「それがあんたの一番なの?」


翔太



俺は一番が好きだ。
というより、一番以外に興味はなく、また意味もない。
一番になるために、努力をするし、それ以外のことにあまり興味もない。

よく、「勝てなくてもその過程を評価する」だの「勝つことだけがすべてではない」なんて言葉を聞く。
そういった価値観があるのは知っている。
だが、俺に言わせればそれらはすべて負け犬の遠吠えだ。

負けることに、なんの価値がある。

負けるということは、自分のふがいなさを確認し、悔しさを次の勝利に結びつける。
ただそれだけに意味がある。
その後がなければ価値はない。
過程や、努力が素晴らしいなど、全くの嘘っぱちだ。
それらも、勝利をもって初めて評価されるのだ。

負け犬ほど、群れて綺麗ごとを並べたがる。

自分のふがいなさを曝け出し、慰めあって、強者をひがみ、自己を守ることに精一杯。
弱すぎて、笑いそうになる。

負けたくなければ強くなればいい、ただそれだけのことだ。

俺は、まだ勝利者にはなれていない。
けれど負け犬だけにはならない。



***




父は弱い人だった。
俺が幼い頃に死んだ。
人がよく、要領が悪く、利用されやすく。
人に押し付けられたことをこなすうち、疲れて疲れて、過労で殺された。
母も弱い人だった。
父に守られることしか知らず、父が死んだ後も、俺を抱いて泣いて泣いて。
訳がわからずされるがままの俺を抱き、母は泣き続けた。
母が泣きやんだのは新しい庇護者を手に入れてから。
結局、自分で闘うことの出来ない人だった。

新しく俺の保護者になった男は、強い人間だった。
沢山の人間を食い物にし、金を集め、ふんぞり返る男。
父もこいつに殺されたようなものだった。

だけど俺はこの男が嫌いではなかった。
欲望のままに、まっすぐに、醜さも極まれば美しい。
強い強い人間。
父よりも、母よりも、強くたくましく見えた。闘っていた。

そう、なんでもいいから一番にならなければいけないのだ。
一番にこそ、意味がある。
父も母も、弱かったから不幸になった。
俺は、一番になる。

あいにくと、俺もそいつも温かい関係なんて築けはしなかったが、仲が悪くもなかった。
そいつは母を囲い俺を養い、俺はそいつの援助を受け取り、満足できる結果をだした。
剣道で一位になり、クラスで成績がトップになった。
学年が上に進むにつれ、俺は勉強の才能はないことに気づくことになったが、それでも成績上では優等生な、自慢の息子であり続けた。
お互いの欲しいものがはっきりと見えていたし、お互いを利用していた。
居心地のいい関係だった。



***




俺の中にある揺るがないものに、波を立てる人間が1人だけいた。
すぐ近所に住む幼馴染。
目立たない女だった。一つ年上なこともあって別に仲も良くなかった。
俺は成績上では優等生ではあったが、人間関係や協調性の面では全く劣等性だった。
そいつは目立たないが、そつなく誰とも付き合う社交的な人間。
ただ、近所のよしみで集団で何回か遊んだことはあった。それだけ。


それはそれほど大きくもない剣道の試合。
俺は前日にドジをやらかし、足をくじいていた。
けれど誰に言うでもなく、試合に参加し、結果準決勝敗退。
どうしたのかと問いただす師範に、何も告げずに会場を後にした。

足が熱を持ち、真っ直ぐに歩くのも難しくなってきていたから。
ふらつく姿など、誰にも見せたくはない。
道着姿のまま、人気のないところを捜し求める。

会場である小学校の体育館の裏手、人が来ることもなさそうな薄暗い林があった。
そこで木を背にして座り込む。
痛む足に、漸く息をつくことができた。

しかし、そこでがさりと茂みの揺れる音がした。
人の気配に不快感を覚え、そちらを振り向く。
そこには一つ年上の幼馴染がいた。
眼鏡をかけ、切れ長の瞳が冷たそうな印象を与える綺麗な少女。

「日和(ひより)……?」
「右足、くじいてる?」

俺の疑問を気にせず、即座に聞いてくる。
俺は、一瞬息を呑んで言葉を失った。

「ああ、やっぱり」

そう言って、日和は手に持っていた湿布薬をほおり投げる。
俺は反射的にそれを受け取る。

「右足かばってたから」

なんで分かったのか、と問う前に日和は答えた。
俺の疑問が顔に出ていたのだろうか。
ひどく、不快な気持ちが強くなる。
人に弱みを見られるのは好きではない。
そんなに、俺は痛そうにしていただろうか。

「ああ、別に他の人は気づいてないと思うよ」

今度もまた、こちらが問う前に答える。
人に見透かされるのも、好きではない。
ただ日和の態度は俺を心配するでもなく、同情するのでもなかった。
それがまだ、俺の怒りを押しとどめていた。
日和は俺をしばらく眺めてから、今度はこちらに問いを投げかける。

「ちょっと、あんたに興味あってさ」
「…なんだ?」
「痛い足を無視して、あんたを罵るチームメイトを無視して、応援する仲間を無視して、あんたは何を目指しているのかな、と思って」

それは本当に興味があるのかと思うほど、なんでもない口ぶりだった。
なにかの感情が入っているとは見えない。
今日は晴れだね、というのと同じような口調。
これまで抱いていた「人当たりのいい女」という印象からは想像できない女に、少し違和感を覚えながら、俺は答えを差し出す。
それはいつもから、俺の中にある、ゆるぎないもの。

「一番」
「一番を目指しているの?」

頷く。
賢そうな少女は、少し首をかしげると再度問いを投げかける。
相変わらず、なんの感情も入らない声で。

「何の一番?」
「さあ。ただ、なんにも負けたくない。勝ちたい」

俺の中の確固たる物。譲れないもの。
答えるのは簡単だった。
少女は分かっているのかいないのか、俺と同じような無表情で一、二度うなずいた。

「ふーん。それがあんたの一番なの?」

なんでもない口調。
けれど、その言葉で俺の中にある揺るぎのない何かが、わずかに震えた。

それが、俺の、一番なのか。

いつもだったら、即座にそうだ、と言い返せる言葉。
なんでもない、くだらない言葉。

けれど、なぜか、その時の俺は、揺れた。

目の前の女の、興味があるんだがないんだか分からない態度からかもしれない。

何度か頷いていた日和は、それじゃあ、と一言残して帰っていこうとする。
その姿に、珍しく俺から人に話しかける。
なぜか少々焦りを抱えた心で。

「おい」

これまでの印象とは違う無表情なとらえどころない女が振り返る。

「もう、興味はなくなったのか」

日和は口元に手をあてて、少し考える。

「……うん、もういいや」

そうして再度体育館の方に、体を向けた。

その姿に、なぜか俺はかすかな敗北感を覚えていた。
そして生まれる、新たな感情。

俺は、こいつに、勝ちたい。
こいつから見て、一番と思える、人間に、なりたい。



***




時は流れて、それでも俺達の付き合いはそれなりに続いている。
けれど、俺はいまだにこいつに興味を抱かせる人間にはなっていない。
日和は相変わらずとらえどころがなく、掴みづらい。
どうやら、人当たりのいい態度は、偽りのものだということだけ分かった。
俺が執着し、揺らがされる、唯一の人間。

「また勝ったの?」
「ああ」

それは今日の大会の結果。
剣道は続けていて、俺はその中での勝利を目指し続けている。
それが俺の「一番」なのかどうかはまだ分からないが。
負けたくないから勝つ。
それだけだ。

「そう」

聞いたくせに、また興味をなくしたような返事を返す。
移り気で捕まえいにくい女。
そして女はぼそりと誰に言うでもなく、前を向いたまま言葉を漏らす。

「勝って勝って、あんたはどこに行くんだろうね」

俺を揺るがす言葉。
なんでもない、またおそらく言ってる本人も興味ない、くだらない言葉。
けれどそれが、俺を揺るがしてやまない。

それを好ましいと思うからこいつと一緒にいるのか。
それとも揺らされる俺を否定したくていっしょにいるのか。

それすらも分からない。

こいつといると、分からないことが増えていく。

不快感と安心。
その二つを無理矢理押し付ける日和。


せめて、俺が興味を持つほどに、俺に興味を持てばいい。






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