かせて、信頼させて、こっぴどく裏切る。
それを考えるだけで、とてつもなく気分が高揚した。

あの、仕掛け箱を見つけた時のように。



***




「練習終わったのか?」
「ああ」

いつものように無表情でそっけなく応える。
これでも随分とよくなった方だ。
最初の頃は口も聞いてもらえなかった。
根気強く、粘り強く、異常とも思える執着で、俺はこいつに接した。
翔太に出会ったことで、ますます上手くなる演技。
傲慢で自信に満ち溢れ、けれど真っ直ぐで純粋な、敵を作りやすい翔太。
細心の注意を払い、優しく自然に、隣にいられるように。
じりじりとこいつを落とす。
そしてこいつが心から俺を信頼した瞬間に、これ以上ないほど惨く裏切る。
最高に快感な遊戯。

たまたま委員会があった俺は、部活で遅くなった翔太と一緒に下校する。
もうすでに暗い中、他愛のない会話をかわす。
といっても、ほとんど俺が話すだけだが。
目の前の太く男らしい眉をした無愛想な男は、相槌すら打たないことが多い。
しかし今日は会話の切れ間に、ふと俺の目を覗き込む。
まっすぐと人の目を覗き込む、こいつの、いつもの話し方。

「お前、今日なんかむかつくことでもあったのか」
「は?なんで?」

唐突な質問に、思わず間の抜けた声を上げる俺。
確かに委員会であまりに馬鹿な奴がいて、腹がたっていた。
けれど誰にもそれを気取られることはなかったし、気取られる態度もとっていない。
だが、真っ直ぐに目を見たまま、目の前の男はなんでもないことのように答えを返す。

「お前はむかついている時、胡散臭い作り笑顔が更に胡散臭くなる」

そう言って、翔太はそのことに興味をなくしたように前を向く。


参った。
むかついている、胡散臭い、作り笑顔、ね。
まだまだ俺も修行が足りないらしい。


本当にお前は、たまらなく可愛らしくて愛しい性格で。

叩き潰したくなる。






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