「条件とメリットとは、何を望んでいるのかしら?」 会長さんがうっすらと笑いながら、私を挑むように見つめてくる。 美人なこともあって、随分な迫力だ。 その強い瞳に気押されそうになるが、ぐっと堪える。 落ち着け、ここで負けるな。 「まずですね、ちゃんと約束してください。考える、なんて曖昧な言葉ではなく」 「どういうこと?」 「一か月経っても駄目だったら、そうですね、彼女も私もやっぱり部屋替えしたいって結論になったら、ちゃんと部屋替えしてください」 「ペナルティは?」 会長さんが少し首を傾げると、さらりとつややかな黒髪が肩から零れる。 ああ、もうなんかその仕草の一つ一つが圧迫感だ。 でも負けないぞ。 私はここで3年間暮らさなきゃいけないのだから。 「そもそもこの学校は中学校からの持ち上がりが多いんですから、知り合いばっかりでしょう。部屋決めの時はある程度そこは考慮されるはずです。そうですよね?」 「そうね」 そりゃそうだ。 修復不可能なほどに仲が悪いとかの奴を同室にしたら、収拾がつかないだろう。 「私は高校から入った上に、季節外れの編入ですから人間関係もまっさら、これまでのアドバンテージ0です。なんの考慮もなく、あんな難しそうな人の部屋に放り込まれるって、その時点でペナルティじゃないですか?」 「まっさらだからこそ偏見なく彼女に接してもらえるかと思ったのだけれど」 「それはそちらの事情です。1カ月は我慢するって、こちらは譲歩をしています」 一方的にこちらに望んでいるのは、そちらだ。 被害者は私。 強く出れるのも私。 けれど、会長は綺麗な微笑みを浮かべたまま、私の希望をぶった切る。 「でも、規則は規則だわ」 「不公平すぎます!ていうか、そんな配置をした人の能力が疑われませんか!?」 こっちは可哀そうな転入生だぞ。 会長だから先輩だから美人だからと怯んでいてはだめだ。 「本当に、大人しそうな外見をして結構言うわね」 「予想外」 会長さんと副会長さんは楽しそうにくすくすと笑う。 ああ、そのお人形さんのような笑い方も、今となっては憎らしい。 会長の傍らに立っていた副会長さんが一歩前に出る。 その笑い方は、会長さんよりどこか冷たく、人を馬鹿にしているように感じる。 「でもあなた、この学校に入学する際に、保護者の方に配布するものとは別に、生徒用の学校規則、寮規則に承諾してサインしているわよね?」 「………して、ます」 くそ、あんまり読んでなかった。 とにかく入学することに精一杯だった。 あんなのただのお約束の意味のない紙きれだと思っていたのに。 何も考えずに契約書にサインするなんて、私としたことがぬかった。 でも、まさかたかが学校でこんな落とし穴があるとは思わないだろう。 「その顔は分かっているようね?帰って読み返してもらってもいいわよ。寮のルールに従うこと、寮長に従うことが明記されてるはずだから」 「………」 「サインをした時点で、それはあなたは承諾したってこと。そしてこの学校は学生会長と寮長は兼任が伝統。つまり会長が寮長。そして、ルール」 副会長さんの声はどこまでもクール。 笑いながらも冷たい目で、私を見つめている。 「あなたももう高校生、自分のサインの意味と重さを、知ってもいいわね?」 「………」 確かにサインした時点で、それは私の責任だ。 子供だから、なんて言い訳はこの人達には通用しないだろう。 なにより、それは言いたくない。 「静音、その辺にしておきなさい」 「………」 そこでやんわりと窘める声が入った。 会長さんが面白そうにくすくすと笑っている。 そしてじっと、その強い瞳で私を試すように見つめる。 私は下がりそうになる視線を必死にこらえ、その目をただ見つめ返す。 会長さんはそんな私の態度に、一つ頷いた。 「そうね、この学校に来たばかりのあなたには少し可哀そうかもしれないわね。私達も配慮が足りなかったわ」 「………」 「あなたの条件を飲みましょう。一か月経ってどうしても駄目だったらペナルティなしで部屋替えをしてあげる」 「本当ですか!?」 「ええ」 やった! 気まぐれでもなんでもいい。 とりあえずは一歩前進だ。 「あ」 「何?」 でもまだ駄目だ。 これじゃまた片手落ちだ。 最後の最後まで気を抜くな。 「ちゃんと書面化してください」 「あら、しっかりしてるのね」 会長さんが苦笑して肩をすくめる。 たかが学校の寮の話で、とは思うが、口約束なんてないも一緒だ。 最後に物を言うのは、契約書。 「いいわ、後で書面としてあなたに渡しましょう」 「出来れば今日明日には」 「分かったわ」 よし、それならいい。 後は。 「それで、後はメリットね。この時点ですでにメリットは十分にあると思うのだけれど?」 これからがもう一勝負。 最初の条件は引き出した。 最低ラインはクリア。 これからはプラスアルファの部分。 ここが出来たら合格点。 「会長さん達は、私にあの、えっと」 「結衣子?」 「はい、あの人。あの人達とうまくやってほしいのですよね?」 「ええ」 会長さんは、私が何を言うのか先を楽しみにしているようにじっと見ている。 頭をフル回転させろ。 負けるな、負かせるな。 win-winの関係を築いてこその交渉。 「じゃあ、私があの子と仲良くなりたいと思えるだけの、メリットをください」 「これは新しい切り口ね」 「だってそうでしょう。いきなりあんなに嫌われてたら、誰も仲良くなんてなりたくないです。会長さん達にとっては大事な人かもしれないけど、私には初対面のいけすかないつんけんした女ってしかありません。仲良くしたい、なんてこれっぽっちも思いません」 「確かにそうね」 「でも、ご褒美があるなら、あの子が私との同居に承諾することで、私にメリットがあるっていうなら私は全力で彼女とルームメイトになれるように取り組みます。私にもメリット、貴方達にもメリットです」 「鼻先の人参が欲しいってことね」 私は馬か。 まあいい。 これでこの人達がそこまでする必要はないって言うなら、そこまであの人は大事じゃないって判断出来る。 ここであの人達が頷くなら、あの人達にとって、あの人はそこまでする価値があるのだ。 それによって私の身の振り方も変わってくる。 「どう、静音?」 会長さんは傍らに立つ副会長を見上げる。 副会長さんは少しその長いまつげで縁取られた眼を伏せる。 「そうね。そもそも、寮長の命令ってことにすれば、無理矢理同居させることも可能ね。だからこそ、まずそれを先に確約させたのでしょうけど。その後にこの話を持ちかけるってところは中々ね。70点」 「あら厳しい」 まあ、確かにそうだ。 あの人達が規則だからと突っぱねれば、私の意見なんて一蹴できる。 「ところで、具体的にあなたが望む人参は何?」 「えっと、えっと、えーっと」 会長さんにふられて、そこは何も考えてなかったことを思い出す。 ていうか学校でのメリットってなんだろう。 掃除当番の免除とか、お風呂の優先権とかなのかな。 別にそんなのはそこまで欲しくないな。 私が一番欲しいのは。 「無計画なの?」 「が、学食のお昼1週間分!」 沈黙が学生会室に落ちる。 あ、やっぱりちょっと図々しかったかな。 結構お金かかるし、誰がそのお金を出すのかっていう話だよね。 少し欲望に走り始すぎた、他のこと考えなきゃ。 「あは、あははは、うふふふ!」 けれど、沈黙を破ったのは、いきなりの笑い声。 会長さんが、口元を抑えて大きな声で、けれど上品に肩を震わせている。 副会長はそれをどこか、あーあーて顔で見ていた。 「あはは、あなた面白いわねえ」 顔が熱くなってくる。 涙を拭きながら、なんとか会長さんが笑いを治める。 本当に失礼な人だな、この人。 「ここに来て随分欲がないのねえ。いいわ。1年分、学食でもお弁当でもあなたの望むものをご褒美にしてあげる」 「えええええ、本当ですか!?」 「ええ」 え、1年分!? 1年分!? 聞き間違えじゃないよね、1年分!? この学校は朝と夕はついてるが、昼は自己責任だ。 パンを買うにも学食で食べるにもお弁当を頼むにも、何をするにもお金がかかる。 それが全部浮く!? ここの学食での最低ラインのうどんとしても、一食300円として、約101000円は浮くってことか!? なおかつ他のランチセットを頼んでいいってことになったら、200000円は軽くいく。 「休日は!?」 「あなたが望むなら」 「上限は!?」 「この学校でお昼と認識されるものだったら特に設けないわ。ただし明らかに食べきれない量は却下。レシートは提出して」 ち、せこいな。 購買のパン買占めとかは駄目か。 でもそれでも十分だ。 「会長、その予算は?」 「私のポケットマネー」 「なら結構」 副会長さんの冷静なつっこみ。 ていうかポケットマネーかよ。 やっぱりお金持ちなんだなあ、この学校に通ってる人。 会長さんは特にお嬢様ぽいし。 ああ、でもなんでもいい。 嫌な人だと思ってたけど、この人本当はいい人かもしれない。 ご飯を奢ってくれる人は、何はともあれいい人だ。 私は背筋を正してから、礼儀正しく90度のお辞儀をした。 「不肖藤河咲耶、全力で彼女と仲良くさせていただきます!」 メリットがあるなら、どんな障害でも取り払いますとも。 1年間のお昼代が浮くならば、私は何があっても戦って見せる。 「あら現金」 「本当、頼もしいわね」 ころころと笑う会長に、冷たく私を見ている副会長。 「話がまとまったなら、もういい?私早く帰ってご飯食べたい」 そして、話に全く入らず隅でお菓子を食べていた澄田さんの言葉で、入寮会議は終了となった。 |